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1部はリアルタイムで、2部はアーカイブで見ましたが、おもしろかったですよーあっという間の40分(くらい?)でした。もとは清水邦夫さんの名戯曲「楽屋」。これは日本一上演されている戯曲なんですって(ウィキより)。なので、うん、たぶんどこかで観ていると思いましたさすが繊細で奥が深い戯曲キャストはこちらの4人。ちゃんともさんはめっちゃお久しぶり~でした!1.2部でキャストシャッフルしているのですが、分かりやすいので1部のキャストでお話しますね。※今回ちょっとネタバレしてます楽屋の鏡前。女優A
フォーレシシリエンヌ無料楽譜ダウンロードFaure-Sicilienne,Op.78(freepianosheet)www.allpianoscores.com戯曲が古い日本語書体で書かれてあったので読みやすく修正してブログに載せた『ペレアスとメリザンド1話』ここは美しい森と泉をたたえたアルモンド国。この国で起きたお后と父親違いの兄弟の王子達の悲恋の物語のはじまりです。1章1、結婚…ameblo.jp
六蔵です。「誰も知らない歴史」で六蔵役を演ずる役者です。さてこの度プラチナネクストで上演する「加藤道夫戯曲三選」、そもそも加藤道夫という70年前に35歳で早逝された劇作家について、我々メンバーはほとんど知らない。代表作の「なよたけ」ですら完全上演されたのは、作者死後のこと。しかし、昨年文学座3月アトリエの会にて「挿話(エピソオド)」が上演され、演出の的早孝起さんが光を当てたことにより、文学座の財産であることが改めて認識されました。偉そうなことを申し上げるつもりはありませんが、今回の我々の公
今までに何本の戯曲を書いてきたか数えたことはないが、まあ、たくさん書いてきたと思う。どのようにして戯曲を書くか?そのような質問をよく受けるし、その問いに何とか答えようと自分なりのその考えを述べてきた。そういう考えをまとめた「I-note〜演技と劇作の実践ノート」(論創社)という本も出版した。しかし、その本はいくつかの章に分けて戯曲創作の考え方を示した内容で、必ずしも具体的な戯曲創作のノウハウを語る本ではない。まあ、戯曲に限らず、およそすべての創作は数学の数式のように教示できるものではない点がや
欲を孕んだ紫色の感情はどこまでも膨らみ若さに任せた「あの頃」とは違い執拗いくらいに奏でる戯曲はふたりが溺れ堕ちていく今宵限りの快楽のタクトーblue-jazzー
⛩️闇に咲く花⛩️健太郎の最後のセリフ僕は正気です。をきいていたら、父が本当に言いたい事が伝わってきました。皆が一人一人、正気でいようと様々な都合の悪いことから逃げださず、この戯曲を書いた36年前からそう言いたかったんだねって。
六蔵です。「誰も知らない歴史」で六蔵爺やを演ずる役者です。今回加藤道夫さんの戯曲から3つを選んでプラチナネクストで上演します。作品を選んだのは文学座演出部の的早孝起さん。では加藤道夫の作品群をここでご紹介します。おもな作品(Wikipediaより)戯曲・放送劇なよたけ(三田文学1946年5月-10月。執筆は1944年)挿話(悲劇喜劇1948年10月)天邪鬼(少年少女1949年)誰も知らない歴史(日本演劇1949年)こよなき歌〈LaBonneChanson〉(
皆さんは論創社という会社をご存知でしょうか?名前から想像すると堅物そうですよね(笑)論創社は約半世紀にわたって本を作っている会社です。論創社の森下社長の(多分)親友は私の後ろ盾のような人という繋がりで私が拙著「ゴジラのトランク」を世に出したかった時に紹介してもらった方です。「ゴジラのトランク」はいろんな理由から宝島社から出したので、森下社長とは仕事出来ませんでした。私は大好きな人とは仕事がしたくなる性質です。「ゴジラのトランク」以後、いつか森下社長と仕事をするのが
2015年の英BBC製作のテレビ映画です🇬🇧原作はイギリスの劇作家J・B・プリーストリーの同名戯曲です。監督はアシュリング・ウォルシュ。1912年のある夜。バーリング家では長女シーラ(クロエ・ピリー)とバーリング家とライバル関係にあるクロフト家の息子ジェラルド(カイル・ソーラー)の婚約を祝う食事会が行なわれていた。地方出身だが事業で成功した父アーサー(ケン・ストット)、上流階級出身で特権意識の強い母シビル(ミランダ・リチャードソン)、そして酒飲みで頼りない弟エリック(フィン・コール)も
全譯『大方廣佛華嚴經』巻上(江部鴨村著,昭和9年)序15〜17頁華厳経の表現華厳経の表現には著目すべき幾多の特色が見出される。今そのうちの主なるものに就て少しく述べて見よう。第一に華厳経は全体として芸術的表現の形式を取っている。結構からが七処八会という戯曲的構造である。もっとも戯曲的構造による経典は華厳経のみではなく、他に法華経•維摩経等の類例があり、表現の芸術的なのもひとり華厳経のみではなく、他の大乗経典の多くも同じように芸術的なのであるが、華厳経が量において質において嶄然
「赦さるる事の少なき者は、その愛する事もまた少し」(ルカ伝7章)自分自身に罪の意識のない者は薄情だ、罪深きものは愛情深い『冬の花火』のテーマです。一度あやまちを犯した女性は優しい、太宰治はこう思って『冬の花火』を書いたそうです。自分の感覚ですけど、「一度のあやまち」、「女性」っていうところで、分かる気がします。あやまちをおかす時の気持ちと、あやまちをおかしてしまった後の気持ちが分かるんじゃないかなと思うから。「一度の」という部分で、おかしたくなかったけれど不幸な状況
作詞作曲まふまふ曇天(どんてん)を揺(ゆ)らす警鐘(けいしょう)と拡声器(かくせいき)ざらついた共感覚(きょうかんかく)泣(な)き寝入(ねい)りの合法(ごうほう)倫理(りんり)事(こと)なかれの大衆心理(たいしゅうしんり)昨夜(ゆうべ)の遺体(いたい)は狙(ねら)い通(どお)り誰(だれ)かが持(も)ち去(さ)っていった砂風味(すなふうみ)の黄金林檎(おうごんりんご)廃墟(はいきょ)になった街(まち)
全譯『大方廣佛華嚴經』巻上(江部鴨村訳,昭和9年)序20〜22頁華厳経の結構華厳経がその結構の雄大な点において他経に冠絶していることは今更繰返すまでもないことである。今、六十華厳についてその結構の大略を述べて見よう。華厳経を戯曲的に見ればそれは八幕八場(七処八会)から成る一篇の大戯曲と言って可(よ)い。事実、華厳経はその構図があくまで戯曲的で、一幕ごとに場処が変わり、そこに色んな人物が上場して演説したり、歌ったり、踊ったりして見せるのである。その構図の戯曲的な点では、しかし前述