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(但馬国出石神社)■表記紀:天日槍記:天之日矛「古語拾遺」:天日鉾他に天日帆子など*都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)またの名于斯岐阿利叱智干岐(ウシキアリシチカンキ)を同神とする説も。■概要渡来神であり、元新羅王子であったとされます。これは記紀や「新撰姓氏録」にも記されること。本当に王子であったどうかは別として、概ね史実であろうと思っています。特記すべき点は以下の点であろうかと。・元新羅王子であったとされること・都怒我阿羅斯等と同神ではないかと考えられること
空港でご飯食べたら出国です荷物検査が激激激コミで脱出するのに30分以上かかりました急いでTAXリファンドして急いで新羅免税店(空港店)行って…って思ったけど前に海苔買ったお店がどこかわかんない1店舗沢山海苔売ってる所があるんですけど、そこのは見知らぬ銘柄で嫌なんです新羅カウンターで海苔売ってるお店の場所聞いたら11とか25に売ってると…11は詳細忘れたけど無くて25なんて行ったら地下だし売ってない聞いた意味時間無いのにあっちにウロウロこっちにウロウロで、
Hickey超訳・古事記35⬇️Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️『Hickey超訳・古事記《上つ巻》』Hickey超訳・古事記《上つ巻》まだ【Hickey超訳・古事記トリセツ】を読んでない人は下をクリックして御覧ください⬇️『Hickey超訳・古事記トリセ…ameblo.jpHickey超訳・古事記《中つ巻》⬇️もくじ⬇️『Hickey超訳・古事記《中つ巻》もくじ』Hickey超訳・古事記《中つ巻》もくじ東征〜熊野から吉野へまでの話が【Hickey超訳•古事記
2009年今からちょうど10年前私は、滋賀県にあるMIHOMUSEUMで美術品解説のボランティアをしたことがあります。ある時【ユーラシアの風新羅へ】という展示会があり学芸員さんに自分の先祖は韓国の貴族だったらしいからひょっとしたら私の先祖の埋葬品もあるかもしれないです。とお話ししたらご先祖様はヤンバン(日本で言う大名のこと)じゃないでしょうか?ヤンバンをご先祖にもつ方はけっこういらっしゃいますよ。と言われました。そこで私は家に帰って母親に家系
百済からの渡来人は従来からのヤマト政権と同族で、日本列島に到着すると直ぐに、政権側として振舞った。これに対し、新羅からの渡来人は東国を開拓しながら武士として心身を鍛錬し、平安末期ころから政権に進出し、ついに鎌倉幕府からの徳川幕府までの武家政権を樹立した。参考①山口、郷土のあゆみ(参考)平安時代から鎌倉時代にかけては、地方の武士団が台頭し、周防国では朝鮮半島の百済(くだら)の王族を祖と称する大内氏、長門国では厚東氏が、確固たる地位を確立していきました。室町時代に入ると、大内氏が、24代
ここウルサンから高速にのって40分、慶尚北道・慶州(キョンジュ)市。パクソジュン主演でドラマにもなった「ファラン」ですが…そもそもファラン(花郎)とは…1500年前、新羅が百済と高句麗を飲み込んで韓半島を統一した時に活躍したのが花郎徒という青年の団体で、花郎徒をまとめる優秀なリーダーを花郎といった。「イケメン親衛隊」というのは、あくまでドラマの設定のようです。そのファラン達が活躍した新羅の首都が現在のキョンジュです。そんな歴史の深いキョンジュ、リゾート目的でしか訪れた事
こんにちは昨日、また一つ年を重ねました・・・(2/14が誕生日でして)自分へのご褒美は来月渡韓を増やして2回に1回目は美活渡韓です(2回目も美活しますが・・・)美活渡韓の帰りに受け取りできるように新羅インターネット免税店でお買い物しました新羅インターネット免税店は、ポイントがたくさん貰えてお得です新羅インターネット免税店HP毎日ルーレッ
韓国ドラマ「花郎(ファラン)」の舞台は今から約1500年前の新羅です。ドラマセット場がある新羅ミレニアムパーク。ファラン達の居住空間である「仙門」ここで、みんな一緒に暮らして武術、剣術を磨いていたようです。(ドラマではダンスチックでしたが)清雲齊も良く出てきましたね。花郎公演場の入口は、ドラマに出てきた門かな~この公演場で「花郎の道」という馬上の武芸やスタントなどの武芸訓練を再現したショーをしているはずだったのですが、私たちが
【白村江の戦いの持つ意味】倭国にとって白村江の戦は七世紀後半の大きな転換点の一つだった。ひとつにはこの戦い以降半島内の倭国領土は完全になくなった。郭務悰ら唐の使節を受け入れざるをえなくなった。唐ないし新羅からの攻撃に対する防備を考えるようになった。白村江の敗戦によって倭国が受けたダメージがいかほどのものであったか、研究者によって解釈は大きく異なっている。【白村江の戦いの概要】天智紀元年(662)三月条に、「前將軍上毛野君稚子・間人連大蓋・中將軍巨勢神前臣譯語・三輪君根麻呂・
松原六社参り屯倉神社から約3キロちょっと位・・風の強い広めの道路を地図を持ちながらテクテク歩く。。途中、すれ違うタクシーに一瞬乗っちまおうか・・・楽だぞ。。と思うも、何となく-ここで乗ったら負け-って訳のわからんルールを自分自身に課してしまった1月7日(火)大風~こんばんわ味醂ですお昼も少し過ぎた頃、到着したのは再訪になる阿麻美許曽神社(あまみこそじんじゃ)前回の記事阿麻美許曽神社社標正面鳥居神門丁度、八日戎の宵宮でした御神木提灯が荒ぶっています風
鉄の王キム・スロ実在したという神話にまで登場する古代の英雄、鉄文明をリードした伽耶国の朝鮮半島初代王金首露を題材にした歴史ロマンドラマ↓↓以下、歴史実上のお話↓↓『古代、朝鮮半島南部(今の韓国)には、馬韓、辰韓、弁韓の3国があった。朝鮮半島北部(今の北朝鮮)には、高句麗があった。その後、馬韓→百済に。辰韓→新羅に。弁韓だけは→12個の小国が集まった狗耶クヤ国で→吸収され6個の小国の集まった伽耶カヤ国となる。当時の朝鮮半島は北を高句麗、東を新羅、西を百済
1934年の石仏「発見」青瓦台の「美男石仏」では、さらっと書いてしまったのだが、なぜ慶州から1912年に京城に持ち込まれていた石仏が、20年以上経った1934年になって「発見」されたと騒がれることになったのか。もう一度、3月28日付『京城日報』の発見部分の記述を見てみよう。時價にしたら五萬圓もするであろう、いや金では買へない慶州南山の美男石佛がいつの間にか逃避行と洒落たので、本府博物館ではその行方を躍起になって探していたが慶州からその足どりを追つてみると倭城台の總督官邸に安
善徳女王第62話最終回を観終わりました。ピダム…悲しい。トンマンまであと10歩…トンマンまであと1歩だけど永遠に超えられない1歩でした。ここで号泣ピダムの乱を鎮圧したものピダムに寄り添うように倒れたまま三日後ユシンと共に新羅の国土をみながらトンマンは息を引き取り物語は終わりました。観終わった感想は、『トンマンひど過ぎ!!』『トンマンは、結局、ピダムとユシンどちらを愛していたの?』とまあ、トンマンへの怒りにも似た感情ばかり。正直、最初から好きになれないヒロイ
時代は韓国歴史ドラマ『薯童謠(ソドンヨ)』を観ています2005~2006年/イ・ビョンホン監督時代は百済第27代威徳王百済は新羅に圧迫されその対抗の為に倭国にも同盟を求め先代王の聖明王が欽明天皇に仏教経典を伝えた頃ですこのドラマはだいぶ前に東京の家で観た記憶があるのですがあの頃はまだビデオを借りたと思いますかなりの長編ですが面白くて足繁くビデオ屋さんに通いましたさてあらすじ・・百済の太学舎(国営の最高技術舎)のモンナス博士に従うメンバーは反政権に追わ