ブログ記事2,377件
ご訪問ありがとうございます院長先生直属(?)の方から電話があり、院長先生との話の日が決まり、そして長く予約がとれなかったリモート面会も翌日に決まりました。久々に母の顔が見られる嬉しさと、長く会えなくて変わり果ててしまったかもしれない母を想像すると不安にもなる私でした。続きです。前回の話はこちら⬇️『久々、病院からのまともな電話』ご訪問ありがとうございます訪問歯科医の方からの連絡で、母が病院で入れ歯をずっと外されていることを知って愕然とした私でした。病院への不信感が増していきます。前回…
3/2、父が倒れて42日目。意識不明が続いている。今後の転院先についてのお話をすることに。ソーシャルワーカーが転院先のリハビリ病院を事前に調べ、提案してきたリスト…ひとつ。選択肢はない。ここは救命病院なので、入院できるのは2ヶ月。3ヶ月いることも聞いたが、早くリハビリをしたほうがいいのと、他の患者様もそうしているからこそ、父が倒れたときに緊急で受け入れができたと言ってきた。確かにそうだ。先生がここまで助けてくださって…と続いたソーシャルワーカーの言葉が入ってこなかった。複雑。
母の病11七ヶ月前より体は痩せ細り、すっかり自力では何も出来なくなってしまった。寝たきりの母と夜中話をした。「部屋から見える電気のスタンドや食器棚を見ていると、あんなのでもホッとするのよね」そう呟いたかと思えば、いつの間にか眠っていた。それから数時間後に目を覚まし、まだ違う部屋で寝ていた俺が様子を見に来ると、大変な事になっていた(自重)それらを処理して、体をキレイにして、ご飯を作って食べさせて、あっという間に施設の方が迎えに来る時間に。ケアマネさんが先に到着し、コロナ禍という事で、
母の病12この日を栄に、完全に気持ちが変わった。これは二年経った今でも全く変わらない。今まで、どこか面倒だとか、奢りだとか、そんな気持ちで接していた自分が恥ずかしくなった。母の気持ちを考えたら、どうって事はない。誰に何を言われてもいい。マザコンだろうがなんだろうが、最優先すべきは母の事。そう気持ちが切り替わった。ライブ活動も、母の入院を機に休止していた。だけど、地元のスタジオならと、歌の配信だけは続けている。遠出してしまうと、またいつ何があるか分からないし、人との約束も
気持ちが落ち着く動画です確かに今日もそうやったんですがいろんなことをやろうとしてそのような時何か不安はありますねそれはあの人にこれを頼もうと思いますが聞いてくれるだろうかとか違う返事が帰ってくるんじゃないかとか不安と言うのか幻と言うのか人間にはそのような形でまったくそんなわけ無いのに私も例外なく常にそのようなことを思うことがありますねこのブログを始めました時も皆さん読んでくれるだろうかとか今もですが感じる次第です考えてもしょうがないことを常々考えたりと
どんな人であっても、複数の仮面はもっているはず。母の顔、妻の顔、お仕事の顔、嫁の顔、子供の顔。そして誰にも悟られないようにオンナの顔。わたしは幾つもの仮面を取り替えながら過ごす。簡単に壊れないように、簡単に崩れないように。そして剥がされないように。素敵な仮面を使い分けたい
14時に迎えにいきチラッと見ると保育園のもうひとりの子と関わって遊んでました迎えに行き、母の顔を見るとギャン泣きをしますがそれまでは穏やかに過ごせているそうです。昼ご飯は、鼻水とたんが出てきてしまった様でうまくご飯が飲み込めない様子で半分ぐらい食べたそうです家に帰っても、緑色の鼻水とご飯食べている時はむせこんで上手く食べづらい様でした。おそらく痰絡んでうまくのみ込みが難しいのかもしれません。夕方も私が離れるとすぐ泣き甘えたい様子が見られて、保育園慣れてきて疲れもある
連休がやって来る。旅行には行かないけど、連休がやって来る。実家に行って、母の顔を見て、孫の世話して…自宅で娘の里帰りを楽しみにして、孫の世話をして。自由が効かない連休だけど、役割は有る、世代を支る順番が来た。楽しく役割を果たしたい。連休が終われば、熱い夏が来そうだ。水泳を始める、チャレンジする。自分を育てる、順番。