ブログ記事244件
「山中一揆」とは、江戸時代の中期1726(享保一一)年に美作国津山藩領で起こった大規模な農民一揆のことです。山中の範囲は、藩領西部の真島郡(現在の美甘村、新庄村)及び大庭郡(湯原町、八束村)を指し、域内には山中一揆の史跡が点在しており、地域の人たちによって大切に守られています。米子自動車道湯原インターチェンジから国道313号(美作街道)経由で中国勝山方面に約5分。義民の丘には「山中一揆義民之碑」があり、その隣には処刑された51名の慰霊碑があります。義民堂の中には自然石
(グイド・レーニ作と伝えられるベアトリーチェ・チェンチの肖像ローマバルベリーニ国立絵画館)1599年9月1日、ローマのサンダンジェロ(聖天使)橋広場には大勢の人々賀集まっていた。(サンタンジェロ城)22歳の名門貴族の娘、ベアトリーチェ・チェンチの処刑を見るためである。だが、どうみてもら少女にしか見えないそのあどけなさとは裏腹に罪状は『父親殺し』。では彼女はなぜ父親を殺してしまったのでしょうかベアトリーチェ・チェンチは名門貴族のフランチェスコ・チェンチとエルシリア・サンタクローチ
首級とは初っ端から穏やかならぬ言葉ですね・・・。「麒麟が来る」の休止中に放送されている大河ドラマスペシャルも非常に興味深く見させていただいてはおりますが多くの方の大河評に対して一つ言いたいことがあるのですが「戦国が面白い」というフレーズをよく聞きます。しかしながら私は「戦国だけがおもいろいわけではない」と声を大にして言いたいです。「そうだ!幕末だって面白い」という方もおられるでしょう。しかし私は「他の時代だって面白いんだ」と言いたいですね。誤解のないように・・・、戦国も面
皆さんは、村山たかという幕末を生きた女性をご存知だろうか?彼女にはもう1つ名前があって、別名を可寿江(かずえ)とも言うが、一見この地味な名前の女性が、いったいどうした人生を送ったのか・・・・・。彼女の生まれは、いろいろと語られていて、実際のところ私にもよくわかりませんでした。父母の事もあまりちゃんとした事柄が、残されてもいないようで、強いて言えば・・・・。彼女の育ったのが、近江国・・・・現在の滋賀県にある多賀神社であったという事。幕末にはまだ寺社が一緒に