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こんばんは。昨日は友人宅でバーベキュー、友人宅ってのは自動車整備屋で今、バイクを預けているお店なんですよ、そこの家とは父、兄弟の全員と仲良くしてもらっているので、バイクやら軍用車などのお話で盛り上がり、そこのショップ、三菱のジープを買ったみたいで行く行くは自衛隊仕様にして乗り回すみたいですよ。日本軍九二式10糎加農砲要目口径105mm砲身長4,725m(45口径)砲身重量1,172kg放列砲車重量3,730kg
事故を伝える当時の新聞高度経済成長の真っ只中の1965年(昭和40)、北海道釧路市の経済を支える漁業・炭鉱・製紙などの各産業もまだ活況を呈していた。「もはや戦後ではない」と言われてから既に10年ほど経ち、戦時中の暗く辛かった人々の記憶も確かに薄れつつあった時代だった。釧路の市街地から程近い共栄小学校では、6年生を対象とする秋の炊事遠足がその年も例年のように催されることになった。新富士海岸への遠足は共栄小学校としては1958年(昭和33)から続く恒例行事であり、おそらく児童たちにとって
鼻が・・鼻が出る、急な寒さなのか数年ぶりの風邪なのか判断がつかない〜というか秋は?秋はどこいった??「東京湾第1、2海堡に上陸したいがツアーは少なく、要らん見学ルートも入り最低でも1万円かぁ」と悩んでいる戦跡好きのあなた!沈んでしまった第三海堡の建物でしたら無料で横須賀の端っこにありますぞ。追浜の夏島の埠頭の先っちょ、バイクはリサイクルセンターに停車できます。大阪のゴミ処理場を笑えないレベルのデザイン第三海堡は明治25年、大砲が弱々なので東京湾に3箇所砲台を作ろうと開
神風特別攻撃隊を攻撃を受けたアメリカ軍人は、「カミカゼクレイジー」「デビルズバード」「バードオブヘル」「ゾンビ」「カッツェンジャマー・キッド(酔っぱらい小僧)」と呼び恐れた。アメリカ側から見た特攻を紹介する。特攻が開始される1944年後半のフィリピン戦前の時点では、それまでの太平洋戦域における日米航空戦の戦績により、アメリカ軍の日本軍航空部隊や搭乗員に対する評価は地に落ちており、アメリカ軍公式の評価では「1944年夏までには日本軍は何処においてもアメリカ空軍に太刀打ちできない
本州ライダーさん達の「タイトル詐欺じゃんっ!」って声が聞こえてきそうですが、はい、その通りです。今回もちっこいバイクです☺️。しかしこれがなかなか軽いフットワークでして。ここ何年もモヤモヤしながら素通りしてきた場所も、ちっこいバイクなら気軽にすいすい入れた訳で。出ました!気軽なお出かけにはもってこいのイカす奴。カワサキの逸品KSR110です☺️。4速ミッションですがクラッチがありません。レバーもありませんので2輪車オートマ免許でも乗れますよ😃。このバイク、免許制度のグレーゾーンに堂々
みなさんは軍隊の「階級」ってよくわかりますか?戦争映画に限らず、映画やドラマを見ていると「中尉」だとか「軍曹」だとか出てくることが多いと思いますが、いったいそれがどのくらいの地位なのか気になったことってありません?今日は旧日本軍を例にしてその解説を。軍隊の階級は大きく分けて「士官」「下士官」「兵」の3つに分かれます(偉い順)。まずは「士官」から。下から順に、少尉・中尉・大尉(尉官)、少佐・中佐・大佐(佐官)、少将・中将・大将