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(前回「旧中山道:加納から新加納へ(後)」より続く)新加納を出て、中山道を鵜沼宿に向かいます。貞享二年の貝原益軒『岐蘇路の記』*に、各務野ひろさ三里四方有と云。但東西は三里ばかり。南北一里半程に見ゆ。此野に田畠なし。たゞ青草のみ生ず。享和二年の大田南畝『壬戌紀行』**に、此あたりより鵜沼までの間を各務野といふ。三里四面ありといふ。また、『木曽路名所圖會』(1805年)に、各務野新加納より東の方にあり。廣き野なり。此邊を三野の其一各務野と
2024年01月02日(火)最近、古民家を改修した宿に興味があり、そんな宿に宿泊したいと思いから「奈良井宿」に行くことに決めました。中山道沿いに、約1キロメートルにわたって江戸時代や明治時代の建築物が立ち並び、往時の面影を色濃く残す奈良井宿は、昭和53年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。「奈良井宿」は、中山道六十九次の中で、東海道と共有する草津・大津宿を抜いた純粋な中山道六十七宿中、奈良井宿は江戸側の板橋宿から数えても京側の守山宿から数えても34番目に位置する、中
▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼final廃業してしまった片流れの不動産屋国道17号線(首都高速中央環状線)のところで「きつね塚通り商店街」は終わっていたきつね塚の通りは当然、その先まで続いているが、常々僕が唱えている「広い道路は町を分断して結果として滅ばす」のとおり、その先には老舗っぽい酒屋が1軒残るだけで住宅街になってしまうあとは板橋駅まで行って、どこかで夕食を摂って帰りは高円寺にでも立ち寄って古着屋を回ろう…
「ミミズ」が御神体という神社があると言うことで長野県まで足を運んで見ました。カーナビを目的地にセットしたにもかかわらず神社は見つからず、近所を散歩している年配のおじさんに神社のありかを聞いても地元も人もいやぁ知らねえナアとか言われちゃって、あんまり知られてないのかと思います長野県長和町和田中組(旧和田村)の旧中山道沿いに「蚯蚓神社(きゅうせんじんじゃ)」という神社があります道路沿いの左側に、このようなミミズの石碑が立っていました
2017年12月9日醒井宿から鳥居本宿への中山道を歩くさわやかウォーキングに参加しています。醒井宿にある旧醒井郵便局舎にやってきました。1915年に建設されてから、1973年まで醒井郵便局として使用されていた木造2階建ての洋風建築です。ウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計に関わったそうです。ウィリアム・メレル・ヴォーリズといえば、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)を創立してメンソレータムを日本に普及させた実業家ですよね。1階は、休憩所として無料開放され
2018年4月28日さわやかウォーキングの続きです。奈良井の駅をスタートして奈良井宿で道草してましたが、中山道は、いよいよ鳥居峠に向けて山道に入っていきます。鳥居峠は、旧中山道の難所のひとつで、奈良井宿と藪原宿を結びます。峠の標高が1,197mなんだそうです。奈良井宿を抜けた中山道は、石の階段から山道に入っていきます。わっ、大勢いますね~最初は、皆さん意気込んでいます。中山道の石碑が時代を感じさせてくれます。途中に中山道鳥
江戸六地蔵とは・・・・・江戸時代(宝永~享保年間)に江戸市中との出入口各街道六箇所に造立された地蔵菩薩坐像で像高は何れも270センチ前後の大きなお地蔵さんです第一番「東海道」真言宗醍醐派海照山普門院品川寺・・・品川区南品川・・・1708年建立六地蔵の中で唯一頭上の傘が無い姿山門脇の銀杏は樹齢六百年と言われています独特の雰囲気を持つ本堂第二番「奥州街道」曹洞宗洞雲山東禅寺・・・台東区東浅草・・・1720年建立此方の本堂も独特の風貌をしています第三番「甲州街道
皆さんこんにちは!さて、NHKの連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』、今月から始まりましたね!仕掛人も、上白石萌音さん演じる「安子」に、朝から元気をもらっています。幸せも束の間、ストーリーは戦時中に入ってしまいました。これからの展開、どうなるのでしょうか?さて、今日は、そんな『カムカムエヴリバディ』でも登場した、滋賀県の「豊郷小学校旧校舎群」をご案内します。この建物、そうです、「安子」が、松村北斗さん演じる「稔」を見送りに行った「岡山駅」ですね!実は岡山県ではなく、滋賀
毎度ご訪問ありがとうございます前回の続き●新・旧軽井沢交差点17:50発周辺案内図を眺める真ん中が現在地右上の黄色〇が今回歩いた熊野神社の県境、途中まで下り坂にも関わらず50分かかってしまった案内図を見ると目的地の軽井沢駅まで残り1直線とあるが・・・右下が国道18号の県境、こちらは1年前に歩いた。県境の碓氷峠を越えてから、廃線跡や新幹線の線路を眺めて寄り道をしても、30分で軽井沢駅に着いた記憶がある※案内では「見晴台まで歩いて3.1キロ徒歩52分」とあるが