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天皇皇后両陛下石川穴水町と能登町を訪れ被災者をお見舞い|NHK【NHK】天皇皇后両陛下は、能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県の穴水町と能登町を訪れ、被災した人たちを見舞われました。www3.nhk.or.jp一部記事を引用致します。臨時ヘリポートとなった港の広場では、地震による土砂崩れで16人が亡くなった対岸の由比ヶ丘地区に向かって深く一礼されました。このあと両陛下は、再びヘリコプターに乗って、災害関連死の疑いを含め8人が亡くなり9000棟の建物が被害を受けた能登町に入り、
今回の短い上京で、唯一行きたかったところです。最近美術館は、前もって日時指定で予約しなければならないところが多いですが、ここはどこにもそういったことが書いてありません。これは自由で嬉しい。今日の最高気温は24℃で、明日からの夏日よりかはちょっとましかも。それでも日差しは強く、日傘のお世話になります。久しぶりの明治神宮は多くの観光客でにぎわっており、特に最近顕著な欧米人の圧倒的な多さ!田舎の10年分ぐらいの数を見た感じです。本当に韓国語や中国語を聴かな
愛子さま初めて明治神宮を参拝「昭憲皇太后百十年祭」|日テレNEWSNNN天皇皇后両陛下の長女、愛子さまが10日午前、初めて東京・渋谷区にある明治神宮を参拝されました。news.ntv.co.jp今日の敬宮さまの初めての明治神宮参拝姿美しかったですね。昨日とはうって変わっての陽光に照らされて天照大神さまの化身のように眩しかったです。生まれ持っての気品と品格ですね。静静と歩かれる姿がまた、お美しかったです。沿道には600人の人々が集まっていたとか。敬宮さまを拝見すると浄化
皆さま、こんにちは心理カウンセラー&日本胎内記憶教育協会の認定講師をしています『どいしゅう』です今日数あるブログの中から、わたしを見つけてくださった皆さんブログ筆者のどいしゅうについてはこちらをご覧下さい。https://ameblo.jp/ny358/entry-12492166128.html出会ってくださり、本当に、本当にありがとうございますそして、いつもブログを読んでくださっている皆さん今日も無事に更新することが出来ました再びここで出会えたことに、心か
みなさんこんにちは日に日に秋の色が増してきましたが、いかがお過ごしでしょうか本日の記事は、ユージー技建(株)建築部長児玉博文の執筆連載『UGコラム~落穂拾い~』です今回は、「昭憲皇太后と坂本龍馬」~前編~をお届けいたします「昭憲皇太后と坂本龍馬」1.はじめに「昭憲皇太后」について左大臣一条家から新帝明治天皇の女御に治定され、明治元年に入内し女御の宣下を賜り即日皇后に立てられます。大正3年に崩御、現
眞子さま佳子様悠仁様が通われている学校は王道の昭和天皇や昭憲皇太后や明治天皇が関わっていた学校で由緒ある学校です。https://news.yahoo.co.jp/articles/be176951c31c38f58ca71a819b227b793e486ea0悠仁さまがキリスト教の大学を選択することにナゼ違和感?ICUと皇族の意外な接点(日刊ゲンダイDIGITAL)-Yahoo!ニュース【秋篠宮家の学校選び】#112週間ほど前、東大推薦入学が最有力とみられる悠仁さまが「国際基督教
気がついたら、1ヶ月もブログを更新してなかったんですね😵なんだか最近、鼻が詰まって喉が痛い日が多くて、書きたいことは色々あったんですけど、あまりブログ書こうという気になれなかったんですよね〜。WBC優勝やら卒業式でのマスク不要やら…。沖縄は海開きしたとか…。自分がグズグズしてる間にも確実に世の中は、季節は移ろっていきますね〜。そんなこんなで、とりあえず、先日、BSプレミアムで放送された『ロイヤル・ミステリー皇后のドレスの謎』のことなど…。昭憲皇太后が着用したという現存最古で最高格式
昨日は感情的になったことを子どもに謝り、仲直りをして原宿に行ってきました前からポムポムプリンカフェに行きたがっていたので、本当に久しぶりに原宿、竹下通りを歩きました外人が多く、歩くのもやっと子どもは大喜びで色々なお店を見てました帰りは明治神宮で母の病気平癒をお願いして、帰りました明治神宮ミュージアムの昭憲皇太后のドレスの展示、良かったです十二単もありましたよ興味ある方は是非
皇室一家、明治神宮に参拝JapaneseImperialFamilyvisitedtheMeijiShrineinShibuyaEmperorNaruhito,EmpressMasako,CrownPrinceAkishino,CrownPrincessKiko,EmperorAkihitoandEmpressMichikovisitedMeijiJinguShrineinTokyowww.newmyroyals.com愛子さま、明治
昭憲皇太后と言われても、わかる方は少ないですね。私もその一人でした。この方は明治天皇の奥様、美子(はるこ)皇后、後の昭憲皇太后です。明治天皇に関しては、勉強する機会も多くありますよね。明治維新から日清、日露戦争を経て日本が近代化していく時代の天皇ですから。しかし、皇后となると…。そもそも、現在の天皇陛下の美智子皇后が初めて民間から皇室に嫁いだ方として有名ですが、それ以前の皇后がどのような方なのか、私は知りませんでした。そうしたら、先日の「にっぽん歴史鑑定」という番組で“明治天皇后
先日から過去の記事を読み返しているのですが、2013年10月8日の『明治宮殿の暮らし』の中で使わなかった画像が沢山、画像フォルダ内に残っていたので、明治宮殿の画像をこの機会に公開しておこうと思います。1945(昭和20)年5月25日の東京大空襲で桜田門外の参謀本部が爆撃され、その火の粉が風に乗って飛び火し、明治宮殿は全焼しました…。そんなワケで、在りし日の明治宮殿を個人的に振り返りたいと思います…。明治宮殿は、旧・江戸城西の丸の跡地に建設されることが決定しました。1884(明治17
我が国の建国記念日である2月11日と翌日2日間のみ、明治天皇の皇后、昭憲皇太后陛下の大礼服が展示されました。門跡寺院である今出川の大聖寺に納められてた大礼服は修復に5年かかったそう。身長140cmくらい?の子供服のようでトレーンは3.5m。スパンコールや生地も刺繍で1針づつ修復。おそらく国産の生地が使用されたよう。開国に合わせ我が国初めての洋装スタイル、養蚕などを確立された昭憲皇太后陛下。服飾史を勉強してきましたが、「華麗なる革命展」以来のましてや自国のものの展示は感動でした。
先々週に振り返り投稿の記事があがっていて、そういえば昭憲皇太后の大礼服の修復はどうなってるのかなと思い出しまして…。そんな時に本屋さんで☝️の本が目についたので買って読みました。東京新聞で連載していた“よみがえる明治のドレス”を書籍化したものです。修復前の昭憲皇太后の大礼服(大聖寺門跡蔵)修復前は経糸の劣化によって緯糸が浮いてしまっていた。修復は緯糸を駒縫いで留め付ける作業が行われた。修復中の大礼服の劣化の詳細の写真も載せてくれてます。刺繍の金属モール糸が外れ、泥紙が露わになった修復