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流派を変えるというのはどういうことでしょうか。「個人の自由」と言いたいところですが、私としてはあまりオススメしていません。といいますのは、「それまでに費やした時間とお金を取り戻せない」からです。流派を変えると、それはもう一からやり直し。入門からとなりますし、大抵、最初に習った流派の癖が抜けません(長く習えば習うほど)。当流にも裏千家や表千家から流派を変わった方がいらっしゃいますが、やはり癖は抜けないですね。若干点前が違うように見受けられます。ですから
習ひをばちりあくたぞと思へかし書物は反古腰張にせよこれは利休百首の九七番の歌で、書物【かきもの】とは現在のノートや参考書とされていますが、私は記録道具だと思っています。つまり、ノートだけでなく、カメラやスマホといったものから、古きは筆箱、矢筈まで、ありとあらゆる記録できるもののことです。書物にされたものを読んだり、動画や写真を観て、誰しもが茶を美味く点てられるなら、流儀も流派も教室も先生も不要です。ですが、みんな先生から習い、教わり、マニュアルや書物から得るものはそれらを補完する情報
一番、間違いが多いのが棚物と水指の組み合わせですね。棚物も、真塗・朱塗を真として、行が柿合塗、溜塗、春慶塗、一閑張、草が木地、運びとなります。※そもそも棚物自体が行の点前であることも忘れてはなりません。昨日の一覧表を見直しながら考えていただければ、大まかにはわかるのですが、規矩として大事なことがあります。焼締は棚に上らずというものです。焼締といってますが、これには焼貫や自然釉も含まれまして、つまり釉薬を掛けて焼いた「施釉陶器」ではないもののことです。
釣り釜や今は昔となりぬるも炉風炉を不問釜を懸けりて道舜【口語訳】釣り釜というと、今は昔のこととなってしまいましたが、炉風炉を問わず釜を懸けていました。釣り釜は現在、新暦3月〜4月(旧暦二月〜三月)に懸けられるものとして定着していますが、利休以前では炉でも、風炉でも行われていたものでした。炉の時期、旅箪笥と共に用いられることの多い釣り釜ですが、小田原征伐において利休が始めたとされていますが、実はそれ以前から箪笥物と置き合わせて用いられていることが分かりました。その当時の箪
本日は、旧暦三月十一日、二十四節気の第六「穀雨」です。田畑の準備が整い、それに合わせて春雨が降るころです。穀雨というのは「穀物の成長を助ける雨」の意味で、昔風に言えば「春雨が百穀を潤す」となります。『暦便覧』には「春雨降りて百穀を生化すればなり」と記されています。「百穀春雨」とも言います。種まきなどに適した時期なので、農作業の目安にされたりしています。「清明以降雪が降らなくなり、穀雨になると霜が降りることもなくなる」とも言われますが、日本では春分過ぎると霜が降りることはまずありません
茶の湯の師匠を見つけるときは①先生の年齢は関係ない②人の縁を大切にせよ③先ずは体験!できれば茶席もみよ④流派の大小で選ばない⑤初釜がないところは避ける⑥炉が切ってある方がよい⑦できるだけ近場(一時間前後まで)にする⑧入門したら3年は通う⑨頻繁に釜や道具を変える人がいい先生⑩歴よりも知識の十箇条をお薦めします。①先生の年齢は関係ない茶道は年齢ではありません。60代でも40代から習ったら20年程度。50代で20歳から習っていれば30年以上。どれだけ稽古してきたか
茶道を、さまざまな理由で辞めてしまった人、離れてしまった人がいます。経済的な問題。距離的な問題。家庭的な問題。人間関係的な問題。そして【流儀を強制される問題】。正直にいいますと、上の4つについては「どうしようもない」と私は考えます。それは、それぞれが、乗り越えるべき問題だからです。経済的にどうにもならないなら、収入を増やすか、支出を見直すかで、月謝を捻出すべきです。月5~1万円というのは、そんなに高額でしょうか。私にはちょっと分か
3年ぶりに、護国寺で行われる東京都茶華道連盟主催の「都民の茶会」が催されることになりました。日程は4/15(土)・16(日)です。我らが板橋茶華道連盟は4/15(土)。表千家の吉川宗龍先生がお席を持たれます♪大本山護国寺東京の都心にありながら江戸の面影をいまに伝える護国寺は訪れる人々の心のふれあいの場として昔も今も変わりなく親しまれています。www.gokokuji.or.jpこれに続いて、様々な場所でお茶会が開かれるといいですね
利休の兄に康隆という諱を持つ人物が居ますが、全くといっていいほど顔を見せてくれません。利休の弟としては、宗把、水落宗恵が居り、久田実房の妻宗円(宗栄の母)が知られています。利休の親戚として知られるのは渡辺道通で、魚屋立安ともいい、利休の甥といいます。父は渡辺与兵衛で、利休の父と同じ通称ですね。この辺り、同時代史料に利休の父の名前が一忠了専以外伝わっていないのが残念です。もしかしたら、別の名前の可能性もないとはいえません。この渡辺与兵衛が利休の父と兄弟という可
当流では、鮟鱇棗とは言わず、鮟鱇茶器といいます。当流でも、珠光棗(昔棗)・紹鴎棗・利休棗などの純粋な棗形や、碁笥棗・春秋棗などといった変わり種、尻張棗・鷲棗・日の丸棗(毬棗)・河太郎棗・平棗・白粉解棗といった変形棗は棗と呼びます。ですが、老松茶器や阿古陀茶器、梅形茶器というものは「茶器」と呼んでいます。もともとは「濃茶にも薄茶にも用いるもの」を「茶器」と呼んでいたのだと思われますが、いつの間にか、薄茶器でも「もともとの系譜が存在しないものを茶器」と呼ぶように変化したもの
大阪市港区朝潮橋駅スグピアノ教室「ピアノニコリ」講師の米谷麻弥(こめたにまや)です■ピアノ講師大大大募集!楽しい、楽しい、楽しい毎日!子どもも、おとなも、みんなにこにこ。あなたのピアノが、みんなを、えがおにできる場所。経験不問♪未経験者歓迎♪経験者大歓迎♪みんなをえがおにするにはどうしたらよいか、いつも考えている場所。年齢不問♪性別不問♪おかげさまで、生徒さんはたくさん
令和6年4月27日(土)・28日(日)、護国寺茶寮にて都民の茶会が開かれます。板橋区茶華道連盟は27日(土)、月窓軒で切田宗順先生がお席持ちです。私は28日(日)、宗澄庵にて杉並区のお手伝い(笑)で、点前の予定です。28日(日)の宗澄庵は諸流席となっていて、皆さんのご存知ない流派の方が点前されるかも知れませんよ!(笑)・都千家小笠原宗誉・日本茶道塾岡田幸造・都流内田宗地ほかにも裏千家の鎌倉彫の方などもいらっしゃいます(まだ全員と顔合わせして
いまだに上手く答えられない質問の一つがこれです。というか、これはおそらく「人の数ほどある」のではないか?と思うのですが、最小公倍数というか最大公約数というか、多くの人に共通することを探ってみることで、見いだせるのではないかと思ったので、少し掘り下げて見ることにしましょう。茶道の目的茶道の目的は「茶会を開けるようになること」です。この茶会とは、一般の人が思っている大寄せの茶会や、薄茶・濃茶のいずれか片方または両方を出す会ではなく、懐石と八寸(お酒)があって、その後に濃茶・
【道歌】鬼面風炉釻の上がるは炭ありと座り釻下げ立ち前釻上げ道舜釻のある鬼面風炉は、炭を入れる前は釻を下げて設えます。そして、炭点前の最後に釻を上げて、「炭が入っている」ことを示します。点前の最中には、本来の姿を客に鑑賞してもらうために、釻を下げ、釻が余計に熱を帯びないようにするのです。釻の扱いは火箸より前であり、唐銅鬼面風炉の扱いの格の高さを偲ばせます。
茶道教授の毒吐【ドクハク】vol.11なんで茶道人口が減ってるの?㊤茶道教授の毒吐【ドクハク】始まりました!twitcasting.tv茶道教授の毒吐【ドクハク】vol.11なんで茶道人口が減ってるの?㊦モイ!Androidからキャス配信中-「茶道教授の毒吐【ドクハク】」始まるよ!和に関する雑談をします。着物・歴史・茶道などなど!twitcasting.tv茶道は面白いコンテンツである。しかし、年々物凄い勢いで人口が減少しているのは何故だろうか?私は色々な角度から考察し、様
家元制度というのは、如心斎の時代にゆる~く作られた体制です。ただし、現在の家元制度は明治時代に組織されたものになります。また、許状(相伝)制度は、表千家も裏千家も武者小路千家も江戸千家も多かれ少なかれ同じような制度です。当流はだいぶ数が少ない上に免状制度なので、少し違います。家元などの茶家というのは「次世代に正しく教えを受け継ぐ」ことが目的であり「茶を教える」ことが生業です。ですので、巷にいる先生というのは、茶家から「許しをもらって教えている」ということになります。
水屋見舞いっていつからお菓子になったのでしょうか。#水屋見舞#茶道#茶の湯#本来は次第の拝見のための見料—曲斎@都流/『数寄の長者〜竹馬之友篇〜』第二章執筆中(@darkpent)September20,2023というTweetに対してええ…😰茶券方式が一般化してからですかね?—🐟小花菜緑子(@inouesakana)September20,2023というお返事をいただきました。確かに、茶券方式になってから、水屋に伺って、次第の拝見をする
唐物は瓶子牙蓋と思ふなよまはす向きとて糸尻にあり道舜唐物というと、瓶子づくの牙蓋で必ず逆回しと覚える人が多いのですが、実は違います。瓶子づくが多いのは、九十九髪茄子が瓶子蓋であったことから、写を求める人が多かっただけのことであり、唐物だからといって瓶子蓋とは限りません。掬蓋の物もありますし、本物の唐物には替蓋として掬蓋が添えられているものもあります。これは盆に飾らず畳に置く場合(唐物の平点前)、茶杓を小帛紗に載せられませんので、牙蓋に置けるようにするためのものです。替蓋がない
及台子大を購入してから皆具を熱心に見ている道舜です。今まで青磁って、ツルンっとしててつまんないなー!と思ってたんですが、これを見た途端、これは違う!!!!と思いました。ヤフオク価格:★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★鍋島青磁とは、鍋島藩直営の窯で焼かれた磁器の一種です。大川内山で産出する青磁の原石を用いた釉薬を繰り返しかけて焼き上げているそうです。現在は大川内で生産される有田焼の一種として考えられています。小笠原長春窯は九代当主。父である七代(故人)、兄である八代とと
紫のはじめて咲きし八角蓮大きく開きし葉に隠れなば月誧茶友のWAさんからいただいた斑入り八角蓮。実は初めて花を着けました!へー!こんな花なんですね。大きな葉っぱで花を隠してしまうのはなんでなんでしょう?面白いですね♪残念ながら中国原産の植物で、帰化していないため、当流では使えません。八角蓮がテーマならいいでしょうけれど(道具組みが難しそう)。瀟湘八景の釜や水指が手に入ったら考えてもいいかもしれませんね~♪
禅語の「春水満四澤」は東晋末から南朝宋の詩人・陶淵明が詠んだ『四時』の第一句(起句)です。春水満四澤しゅんすいしたくにみつ夏雲多奇峰かうんきほうにおおし秋月揚明輝しゅうげつめいきをあげ冬嶺秀孤松とうれいこしょうにひいず春水とは春の雪解け水のことで、四澤とは四方にある沢ーーすなわち、あらゆる沢のこと。つまり、春になって雪解け水があちこちの沢を満たし、川に水が溢れんばかりに流れている美しい情景を詠んだ句です。禅語的には、春のおおらかな水の流れが大地を潤し、五穀豊穣をもたらす様
昨日紹介した裏千家のWebsiteの「一問一答」の「内隅、外隅の使い分けをお教え下さい」という質問を掘り下げたいと思います。以下、裏千家家元の全文を転載します。「風炉台子を基準にそこから派生した点前は主として外隅狙いになります。そうでないものは内隅狙いになります。小習の前八ヶ条の場合は、全ての取り合わせや扱いが定まったものです。後八ヶ条はどちらかというと、はたらきの点前になります。ですから入子点は小間の場合外隅になったりいたします。続き薄茶で炉の場合どうするかというと、広間は内
ちょっと我が社中で問題がありました。新しいお弟子さんが姉弟子にお裾分けをしようとしたんですね。姉妹弟子が仲良くするのは良いことなのですが、これ、先生にお伺いを立てずにするとどうなるかわかりますか?友達というのは、何処で出会おうが友達になるときはなるし、ならないときはなりません。人と人の繋がりですから、どう繋がっていても自由……でしょうか?茶道の教室というのは「先生が開いたもの」ですね。この辺りが「カルチャーセンター」や「サークル」、「クラブ活動」と異なる点で
大分日数が経ってしまいましたが、令和6年3月31日に「お茶会へ行こう」を催しました。この日は、二の午で、初午ではありませんでしたが、初午にちなんだ道具組みをいたしました。常陸家のYくんが初めて「お茶会へ行こう」に参加してくれまして、彼の茶入を使わせてもらいましたが、手が震えましたね。人の道具は怖いなぁ~。自分の古瀬戸でもこうはならないので、やはり人の道具という強さかと思います。初使いは膳所の染付近江八景芋頭水指。それに五角盆。束柴の蓋置もなにげに初使いです。
一花開天下春いっかひらいててんかはるなり一塵起大地收、一花開天下春。『宏わん智し広録』『宏智広録』とは、宋朝曹洞宗の代表的禅僧、天童宏智正覚(1091-1157)の語録。一花開とは、桜や梅の花が開くということではなく、「心の花が開く」こと、すなわち「悟りを得る」ことを意味します。悟りを開いた境地で現世を見渡せば、娑婆世界(衆生世間)がそのまま極楽浄土であり、「天下春」ということです。これは即身成仏を諭した禅語であり、現実世界からの逃避を戒めています。茶席では
【タンブリングクラス開講のお知らせ】⭐︎毎週木曜日17:15-20:00※上記時間内90分間レッスン18:30までご入館くださいに⭐︎会場東本郷小学校体育館⭐︎対象年齢幼児〜高校生未経験者大歓迎です😀お問い合わせお待ちしています↓yokohamapossibles@gmail.com#体操#タンブリング#エアトラ#バク転#東本郷小学校#未経験者歓迎#緑区#都筑区#青葉区#港北区#神奈川区
茶室のひとつに「台目席」というものがあります。この台目席というのは「台目畳」を点前座とした茶席のことで、小間の一種です。台目席は「台目+○畳」という単位で表され、一畳台目、二畳台目、三畳台目、四畳台目などと呼びます。台目がつくと必ず小間の扱いで、棚物は用いません。なんで棚物を用いないか?というとそれは台目の成り立ちに関わりがあります。台目畳は本畳(京間)の四分の三ほどの大きさと言われますが、実際には「台子の大きさを取り除いた畳」のことです。つまり
四方捌きは、濃茶のときに行われる帛紗捌きです。茶友から質問されて改めて他の人はどう言ってるのかなー?と思い、ネットを検索してみました。すると、四方捌きは東西南北の四方を清めるとか、方丈を清めるという意味があると書いてあるサイトが多いのですね。でもいまひとつ、これ、納得できない(他流の解釈だから納得しなくてもいいんですけど)。ではなんで、四方捌きが四方を清めることにつながるのか?伸ばす所作や緩める所作、送る所作の意味はなんなのかが説明されていないもしかすると、茶筅の「
摺ると擦るの違いが解っていないと「摺足」が「畳に足袋裏をこすって歩く」ことになってしまいます。そこで漢字の成り立ちから鑑みて意味を説明してみたいと思います。擦扌+察察は擬音(物をこするときに発生する音)とされるが、「手でものに触れることでハッキリと認識する」という風にもとれる(でないとこの字を宛てた意味が分からない)。察宀+祭「屋内」で「祭り神の心をはっきりさせる(さっする)」祭肉+手+示「生贄の肉を手で台に捧げる様子」摺扌+習手で繰り返し行うという意味から「
これは、私の好きな小説『銀河英雄伝説』という作品の名台詞なんですが、ご存知ではない方のために、少し解説をいたします。銀河英雄伝説というのは「スペースオペラ版三国志」ともいわれる銀河を舞台にした仮想戦記小説です。銀河系に誕生した「銀河帝国」と「自由惑星同盟」と「フェザーン自治領」を舞台に、下級貴族に生まれ、のちに皇帝となるラインハルト・フォン・ローエングラム(最初はミューゼル)と、軍人になりたくなかったくせに戦うと負けない魔術師ヤン・ウエンリーの二人を主人公にした物語です。先