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早期退院に向けて、娘のカロリーアップが進んだ。これまでは、3日完食でカロリーアップをしていたところ、2日完食に変更された。さらには栄養補助飲料が追加された。これは一本で200kcalもある。娘は、この栄養補助飲料を飲むことを非常に嫌がっていた。味は美味しくないし、食べ物以外でカロリーを摂ることを娘は異常に嫌っていた。だが、早期退院をしたい、という強い想いから、無理矢理飲んでいた。だが、いくら退院するためと言っても、心のケアをしていない身体での、この食事は、娘にとって相当辛かっただ
発達障害の病理学だと思って買ったんだけど発達段階(発達課題)の本でした。笑せっかくだから読んでるけどわたしは心配症な親の自覚があります。わたしみたいな親だと自我が確立して以降子供たちはわたしが鬱陶しくなって自分から離れていくと思うしそれでいい、どんどん離れて行ってほしい。私も子離れできるように学校通ったり資格取得とかやってるんですね。夫の母親、私からすると義母なんですが彼女も過保護だと思うけど
娘の推薦入試日まで2ヶ月を切っていた。お医者様からは、内科では規定体重となった時点で終了となり、その後は精神科に転科する流れになる、と伝えられた。(救急で運ばれたときは摂食障害とはわからなかったので内科に入院しました)規定体重になるためには、今の食事の進め方だと最低でも3ヶ月以上はかかる、とも伝えられた。つまり、完全に推薦入試に間に合わない…ということ。娘の食事は、3日間完食するとカロリーアップする、という方法だった。娘は順調にカロリーアップをして行ったのだが、この進め方だと規定体重
入院し、初めて前向きになれた日。私は久しぶりに熟睡した。でも、相変わらず食事はほとんど採れていなかった。翌日の面会。私も娘も主人も明るい気持ちだった。娘とは、ニコニコしながら話したっけな。だけど、そんなひとときの幸せもあっけなく壊れたんだ。それは医師が設けた面談でのこと。今回の面談は精神科の医師のみだった。私は、精神科に入院することを全く同意していないのにも関わらず、なぜか精神科への転科の話だった。この面談内容は、ショックで私の意識が朦朧としていたため、覚書ノートにも記入がさ
推薦入試のために1月初旬には退院するつもりの母娘。一方、お医者様は同時期に精神科に転科させるご意向だった。今想うと、本当に無謀だった。だって、病院食以外の食べ物は禁止だったのだから、どう考えても1月初旬に規定体重になることは不可能だったのだ。でも、私たちは絶対に可能にするって信じ込んでいた。とある日、お医者様から、今後の治療方針を精神科の医師を交えて相談したい、という打診があった。その頃の私は、病院に対して負の感情しかなかったことと、前回の面談で倒れてしまったことのトラウマがあったの
摂食障害を手放して急なランチも喜べる私になる摂食障害克服サポーター田尾道です。*田尾道について*○自己紹介ー私の20年の摂食障害公式LINEでプレゼント中!プレゼント受け取りはコチラ▶︎https://lin.ee/r7bkWoQ毎日のように過食しているあなたは『退屈だから、過食してる』そんな風に思っていませんか?毎日、惰性のように過食する理由が『他にすることがないから』『ヒマだから』という方
私の意識が回復したとき、主人とお医者様が側にいた。私は第一声に「〇〇(娘の名前)の側に誰もいない!早く〇〇の所に行って!〇〇が心配しちゃう!」と言った。主人が「わかった!」と言って病室から出ていこうとすると、お医者様が「お母さんの状態の方がよっぽど危険です。お父さんはここにいて見張っていて下さい。」とおっしゃった。私は「私は大丈夫です。じゃあ私が行きます!」と言って起き上がろうとするのだが、身体が全く動かなかったんだよね。私は「お願いだから〇〇の所に行って!〇〇を心配させたらダメなんだっ
主人と私は、医師が戻ってくるのを悶々としながら待った。私は「こんなこと、娘が耐えられるはずない。でも他に娘を診てくれる所があるの?それとも退院して自宅療養する?でもそんなことできる?一体、私はどうしたら良いの?」と、答えのない質問を繰り返していた。地獄の時間を過ごすこと数分…医師たちが私達の元へやって来た。当時の私の目には、医師たちが「自分たちのすることは全て正しいこと。間違っているのはお母さん、あなたですよ。」と言っているように見えていたんだ。もう、こう感じてしまっていたら、医師たち
夕ご飯の時間になった。私は恐る恐る病室に入った。娘は落ち着いた様子だった。そして「もう絶対に運動はしない。お母さんがいなくても、お昼ご飯は完食したよ。ごめんね。」と言ってくれた。私は嬉しくて嬉しくて泣いてしまった。やっぱり、娘を信じようって。絶対に信じるって決めたんだ。そうしたら、娘は入院中は一切の運動を止めた。これは、後から学んでわかったことだが、私のマインドが「娘を信じる」に変わったことで、現実が変わった、ということ。つまり、このとき私が(どうせ、またこの子は私を裏切るだろう
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★南瓜(かぼちゃ)といいます。21歳。摂食障害歴、約7年。拒食4ヶ月→非嘔吐過食3年半→過食嘔吐3年55kg→35kg→64kg→35kg→?←now過食嘔吐克服を目指しています。現在過食嘔吐なし32日目。回復期?非嘔吐過食気味で、2,500〜5,000kcal以上摂る日々が続いていて体重が増え続けています。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★朝ご飯抹茶プリンアラモード245kcalあとベーコンポテトチーズコロッケとミルクテ
私から見た入院した娘は、ホッとしているような、諦めているような…そんな印象だった。私も娘も入院に至った理由はわかっているのに、お互いそこには触れないように、触れないように慎重になっている、そんな感じだったな。娘はとにかく「お腹が空いた」と言っていた。食事が始まったのは入院四日目。まずはヨーグルトだけだった。娘は「美味しい、美味しい。」と感動して食べていた。それを見た私は、娘が食べることの大切さ、幸せを、この入院で想いだして、摂食障害も治るだろうな、なんて都合の良い解釈をしていたっけな
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★南瓜(かぼちゃ)といいます。21歳。摂食障害歴、約7年。拒食4ヶ月→非嘔吐過食3年半→過食嘔吐3年55kg→35kg→64kg→35kg→?←now過食嘔吐克服を目指しています。現在過食嘔吐なし29日目。回復期?非嘔吐過食気味で、2,500〜5,000kcal以上摂る日々が続いていて体重が増え続けています。★★★★★★★★★★★★★★★★★★★薬飲まなかったため全く寝てない。夜中〜朝にかけてインスタント飲料飲んだ。朝ご飯にきな粉
筋トレはしないでね、と伝えたのに、それをいとも簡単に破ってしまった娘。私はショックだった。悲しかった。もしかすると憎しみを感じたかもしれない…。主治医と精神科の医師により、娘に対して昨晩の行動についてのヒアリングが行われた。私は同席する勇気がなかった。娘が責められているのを(先生たちは責めていないけれど、当時の私には「責めている」としか捉えられなかった。)見たくなかったんだ。先生たちが娘にどう伝えたのかはわからない。でも、娘がショック状態に陥っているだろう、ということは容易に想像
朝ごはんに、ほうれん草入キムチーズ炒め丼とわかめスープをいただきました。約500kcal友達から、不二家のミルキーをもらっていただきました。約15kcalおやつに、栄屋乳業のアンデイコモンブランアイスバーをいただきました🌰295kcalお昼ご飯に、明治亭のヒレソースかつ丼をいただきました。カロリーは分かりません。約600kcalデザートに、千登勢の桜餅をいただきました。カロリーは分かりません。約300kcalおやつに、梅月の姉妹店のジェラテリア旬の塩羊羹をいただきま
このブログは中学3年生で拒食症になった娘のことを振り返りながら書いています。娘は高1の5月に体重は回復し、一時は高校生活を送っていましたが、高1の12月から再び拒食症の渦に飲み込まれ、さらにさらに体重減少。高2の5月、体重減少から意識障害で救急搬送され、3か月入院し、8月に退院しました。高2の8月退院後、体重は増減しながらあまり変わらず高校3年を過ごしました。退院後の高2の秋にコーチ史子さんに出会い、私は拒食症のこと克服手法を学びました。娘は大学生になり、拒食症をどんどん手放しはじめま
※※こちらは、2022年の年末の出来事を書かせていただいています※※食べ物を隠すようになった娘。これはどんどんエスカレートして行った。私の目の行き届かないときに、食べ物を咀嚼してコップなどに吐き出すという、チューニングも始まった。娘の部屋に入ると、何だか嫌な匂いがする…ことから、このチューニングが発覚した。私は娘を張り倒し、泣き喚き、家から出て行け!なぜ親を苦しめるんだ!など、ここでは書くことも阻まれることを娘にぶつけていた。娘だって、泣いて、謝って、もう絶対しない!というのだが、数
母娘1泊2日の弾丸旅行で、広島県に、行ってきた際のコストコ遠征🛒購入品紹介の、続きで〜す私の住む地域では、購入出来ないレア商品の2商品目です淡路島産牛乳パウンドケーキ総重量470g(容器込)内容量60g~75g(2切れ)×6袋入り容器35gくらいお値段598円(税込)中身は、こんな感じ〜個包装になっていて、2カット入りで、6袋。入っていました。スポンジは、みっちりギュッと詰まっている感じで、かなり、たまご感を感じる、黄色味をしていますそ
※※こちらは、2022年の年末の出来事を書かせていただいています※※病院に到着すると、すぐさまコロナの検査がありました。娘が運ばれたときは、コロナが始まって3年目だったので、規制は緩んでいました。今思うと、コロナ真っ只中でなくて良かった…。もしそうだったら、付き添いも不可能だっただろうから。そして、点滴、血液検査、問診の流れでした。まず、先生が、私が血だらけだったことに驚き、どうしたのかを聴いてくださいました。先生がおっしゃるには、人が気を失って歯を食いしばった時は、絶対に指を入れて
憧れの高校生にさせてあげたい気持ち入院をして完治させ、娘の心を楽にさせてあげたい気持ち精神科の入院に、娘の心は耐えられるのだろうかという気持ち私の頭はこれらのことで占められていた。どのみち、今回の入院は長引くので、精神科の入院については追って考えましょうと、医師からは告げられた。つまり、病院側から「高校を諦めてください」という印籠を渡されたって感じ。娘の状態は、というと、食事を生き生きと食べていて、表情もとても明るくなっていた。だから私は希望を持っちゃったんだよね。「いける!」っ
※※こちらは、2022年の年末の出来事を書かせていただいています※※思い出すと、今でも恐怖が湧き上がってくる。娘が倒れた日。当時、娘は中学3年生。その日は推薦を取りたいと思っている高校の学校説明会だった。私が出かける準備をしていたとき、かすかに嫌な臭いが鼻をかすめた。「ある」そう確信した。私は犬のように臭いのする周辺を嗅ぎ、それを見つけた。それは、計量カップに入った、咀嚼された食べ物。それは、計量カップいっぱいに入っていた。公園の桜が満開でした♡私はそれを持ち、娘の所へ言っ
現在の娘寛解に近い状態だと思いますただ時々摂食障害が見え隠れしドキッとすることも旅行の初日嬉しそうに「私ね少し痩せたんだよ~」え?痩せたの?…( ̄▽ ̄;)…痩せるって言葉に一気に押し寄せる不安落ち着いて話を聞くと今年初めからの過食期で2か月で7kg増生理が順調になってから過食は収まり、普通の食事量で満足できるようになり自然に体重が減ったとのこと拒食は過食を引き起こす
精神的なショックと、食事を思うように採っていなかったことによるエネルギー不足から、倒れてしまった私。ただ、耳だけは機能していたようで、看護師さんたちの「〇〇ちゃんのママ!」「先生呼んで!」「バイタル!」という緊迫した声は聞こえていた。そのとき私は2つの感情を感じていた。1つは「私が倒れている場合じゃない!何やってるんだ!だらしない!目を覚ませ!!」そしてもう1つは「これで、しばらく娘と離れられる理由ができた。」というホッとした気持ち。この相反する感情だった。私の気持ちも限界だったんだ
今日ゎじぃちゃんとばぁちゃんの月命日じぃちゃんばぁちゃんゴメン姫迷子になってる誰か探しに来てぇじぃちゃんばぁちゃん逢いたいよぅショコラ元気(´・ω・`)?逢いたい早く姫のところに返して欲しい姫がんばらななぁショコラよろしく😃✌️
また行ってきたーー!門前払いくらう覚悟で行ったらとにかくひとが多くて(T^T)待ってる間にしんどさMAX!!!!!椅子でダウンしてたら看護師さん気づいてくれてベッドで待たせてくれた!!!やっと呼ばれて!「お待たせしてごめんなさい!」って言われていえいえですよと!!!はやく追い返してくださいなって根性でいたらなんと追い返されなくて!!!!いろいろ聞かれたあとお腹診てもらって「いまから検査しましょう!」っていわれた!!!採血、検尿とかいうからはいはいっておもって
過食嘔吐は本当に色んな悩みが重なってる。自分自身のこと、ストレス溜めて過食嘔吐するっていう行動自体もだし、過食費がかかりすぎて金銭面にも常に不安があること、その他色んなデメリット挙げればキリないくらい。もう、色々ありすぎて何から解決していいのか分からなさ過ぎてまたそれに対してイライラや落ち込みが増して、その結果、考えたくなくてまた過食嘔吐するっていう負のループをグルグル。何が一番悩みだったかは数え上げればキリないから一番っていうのは甲乙つけがたいけど、常に悩ん
摂食障害を手放して急なランチも喜べる私になる摂食障害克服サポーター田尾道です。*田尾道について*○自己紹介ー私の20年の摂食障害私が主宰する摂食障害克服のグループサポートがスタートして3ヶ月目になりましたそれまではマンツーマンの摂食障害克服サポートをメインでやってきたんだけど私自身の自助グループに通った過去や学びや癒しのグループ講座を受ける中でマンツーマンとは違う摂食障害の克服のカタチを作
看護師さんとお話しをしても、気が晴れるどころか、ますます疑念が膨らみ、ますます気分が落ち込んでいった。ともかく、夕ご飯までの4〜5時間を待合室で過ごした。そして、夕ご飯の時間。恐る恐る病室に入った。娘はすでにご飯を食べていた!あんなに落ちこんでいたのに、食べている!私はその姿を見て感動をしたんだ。やっぱり娘は大丈夫だって。娘は「早く家に帰りたいし、高校にも行きたいから…すごくすごく辛いけどやる。」って言ってくれたんだ。嬉しかった。「ほら、やっぱり娘は大丈夫でしょ!!」そう医
コロナ禍はドラマをよく見ていましたが、久しぶりに韓ドラを見ました韓国旅行から韓国ずいてる🤭🤭スカイキャッスルこのドラマ、親が子供の学歴の為にあれこれ手を尽くすドラマです。「ソウル医大が一番!」という価値観のもと、祖父母世代から受け継がれている強烈な価値観受験、学歴社会に対して一石を投じているドラマでした。豪華な舞台も見ていて面白かったです最後のフレーズだけ少し、、、
摂食障害や醜形恐怖症、外見ばかりにとらわれて生きている人は、華やかなルックスの人に憧れる傾向が強いです。美しさというのは、派手派手しさで表せるものではないのですが、外見を気にする人は、ものごとのうわべにとらわれてしまうので、どうしても、「目が大きい」とか「足が細い」とか、露出度の高いファッションとかに注目しがちです。私も若いころ華やかな人に目がいくタイプでした。私が20代のときに皇室の清子さまという女性が結婚をしました。彼女の結婚式はテレビで一部放送されたのですが、ドレスも
ご覧頂きありがとうございます😊✨✨家族の食卓に笑顔を取り戻すハッピーマインドカウンセリング摂食障害の娘を支えるママ専門カウンセラー\平本まいです/只今「摂食障害のお嬢様との未来を叶えるワーク」「摂食障害の娘のママに希望を与えるワーク」「課題の分離」の具体的方法(pdf)newを公式ラインより無料プレゼント中です👇こちらをポチッとして下さい❣️https://li