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ドタバタしつつも外食してきました。なんか久しぶりに「お洒落なお店」で外食しました。っていうのも旦那の親友がね。この間誕生日だったんだけどそれを盛大にスルーしてまして。じゃあご飯食べましょーって事で行ってきました。ちょっとだけおごってあげました。(割り勘にちょっと上乗せくらい)「男の人と2人でご飯」なんだけど相手が旦那の親友なのでお互い気も使わないし気楽な外食です。ただ知ってる人に見つかると面倒くさいだろうなってくらい。未亡人が
12年前の環境夫を亡くした12年前は、今とはSNSの環境は違っていました。SNSで気軽に自分と同じ境遇の人と会えるような状況ではありませんでした。正確にいうと私は子育てにどっぷりハマり、そういう世界に対してとても疎かっただけかもしれません。しかも私は引っ越してきたばかりで、ママ友と呼べる人もおらず、1年後に控えた幼稚園でデビューする予定でした。ですので、リアルな友達もいない環境で夫を喪い、最悪とも呼べるスタートでした。とても孤独で、子どもは小さくて身軽には動けな
次男の期末テストがようやく終わりました。全く勉強しなくて、前日からやりだす始末…ストレスマックスで見守ってました…と言っても、静かに見守るわけではなく、「大丈夫なん?中学の試験はそんなに甘くないよ」など、小うるさく言い、「うるさい!!」って、言われてたけどね結果知りたくないよーそして、期末テスト明けに吹奏楽部の保護者会がありました。体育会系の部活しか知らなかった私は、「こんなにお金がかかるの?!」と、チョーーーービックリ自分のパートの道具など、ある程度購入しないといけ
今日は推し話。推しが主演の舞台のDVDが発売されました!!↓この時のね『主演とか凄すぎるのですが…の日。』毎日更新!とは言えなくなってきたこのブログ。やはり土日仕事はキツかった・・・。眠いしだるいし生理だし。生きてるだけで無理してるのでここでは無理せず、休める…ameblo.jpチケット当たらず観に行けなかった推しの主演舞台「DREAMBOYS」通称ドリボ。ジャ○ーズ代々の舞台で情報解禁した時はまだ世界が変わる前だったけど舞台が開幕する時にはもう・・・
こんにちはすみません!!!またまた日が空いてしまいましたなんだか日々する事が増えていってますとりあえず下の息子(6歳)の入学準備はなんとか終了しました!!来週入学式です!!!式へは兄も一緒に来てくれます。これまでも、仕事が休めない私の代わりに参観日に行ってくれたり、上の息子(8歳)の卒園式や入学式にも来てくれて、子供達が寂しい思いをしない様にといつも考えてくれてます。本当に感謝してもしきれません。そしてそして、私の方が緊張してます人前が大の苦手な下の息子が、果たして体育館
旦那の具合はますます悪くなる。足は全然、浮腫が治らず整形外科で水を抜いてもらうけどまた溜まる。そしてついに大きな病院の外科に行く。私は仕事で連れて行けないのでお義母さんに頼んで連れて行ってもらった。背中も痛いと言っていたのでCT、血液検査。結果、脾臓が亀裂していた。脚立から落ちた時に背中も打った時の物。整形外科では足しか診てもらってなかった。「もう、時間がたってるから血は止まってるけどよくこの血小板の数値で止まったなー。足の浮腫も水じゃなくて血液だね。内出血が止まらないから
年齢を重ねて色んな経験をしてきたからでしょうか最近顔を見ただけでなんとなくその人となりが分かる様になってきましたそんな特技はなかったはずなので少し自分が怖いです(もちろんまだ確信なんてありません)最近知り合ったと言う我が子の友人に初めて会った時何か違和感を覚えました気が強そうというか一癖二癖ありそうといううかなんとなく何かを感じたので他の友人の様に積極的には話しかけず帰宅してからもあまりその子の話題には触れませんでした予感的中!後日その子と一悶着あったとかで
疲れましたこれは今日のこと。お昼頃に職場に小学校から電話がかかってきました。電話先は息子の担任。「実は息子さんがもう、疲れたからお家に帰りたいって言ってるんですが・・・。」はぁ??どうやら話をよく聞くと今日は朝から調子が上がらなかったらしく切替も全然できなくて最終的には家に帰りたいと息子が言ってるらしく。「先週からずっと息子さん頑張ってたので多分疲れてるのかと・・・。今日は通級ですよね?お母さん、早く帰れたりしますか?」
超超久しぶりに夫の夢を見ました。家族4人で関西へ車で旅行する夢でした。1日は野球観戦で、もう1日はドリカムのライブという設定(ドリカムのライブには行ったことないけど。なぜ?)現地に着いてから、実はホテルを予約してないことが発覚し私がその場でスマホで予約。そして、せっかく野球観戦なのに応援グッズ(ユニフォームとか応援用のバットとか)を家に忘れたことも発覚。それらの不手際に対してどうして私にいつも任せるの!と私が不満を爆発させる夢せっかく家族で夫の運転で出かける
足の浮腫は少し引き、仕事に戻った旦那。でも、明らかに体調が悪い。現場に出ても今までみたいに動けずいつもなら1日で終わる現場も3日くらいかかってしまう。元請けも仕事が前みたいに入れれず1日働いては2日空いてと1週間で3日しか仕事がないような状態。「他の元請けを探す」「このままじゃ会社を続けられない」旦那は仕事に対しては本当に焦りを感じていた。精神的にも辛かったと思う。「大丈夫だよ!父ちゃんがお酒やめて前みたいに働けるようになったら絶対仕事戻るから」励ました。でも、休んでいる日は
今年のセンバツ出場校が決まりましたね。https://news.yahoo.co.jp/articles/b4550fbf044d8d16344b04ef34b04f7ba4e03dec【2024センバツ】センバツ出場全32校が発表される初出場は3校(週刊ベースボールONLINE)-Yahoo!ニュース26日、第96回選抜高校野球大会「センバツ」の選考委員会が開催され、21世紀枠の2校を含む全32校の選出校が発表された。大会は3月18日に開幕し、3月30日に決勝戦が行われる予定。◎選
今日は朝からセコムのバッテリー交換の予定が。窓や室内、廊下などに付いてるセンサーひとつひとつのバッテリーの交換だそう。我が家はセコム後付けなのですが、初めてなので10年経った位?のようです。次からは5年毎らしい。外に非常を知らせるランプがあるのですが、それ用の何かが、台所床下に付けていたようで(記憶にない)まさかの床下収納全出し大してモノは入ってないけど、普段使わないモノばかりなので、色んなものが出てきました義母にもらった、生け花の花器。右の、穴2つのやつとか、欲しかったの
近所の方で、子供達も小さい頃とてもお世話になった方が亡くなりました。まだ60歳でしたが、ご病気だったそうです。ガンが見つかった時にはもう手遅れの状態で手術することもできず急に容体が悪化してご家族も間に合わなかったとのこと。私はご病気だったことも入院していたことも知らなかったので本当に青天の霹靂で人の人生って分からないものだとしみじみ感じました。夫が亡くなった時とてもびっくりしたと言っていたのにその一年半後にまさかご自分が亡くなるなんて思ってなかったでしょ
なんだかドタバタした日が続いています。会社の勉強会があって夜遅くなったり娘の練習試合で1日見守り当番だったり地区の会長会議みたいなのがあって色々説明されたんだけどさっぱりわけワカメで既に面倒くさいし明日は仕事だし・・・。疲れてますそんな中、私は最近トランポリンを始めました。っていってもトランポリンは元々あったんだけどね。全然やってなくて部屋のビジュと化してたんだけどね。でもちゃんと美を保つにはやっぱり運動大事。突然ガチガチには
はじめまして。ちょびです。旦那が23年12月にステージ4の非小細胞肺がんでこの世を去りました。まだ50代前半でした。治療は1年。癌と診断されてからは1年3ヶ月でした。前向きに頑張ってきた治療の記録を残したい。残された私が前向きに生きるために、周囲にはなかなか話せない死別後の気持ちを吐き出したい。そう思ってブログを始めることにしました。出会って30年近く。結婚して銀婚式は無事に迎えることができました。そんな夫婦でしたが、子供ができてからも、お互いを呼ぶときは「
この間、現実を叩きつけられた事が色々ありました。あ、ぜーんぜん重い話じゃないんで。まぁ聞いてください。(←歌うんかw)アラフィフの現実この間久々にゆっくりする時間が取れてドラマとか映画とかをサブスクで見まくったんですよ。そしたら思いの外泣きまくってしまってすんごい目が腫れてしまって。その日は休みだったから腫れた目を気にする事もなく化粧もせずに1日過ごしてたんだけど帰宅した息子に「お母さん、今日、目ちっちゃいね」って言われて酷い!そんなん
早速発症!次男の中二病新学期、次男が中2病を発症し始めました。私とかかわるのがとても、うっとおしそう(笑)。次男は得ですね。私は長男でその年ごろ子男の子の訳分からなさは経験したので、ただ「今だけ面倒臭い」と流行り風邪くらいの感覚で時期が過ぎることを待っています。中学2年生になり、前年の担任の先生から電話がかかってきました。この先生は、とにかく手のかかる次男を気にかけてくれた熱血体育教師です。時に厳しく、だけれどもきちんとフォローしてくれる先生で、息子も次もこの先
(会社10周年パーティーにて)今の仕事に就いて、早5年半。転職を繰り返してきた私の人生で、一番長い職歴になってきました。小さい会社な上に独特の社風があり、いつも辞めようかなと言う気持ちと背中合わせでした。でも、やっぱりその独特さが癖になり(笑)、結局今に至ります。多分わたし自身もある意味「癖のある人間」という事。類友の法則で、似た部分もありますし、長く時間を共にすることで、似てくる部分もあるのでしょう。今は辞めようかなと思う事も無く、働かせてもらっています。自分
この記事はいつかもっと後になってから書こうとタイトルだけ決めて下書きに置いておいたのに不思議なことになぜかUPされていたUPした覚えがない不思議でたまらないたまにこういった不思議現象が起こるしかもそれに気がついたのが昨日の自然療法のセミナーの帰りだったホメ○パシーという自然療法もともと夫が亡くなってから健康や治療法などあらゆる角度から人生について勉強をしてきた今回の自然療法のセミナーでちょうど受講生からアトピー性皮膚炎に
先日、JRが人身事故で止まってしまい息子が帰れなくなる、ということがあった。たまたま、同じ学校で同じ駅に帰る友達Aくんと構内で会い、一緒に別の路線で最寄駅(と言っても隣の市)まで帰ってくることができ、私がそこまで迎えに行って無事帰宅できた。同じようなことが夫の生前にもあった。夫の会社は息子の通う高校と同じ市内にあるので時々帰りに夫が拾ってくる事があったが、人身事故で電車が止まってしまったあの時もやはりA君と駅で会い夫が彼も一緒に乗せて帰って来たっけ。今回は
夫が亡くなった交通事故の第一回公判が今日あった裁判に参加するのは初めてのこと私の母親、夫の両親、お姉さんたち私の息子二人、そして私の友達三人と息子の友達一人が傍聴した交通事故なので裁判官一人書記官一人検事、弁護士各一人あまり広い部屋ではなく傍聴席も多くない開始直前にひき逃げの犯人が警察官二人に伴われて入廷私はそこで相手の顔を初めて見て、声も初めて聞いた彼は自分の罪を認めて反省の弁を述べ私達に謝罪の言葉をかけた時には涙ぐみながら。飲酒運転の発覚を恐れ自
仕事が休みの日が増えた。「現場が飛んだ」「延期になった」元々雨の日は休みになる外仕事。現場の状況で急な休みもあったけど月の半分くらい休みだったんじゃないか?と思うくらい。現場に入れないと言う事は売り上げも当然減る。でも、旦那にあまりあせりは感じなかった。そんな中、小学校の運動会。「絶対朝から酒飲まないで!泥酔状態で友達の親の前に現れないで!」と何度も何度も話していた。当日、朝、私たちの前では飲まなかったが夜中起きて飲んで、朝方また飲んで少し寝ただけ。息子は応援団長だった。
仕事が減ったように思った6月。梅雨の時期だし仕方ないのかなくらいに思ってたけど違った。旦那が亡くなってから従業員の子に聞いた話。「飲酒問題でかなり元請けからクレームが出てた」そりゃそうだろ。「状況が改善されないならもう取引できない」と仕事をくれていた元請け一社から言われて仕事が減った。それでも会社経営している以上、社会保険、労災保険、諸々の支払いもある。やりくりする為にお義母さんに200万借りたらしい。全部全部後から知った。「もう、無理だ。本当に無理だ。離婚したい」離婚届を
裁判当日、私が証言台で話した内容を一部抜粋します。私は被害者の妻の◯◯です。私達は平凡だけど幸せな四人家族でしたが、私達の時間はあの日から止まってしまいました。家族四人健康で、朝起きた時に「おはよう」と言える、そんな当たり前のことがどれだけかけがえのない幸せなことだったか、今、身にしみて感じています。夫は野球が大好きで息子達が高校で野球を続けているのは夫の影響です。私も同じ高校で野球部のマネージャーをしていて夫とはその時に出会いました。結婚して子供が生まれ、家を建て、全て順調な人生で
51歳の誕生日だった先日でもでも誰っっからも、「おめでとう」と言ってもらえなかったメールももちろんわたしの誕生日を思い出してくれる人は誰ひとり、いなかった夫は3年前に死別高校3年の息子はまあ忘れるだろう中学3年の娘だけは覚えててくれてるかな?当日夜に行った整体の先生はもしかしてもしかして覚えてくれてるかな?誰かおめでとうて言ってくれるかなあここのところ精神的に疲労していて自分から「誕生日だよー」て言う感じになれなかった、、、、みーーーんな、忘れ去っていた
7月の半ば。仕事で帰宅すると旦那が誰かと電話していた。「2週間くらい休むので、よろしくお願いします」?姿を見ると左足に包帯。「脚立から落ちて左足を捻挫した」「病院行ったけど折れてはいなかった。2週間くらいで治るらしい」との事。あーあ、また怪我した。それくらいにしか思わなかった。その時は。自分から病院に行くなんてよっぽど痛かったんだろうなとは思ったけど足が痛くて歩くのもやっと。這いつくばって動いていた。「もう寝るわ。2階まで登るのしんどいから下で寝る」とリビングのソフ
先日、長男の大学受験のことで国立が前期も後期もダメで県外の私立大学へ進学するか否か迷っているというブログを書いた。とてもたくさんの方から励ましのご意見をいただき感謝しています。あれから、義両親も交え何度も何度も話し合いをしました。本人も何が正解か分からずそれでも、父親が亡くなったばかりのこのタイミングで長男である自分が家を離れるわけにはいかないと考え、地元の国立に行けるよう、もう一年浪人する、ということにほぼほぼ気持ちが固まっていました。私も不本意な結果に終
以前から夫名義のソフトバンク携帯の解約に関連するたらい回し、苛立ちに関するブログを書かせていただいているが、先日また220円という謎の請求書が届いたので改めて電話した。この220円の請求はクレジットで支払えず紙の請求書を発行した人に発生する手数料だそうだが、そもそもウチはその請求書を使って払わなくて良い案件だったので手数料自体も払う必要がないと言われていた。なのに、しつこく220円が請求される。払わなくて良いと分かっていても気持ち悪いので払いませんよ、という確認
夫の死について誰一人私を責める人はいないでも私は、二ヶ月経った今でも私が夫を救えたはずと考えてしまう。いつも飲み会へ出かける時は私が送迎することはなく誰かに迎えに来てもらったり自力で行ったり帰りはタクシーだったりとにかく私をあてにしない私も帰りを気にすることなく自由にお風呂に入り自分のタイミングで先に寝ていたでも、あの日、もしも夫の帰りを少しでも気にしていたら?いつ帰る?と聞いてもう歩いて向かってるよと返事が来たらなかなから帰ってこない夫を気にして電話し
私の残りの人生があとどれくらいなのか分からないけど夫がいなくなって私は人生の楽しみ方が分からなくなったのでもう駆け足でできれば早送りで終わらせてしまいたい自ら命を断つと夫と同じ所へは行けないと思うし何より、もしあの世で夫に会えたらものすごく叱られると思うのでそれは出来ないでも夫がいなくて子供達も独り立ちしてから私一人で生きてゆくのは辛すぎるのでできれば早送りで最後の日まで進めてしまいたいと思う年をとってから一年があっという間でもう年末!という感