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日頃、息子のヘアカットはずっと私がしていますハサミでチョキチョキシャギーバサミも使いながら…お得意のTheテキトーカットある日、訪問入浴のドライバーさんが「2ブロックにしたら、かっこいいんちゃうん!」と。その方(おじさん)はいつもシャンプー後のドライヤーをしてくれています。それが、いつもカッコよく仕上げてくれるのですそのことを伝えた流れから...そう言ってくれましたそして、
車椅子の変遷を書いていきますね。車椅子に初めて乗れたのは2020年夏倒れてから2年が経っていました。初めての在宅当初は家に帰れただけでうれしいベッドの次、なんて考えらえる状態ではありませんでした。その後、何度も命を脅かせながらようやく落ち着いてきたころ外の空気に触れさせてあげたい!そう思うようになりました。そして、ウッドデッキを作りました。完成当初現在お庭を改造し、外から見えにくくしました
今年1月20日、左右両方の脳出血で倒れ、緊急手術をした父。開頭手術をし、頭蓋骨はお腹の脂肪のなかに入れた。2月19日、お腹のなかに入れていた頭蓋骨を取り出し、頭に戻す手術をおこなった。もう1ヶ月もたつんだ。術前の頭は、べこっとへこんでいて違和感ある頭でした。もとに戻るんだ、嬉しい。術後、またも包帯ぐるぐる巻きの頭。そして、4-5日間は顔も腫れあがった。これまで健康で手術の経験がなかった父、この1ヶ月で、頭を2回、お腹も20㎝ほどを2回きり、気管切開、肺、と、大変な1ヶ月を送った。体力
今までの移動手段状態によって、変わって行きました。今も進行形です。最初の退院看取り覚悟の退院でした。帰りは病院が頼んでくれた介護タクシーストレッチャー付きです。事前に病院に家の写真を撮って見せています。出入口。息子の出入りは、吐き出し窓からとなりました。玄関からだと曲がるところが多くて💦吐き出し窓だと、そのままベッドがあるリビングに入れます。ただ、結構な段差。踏み台を置きました。移動に
自宅に帰り、床には着いたが、妻の事が心配で正直あまり眠れなかった。気が付いたら朝になっており、食欲は無かったが、私が倒れてはいけないので、適当に胃の中に詰め込み、病院へ行く準備をしていた。その時、携帯の着信音が鳴り響いた。画面を見ると、病院からだった。直ぐに電話に出ると、女性の声がして、「もしもし、少年Hさんの電話ですか?」「はい。」「近くにお住いのご家族の方は、Hさんだけですか?」「そうですが。」「分かりました。それでは直ぐに来
息子の体の動きのことを書こうと思います。当時はコロナとかなく、面会も制限がなかったので付き添える限り、ずっとそばにいることができました。最初は全然動きませんでした。目も開きません。薄目が開いているような感じもします。弛緩麻痺なので、だらんとしています。拘縮は全くありません。マリオネットのような感じ...かな。そういう表現をあまりしたくはないけれど...そんな息子でしたが2か月ほどして、右親指がぴくぴく動きました。ずっと傍らにいないと見逃がしそうなかすかな動きです。
ご訪問ありがとうございます母が危ない状況なので今のうちにと特別に面会が許されて、子どもたちが1人ずつ面会に行きましたが...続きです。前回の話はこちら⬇️『なんだか...』ご訪問ありがとうございます母の容体を気にしながらも無事に義母の葬儀に参列することができた私たちでした。続きです。前回の話はこちら⬇️『義母の葬儀』ご訪問ありが…ameblo.jp面会が許された話しはこちら⬇️『危険な状態』ご訪問ありがとうございます意識不明だった母ですが、娘の呼びかけの甲斐あって、何とか意識を
「むずかしい」といわれる算命学を四コマ漫画で楽しく学ぶ♪美猫のブログにようこそ♪フワちゃんは海外に行った方がいいなと思う理由フワちゃん4月から海外移住発表「まず最初はアメリカ」仕事は「日本と行き来しながら変わらず」3/17(日)19:41配信Yahoo!ニュースということで、フワちゃんである。以前、フワちゃんの命式観たときに、「なるほどー」って思ったことをうっすら記憶していた改めて今日観て確信した。「このひとは、いわゆる奇人で
チェーンケースごと、持ち歩いてて良かった。アトリエに着き、ドアを開けるとカーテンがしっかり引いてあって、暗い。それでも「智くんっ!」電気をつけて部屋に入ったけど、やはり彼の姿はない。ちょっと買い物に出掛けた感じではないな。松本や、相葉みたいに久々に、友人に会っているのかも知れないが、何となく大きな仕事を終わったばかりの彼が、すぐに人に会うのは考えられなかった。考えられるのは、まさかまだホテルに居るのかも……〜O_oO〜_oO_〜oO_o〜「すみません、
「むずかしい」といわれる算命学を四コマ漫画で楽しく学ぶ♪美猫のブログにようこそ♪「意識不明で入院」の真木よう子が心配な件ここのところ、不安定な言動がたびたび炎上騒ぎを起こしていた女優の真木よう子が、自身のInstagramで、「意識不明で入院した」と投稿。SNSをざわつかせている3/9(土)16:44配信Yahoo!ニュースということで、SNSがざわついているようです・・・。自身のInstagramの投稿をモノマネされて「意識不明で入院」となったらしい。
お陰様で、息子の体調もほぼ元通りになりましたただ、明日からのお泊りはキャンセルしました。これに関しては、私自身どうしても行かせたい!と言うわけではないのでよかったのですが他にも息子に是非!と楽しみにしていたケアをキャンセルしたりいろいろ予定が変わりましたそんな中、なんとか体調が間に合ったのがヨミトリ君プロジェクト息子がやりたくて仕方ないことなのでそこに合わせたかのような気がしています(;'∀')
一般病棟に移ってから2日後、医師から説明があった。最近撮った術後の脳の画像。腫れは落ち着いてきていたし、中心位置も戻ってきていた。意識不明のことについては、今後、目を開けてくれるかどうか…。倒れた日の説明では、片麻痺、失語などの可能性を話されていたし、家族も質問していた。ただし意識回復が目標だと。今回は、失語や片麻痺の言葉は誰からもでなかった。気管切開の話になる。私の気持ち、今の人工呼吸器がついた状態で目も開かない父。気管切開をして、この状態で生かされていくのはどうなのか…。医師に話
3/7に最初の介護認定を受け、その後再申請をした結果が4/17に届いた。結果は、初回結果と変わらず。要介護4私達家族は、介護認定結果を要介護5だと予測していた。理由は、父は意識不明で認知能力、身体能力がないからだ。そこから、家族が理解できる理由を見つけたくて、インターネットで厚生労働省の資料を見ると、父の場合は、食事の介助時間はないので、そういった理由なのだと理解ができました。介護認定結果について、少しの説明文章や、説明を聞ける機会があるといいのにと感じました。これまでの人生にまった
【4/19救急病院救命救急センターに入院】意識障害、39℃を超える高熱、時々手足の痙攣、顔の不随意運動が見られ、刺激に対しての反応がない。神経内科の先生から説明がある。『脳のCTとMRI検査では、異常は見られなかった。全身のCT検査で、右卵巣に腫瘍が認められた。精神症状から意識障害に移行したことなどから、自己免疫性脳炎(抗NMDA受容体脳炎)という病気を考えている。治療方法は腫瘍の切除と免疫療法(免疫グロブリン大量療法、ステロイドパルス療法)になる』→若年女性が多い、自己免疫性脳炎(抗NM
〜2022年10月5日〜4時55分母に最後のラインを送ってから私の心臓は止まった早朝で、産婦人科の先生はベテランの人が1名、新人が1名のみ助産師さん、看護師さんたちも必死に蘇生の為に動いてくれたそうだ私の心臓は停止から12分後に再開した心肺停止から1分以内に蘇生されれば95%救命されるが、5分経過すると救命率は25%になり、8分が経過すると救命の可能性は極めて低くなる。そんな中、奇跡だったしかし、心拍再開しても娘はお腹の中、私の出血も止まらない帝王切開は母体優先で
昨日は楽し過ぎて、はしゃぎ過ぎて今日は意識不明でした……🌀🌀ふふふLove💞chocomakofishing
今日は節分ですね。恵方巻きを買おうとスーパーへいったけど、結構お高くて結局買わずに帰ってきました。代わりにまるごとバナナを買ってきた(私はまるごとイチゴです)形状似てないですか??北北西(あってる?)向いて黙ってたべよ。かなりテキトウな母ですーーーーーーーー気になっていたこと。昨日娘に聞いてみた。娘は(息子も)お葬式でも、その前も、その後も、全然泣いたりしていなかった。私が泣かないから?(うるっとすることは何度もあったけど…泣けない)「お母さん、お父さんの借金の話
ご訪問ありがとうございます母が危ないからと面会が許された日の夜、夫にも夫の母が危篤だと連絡が入り、夫はあわてて義母の病院に向かいました。私は祈る思いで夫からの連絡を待ちました。続きです。前回の話はこちら⬇️『義母も危篤』ご訪問ありがとうがざいます意識不明で危険な状況のため、特別に面会が許された私でしたが、涙に暮れて行ってみると、母は意識が朝からもどっていて、私と少しですが会話…ameblo.jpしばらくして夫からラインが入った。👱🏻♂️「待っていてくれました」👩🏻「お母様は?!」
私に息子の身元確認の連絡が来て、昨日で1ヶ月。年末に息子はお財布を落として、その中には免許証、保険証など入っていたので、届け出はしてあるけれど、再発行した保険証は家に置いていた。だから住所もわからず。。。。私と次男が病院へ着き、緊急手術が終わるのを待って、先生の話を聞いた。その日は息子には会えず。先生の話を聞いた後、病院には刑事がいて警察署へ連れて行かれた。意識不明で発見された為に事情聴取などで、6時間警察にいる事となってしまった。次の日、まさに1ヶ月前のこの時間。急変の連絡が病院から入った
ご覧いただきありがとうございます。3月13日残りの左目の緑内障白内障手術をしました。今回は、出血も少なくて、早くから元気な入院生活でしたただ、手術は、麻酔が効かなくて、いたーーーい!と先生に、叫んでしまいました笑退院し数日後、関西の実家にいる義姉が、孤独死しているのが、発見され、びっくり旦那と隣の県の息子が行くことになり、バタバタバタバタ💦💦💦義姉と私の関係は、ちょっと訳ありで。。我が家との付き合いは、ほぼありません。(後日説明しますね)よく朝方、吐き気で目覚めた私吐くと思い
主人は昨年2月にくも膜下出血を起こし手術してから二回急変しています。一度目は手術して10日後、動脈瘤がいびつで残存瘤から再出血をし、右の前頭葉も出血を起こしていました。意識不明となり、ただちに足の付け根からカテーテルを入れて出血している残存瘤にコイルをいれる治療をしてもらいました。処置が終わるまでずっと救命病棟の前の寒く暗い廊下で長女と二人、最後には無言で待ち続けました。治療が終わり、救命病棟で主人に面会しましたが、あまりにかわいそうで涙が出るばかりでした。体力もかなり使い、栄養も経菅
きたよーー。睡眠時無呼吸症候群のプレ検査。これを2晩やって送り返して主治医にデータが届く。それから要検査となればダースベーダーみたいな🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣機械つけて検査かな??それで病名確定となれば毎晩ダースベーダーになって寝ます🤣🤣🤣🤣🤣🤣大人しく寝てられるかが、問題😅😅テコンドー現役時代は寝てても回し蹴りとかやってたからその頃、横に寝てた元夫って人は何度もみぞおちに蹴りが入ってたみたい🤭🤭🤭🤭🤭🤭ざまーーみ、、ろ、、、😏😏😏😏今は亡き
病院から袋に入った状態でわたされた。父が着ていた服と靴…。ビリっと切られた服を見て、大変だったね…。倒れたときを想像してしまう。助けは呼べなかったのか、呼んでほしかった。痛かったのか、苦しかったのか、意識がなくなるまで、どれくらいの時間を苦しんだのか。父は東京都で個人タクシーをしていた。倒れたのは車内。誰も乗せていなかった。車を駅付近の道路脇に停めていたそう。異変に気がついてくださったのは、バスの運転手の方。きっと数時間も同じ状態だったのだろう。最後のメーターは午前1時ぐら
今日はSさんの事を書こうと思ったけどUさんの事にします結局5日間、LINE既読にもならず返信も無い状態流石に気持ちも不安からもう諦めように変わってきてる自分が例えどんなに体調が悪くても意識不明の状態でなければ、LINEを送らないと彼女が不安になるし今、自分の状態を知ってもらいたいのもあるから必ず1通でもLINEはする相手を思っていたら全く無視は無いと思ういいんだよ、フるならフるで「あなたは結局合わなかった」でも「新しい素敵な人が見つかった」でもね言ってくれれば引き止め
昨日は息子に会ってきました。期間を切開しました。自発呼吸が出てきて、人工呼吸器は外れていました。凄い進歩。でも未だまだ意識は戻らず。呼びかけても、まだ反応はしない。。。目を開けて欲しい。14年前に離婚をして、3人の子供、そして今では老犬のお爺ちゃん犬を、無我夢中で育ててきて、何か私が悪いことをしてきてしまったのか?何がいけなかったのか?考えてしまう。今迄の自分の人生で1番悲しく、辛い。病院から携帯が鳴るたび、足が震えて、声も震えてしまう。自分は弱虫だなと改めて感じたりもしてしまう。。。今
こんばんは。今日は比較的暖かい日で助かりましたー☀️前回息子がミトンされて、紐で繋がれてストレスを感じている様だとお話ししました。娘の勤務先でもありますし、悩みに悩んで、転院の時の介護タクシーの手配の件もあり、患者サポートセンターの看護師さんに連絡しました。そこでちょっとだけご相談良いですか?と。『息子は右手は麻痺があり、ナースコール押せません。今オムツ外しをすると言うことで、ミトンをして紐で繋がれて居ます。ナースコールが側に置いてあるのですが。。。押せないんです。尿意も便意もあり、気持
つい先ほど、地域の社協の方がお願いしていたリメイク服を届けに来てくれました今回の依頼は、息子が買ったパーカーこれを寝たきりでも着られるようにしてもらいました前回に、担当の方と縫製の方で来訪どうやって作るかを皆で検討し出来上がったのがこれ↓こんな形にしてもらいましたフードは別背中を開けて割烹着のような感じです明後日は息子の誕生日🎂ちょうど良いプレゼントになりました
ご訪問ありがとうございます夫の母が救急搬送され、そして、結局、母もまた救急搬送となりました。また大学病院の薄暗い廊下で祈る思いで待つ私たちでした。続きです。前回の話はこちら⬇️『母もまた...』ご訪問ありがとうございます夫の母が救急搬送されたとの連絡を受けて慌てて関西にもどった夫から、誤嚥性肺炎だったが、今は抗生剤で落ち着いたという報告を受けてホッと…ameblo.jp大学病院の救急の廊下は相変わらず忙しく、そして悲喜交々。厳しい状況を説明されて泣き崩れる家族の様子を見ると、こ
画像見たとき、知識のない私が見ても驚くほどの出血量だった。左被殻出血。さらに、右被殻出血…。高血圧によるものだと言う。出血量で脳が圧迫され脳の中心がずれていた。今回の開頭手術後、1ヶ月後に、左頭蓋骨を戻す手術を行うとのこと。それまで頭蓋骨は、お腹の脂肪のなかに入れていると。手術はあくまでも救命のため。予後のことを不安に感じていた私たち家族に、医師は、まずは意識回復すること、それが目標です。と…。
1月21日少しの時間ならICUに入ることが許されていた。必死に生きている父。まだ意識はない。でもまだ少し麻酔を入れていると言われ安心した。ポロポロ涙を流しながら、じっと見つめて立つだけの私を見て、声をかけても大丈夫ですよという声をかけられた。でも、かけられなかった…。目を覚ましてほしい気持ちはあったが、現実が辛すぎるからだ。顔を見てたえられず、2、3分でICUをでた。声をだして泣きながら駅まで歩いた。スーパームーンがパワーをくれたらいいな。そう願った。