ブログ記事2,490件
皇居の桜田門近くの馬に乗った銅像でおなじみの楠木正成を祀った神社です。くすのきじんじゃ住所:佐賀県佐賀市白山1丁目3−2楠神社(通称:楠公さん)は前記事の龍造寺八幡宮と同じ敷地内に鎮座されています。鳥居・手水舎も龍造寺八幡宮と共用です。鳥居は楠神社近くの西側にもありますが、写真撮り忘れました。✱拝殿✱◆御祭神楠正成命(くすのきまさしげのみこと)大楠公楠正行命(くすのきまさつらのみこと)小楠公◆御由緒楠神社は安政3年(1856年)5月2
朝日新聞小説「人よ、花よ、」一章前半1(8/15)~25(9/8)作:今村翔吾挿絵:北村さゆりレビュー一覧連載前情報1前半1後半2345678910感想予習のおかげで、楠木正行がどういう人生を歩んだかのレイヤーは整った。そして物語は多聞丸(正行)の二十一歳から始まる。この小説も従来同様、弊ブログ「ブックマーク」の「羊と猫と私」でレビューが始まっている。こちらは毎日の連載状況をリアルタイムで熱く語っており、弊方とは賑わいが段違い。ご訪問あれ
産みの母舟木一夫が父・上田栄吉、母・雅子の長男として愛知県一宮市萩原町串作で生まれたのは、1944(昭和19)年12月12日(火)。5日前の7日には紀伊半島南東沖を震源地とするM7.9の東南海地震が発生し1223人の死者・行方不明者が出たが、当時は暗いニュースだとして詳細は報じられなかった。また、13日には米軍のB29爆撃機90機が名古屋市千種区の三菱発動機大幸工場(三菱重工名古屋工場を経て跡地にナゴヤドーム)を空襲、破壊している。近くでそんな大きな出来事があった、まさに“戦時中”での誕生だ
(西条市丹原町古田地区の徳田小学校前に贈正四位・得能備後守通綱と土居備中守通増の供養塔)皆さまは、土居・得能氏の名前を聞いたことがありますか?南北朝時代に後醍醐天皇に仕えて粉骨砕身の働きわを成したことで名高い楠木正成と同じく、忠臣として知られていた伊予出身の武将の名前です。皇国史観の下に義務教育を受けられた戦前生まれの方は知っていたのですが、敗戦により占領軍主導で進められた戦後教育ではほとんど教えられなくなり、ほぼ全くと言って良いほど知られなくなりました。しかしながら、少なくとも愛媛県民
足利尊氏が室町幕府を開くんだがご当人が、やる気なしの「極楽殿」という、かなり読み応えある大作。タイトルからノホホンとしたハナシかと思ってたら数十年に渡る戦、いくさ、イクサの連続で武士って大変天下取るって、大河ドラマで見るより数倍しんどい。現代人には務まらんだろう。死生観も時間の流れもまったく違うんだろうな。そんな極楽殿もそれなりに成長し独り立ちする最後に人間味を感じた。楠木正成、新田義貞、南北朝、ここの時代のコトなのねと勉強になりました
最近、指先が荒れているのよね~という方、そうで無い方、ポチっと、応援お願い致します。スピリチュアルブログランキングへにほんブログ村有難うございます。マイナスエネルギーが溜まって来ると、指先が荒れてきます。何かしらの浄化をなさってみては如何でしょうか。元の指先に戻って来ると思います。ささっ、本文を読んでくださいませ。私は、ブログのタイトルでもある「不思議なことはまだまだ起こる」という言葉を聞き、人生が大きく変わりました。沢山のお導きを頂き、環境、人間関係、住まいなど、本当に全
『逃げ若』は今回で京都編が終了することになります。京都編はまさに南北朝武将オールスター大集合!で非常に濃密で楽しめました。相変わらずの「怪物」ぶりを遺憾なく発揮する史実の尊氏もこれくらい意味不明だからセーフし、それ以外の内面だけでなく、顔まで真っ黒の判官殿、颯爽とした好漢でありながら「?」で分かっていない疑惑の新田義貞、そして大楠公とみんなキャラが立っているから本当に楽しかったです。もちろん時行くんらにとってはビターエンドでもあったのですが、それでも大きな成長があり、物語上でも意味があり
楠木神社へ来ています御朱印もいただけるのよ鳥居の横にこんもりとした小山が遥拝壇とのことですちょっと不思議な感じの小山ですね高台なので見晴らしが良い鹿島臨海鉄道大洗鹿島線が見える電車来ないかな・・・水戸から鹿島神宮まで通っています一両の電車が走り抜けるのよ楠木正成が祀られています秋口に出かけたので森の木々がきれいだわ
神戸高速線新開地駅徒歩5分兵庫警察署前竹内典之シェフGeorgesBlancHôtelBeau-RivageGenèveフィレンツェやプーリア州等で3軒リーガロイヤルホテル大阪を経て2017年5月15日オープンムール貝・小海老・帆立・トマトエスカルゴバターココット焼き真鯛の香草マリネ、シーザーサラダカリフラワームースパイ蛍烏賊・ベーコン・菜の花ペペロンチーノ→予約時スープへ変更可連子鯛、ベーコンと春キャベツケッパー・焦がしバターソース兵庫産牛フィレ肉、マデラソ
2日目は9:30出発時間が充分あるので7:30頃散歩に出ました白い建物は昨夜登った展望台ここからは東京駅がよく見えますまっすぐ前を見ると皇居方面振り返ると東京駅和田倉噴水公園天皇皇后陛下のご成婚を記念して、昭和36年に作られました。皇太子殿下のご成婚の際、大噴水が作られ、パレスホテル直営のレストランや、無料の休憩スペースもあります。高さ6mに
連日のTOLANDVLOGや土御門さんから考えるのは、推しである謎多き【大塔宮護良親王】。なぜなら彼の軍はめちゃめちゃ強く荒くれ者「山の民」の寄せ集めとdisられていたし「山伏」に変装してあちこち神出鬼没する様子には彼自身までもが「忍者」と伝わるほど実際に熊野、吉野、十津川、と奥深い山々を縦横無尽に活躍した背景には有力な「山伏」の協力が容易に想像できるそれに宮家も宮家、後醍醐天皇の皇子という御立場その家臣団て、秦氏の「侍」のように最強の軍団だったのでは‥【侍】古来の神職は侍
皆さまわしのブログにアクセスしてくれてありがとうございます。そして、『フォロー』や『いいね』をしてくれる心優しい方々、本当にありがとうございます。いよいよ、5月15日より月組の公演がスタートじゃあな。この公演はトップスターの珠城さんと美園さんの退団公演じゃあな。同時に7名の方が退団、紫門さんと輝月さんが専科へ組み替えとなるの。作品は雪組の望海さんと真彩さんの退団公演『fff』を手掛けた上田先生が描く日本物じゃあな。上田先生の日本物は『月雲の皇子』や『星逢一夜』があり、2
神戸、西元町の洋食の朝日行列の出来る神戸の洋食店です営業は平日のランチのみハードルが高いです金曜日に有休を取り、行ってきましたオープンの30分前に到着するも、すでに、この行列です40人以上はいたかなーここまで来たので、もう、後には引けません覚悟を決めて、並びます70分後、入店出来ました名物を食べないとねービフカツ定食見た目から、美味しさが伝わってきます国産黒毛和牛みたいですキレイなミディアムレアですお肉も柔らかかったです高速神戸の湊川神社智、仁、勇
この日の休日は、昼過ぎに人と会う約束があった。週末(7月7日)には、吉野の【金峯山寺】に『蛙飛び』行事を見学しに行く予定もあり、南朝ゆかりの【吉水神社】にも久しぶりに行くつもりだ。そこでこの日の朝、阪奈道路を通る時に以前から気になっていた【楠公(なんこう)寺】に行ってみよーーーって思いたったのだ名前からして楠木正成ゆかりの寺であるに違いないブロ友さんのtomoさんからも【楠公寺】って名前が出てたし昼からの約束までに、週末の吉野に行く前に、サクッと楠木正成ゆかりであるであろうお寺に、菊水
畿内の河原前の記事で書いたように、羽曳野市野の周辺が大陸から渡来した河原氏の本拠地であると考えられる。畿内の河原は、湊川合戦以降、歴史の表舞台から完全に消えてしまう。1.東大寺を勧進した行基(668-749年)の十大弟子、十禅師のなかの首勇も、俗姓は河原氏で,光仁天皇によって十禅師に選ばれている。漢の陳思王植の後裔とされている。2.羽曳野市に河原城という地名がある。ここは元弘の乱の時、楠木正成に従っていた部将河原弘成(有力名主)の拠城の址といわれている。河原氏は大陸系の渡来氏族であり
わたしは199X年地球🌏は・・・ではなく、2024年(令和6年)1月29日(月)に京都にある、あの天下の松下幸之助さんや、天才発明家のエジソン、史上最強の天才軍師と謳れる楠木正成公縁の石清水八幡宮に参拝に行きその清々しい御神氣を浴びた後に約30年振りとなる大文字山に向かいました。ちなみに初めて大文字山に登拝させて頂いたのが16か17歳の時で、余談ですが今は閉店してしまいましたが祇園にあった芸能人御用達の店だったというステーキハウス次朗の清水社長から大文字山近くにある老舗のうどん店「おめん」をご
『愛国百人一首』の選定された44首目は楠木正行です。あの大楠公の楠木正成の長子にあたる人物でです。(著者所持の『愛国百人一首』の楠木正行の絵札)かへらじとかねて思へば梓弓なき数に入る名をぞとゞむるこの歌は、正平2(1347)年、後村上天皇時代の歌です。歌の意(こころ)戦陣に出たならば、梓弓の矢のように、還ってこない覚悟しているので、この世を去ってゆく者の名前だ
2023・5月訪問神戸元町の山手側。最寄り駅は県庁前の住宅街という立地。駐車場はないので近くのコインPへ。以前は須磨で営業されてたそうですが去年こちらに移転とのこと。派手に宣伝してないので県庁関係以外は目的客が主流でしょうか。蕎麦だけなら断る事あるかもよ?というアピールに少し腰が引ける。カウンター8席のみという。蕎麦屋としては珍しいスタイル。蕎麦前前提での設計なのかも。昼の閉店ぎりぎりだったのでカウンターには先客の残骸が。バイト?の女の子の動きが緩慢で塩対応な
令和4年10月1日~11月23日にかけて、遊就館にて「宗良天皇と楠木正成公ー英霊との精神的な絆」という企画展が開催されています。こちらの企画は、日本青年協議会としても後援をさせていただきました。展示の主催者は書道家の永山玳潤(たいじゅん)氏と、写真家の廣田(ひろた)勇介氏で、国家の危機に際し私達の父祖たちはどのように生きたのかを南北朝時代に活躍した宗良親王と楠木正成公に求め、そのご足跡を書と写真でたどる展示となっています。↓靖國神社HP新着情報詳細|遊就館|靖國神社明
満開に咲き誇りながら風に散りゆく、桜の花のように、夏の午後、眼前に揺れる追っても追っても届かない、はるかかなたの蜃気楼のように、その身を目に鮮やかな燃えるような真紅に染めながら秋風に舞いゆく紅葉の葉のように、そっと手に取ったと思ったら既に溶けてしまっていた真っ白い雪の結晶のように、儚さ、潔さ、美しさ・・・。多くの日本人は、そういう価値観を愛するのかもしれません。源義経、真田幸村、土方歳三・・・そしてこの人に対しても・・・