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主人が亡くなって一年が過ぎた時、亡くなったという事実もまだまだ信じられてないような中で、一年が経ったことで、“去年の今ごろは居たのにな…”って、それがもう言えないと思った。同じ「居ない」という中にも、去年はいたと思えること、それがせめてもの微々たる慰め?のようだった、まだ近い記憶であったから、「本当に存在していたという事実」を感じられてた…そんな救いの気持ちだったと思う。それから一年どころか、二年三年四年…もうまる六年が経とうとしている。なのに私は、六年前の今頃は確かに居たのにな
うちの天使パパは、私よりひとつ年上です。夫もまた、よんちゃんが亡くなったことで相当な悲しみに暮れていました。よんちゃんが亡くなった日から、夫は忌引として1週間の休みを貰いました。お陰で、よんちゃんが生まれてきてから火葬するまでの数日間を家族で過ごす事ができました。夫は、よんちゃんが亡くなってしまったのは自分のせいだったと自分を責めていました。私は元々、家のことをなんでも自分でこなしてしまう馬力のあるタイプです。夫は、夫婦の期間が長くなるにつれ、家のことを任せたきりで仕事に打ち込む事が
スピリチュアル&グリーフケアココロとカラダの癒しHOMISH∼gowithʚkiyokaɞ少し前のことです。ボランティア参加させていただいている死別の分かち合いの場で「怒り」についての話題が拡がりました。少なからずこうした感情を抱かれた経験あるのではないでしょうか。グリーフは「悲嘆」と訳されますが哀しみや嘆きに限ったものではないのです。この点こそが、あまり知られていないかもしれないですね。哀しいことのはずなのに涙が出ないどころかイライ
私は約2年半前我が子が突然死しました。そのころはもう二度と会うことはできない会いたい辛い現実を受け入れたくないそんな気持ちでいました~死別から2年半たって~私は、こういうこと考えてなかったのですが・・・「死後の世界」を信じていますか?私は、『そんなものない』そう思っていました。我が子が死んで、現実を受け入れたくない一方で現実しか見ていなかったのかもしれません。だから、と
助産師さんに連れられ、私は個室に移動しました。助産師さんは歩きながら「ずっと皆で心配してたんだよ。めち子さん、どうやって過ごしてるんだろうって話てたの。」と言い、スタッフのみなさんがずっと心配していてくれたことを教えてくれました。助産師さんは「他のみんなも呼んでくるから、外来には私と一緒にいるって伝えとくね。」と言って一旦離れました。そしてその助産師さんが戻ってくると、ひとり、またひとりと助産師さんがやってきてくれました。別の助産師さんが現れる度にまた泣き出す私。嬉しくて、暖かくて、ず
離婚うつからの立ち直りカウンセラー原つよしです。今回は、7つ目のブロック「悲嘆」です。本にはサブタイトルで「恐ろしいほどの喪失感がある」と書かれています。確かに、私は恐ろしいほどの喪失感で立ち直れなかったです。失ったものは、妻や子どもだけでなく、生きがい、希望、未来、存在価値や生きる意味など心情的なことなど・・・たくさん失いました。本にも書かれています。愛情関係だけでなく、夫、妻という役割やカップルだったからこそあった社会的な地位が失われたことによって、計り知れない
夜、寝る頃には「少しずつ、前向きになれたかもしれない。」と思い、眠りにつきます。でも、朝目覚めると、胸が苦しくて苦しくて。東側の窓に差し込む、朝の優しい木漏れ日を見ても悲しくて。あの日から、清々しい朝など無い。どうにか起きて、夫と子ども達を送り出し、散らかった部屋を片づけ、洗濯をし、よんちゃんの事を考える日々を送っています。あれから1か月が過ぎたから、もう特に予定もなく。最近は、チラホラ「出産おめでとうございます!」とか書かれたハガキやプレゼントが届きます。妊娠中に、プレママプレゼ
今回の死産。私は何人かの友人に報告をしていました。そのうちのひとり。学生時代からの大事な友人。彼女が大学に行ってからは、本当に数えるほどしか会っていません。ライン等のやりとりも殆ど皆無。でも、とても大事な友人です。彼女には、手紙でよんちゃんの事を伝えました。元々あまりマメではない友人。(ごめんね。笑)そんな彼女から直ぐに郵便が届きました。中を開けると手紙と本が一冊。手紙を読むと、私のことを本当に心配してくれていて、子供のことも一緒に悲しんでくれていて。そして、こんな時
よんちゃんが亡くなって、1か月が過ぎました。ボロボロだった身体の痛みは、ようやく癒えつつあります。それと反比例するかのように、気持ちは暗く。泣くことが増えた気がする。動けるようになって、いろんな場所に行くことも増えたからかもしれません。お腹の中にいたよんちゃんと歩いた道。お腹の中にいたよんちゃんと行ったお店。過去の写真を見ては、ちょっとずつ大きくなっていった自分のお腹を見つめている。どこに行っても「あの時はまだ生きていて、一緒に居たのに。」そう感じてしまいます。美しい景色を見て
昨日は安定剤を2分の1錠飲んだせいか泣く事はあっても大きく崩れる事なく過ごす事ができました今までなら、泣かないことに罪悪感を覚えてわざと写真を見たりして感情の蓋をこじ開けていたけれど楽な日もあっていいと自分を許す事にしましたフラッシュバックが起きそうな時は慌てて意識をそらし娘の写真もLINEも見ることができません娘が居ないという暗闇をのぞいてしまいそうになると頭がぼんやりして考えられない時もあります逃げている。私は逃げているんでしょうか。。。悲しみをしっかり受け止
皆様お疲れ様です。以前の記事で私の後悔として息子に愛を伝えていないという事を書かせていただきました。その後悔の話を私は家族に伝えたところやはりといいますかみんな同じ事を思っていたんですね息子は兄弟の中では1番上でしたがキャラは完全にいじられキャラ笑下の子2人からも雑な扱いを受けていました本心ではないもののネタとして酷い言葉も浴びせたりしていました。もちろん本人はそんな事も意に介さずみんなで笑って過ごしておりましたがこうやって急にいなくなってしまうと過去の自分達の発
少しずつ春はその色合いを加速して、やわらかな暖かさを肌に浸透させてくれる気温の変化にそんな心地、ここのところ随分と急に暖かくなった陽射しの優しい透明な手に撫でられる草花たちは心なしか伸びやかに見える寒い冬を乗り切った命たちの小さなメロディーがじんわりとそよいでゆくてんとう虫はチロチロとした歩みで健気に生きる人間から見れば小さな歩幅だけど、でも、てんとう虫にとってはそれが十分な歩みであり、それがてんとう虫にとっての精一杯の生きることそこには大きいも小さいもない、
私は絶望のどん底にいました。小腸全摘し、長期生存は非常に厳しいと宣告された息子を前にして、何もできず弱っていくのをただ見守るしかできないのかと思うと、とてつもない虚無感に襲われました。息子の面会中も帰宅後も、ふとした瞬間に涙が溢れ、泣いても泣いても枯れない涙を流す日が続きました。その一方で、息子は日増しに少しずつ浮腫みが取れていき、人工呼吸器も外れ、驚異的な回復を見せてくれました。目を見開いておしゃぶりをチュッチュと吸う息子の瞳に力強い生命力の光を見ました。私ははたと気付きました。息
徳島新聞で毎週木曜日に掲載されているエッセイスト阿川佐和子さんの『だいたいしあわせ』先週は「笑う人々」についてのお話でした。以前に訪れた金沢に震災後始めて訪れた阿川さんは、被災の痕跡があちこちに残る地で、とうてい観光気分にはなれないと予想されていました。ところが迎えてくれた金沢の人々は、お仕事関係者のみならず、ホテルのスタッフさんもお店の店員さんも、阿川さんの緊張感をむしろほぐしてくれようとするかのごとく、誰もが温かく明るく接してくださったそうです。そして阿川さんとかつて
今日はチコちゃんの5歳+1年の誕生日ですが4月に入ってからずっと誕生日プレゼントとして色々買い誕生日ディナーとしてご馳走(主に中華)を食べてますあ、誕生日スイーツ(割引品)も相当食べましたw車輪の再発明エンジニアになって常に心に引っ掛かる話でした先人の偉大な発明品である「車輪」ですが後世の自分たちが人生の大半の時間を費やしてまた同じ「車輪」を発明しようと頑張っている先人は紙と鉛筆を使って自分はPCやAIを使ってと微妙に違うけれど「なんや昔
私はときどき母が死に、夫が死に子どもたち(猫)も先に死に一人取り残されてしまったら私は生きて行けるのだろうかと考えることがあります急に泣けてくるんですよ・・・自分でもびっくりします(これは鬱状態の前からです)昨夜はそんな夜でした夫にLINEをしたら”乗り越えようね”だって腑に落ちない返答・・・鬱状態のとき参考にしていた橋本翔太さん”夫はカウンセラーではありません””カウンセラーの役割を夫に期待しないようーに”はいこれ
Dig.(デジタリス/キツネノテブクロ)の特徴☆作用部位心臓。筋肉。循環(肝臓、肺、胃)。後頭部。泌尿生殖器。☆死への恐怖&悲嘆と落胆心臓に関わる症状があるときの死への恐怖。動くと心臓が止まりそうな予感。悲しみからの不眠。失恋からの悲しみ。音楽からの悲しみ。一人になりたい。挫折感。失望感。罪悪感。自責の念。うつ。落ちる夢。☆心臓にかかわるすべての疾患&極度の衰弱遅い脈、不整脈、間欠脈。不明瞭な原因のない症状がある場合に考えるレメディー。激しい衰弱、口もきけない力の衰え、失神。肝臓肥大