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日付が変わりまして昨夜のNHKファミリーヒストリー高嶋政宏さんお母さんの寿美花代さん松平家の血筋ということは家康公とも血のつながりがある。。。うわ〜びっくりです戦国期三河松平氏の研究(戦国史研究叢書)[村岡幹生]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
徳川家の菩提寺、大樹寺徳川家・松平家の菩提寺、大樹寺にやってきました。この山門は、1641年に徳川家光が建立したものです。中に入ると、すぐ右に鐘楼が見えます。正面の本堂に向かいます。1475年に松平親忠が創建しました。その後、火災で焼失したため、1857年に徳川家定が再建したものです。多宝塔は1535年、松平清康が建立しました。本堂の中を拝観しました。徳川家康の座右の銘とされる「厭離穢土、欣求浄土」の8文字がいろいろなところで見られました。その後、大樹寺をあとにし
◆川越城本丸御殿江戸期の現存本丸御殿正面の唐破風には「三つ葉葵」の御紋が輝いています。★縄張り図かなり大掛かりな城構えです。掘りと地形を利用した城郭です。将軍が鷹狩りの時に利用した城です。★本丸御殿正面威風堂々立派な佇まいです平屋建てなのに屋根が高い❗️本丸御殿は鷹狩りの将軍が宿泊に利用した為に格調高い作りになっています。★川越城本丸御殿石碑傍から見る唐破風の曲線が美しい庭木が良い演出をしています。
2017年3月4日朝一番の鈍行列車に乗り松本駅に着いたのは、8時50分、駅から歩いて松本城までやってきました。松本城は、「国宝四城」の一角をなしている、現存天守のあるお城です。2015年に松江城も国宝に指定されたため「国宝五城」となりましたが、まだなじみが薄いようです。松本城と呼ばれる以前は、深志城(ふかしじょう)と呼ばれてました。また、容姿が黒いことから、市民から親しみを込めて烏城(からすじょう)とも呼ばれています。雪を被った山々を従えた雄姿
京阪電車寝屋川市駅より徒歩8分フェイシャルエステティクサロンヴィドール・ソノのななちゃんです徳川おてんば姫令和なのに徳川平成の終わりの美智子上皇后、令和の始まりの雅子皇后お二人とも本当に美しく輝いていらっしゃいましたねそんな時に手にした本が最後の将軍徳川慶喜公のお孫さん井出久美子さんが書かれたこの本。井出久美子さんのお姉さんは高松宮宣仁親王妃喜久子さま左の眼鏡の方が井出久美子さんケーキの前のお方が喜久子妃です。お二人は徳川慶喜公の孫であるとともにイケメンで有
『新三渓園だより』9月30日あっという間に9月も終わりです。相変わらず、不順な気候が続いています。仲秋の名月を無事過ごしたと思ったら、数日後は11月上旬の気候へと、一か月半飛んでしまいます。この週末は、今度は台風の直撃です。観光地も観光する人も大変ですね。三溪園でも、訪れる人は、遠く海外からとか、団体旅行とか、急には予定変更できなかったお客を、ちらほら見かけるばかりです。「華麗なる一族」先日、テレビの旅番組(?)で、三溪園が取り上げられていました。(テレビ朝日『じゅん散歩』
厭離穢土欣求浄土行ってみたかった岡崎の大樹寺に遂に行けた桶狭間の戦いで今川義元さんが亡くなり岡崎城まで戻る途中で、家康さんはこのお寺で織田勢に包囲されました。逃げ込んだ松平家のお墓の前で家康さんは何を考えたのだろうか。和尚さんから厭離穢土欣求浄土を説かれ・・・生き残ることを選んだというお話が残っています