ブログ記事13,768件
お互いに介護する年齢になった時老々介護が厳しくなり周りにホームに入れたらどうかと提案され最後まで自分で看るかホームに入れるか最終決断で悩んだ時こそ復讐のチャンス!この不倫の代償として罪悪感なく「ホームに入ってもらおう!」という決断をしよう☆自分では動けない父の介護を様々なサービスや地域の方のご支援で母はしている近くに住む妹が毎日通勤途中に見に行くけれど老々介護だ(母と父は2歳差)母は疲れた時「老人ホームに入ってもらおうか」と言うこと
父は、お酒が大好き。現在、父の実家の掃除をしているのですが、あちこちからお酒のビンが出てきます。そして、実家で暮らしていたころから、お酒を飲んでも家で酔っぱらうことはありましたが、外で飲んで帰ってきても普通にしていられる父でした。そんな父が特別養護老人ホームに入るとき、若いころよりは、お酒の量は、減っていましたが、その頃でも寝る前は、必ず焼酎を1杯飲んでいました。認知症になってもお酒は、手放すことができませんでした。老人ホームに入るときの面接でその話が出て、この施設は、お酒は、持ってき
特養に入った後、お酒のことは、全く忘れてしまった父でした。環境の変化もあったんだと思いますが、140人の入居者がある施設で父がお酒をもって入所する初めての人だったと書きましたが。晩酌を若い時から毎日欠かさず飲んでいた父。若いころよりは、お酒の量は、減っていましたが、それでも毎日の晩酌は、欠かせませんでした。今、思えば、お酒を飲んでいるときは、楽しいのか、パニックが起きませんでした。これは、本当に不思議なことです。毎日の父の楽しみだったんです。それが、特別養護老人ホームに入り、焼
母が一人暮らしになり、父のいない生活。ただ、私たちにとっては、すごく楽になりました。実家へ行っても父のパニックの世話というのか、その対処をしなくてよくなったからです。しかし、母は、忘れることが多くなり、実家に行っても母がいないことが。これが一番困りました。後で帰ってくるのですが、それでもどこに行ったのかわからないんです。だから、朝、電話をかけてから行くようにしました。それでもちょっと買いものに出ていたと話したり、全く忘れて友達の所へ何かを渡しに行ったりもありました。それと、私が
こんにちは。うぴです。夢に出てきたゾウさん♪前回〝私の辛さを分かってよ❗️〟というオーラを出している人に私は反応して、瞬時に自分軸がなくなってしまう、と書いた。私はどうして反応してしまうんだろう…。私は反応して、何がしたいと思っているんだろう…🌀その人達の傷を癒したいそんな言葉が出てきた。えーーー、そうなんだ💧なんで見ず知らずの人の傷を癒さないといけないの⁉️すると小さい頃の私と父と母の姿が出てきた。私は必死に〝父さんと母さんの過去の傷を癒したい!〟と願ってる。でも
実家の片づけをしているんですが、どうしても台所の勝手口の鍵が見つからないんです。まあ、ほとんど使うこともないのですが、実家の掃除をして帰るときには、中から鍵をかけて帰ればよいだけなのでいいのですが。しかし、3本もあったはずの鍵がないので困っていたのでその台所のドアを変えていただいたリフォーム会社の人に聞いたのですが、鍵の原本がないと同じ鍵は作れないとのこと。これには、びっくりしました。ない場合は、鍵ごと変えるしかないとのこと。ドアがあるので鍵を作るのは、簡単なことだと思っていたまみちゃ
父が特別養護老人ホームに入所し、母は、一人暮らしになりました。父が特養に入ってから、母は、家では一人、デイケアをはじめ、看護婦さんを入れたり、地域のお弁当を週に2日とり、父がいなくなっただけで母の生活は、特に変わりはありませんでした。ただ、父がいないことで母は、とてもさびしくなり、泣くことも多かったようです。今までは、私が週3日ほど通っていたのですが、父がいるときは、「忙しかったら来なくてもいいよ!」なんて言っていたのですが、父がいないと寂しいのでしょう。「次は、いつ来る。」と必ず聞くよう
みなさん、認知症のパニックってどんなものかわかりますか?言葉の暴力が主なものですが、これによってどんどんと興奮していって多分、本人でさえ何を言っているのかわからなくなるとなってくるんです。相手が、怒り出したり、これを止めると余計にエスカレートしていくということが付き合っていくうちにわかってきました。ですので一番は、話しをそらしてほかのことへ興味を持っていくということです。しかし、父も認知症でしたが、母も認知症。母の認知症は、怒るということはあってもパニックを起こすということはありませ
生きている間に見つからなかったものとありましたが、これらのものは、亡くなってからも見つかりませんでした。まあ、通帳は、わんさか出てきたのですが(笑い)。通帳が無くなったと言っては作りを繰り返していたんだと思いますが。しかし、置いた場所、しまった場所を忘れてしまうというのは、よくあることですが、年をとるともっと忘れるのです。でも、父にとっては、他人にはわからない所にしまうということが頭にあったんだと思います。考えたら、父が生きていた時、布団の間から、母が通帳を出してきたことがあります
こんにちは聴いたよーとお声かけていただきありがとうございますアニマル内観セラピーを受けてようやく自分を生きることがでるように自分を大切にできるように他人軸になっていたんですよね突発的に起こるいろいろなことがあっても自分を生きる(自分勝手ではなくですよ)そんなことを私は動物であるさださんから教えてもらいましたさださんはきっと大げさだなぁ当たり前だろそれが生きるってことだよ忘れてたでしょそんなふうに言われそうまだまだいまも日日学び中これからもそんな最中の
父と母を連れて精神科へ。昨日かいたレストランの話は、精神科への受診のあと、食べに行ったときのことです。そんな父と母。でもね。時々、精神科の先生の診察時間がもっと長くして私の話を聞いてほしいと何度か思ったことがあります。今、現在の様子を先生に話しながら、思うこと。もっと長く話を聞いてほしいと思う時も。そして、精神科では、私の横に母が座ると困ったことに母は、私の話がおかしいと普通ではないと足をつねるんです。私は、本当のことを話しているのですが、自分たちは、普通に生活して普通に暮らしてい
昨日、2月1日、父と母が再婚しました。よっぽどのことがない限り、おそらく親友にも言ってなかった、両親が実は離婚しているってこと。笑多分、母のブログを見てくれている友達、このブログを見てくれている友達たちもいるのでそれできっと知られる(笑)別に隠してたわけじゃないんです。まぁ5人も子どもがいたらいろいろある。絶対。私も子供が2人いて、まだ0、2歳だし、まぁ普通に夫とは、結構仲良い夫婦だと思うけれど、でも喧嘩もするしいろいろあるし。
嫌な予感ご訪問頂き、本当に有難うございますこの日記には宗教の事が出てきます。もしかしたら不快に思われる方もいるかもしれませんでもきっと私と同じ様な思いをされている方もいるかもしれないのでありのままを書いていきます。ご理解の上、読んで頂けたら有難いです※宗教に対する批判では無いです母にすると私「もしもし、ばぁば最近また義家族からお金の無心無かった貸してない」母「え、無いと思うけど…じぃじは」
母は、車の運転をしますが、父は、免許はとりましたが、運転歴はなし。それでなのかわかりませんが、車酔いがすごかったんです。父と母を連れて出かけると父が調子が悪くなるんです。本当に車酔いには、参りました。車酔いをするので助手席に父を乗せたりということもありました。でもね。そんな長い時間、車に乗っていたわけではないのですが。ですので一緒に出掛けるときは、本当に困りました。一緒に食事に出かける時に大変だったこと。こんなことがありました。お料理が出てくる段階になってから、調子が悪くな
✨私の両親の事父は板前で若い頃から転々と修行をして、その時に母と出会い結婚👨💗👩2人の子供も生まれ、最終的に今の場所で自分達の店を持ちました👨🍳父と母の頑張りで店(居酒屋)は地元に愛される店として繁盛していきました🍻私も何年かの修行を行い、地元に帰って父の手伝いをして自然な流れで2代目として今に至ります🙂現在、父と母は仲良く色んな所に旅行したりして楽しい余生を過ごしています🚗³₃が、こんな状況になって本当に心配かけてゴメン!🙏🏻父母共に私の治療が4時間以上かかるのに、毎回付き添っ
登場人物紹介アメンバーについて昨日は、大雨に風に、さんざんな天気でした・・・そんな中、どうしても買いたい物があって、でもでも、ヤダなぁ・・・と思いつつ・・・でもでも、私が行かないと、誰が行くっと、意を決して、桃ちゃんに乗って、出かけました。(大げさですみません結構めんどくさがりなのです・笑)買ったものは・・・・・・私とじくさんの、ではありません(残念)父と母の40周年の結婚記念日でしたこういう時期なので、せめて、ケーキでも食べて元気になってもらいたい夕ご飯
母は花が好き今日一緒に花屋へとてもうれしそうだった今日は父に怒らなかった毎日父に怒ってばかりの母きっとこの先の不安もあるのだろうやはり死んでいる場合ではない生きて父と母を支えていかなくちゃまた一緒に花屋へ行こう
この精神科の診察時間、毎回、もっと長くしてと思っていました。父母をそろえての診察。どうしても父母の話に先生の話が重なり、私の話をする時間がないんです。先生に二人の話には、耳を傾けてくれるのですが。そうすると私の話は、短くなるのは、当たり前。でもね。その話がまったくの逆の話になると短い時間の中では、訂正をする時間が無くなり、現状の話で終わるのが常でした。まあ、自宅では、ケアマネさんなどは、父と母のことは、とてもわかっていてそれで対処はしてくれていました。それで、まあ、仕方がないと精
父は、病院は、大好きでした。でもね。救急車で運ばれた時は、家族も一緒。それもあったのだと思います。父の周りに沢山の人というのか、家族。自分の話は、自分で聞いてというのを繰り返してきたので私たちに自分の話を聞かれるのも嫌だったのかもしれません。でもね。本当に困りました。先生に暴言をはき、家族にも暴言をはき、何を言っても聞く耳もたず。だから、私たちは、耳が聞こえていないのではと思ったほどです。高齢になると補聴器をつける人が増えているので父もそうかもしれない、と病院の先生とも話しました
元旦那さんの存在ってどんな感じですか?二度と連絡を取り合いたくない子供のことがあるから連絡を取り合うそれぞれに家庭を持って距離がある色んな離婚理由があって、別れた元旦那との関係性って微妙に違いますよね最初は連絡を取り合うこともしたくない相手でした。今は、息子のことを話し合う相手です。同じように元旦那さんが思っているかと言ったらそうでもないうちは、元旦那は内縁の妻がいながら…復縁を狙ってるガンガンアピール全開全くそんな気ないですよ〜それはハッキリ伝えてます。もう元には戻れ
名前を変える理由2前回まで使っていた名前で手の痒みは治ったものの、今度は奥歯4つが痛くなりまして。4本とも抜けてしまうんじゃないかと思うほどの痛みに、もしや名前では?と思い立ち、父に確認したんです。名前を6画にしなければならないのですが、どうしても父は5画で書いてしまう。これが原因なのか!と思い、また相談メールを送ったのです。しばらく返事はありませんでした。そうこうするうちに日が経ち、ある日母からの電話、夜11時ごろです。薬が切れて何話してるかわからないけれど「宙吊りになってる
姉が県外に居るので、今回の入院には父が付き添ってくれました。前回の検査入院の時に書き忘れたのですが入院するためにいろいろと同意書が必要になります。家族構成家族の誰まで病状を説明するか普段だれが世話するか緊急連絡先お見舞いにきた人への対応(断るか、断らないか)一般的な問診書くことが苦手な私は苦戦しました書類1枚1枚、写真撮ってLINEで姉様に送る、あってる?と聞くと「2段目間違ってる・・・」などなど指摘が書類にがて~~~父が、姉ちゃんが帰ってくるからゆっくりできる
親を捨てる覚悟ご訪問頂き、本当に有難うございますこの日記には宗教の事が出てきます。もしかしたら不快に思われる方もいるかもしれませんでもきっと私と同じ様な思いをされている方もいるかもしれないのでありのままを書いていきます。ご理解の上、読んで頂けたら有難いです※宗教に対する批判では無いです旦那の大泣き姿を私と父と母は見るのは何回目なんだろう…旦那のびっくりするくらい大きな目から大粒の涙が出ていて…鼻水も出てて…母
母が入院しました。今まで父と母が二人で暮らしていて、母が父の世話をしていました。母が入院した今、父を一人で放っておけないのでわたしが実家に泊まり込んでいます。これを機会に、実家の片づけや掃除に取り込もうかなと思っています。とりあえず、トイレの臭いが気になったのでトイレ掃除しました。完璧にはほど遠い出来だけど、とりあえず臭いは緩和されたかな。ホコリが積もってるのもずっと気になってたので、一掃してやる。それからかつてわたしの部屋だった極小スペース(3畳とただでさえ狭いのにタンスと本棚で占領
父がぎっくり腰になり、救急車で運ばれた時のことです。救急隊員の方は、本当に見事に父を簡単に救急車まで運んでくれ、本当にありがたかったです。救急車の中でも父は、なぜ、こんな車に乗らなければならないんだと騒いでいた父でした。まあ、いつものこととこちらもかまえていたのですが、この後の先生の診察これが、大変だったんです。診察室に入り、先生とお話。でもね。父は、話が聞こえない。「僕にわかるように話せ!」「こそこそ話すな!」「聞こえないから大きな声で話せ!」とでもね。診察室ですから、そんなに広
今日は父の誕生日でした。62歳、もうすっかり初老です👴父が大好きなお寿司、母の手作りのご馳走でお祝いしました。食卓を囲み、61歳の一年はとにかく「シンとつぶとのお別れがあり一生忘れないだろう」と話し(一番我が家が大変な時期を共にした二匹。父は私達が無事育ったのは二匹のお陰と話す)今後叶えたい願いは、「立派に生きて天国へ行き、シンとつぶに迎えに来てもらうこと」とのことでした毎朝、摩周丸を外に出してトイレをさせてやる係をもう6年続けているほか、犬達の換毛期で埃がすぐ溜まるリビングの
父と母に花を…💜自分家に飾る用も作ったよ💖
実母の買物好きは、今に始まった事ではありません。私達が子供の頃は、裕福ではありませんでしたので、質素に暮らしていました。私が40歳の時に、妹が36歳で亡くなりました。看護師だった妹は、急性白血病で1年闘病の末に亡くなりましたが、入院中でさえCDプレーヤー(1万円程)を買うのに考える程、無駄遣いはしない人でした。その妹が亡くなり、遺産相続した母。買物が始まったのは、それからです。当時、父と母は、仕事の都合で別居していましたが、その後、父の病気で実家に一緒に住むようになりました。父は1
おとといと昨日、父と母の月命日でした。今月もちゃんとお供えしています。16日ご飯、お味噌汁、たくあん、きゅうりの和物、大根の煮物。17日ご飯、お味噌汁、たくあん、ひじきの煮物、ほうれん草の胡麻和え。7月末に父の3回忌の法要をする予定で、お寺に予約しました。あっという間に月日は経ちますね。たぶん来年は母の7回忌ではないかなぁと思います。ちょっと前に調べた時、そうだったと思う。父と母の法事が同じ年になることはなかったし。2人は空から見ててどう思っているのかな。実家処分まで、私
2年前のこの時期人生のどん底にいました。実家に帰るのも妻の実家に挨拶に行くのも嫌でした。とりあえず実家に帰りましたが、また父と母に弱音を吐いてしまいました。申し訳なく思います。妻の実家にも挨拶しに行きました。今年はやっと普通の?対応をしてもらえました。昨年は職場の人間関係で悩みました。今も悩んでいますが…。父も母もいつまでもいません。今年は何とか自分で折り合いをつけられるよう試行錯誤しながら生きていこうと思います。悩みは尽きませんが、頑張って生きようと思います。