ブログ記事3,213件
昨日からの続き。東京国立博物館本館の「博物館でお花見を」を鑑賞後、東洋館地下のミュージアムシアターへ。江戸城の最初の天守は、3度建造されており、徳川家光によって建造された3度目の天守が明暦の大火で焼失したそうだ。江戸城最後の天守は、莫大な費用がかけられ、最高の技術が用いられたそうだ。そして巨大だったようだ。姫路城、松本城との比較画像が示されたが、一番大きかった。シアター入口のホールに、屋根に設置されていた鯱の原寸大の写真撮影用パネルがあったが、大きかった…金
豊臣秀吉の朝鮮出兵についての現在の一般的な評価は、韓国・朝鮮、そして日本とも芳しくなく、侵略と略奪と言う悪行が指摘されている。確かに朝鮮半島での戦闘行為と陶工や文化人を連れ帰った行為が無かったと否定は出来ないが、腑に落ちないことが事がある。例えば、朝鮮陶工を連れ帰り、萩焼、有田焼、薩摩焼など山口県から九州に陶磁器の技術が花開いたが、陶工達には朝鮮半島に戻るチャンスはあり、泣く泣く拉致されたままになった訳ではない。そして、江戸時代になると江戸城にまで朝鮮通信使が定期的にやって来たが、実質的に朝鮮
(冒頭写真:皇居側からの富士見櫓です)江戸城本丸を歩くその2大手御門~富士見櫓江戸城本丸を歩く・・・前回は馬場先濠~大手御門をレポートしました。今回は「大手御門」~「大手三の門」~「中の門」~「中雀門」という江戸城玄関までの城門の今昔を振り返りながら、長いこと天守の代替の役割を果たして来た「富士見櫓」までをレポートします。■大手御門大手御門、外人さんがとても多いことに驚きながら、高麗門・渡櫓門を潜ります。<渡櫓門>昭和の再建ではありますが、雄大な城門です。
4月9日(火)春の嵐が吹き付ける中🌀☔伊豆稲取温泉・二泊三日の旅へ🚞♨️🏨タクシー迎車を呼びましたが見付からず🥲痛む脚を庇いながら杖を頼りにバス停へ🚏待たずに、バス到着🚍濡れないで良かった〜😚東京駅を発車した伊豆急踊り子号途中❣️強風の為、数回止まりました🚞酒匂川〜水量が多い。桜並木が美しく🌸🌸🌸😍大船観音様に手を合わせて🙏靄に煙る箱根の山逆流する川海が見えて来ました😍トンビがクルリ輪を
「伏見城」(京都府京都市伏見区)の遺構と謂われている城郭建造物が、各所へ移築して再利用されたり、その資材や部材を使用して建てられている建造物を写真で紹介しています。第12弾では、山口県及び中部から東日本の都県にも点在して移築されている建造物がありますのでそれを紹介します。第1弾~第3弾は第4弾からご覧くださいhttps://ameblo.jp/highhillhide/entry-12587173830.html第4弾~第11弾は第11弾からご覧くださいhttps:/
http://ameblo.jp/adoringusagi/entry-12143858848.html写真は二重橋ですが、今日は皇居のざっくりした概略をまとめたいと思います。http://ameblo.jp/adoringusagi/entry-12234914983.html江戸城、皇居は江戸時代徳川将軍家の居城であり幕府を開いた所です☺EdoCastle,ortheImperialPalacewastheplacewheretheTokugawaShogun
『天璋院篤姫様との再開』天下泰平の世を築き日本を争いのない世の中にしようと戦国の世を終わらせた徳川家康公私の大好きで尊敬する武将です自分の前世を知ってから全てが徳川家に繋がっていく……ameblo.jp天璋院篤姫様との再開を果たし次なる所は…2年ぶりの上野東照宮⛩鳥居が大きくて一華ポツンって感じ煌びやかで見とれますすごくエネルギーが高く凛とした家康公を感じますここでこんなメッセージが…「我が道を行くが如し」字はこれなんだよな〜和我道を行く…平和や調和があってこそ我の道が
なかなかブログを更新できないですが、先週末はなかなか充実していたので簡単に。少しだけ休日出勤をした先週の土曜日、いつか行こうと思っていた「皇居三の丸尚蔵館」を目当てに、会社から近くて遠い皇居に行きました。天気も良くて大手門は外国人観光客の方がたくさんいました。心なしか皇居を観に来る観光客はアジア系よりも欧米系の方が多い印象。「皇居三の丸尚蔵館」は開館記念展の第三期、近世(主に江戸時代)の御所の宝物が展示されており、入館料1,000円で展示物も多すぎず、HPに乗っている「源氏物
前回、エネルギーは常に循環しているので、1か所にとどまることはない、というお話をしました。波動に関して、今日は少し違う観点から考えてみたいと思います。それは「結界」について、です。結界とはどういうものか、何のために張られるのか、という問いに、多くの人は「厄難を避け、外敵の侵入を防ぐため」と答えます。もちろん正解です。ただ、結界にはもう一つ、重要な機能があるのです。それは「内側のエネルギーを外に漏らさない」ということです。つまり、外からの流入を防ぎ、内からも漏れ出ないよう
日にちが経ちすぎてますが。。。和歌山❤️3/29、30、31の和歌山遠征の1日目!駅に着いて!まず和歌山ラーメン🍜早ずしがちらっと見えたけど、どうやって頼んだらいいのかなーと思ってるうちにラーメン🍜きちゃって早ずしは断念!次回は必ず食べてみたいですそして腹ごなしに「和歌山城」へ!!江戸城からみて西にあたる和歌山城には四神のひとつ白虎が守神として睨みをきかせておりました!Googleマップで方位を調べると、本当にピッタリ!!でした!!昔の人ってすごいですよね‼️龍の陣羽織もかっこい
実践、ブラタモリ💃今回は江戸城の痕跡をスカイバスから、そして水上からたどります🎶まずは東京駅に向かい、スカイバスに乗って皇居周りを巡ります🚌台風一過の晴天に恵まれ清々しい天候です☀️都会でも空が青く澄みわたっています😀イチョウの木もかすかに色づきはじめ秋の訪れを実感します🌿バスは丸の内から内堀に沿って北上します🚌💨北の丸と本丸の間を抜けて半蔵門方面へ😀低地に面する東側と台地を巧みに利用した西側の景観の違いを楽しみます👍️台地のへりを利用したお堀沿いを進み国会議事堂へと向か
天下泰平の世を築き日本を争いのない世の中にしようと戦国の世を終わらせた徳川家康公私の大好きで尊敬する武将です自分の前世を知ってから全てが徳川家に繋がっていく…2024年辰年今年は、奇跡的にも天璋院篤姫様がおられる寛永寺の御宝塔へお会いする運びとなりました通常は非公開ふと、Instagramを見ていると寛永寺でのお花見ツアーが目に入りましたお花見、坐禅体験徳川家歴代将軍の御霊廟をお参りするもの…念願の篤姫様との再開に胸を弾ませた瞬間でした一華は、輪廻転生が多く様
河竹黙阿弥作四千両小判梅葉四谷見附より牢内言渡しまで。野州無宿富蔵(菊五郎)は、主筋だが今は浪人の藤十郎(梅玉)に江戸城の御金蔵破りを持ちかけ、まんまと盗み出した四千両を藤十郎の住まいに運びこむ。生き別れの母に会いに金沢に行くとちゅう、富蔵は御用になり、伝馬町の牢に入れられる。牢内で二番役に取り立てられるが、浅草で磔刑が決まり、牢を後にする。実際に1855年に起きた江戸城の御金蔵破りの事件をもとにした世話物の名作だそうで、公演記録も今回含めて13回ありました。YOUTUBEに、昭和58
とうとう最後の門の説明まできました。江戸城本丸へ続く最後の門である中雀門(ちゅうじゃくもん)です。中之門(なかのもん)を通り、数分の場所にあります。中之門までは徳川御三家(尾張藩、紀州藩、水戸藩)であれば、そのまま籠に乗って通れましたが、中雀門は御三家であれ降りなければならなかった最後の防衛地になります。(ちなみに、他の大名は大手三の門で降りる必要があり、その前にある橋は下乗橋と名付けられてます)という、中雀門ももう跡地だけですが。昔は石段で、武装した侍達が登りづらいようにしていたと
一月も中旬だというのに昨年暮れの話つづきで恐縮なのですが、師走の一日、皇居(東京都千代田区)の一般参観に行きました。東京にいても、というか逆に東京の近くにいると、いつでも行けると思うからか今までちゃんと皇居の見学をしたことがなかったのですが、今回行こうと思い立ったわけはこうです。以前夫の虎の門病院の定期受診について行ったとき、ひょんなことから主治医の先生にわたしの大腸内視鏡検査と胃の内視鏡検査をすすめられたのですが、職場の簡単な健康診断しか受けたことのないわたしは、嫌だ~~怖い
みなさん、こんにちは三宅あみです今日は雨模様ですが、初めてお会いするお客様も多いということで雨仕様のお着物を着て講座に向かいました今日の講座は「大人の休日倶楽部」さんでの"江戸城"をテーマにした座学。午前の回、午後の回ともにたくさんの方が興味津々といったご様子で講座を聞いてくださいました内容は、江戸城の成り立ちから変遷間取り図を使っての内部構造の解説ですどうして間取り図というのはこんなに楽しいんでしょうね広告などに乗っている間取り図もついまじまじと見てしまうタイ
ヤマブキ(山吹)花言葉【気品】ヤマブキ色のヤマブキです。小学生の頃使っていたクレヨンにあった‥‥‥水彩絵の具の中にあった‥‥‥ヤマブキです。ヤマブキという名前の由来にはいろいろな説があります。しなやかな枝が、かすかな風に吹かれ山中でユラユラ揺れる様子が転じたとする説‥‥山中でフキに似た黄色い花を咲かせていたからとする説があるようです。ヤマブキ(山吹)には…こんなエピソードが……七重八重花は咲けども山吹の蓑(みの・実の)ひとつだに無きぞ悲しき江戸城築城を担当した武将とし
皇居外苑~皇居東御苑極真会館(松井章奎館長)の第13回全世界空手道選手権大会の最終日を観戦するため、夜行バスで東京へ向かいました。朝5時に新宿に到着しますので、徳川家康ゆかりの地としては最高の地である、かつて江戸城であった皇居へ向かうことにしました。有名な桜田門から皇居外苑へ入り、大都会の真ん中にある本当に広々とした空間で、時間を忘れてゆっくり散策してきました。9時開門の皇居東御苑も見て回りましたが、こちらは10時30分の世界大会の開会式には間に合いたかったので、急ぎ足で見たいところを足
▲弁慶橋に来たのは、初めて▲この先が赤坂見附赤坂の放送局で、むか~しむかしクイズ番組に出たことがある▲橋の下は、江戸城の元お掘り見附、っていうのは橋を渡って江戸城に入ろうとするのをチェックするためだから▲この辺りは、紀伊徳川家の御屋敷▲紀尾井町は、紀伊徳川家・尾張徳川家・彦根井伊家が集まっていたから付いた地名なのは、お約束(笑)▲桜🌸も、もう終わりだね▲Google先生に聞いたら、「カンザン」ってでたよにほんブログ村
「世界遺産・姫路城」の西内濠の役割をする「船場川」。その「清水橋」から「市の橋」にかけて、「千姫の小径」と呼ばれる散策路があります。写真は、「本多忠刻と千姫の碑」です。「大坂夏の陣」で、燃えさかる大坂城から救出された千姫。江戸への帰途、桑名城で休息した千姫は、美男子との評判高い「本多忠刻」を好感したと言われています。本多家は「徳川四天王の一」。忠刻の母である「熊姫(ゆうひめ)」も家康の孫娘でした。忠刻は千姫を娶り、姫路城主に栄転します。家康は、傷心の千姫に、気前良く「10万石もの化粧料」
江戸城。散歩(その3)。富士見櫓をみるために・・。3度目の正直。富士見櫓は、皇居の一般参観コースを通らないと見れないことが前回分かったので、今回は、参観を予約。いい天気でした。(参考:皇居参観案内、宮内庁参観音声ガイドアプリ)今回もほとんどが外国人でした。約500人。びっくり最初、桔梗門を入ってすぐの窓明館内に参加者約500人が一同に会し、宮内庁の方から、・・・スペイン語、フランス語、日本語、英語で皇居と参観の概要説明が
ビル・ゲイツ軽井沢PEDOハウス地下部分爆破(近隣から爆破音情報)。菅総理と大成建設にPEDO悪魔崇拝に関与した道義的責任。大成建設下請け業者の告発により、80億円の悪魔崇拝施設廃棄か。ビル・ゲイツの離婚原因。国民の不安から情報開示必須。更に江戸城までの秘密地下通路発覚。PEDO李徳仁関与か。pic.twitter.com/nLUJnHMHyy—片山徹(@_9105294027642)January17,2024NYエプスタイン邸はFBIにより差押。悪魔崇拝信者は日本に活路
関東では穏やかに暖かい日が続き、桜も満開ついのんびりと…じゃなくて、幕末ですっ150年前の本日は、慶応4年3月6日。この日の朝、佐藤家に歳様が立ち寄り、江戸へ向かいました。六日日和よし、九ツ時より曇り、水氷雨少ふる(中略)石田出生土方年蔵早打にて下る、(以下略)(河野清助日記)六日朝五ツ時、長持早駕古弐挺下る。内藤隼人(宇津木政兵衛日記)佐藤家の記録には、歳様が馬で来たと書かれていますね
『①外圧で開国を迫られ、安政の大獄や将軍継嗣問題、攘夷運動等が高まる中で、幕府が威信低下し、そして、②最後の将軍”徳川慶喜”が大坂から江戸へ逃避していく、その間に起こった出来事に纏わる「お城」を採り上げる』シリーズは、今回で最終となります。「旧幕府軍」が「薩摩軍」に追撃されて「大坂城」に戻る前には、既に総大将「徳川慶喜」は戦闘放棄で、重臣を引き連れて「大阪湾」上に待機させていた軍艦「開陽丸」で江戸へ逃げ帰った後でした。その向かう先はお江戸で、徳川将軍家の別邸「浜御殿」(東京都中央区浜
実を言うと皇居、と呼ばれる場所に行ったことがなかった。周りを歩いたりはしているけれど。で、調べてみたら、天皇が住まれているいわゆる「皇居」の予約必須の観覧と、そのお隣にある予約不要の「皇居東御苑」に分かれていることに気がついた。両方行った後に書いてますが、・皇居=天皇家の方々のお住まいや、宮内庁のお仕事場見学・東御苑=江戸城の跡地を見るみたいな違いがありました。ということで、今回は皇居東御苑編です。昨日書いた皇居三の丸尚蔵館も東御苑の中にあります。東御苑には予約なしで入れます