ブログ記事5,919件
火葬場の雰囲気はなんだか怖かったここで旦那の体は焼かれるんだ建物に入った瞬間実感し恐怖で震えた突然足に重りが付いた様に足が前に出なくなるのを感じ意識して歩いた火葬炉の扉が空き中が見えたそこに旦那が入っていく時はとても見ていられなかったハンカチで目を覆ったが見届けなくてはそう思いしっかり見送った2階の控え室へ案内された控え室には親族が大勢私と父と母3人で廊下のベンチに座って話した真ん中に私両側に父と母廊下は私達だけで静かだった私は旦那の近くに行きたく
翌日、告別式。夫の大好きだったものと、手紙を入れて、夫が大好きだった、夜勤の会社の制服を上からかけてあげました。最期のお別れの時…お花を棺に沢山入れてもらって、その時に、担当のTさんが、「最後は、喪主様がお顔を撫でて、話しかけてあげてください」と言ってくださいました。ありがとうとごめんねと、私を親にしてくれてありがとうと言いました。泣くなよと言われていましたが、この時は、泣いてしまいました。荼毘に付される為、霊柩車が到着。弔問客に見送られながら、私は霊柩車の助手席に、私以外の親族はマ
4月28日NHK連続テレビ放送でいまや大人気(私の中で)のバイカオウレンが見たいというユンちゃんを案内。見の越🅿県外ナンバーがずらり並んでいます。スタート剣神社の手水鉢躑躅が綺麗ですねユンちゃんは三嶺を撮っているんだろうリフトの下のトンネル。リフトは試運転中。剣山山頂ヒュッテ雲海荘が見える・・撮る西島駅で剣山頂上ヒュッテ3代目智次さんに会う。魔女飛び、足こうやって曲げた方がキレイからと言うと飛んだ~~ほな三嶺に向かって飛んで・・とん
【GOODAL(グーダル)公式】グーダルグリーンタンジェリンビタCセラムマスク5枚くすみそばかすシミメラニンスキンケアビタCビタミンセルフおこもり美容マスク肌荒れ韓国人気フェイスパックマスクパックシートマスク楽天市場1,260円翌朝、手術室に移動。旦那さんも一緒だ。陣痛促進剤の点滴をし、陣痛がくるのを待ったが、陣痛は来ない。私は赤ちゃんが死ぬのはやだと訴えてる様に感じた。そしてこのまま陣痛が来なければ良いと思っていた。先生「お腹痛くならな
パシュパティナート、バシュバテイナタ(Pashupatinath)は、カトマンズにあるシヴァ神を祭るネパール最大のヒンドゥー教寺院。バグマティ川の川岸に建ち、1979年世界遺産に登録された「カトマンズ盆地」を構成する一つ。シヴァが滞在したとの言い伝えのあるこの地は、はるか1500年以上も昔から巡礼の地となっており、インド大陸四大シヴァ寺院の一つにも数えられ、近年までヒンドゥー教が国教であったネパールでは最高の聖なる地であり、ネパール国内のみならずインドなど海外からのサドゥや巡礼者が数多く訪問す
GW休みに突入しましたが・・・我が職場では4/27~5/6までの異例な長期休暇となりました。まぁ休みを頂けるのは嬉しいのですが・・・でも私が休んでいる間に働いている方々を見ると胸が痛くなってしまって働いている間は休みたいなぁ朝起きたくないなぁ・・・と毎日思うのに、長期休暇になるとこんなに休んで良いもんだらうかと思い悩んでしまうってさ。弱ったモンですどちらにせよ1週間も休んでしまったら再び仕事初めてもやる気無くしますなあ~・・・私的には東海道新幹線ののぞみ全席指定席って
ブログの更新がまたもや滞ってしまい、申し訳ありません。季節の変わり目であるせいか、たまたまそういう運気だったのか、立て続けに親族に不幸があり、お葬式に法事にとあちこちに出かけておりました。この機会に、人との別れの儀式にまつわるあれこれについて、定型一般のケースとは異なるであろう発達障害の一族のケースについて、とりとめなく書いてみようと思います。(注意:葬儀や火葬の話も出しますので、気持ち的に無理そうな方は読まないようにご注意ください)親族はごく普通の、日本の仏教でお墓を継ぎ葬儀
死産から火葬までのながれや、持ち物などに関する内容です。▼赤ちゃんの棺と火葬自体に関してはこちら『赤ちゃん用の棺・火葬場・お見送りの仕方』【最終更新日2022年12月11日】(思い出す度に少しずつ更新しています)赤ちゃんの棺が必要になってしまった方向けに、赤ちゃんの棺の一例と火葬場のことについ…ameblo.jp病院や火葬場によって持ち物等は異なりますが、大きな流れは変わらないと思うので記録してみます。普通の出産と違って、子どもを失ったダメージに加えて、祝われないし、ただただしんどい過
今日でちょうど葬儀と火葬から1週間。1週間前の今頃、息子は骨になって私の元に帰って来た。真っ青な空に白い雲が浮かんでて、とても静かな真夏日。霊柩車の助手席で息子の遺影を抱えて隣の運転手さんにスマホの動画を見せつつ話しかけた。『この動画、息子が産まれて直ぐに撮影した動画なんです。助産師さんに抱き抱えられて元気な産声をあげていますよねぇ…昨年の12月7日…8ヶ月後には骨になってしまうなんて…人生て何が起こるか分かりませんねぇ』と笑いながら独り言のように呟いている不気味な自分がいた。この日が
2年前の細川先生の演説の文字起こしです。ああ、こんなに強い言葉で、注意喚起をしていたのに、情報が届いていないようです。そして2年後の今、葬儀屋も忙しく全例に無い程、若い人の葬儀が多いとTweetしています。もちろん火葬場も混んでいます。細川ひろし医師をご存知でしょうか?子供の頃から、政治家になりたくて、その為に医師になったとも聞いています。もちろん、その医師としての経歴も立派ですし、着々とその道を誠実に、勇敢に、突き進まれているサムライのような方です。欠点は1
おはようございます。4月24日本日お誕生日の方おめでとうございます納棺師と言う職業は葬儀の中で分業された分野に携わります。大事な方が亡くなられると皆様方のお手伝いをするのが葬儀社。葬儀の色々な仕事分業の部分が多くて葬儀全般をつかさどるディレクター、事前・アフターが専門の場合もあります。搬送は搬送専門、納棺は納棺専門、花祭壇や供花返礼品司会や案内スタッフなどなど専門の方々がたくさんかかわっています。外注の場合もあります。葬儀社さんによってはスタッ
さてさて『湯を沸かすほどの熱い愛』の続きです。話題を呼んだラスト。主人公宮沢りえが亡くなったあと、営んでいた銭湯でお葬式をします。お経はラジカセから流れてます。手作り感のあるお葬式であることがわかります。家族と親しい人のみで棺を運び出し、霊柩車へ。ところが火葬場は映らず、川べりで家族皆で楽しそうにおにぎりを頬張るシーン。そして家族で銭湯につかる。銭湯の釜で燃え盛る炎、その手前には赤い花びらが点々と落ちています。煙突から赤い煙が。再び釜のなかで燃え盛る炎、そこに《湯を沸かすほどの熱い愛》の
葬儀当日亡くなった当初は母への後悔があれこれ浮かんだが今はもうお母さんと呼べん寂しさが増してくる私が人生で一番使っとる言葉は「お母さん」だなそう思ったら居ても経ってもおれん・・顔を見に行こうこんにちはーどうした?って驚いとるようだけどゆっくり顔を見てお母さんと呼ぼうと思ってお母さんはこれからも言えるが顔を見て呼べるのは荼毘に付されるまで返事はなくとも何度もお母さんと呼び部屋を後にした家に戻りしゅう子がくれたパンで
今日は朝から雲一つない青空の一日何かワクワクしてあれこれしたくなる青空の日でも、今は青空を見ると心がザワザワする…私の住む地域は、11月ごろから春頃まで灰色の空が圧倒的に多く晴れ間も短く、雨だったり、みぞれだったり雪だったり…一日中、雲一つない青空の日は珍しいなのに、息子が亡くなった11月息子のお通夜と葬儀の日は雲一つない青空が広がってた…お通夜には、たくさんのすごくたくさんの方々が来てくださってお焼香と私達家族への挨拶の列がずっと続いていてロビーは来てくださった方
仙台市内でピラティス、ヨガ、健康体操、ダンス系レッスン、エアロビクスなどの指導をしております。Beena主宰の滑川恵美、namecchi(なめっち)です!❄️❄️❄️令和元年大晦日です昨日仕事もきっちり納めまして、今日はいつもよりゆっくりまったりとした朝を迎え年越しのお料理も作り終えたところです!年越しのお料理と行っても喪中につき華やかなことも何もなく、普通の食事ってかんじなの(笑)❄️❄️❄️今年、母の千恵子さんがお空に旅立ちました。そのときの気持ちを整理するためというのか
【最終更新日2024年4月17日】(思い出す度に少しずつ更新しています)赤ちゃんの棺が必要になってしまった方向けに、赤ちゃんの棺の一例と火葬場のことについて載せておきたいと思います。赤ちゃんのお見送りの仕方については様々な方法がありますが、個人的にはご家族が納得されて、後悔のないお見送りであれば、どのような形でも良いと思っています。以下は自分で手配した場合ですが、産後は心身疲弊していますので、どうか無理なく身の回りの人たちや葬儀屋さんに頼ってくださいね。赤ちゃん用の棺について大人と
2003年10月17日インド女一人旅18日目、バラナシ2日目さちちゃん「みきぷちゃん、大丈夫?ボート行けそう?」宿に戻って来たさちちゃんと雄作くんに心配された。「日本国大使館に手伝って貰ってるねんけど、返金されへんねん…明日アグラに行って奴らの店に行こうかな…」奴らが私からのメールを見ているか分からなかった。だから直接「近所の人や家族に詐欺をしているのを知られたくなかったら、返金して」と、こっちの本気度を伝えようと思った。それで駄目なら警察だ。ラジャの父親が、奥さんの前で
退院をしてそのまま区役所へ向かった。私の腕の中には箱に入った赤ちゃん。「もうすぐお家に帰れるよ」と話しかけながら外の景色を眺めていた。景色は入院前と何も変わらなかった。区役所に着き、旦那さんと2人で中へ。「死産証書」はA3の用紙右側、左側は「死産届」になっていて自分達で記入する。記入した用紙を持って順番を待つ。窓口は戸籍課。2年前に婚姻届を提出した窓口と同じだった。まさか死産届を出す事になるなんて2年前は全く考えてもいなかった。すぐに番号を呼ばれ、手続きをしてもらった。「死
(一部、過去の投稿と被る箇所があります)義両親と私がリビングで睨み合いをしている時に、玄関のチャイムが鳴りました。エントランスからだったので、家の中からインターホンで解除しないと入ってこられません。義父がはしゃいだ声で「この操作がわからないんだよー。どうやればいい?」と聞いてきました。子に目配せをし開けてもらいました。子は義父に開け方を教えず、自分で開錠しました。葬儀社の方達でした。担当は女性でした。黒スーツではなく、暗い色のセーターにデニムでした。後ろにいる二人の男性も同
やってしまいました父さん(夫)と結婚して23年私は1度も姑と喧嘩したことなかったところが、昨日とうとうやってしまったてか、2度目だった(笑)1度目はお通夜の前の日父さんが亡くなってから、葬儀までは3日あって、2日目くらいから姑がやさぐれはじめた姑は足腰が悪くて車椅子生活なのだか、初めは娘や孫たちと悲しげにしていたがそのうち、部屋に閉じこもりはじめたのです息子を失い、悲しみに暮れているのかと思ったけど、どうも様子が変わってきました出来上がってきた会葬御礼の内容にケチをつけたり、
昨日の夜はどうしていいかわからない気持ちのまま…べーちゃんに持たせるお手紙を書いたりべーちゃんに触れてたりまた写真撮ってみたり…そして朝でした棺に入れてあげる花束を予約していたのでAM8:00頃、夫に取りに行ってもらいましたその間、ビデオ🎥全然撮ってなかった‼️‼️と初めて気付き…そこからビデオ撮影スタートでした夫が帰ってきて夫に撮ってもらい、べーちゃんを抱っこして全部の部屋に連れて行きましたべーちゃんが遊ぶはずだった場所べーちゃんのお部屋になるはずだった部屋べ
本日のblogは7年前★『極貧でしたーーーっ』先週は呑みにも出ず揉み揉みもなく外食もなく外泊も休憩もなくパチにも行けずおち〇こもイけず出るのは龍ずぃ~がらみの諭吉ばっかついでに便乗の綾もありおっさん破綻し…ameblo.jp極貧・・・の貧ってつくだけでもーーーーっアチラの話しとしか思えませんよねん?オイラだけ?ちなみに本日長めですよ(申し訳ない)先月の綾さんの誕生日をまさかの霊安室で迎えることになるという・・・★『卒業の時期で
こんな早朝からお葬式があるの知らなかった!3:00起床、4:00出発、5:30着。式は6時スタート。まあ早い分終るのも早いんですが。全部終わって帰ってきたのは11:30くらいでした。年末年始は火葬場がお休みなんだって。その間に亡くなった人の葬儀は1/4からになるのですごく混むんだそうです。叔父さんにはお世話になりました。最後に面白いイベントありがとう!いい思い出になりました。インスタグラムはこちら
数年前、伯母が、大本に戻って行きました。伯母、存命中から、伯母の数字は「4444」だと思っていましたし、何気ない会話の中で、そのような話もしていました。お祖母ちゃんが私に対し、「M子(=伯母のことです)は、今のままでは未成仏になる。あんた、M子にお祖母ちゃんの言葉を伝えなさい。そして、その通りにするように言いなさい」と言って来たことがありました。ですが、最初は「何で、姪のあんたにそこまで言われなきゃいけないの!」と言われたこともありました。そこで、お祖母ちゃんは、私と二人で出掛けた伯母が
*今更ですが生々しい表現が含まれる記事です🙇♀️夜明け前に、猛烈な腹痛で目覚めた。なんでこんなにお腹痛いんだろうと思いつつ、気がついたらまた寝ていた。5時に目覚ましが鳴って起きあがった瞬間、何かが一気に出てきて、すぐに血まみれになってしまった。胎盤の残りが、一気に出てきたらしい。なかなかの量だったので、どうしようかと思ったけど、昨日主治医に会った時にきいたら、問題無いとのことだったので、とりあえず様子を見ることにした。急いで下着を洗い、身体を拭いた。洗面所で自分の顔色の悪さにびっくり
娘達が生まれた日は3月末、予定日は7月中旬…娘の誕生日は、もう1人の娘の命日亡くなった娘はあまりにも小さくて最後に抱っこした時、顔はNICUにいる娘とそっくりでした主人が葬儀屋さんで小さい棺を買ってきて病室でお別れしました火葬場の人によるとあまりにも小さくて、骨も残らないので、灰だけを集めて火葬場の裏の供養塔に入れて供養してくださるとのことでした身内の葬儀があった時は、いつも主人と火葬場の裏に行って、おまいりしていますお墓には名前をつけたクマのぬいぐるみを入れましたいつも妹のこと
20日、お昼前に母のところへ。天気は雨。【湯灌】のため‥母の大切な友人1人と、私と妹で立ち会った。一緒に立ち会ってくれた母の友人は、入院中、1日も欠かさず病院へ来てくれた。「よく、髪洗わされたよね‥。」「きちんと乾かさないと怒られるよね。」と母の友人と話をした。身体を洗ってもらって、髪を洗ってもらって、母らしい服装に着替えさせてもらい、軽く化粧をしてもらった。化粧をした後に、「少しお顔整えますね‥」と言われ、母の鼻や口に大量の詰め物をした。妹はその光景が辛かったよ
(一部、過去の投稿と被る箇所があります)火葬場に着くまでに、夫を乗せた車と私の車の間にいたお坊さんが道を間違えました。そりゃそうよね。Amazonで配達されてきたような、地の利のないお坊さんだもの。結局最後に到着したお坊さんは、頭をかいて苦笑いしながら車から降りてきました。一同が揃い、読経の中、本当に最後の別れの時になりました。もう一度顔を見ました。夫と呼ばれていた人の亡骸は、もうただの空容器に見えました。作り物の人形みたい。そう思いながら涙があふれました。人生で、父親より長く
愛しい1人息子との最後の別れ。棺の中の息子の髪を触り頭を撫でる。これで本当に最後なんだね。生身の君に触ること。宮城からわざわざお父さんも来てくれたよ。お父さんも君の頭を撫でながら号泣。おばあちゃん(私の母)が言っていたよ。お父さんに撫でられた時、君が微笑んだって。嬉しかったんだね。(画像お借りしました)お父さんに抱かれたお骨になった君。お父さんが泣きながら「生きている時に抱きしめてあげたかった。」と。
その日はなんだか久しぶりにゆっくりと休めた気がします。病院から電話がくる心配がなくなり、すぐそこに娘がいる。もちろん、良い結末ではありませんが。そこから数日は近くの親戚が来てくれたり、葬儀の打ち合わせをして過ごしました。そして葬儀の日、ごく身近な身内のみで火葬を行いました。まずは家に集まり、棺に娘とお花と思い出の品などを入れます。娘には可愛いお洋服を着せました。これでもう娘の姿が見れるのは最後だと思うと、また涙が溢れてきます。私が泣いてしまうと、皆言葉に困って