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暑い夏に真冬の話題を(笑)続きです暖房器具のない義実家真冬正直寒いですえっ、私だけ?いや、みんな寒がってますだって家のなかで普通にみんなダウンコート着てるもん居間にはこたつがありますがこたつという物体があるだけで電源ははいっ
◆"厚化粧の標本"と言われていたタイピスト、でも実際は?こんにちは、山村です!今回は、昭和初期の働く女性の中から、タイピストをとりあげました。タイピストは、手書きの書類や口述をタイプライターで清書する専門職地道な仕事と思われがちですが、化粧やファッションが派手だったと書かれた本もあります。ここでは、なぜそんな話になったのかを考えてみました。タイピストの仕事はもともと、英語やドイツ語など外国語を清書するのがはじまりでした。外国語に堪能でないとできないため、その
久しぶりの下賜品の紹介です。底に「昭和14年下賜」とありますので同年に皇室から下賜されたものですが、今のところまだはっきりとした由来がわかりません。この形の水差しは、最初は純銀製でしたが、支那事変後は貴金属が使えないため磁器製に代わったようです。以前箱付きのものがオークションに出ていたのですが、それにはある皇族女子が誰それに下賜した、と書かれてありましたので、今のところこれは皇族女子専用の下賜品ではないかと思っています。表の絵は撫子柄が最も多いのですが、その他松や梅、竹、菊、桜など多くの種類が
暑い夏に真冬の話題を(笑)義実家は昭和初期に建てられたであろう木造平屋建てです。サッシはアルミに変えてあります。水回りはリフォームされているのでお風呂とトイレは問題ありません唯一の救いただ暖房器具がありませんはい、昭和初期の木造平屋断
こちらの帯留めは『戦前日本のジュエリー4和装用装身具(女性用)・男性用装身具編』に掲載したものですが、細かなところをアップしておりますので、冊子をご購入いただきました方にもご覧いただけましたら幸いです。横の長さ約6.1センチ、重さ16.7グラムのどっしりとした帯留めです。芥子玉真珠の流れるようなグラデーションの使い方が秀逸で、アールデコの雰囲気を残しつつも曲線を活かした気品溢れるデザインはさすが御木本製です。彫金細工が立体的になっています。中央の合成アレキサンドライトは光源の違
計算ができない状況判断ができないとできないだらけの義母今回届いたもの大きめの段ボールめいっぱいパンパンに詰まったチョコレート数にして私からすると一生分大きさとしてはブラックサンダー程度の一口チョコレートおよそ500個子どもたちの命の危険を感じました10歳未満の子どもにそんな量のチョコレート食べさせないだろ普通はね普通ではないところが義母です。一気に送るともしかすると一気に食べてしまう危険もある健康被害さえ出てしまう大量のチョコレ
◆圧倒的に多い趣味は「音楽」でした!こんにちは、山村です。このところ、昭和初期の女性について調べています。大正末期から昭和初期は、モダンガールとよばれる女性たちが、最先端の洋装や化粧をしていた時期。モダンガールが話題になった頃に、洋服を仕立てて、洋風メイクができた女性の多くは、経済的に裕福な家庭のお嬢さまが多かったと思われます。そうしたお嬢さまの暮らしぶりは、『婦人画報』などの、女性誌から知ることができます。今回は、昭和5年の『婦人画報』4月号にある
◆ショーウィンドウが舞台!お客さまの注目を浴びるのが仕事でした!こんにちは、山村です!昭和初期の働く女性シリーズも6回目。今回は、マネキン・ガールをご紹介しましょう「マネキン・ガール」とは、デパートのショーウィンドウや陳列スペースに立って人々の注目を集め、流行のファションや新製品などをPRする女性。昭和3年、昭和天皇の即位の大礼を記念して上野公園で開催された「大礼記念国産新興東京博覧会」で、高島屋呉服店(今の高島屋百貨店)が、マネキン・ガールを起用して東京でも
1週間に6日間着物を着ているいっちゃんです。Iwearkimono6daysthisweek.10月24日火曜日はいっちゃんは着物は着ていません。October,24TuesdaymydayoffandIamnotcomingtoworksoyoucannotseekimono.よろしかったらウェブショップをご覧下さい。↓https://shikiantique.theshop.jp/Pleasecheckmy
麻雀牌のお色直しその1道具家に50年以上昔(昭和初期?)の背竹の麻雀牌がある。30年近く前、俺もこの麻雀牌で、父や同級生と打ったことがある。その時が最後だったかもしれない。その麻雀牌ケースは、かなり古いものなので、ロックの部分や手持ちの金属の部分がサビついていた。中の麻雀牌を開けてみると、竹の部分と樹脂の部分から、接着剤が溶け出し何かおかしなカビのようになっていた。文字もかなりはげていて、見づらい状況になっていた。この麻雀牌をどうしても直したくなり、いろいろ調べて実行に移った
昭和初期頃にこういう感じの結婚写真が流行ったらしい。マジROCK★#結婚式#般若#お面#般若面#和装#結婚#花嫁衣装#日本#畳#和婚#ちょっと#真似したい#かも#昭和初期#靴下#なにげに#バイカラー#cool#cooljapan#japan#wedding#weddingdress#hannya#hannyamaskおしゃれな塗り絵BOOK着物美人Amazon+--------------------川原マリア---------
◆関東大震災が女学生の意識を変えた?こんにちは、山村です!以前に、「明治末期の女性の若さと結婚」というテーマで、当時の令嬢の結婚について書きましたが、今回は、昭和初期の令嬢を取り上げます。明治末期のお嬢さまの結婚について簡単におさらいすると、裕福な家に生まれて、女学校に通う「令嬢」は、数えの17から19歳ぐらいで結婚するのがあるべき姿。公家や華族、資産家など上流階級の令嬢が通う学習院女子部では、女学校にいる10代なかばのうちに結婚が決まって、続々と退学していっ
静岡県三島市にある、伊豆國一之宮三嶋大社で大正時代末期〜昭和初期に撮影されたガラス乾板写真が見つかりました。デジタルアーカイブ化された写真が、6月に公開されるようです。貴重な写真なので、公開されたら見に行こうと思います。*画像は2022.8.15三嶋大祭り・ガラス乾板写真とほぼ同じ角度です。伊豆國一之宮三嶋大社ホームページ↓三嶋大社三嶋大社は、古くから伊豆国一の宮として栄え、源頼朝が源氏再興を祈願したことでも知られています。www.mishimataisha.or.jp『鎌倉殿の
2017年2月4日愛知県知多半島の常滑に来ています。陶磁器会館から、やきもの散歩道を散策していますついに、お目当ての土管坂にやってきました。30年前に来たときは、土管坂があっただけなのに、今はいろいろと整備されていました。ふるさとの坂道にも選定されているようです。右側は、昭和初期の焼酎瓶を積み上げてありますし、左側には、大きな明治期の土管が積んであります。坂道の床には「ケサワ」という土管の焼成時に使用した捨て輪の廃材を敷き詰めているよう