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2024年4月1日&2日、遠江国の古社を巡りました。美しいだけでなく、聖性が高い神社にお参りした2日間は、心身に清浄を「貯金」することができました。今回は、式内社で遠江国一宮=小國神社のご紹介です。遠江国一宮小國神社当社は、境内裏手に深遠な森を抱えています。この写真は、森から遠望した本殿(の後ろ姿)です。◇鎮座地:静岡県周智郡森町一宮3956◇最寄駅:天浜線遠見一宮駅~3.6km◇バス便:小國神社バス停~50m→小國神社の無料送迎バス(1日・15日のみ)
伊勢命神社(いせみことじんじゃ)▶御祭神:伊勢命▶島根県隠岐郡隠岐の島町久見字宮川原75社伝によると毎晩、怪しい火が海上からやって来る場所に祠を建てて伊勢明神を奉斎したのが始まりとされます。古代には当地の有力者に磯部(石部)氏の名前が見られ、磯部は伊勢部に通じ伊勢を本拠として主に東国に分布した海民と考えられており、そうした部族の祖神が祀られたのではないかとする説があります。水若酢神社から北に3km、島後のほぼ北端にある神社です。海岸線からは久見川を0.4kmほど遡上した
2018年1月2日。JR阪和線・富木駅から東に約600m。境内授与所前に駐車場ありますが、元旦~1月10日は使えないそうですのでご注意を。お近くのコインパーキングをご利用ください。住宅地なので近くにあるかはなんともですが、駅の近くにならあるかもです。※社号標と鳥居。※鳥居横に狛さん。※またもや鳥居と狛さんと祓岩。※手水舎。※拝殿。※社号額。※境内社の稲荷神社。※同じく祓宮。創建は不明ですが、古事記や続日本紀に記載のある式内社。御祭神は、
【アワシマ/ヒルコの次に生まれた女神】@art.mochida.daisukeアワシマ(淡島神)は、『古事記』においてイザナギとイザナミの国生みの段に登場する神様で、最初の御子神ヒルコの次に生まれました。しかし、ヒルコ同様に未完成な不具の子であったために、イザナギとイザナミの子には数えないとされます。子のうちには数えないとされますが、生まれた時は国土の神としては未熟だっただけで、その後に神様として昇格して存在していたとも考えられ、最初の国
4月15日ハイキングい1919GOの例会に出席しました。この日のメンバーは10名内3名が新メンバーでした。袖ヶ浦公園に集合まづは記念写真駐車場かr鏡が峰展望台経由で飯富神社から上池の周りをまわって駐車場へのコース約5kmほどのコースです。公園内には花がたくさん咲いています。まだ、アヤメなどは時期的に早いので展望台に向かった。展望台に向かう皆さん、いきなりの登りなんで結構きつそう袖ヶ浦海岸は今は遠くなっちゃったので海は見えなくなっているのだが袖ヶ浦市内や木更津方面
【水や海の神とされる龍神】@art.mochida.daisuke今日は龍神様です。昔より水や川の神様として龍の伝承が伝わり、海の守護神ともされ、日本において龍神は、西洋のドラゴンに代表されるような怪物ではなく、神様として広く信仰されています。もちろん『記紀神話』にあるように、ヤマタノオロチのような恐ろしい側面を持った龍神伝承も残り、日本各地で多種多様な龍神がいると考えられてきました。『古事記』には水の神様としてミヅハノメやオカミノカミやミクマ
矢椅神社(やぎじんじゃ)伊勢国河曲郡三重県鈴鹿市柳町543(P無し、一の鳥居の反対側の空地前に寄せて停め置きました)■延喜式神名帳矢椅神社の論社■旧社格村社■祭神建速須佐之男神[配祀]正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命天津彦根命活津彦根命熊野樟日命田心媛命市杵島媛命湍津媛命素盞鳴命菅公大穴牟遅命少名彦命近鉄柳駅前北側に広がる古い集落「柳町」内に鎮座する社。伊勢湾からは1kmほど内陸部。◎創建由緒等は不明。「式内社矢椅神社」の論社として挙げられているものの
こんにちは、ロイヤル麦茶です。今回紹介する神社は静岡県浜松市中央区呉松町にあります曽許乃御立神社です。御祭神は武甕槌命。神護景雲元年(767年)常陸国(現在の茨城県)の鹿島神宮の大神様が大和国の御蓋山(現在の奈良県の春日大社)に向かう際、当地の根本山で休憩した際、近郷住民がその御神徳を慕って社殿を建立し、御分霊を頂いて祀ったのが始まりです。東海道新幹線で浜松駅までやってきました。2015年のゆるキャラグランプリでグランプリになった出世大名家康くんが出迎えてくれました。曽許
【ウカノミタマ/秦氏の氏神である稲荷神】@art.mochida.daisukeウカノミタマは全国約32000社もある稲荷神社の御祭神で、稲荷神、お稲荷さんとも呼ばれ広く親しまれています。日本に数多くある神社の中で、一番多いのがウカノミタマをお祀りする稲荷神社です。ちなみにセブンイレブンは全国で約2万店舗ありますので、それの1.5倍以上の数がお祀りされているという事になりますね。『古事記』ではスサノオとカムオオイチヒメとの間に生まれた神様。『日本書紀』ではイ
【アメノミナカヌシ/天地創造の神】@art.mochida.daisuke『古事記』において天地開闢の時に一番最初に現れた神様がアメノミナカヌシ。続いてタカミムスビ、カミムスビが現れ、すぐに身をお隠しになりました。この三つ柱の神々を総称して「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼び、造化三神は男性女性の区別がない独神(ひとりがみ)であり、最初に生まれたアメノミナカヌシはこの三柱の創造神の中でも中心的存在。なので中心に引き寄せる力を現して描いています。
【ヤソマガツヒ/諸々の穢れを現す神】@art.mochida.daisukeヤソマガツヒ(八十禍津日神)を描いてみました。黄泉から命からがら逃げ帰ってきたイザナギが、その身に着いた清めるためにを清水で禊(みそぎ)をした時に生まれた神の一柱がヤソマガツヒで、この神は「禍事」「災厄」そのものを表し、諸々の凶事(まがごと)を司る神です。神名の「禍」(マガ)は「災厄」、「ツ」は上代語の格助詞「の」、「日」(ヒ)は「神霊」の意味で、「マガツヒ」の名義は「
【ハヤサスラヒメ/祓いの女神】@art.mochida.daisuke『大祓詞(おおはらいのりと/おおはらえのことば)』に出てくる祓いの女神ハヤサスラヒメを描いてみました。ハヤサスラヒメは『古事記』や『日本書紀』には記載のない神名ですが、全国の神社で奏上される『大祓詞』において、様々な罪穢れを清めてくれる神様である「祓戸四神(はらえどよんしん)」の内の一柱です。6月末に「夏越しの大祓(なごしのおおはらえ)」12月末に「年越しの大祓(おおはらえ)」として、
《五十音順》【ア行】愛宕社(桜井市三輪)愛宕神社(桜井市初瀬)穴師坐兵主神社・相撲神社天落神六社権現活日神社(大神神社摂社)伊射奈岐神社市杵島神社(大神神社雑社)市杵島神社(桜井市大西)稲荷社(大神神社所管社)稲荷社(桜井市芝)稲荷社(桜井市初瀬)磐座神社(大神神社末社)殖栗神社大直禰子神社(若宮社)小夫天神社忍坂坐生根神社忍坂山口坐神社大神神社・大神神社摂社末社雑社☆神武天皇聖蹟狭井河ノ上顕彰碑☆三輪「奥垣内祭祀遺跡」☆山ノ神遺跡大神神社
神社を参拝していると、“延喜式神名帳“という言葉をよく耳にしませんか?この“延喜式“とはなんでしょう。“延喜“とは元号のことですね。西暦で言うと901年から923年、平安時代です。そして“式“とは律令を適用する際の施行細則を記した法令集で、朝廷の儀式や作法、事務手続などの規定が記されたものです。なので弘仁式や貞観式などもあるわけです。“延喜式“は、延喜5年(905年)に当時の天皇である醍醐天皇の命により、藤原時平が編集に着手し、延長3年(925年)に完成しました。
土師神社(はぜじんじゃ)伊勢国河曲郡三重県鈴鹿市土師町558(P無し、駐車は下部写真参照)■延喜式神名帳土師神社の比定社■旧社格村社■祭神天之菩卑能命宇迦之御魂神大山津見神大国主神品蛇和気命猿田毘古命天児屋根命稚産霊命伊勢湾から内陸1kmほど、「土師町(はぜちょう)」の古い集落内に鎮座する社。同じ集落内、200mほど西方に西土師神社が鎮座しています。◎当社は明治七年に式内社土師神社に比定されています。そして明治四十一年に西土師神社を合祀(昭和二十六年に復社
西土師神社(にしはぜじんじゃ)伊勢国河曲郡三重県鈴鹿市土師町591(P無し、100mほど北の左右両側が田んぼの道に落ちる寸前ギリギリに寄せて停め置き足速参拝しました)■延喜式神名帳土師神社の論社■旧社格村社■祭神埴山比売神[配祀]品陀和気命大山津見命伊勢湾から内陸1kmほど、鈴鹿市「土師町(はぜちょう)」の古い集落内に鎮座する社。同じ集落内、200mほど東方には土師神社が鎮座しています。◎創建時期は不明。「土師」はもちろん「土師器」のことで、当地域内から今日神宮で使
大鹿三宅神社(おおかみやけじんじゃ)伊勢国河曲郡三重県鈴鹿市池田町14(道路向かいの公園に停められます)■延喜式神名帳大鹿三宅神社の論社■旧社格村社■祭神香山戸神菅原神保食神大山津見神鈴鹿市郊外、伊勢湾からは2kmほど内陸部の密集した古い集落内に鎮座する社。◎創建由緒については不明。社伝によると久安三年(1147年)とあるようですが、当社が式内社であったとするとこれは相反するもの。◎当社は式内社大鹿三宅神社の論社として挙げられます。「大鹿」は大鹿首が奉斎した社と
吉野山とは大峯連山の北の端から南に続く約8kmの尾根一帯を指すそうです。そしてこの吉野山は山全体が世界遺産として登録されています。前回記事の金峯神社、ここ吉野水分人神社、これから参拝する吉水神社、金峯山寺が世界遺産登録されている寺社です。吉野山へ入り世界遺産登録された寺社巡りも出来るというのが素敵です閼伽井不動明王像から更に細い細い参道を進みます私達と同じ様に何台かが北上して行かれます不思議と対向車はありません。地図上では北上だけど、道路は大
伊久比売神社紀伊国名草郡和歌山市市小路字木ノ下330(P無し)(東隣にスーパー有り)■延喜式神名帳伊久比賣神社の論社■旧社格村社■祭神伊久比売命伊久比売命という馴染みない神を祀る社。近世に式内社として比定され、社名変更、社殿再興などがなされたようですが、それまでは所在不明となっていました。◎「紀伊続風土記」は当社創建について、「紀ノ川」海口にありたびたび洪水が起こり、また戦火にも遭い来由は不明としています。そしてかつて当地は海中であったことから、「式内社伊久比賣神社」であ
桶川市篠津所在の式内小社(武蔵国足立郡)赤堀川(利根川水系元荒川の支流)に面し、その対岸には一面の水田、そして「篠津沼」という大きな沼があったといわれている。現在は埋め立てられて工業団地となっている。境内には大きなシイの木が4本あり社叢を形成している。近隣には、縄文後期の後谷遺跡が発見されており、この神社の原型はかなり古いかもしれない。創建は、安寧天皇の時代(紀元前567年-紀元前510年)と伝わり、祭神は豊葦建姫命である。祭神は「篠や葦が茂って場所を守る神」であり、「篠津沼」と関係があ
前回からの続き(6月4日のこと)です河辺八幡神社から国道27号線へ戻り、高千穂通りから府道28号線(小倉西舞鶴線)で西舞鶴へ向かいます府道28号線は通称は白鳥街道と呼ばれています😁その国道沿いにあるのが前記事にも書いた彌加宜(みかげ)神社(大森神社)住所・京都府舞鶴市森町872旧社格郷社延喜式神名帳の丹後国加佐郡の式内社・弥加宜(いやかき)神社に比定される神社主祭神天之御影命相殿誉田別命駐車場ありこちらは前記事にもリンクしてましたが、以前に2度ほど訪れています→
2018年1月2日。JR阪和線・東岸和田駅から府道39号線を南東方向に約5km。R170(外環状線)・土生滝交差点を過ぎてすぐです。道の駅愛彩ランドから約1.8kmです。駐車場は境内東側、もしくは西側の鳥居前にあります。北側の鳥居前にもあるとは思いますが未確認。※西側の鳥居。※橋渡って二の鳥居。※手前左手に手水舎。※拝殿(本殿は拝殿の中にあるそうです)。※境内にも手水舎(左が西で右が北)。※境内社のどっちか。※雨降りの滝。創建は不明ですが、天平四
【ウムガイヒメ/オオクニヌシを蘇生させた女神】@art.mochida.daisukeウムガイヒメ(蛤貝比売)は、貝の蛤を神格化した神様であるとされます。この女神は、オオクニヌシの神話に登場し、カミムスビの勅命を受けて八十神に殺されたオオクニヌシ(オオナムチ)の蘇生と治療にあたりました。この時にキサガイヒメ(𧏛貝比売)も一緒に遣わされていて、二柱で一対となる関係性がみられます。白兎の託宣により稲羽の女神ヤガミヒメと結ばれたオオクニヌシでしたが、ヤ
鎮座地:新潟県長岡市西蔵王御祭神:金山毘古命、又倉大神式内社:宇奈具志神社古志郡六座のうちの一座(論社)旧社格:県社和銅2年(709年)、蔵王権現をまつる蔵王堂が大和国吉野の金峯山より楡原(旧栃尾市)に勧請され、、のち現在地に遷座したという。流鏑馬神事(市指定無形民俗文化財)は上杉謙信時代に始まると伝えられ、相殿又倉神社(宇奈具志神社の論社)の王神祭神事は、信濃川のサケを供えて五穀豊穣を祈る年魚神事で県無形民俗文化財に指定されている。令和2年6月以降の記事、御朱印は「金
【オカミノカミ/血から生まれた水の神】@art.mochida.daisukeオカミノカミ(淤加美神)を描いてみました。この神様は、『古事記』のおいて、イザナギとイザナミの神産みで生まれた神様であると記載されています。二柱の夫婦神は愛し合い多くの神々を産み成しましたが、イザナミが火の神ヒノカグツチを産んだ時に、大やけどを負って死んでしまいます。愛する妻を亡くしたイザナギの怒りはヒノカグツチに向けられ、我が子を斬りつけてしまいました。その時に剣の
2023年4月4日&5日。1泊2日で茨城県の神社を5社ほど巡ってきました。巡拝のメイン・テーマは《国津神VS天津神》。すなわち、「(政権に)まつろわない」星神=カガセオ。そして、それを討ったタケハヅチ。この両者を祀る神社にお参りすることが目的でした。今回は、タケハヅチを祀る神社です。式内社静神社(しず神社)『延喜式』神名帳に記された社号久慈郡7座(大1座・小6座)→名神大社「静神社」しつのかみのやしろ当社は、常陸國の二之宮でもあります。◇鎮座
こんにちは。瑠璃色の世界へようこそ管理人Rinkoです。9月に伊勢神宮内宮の別宮、瀧原宮へ行ってきました。瀧原宮は、ゼロ磁場として有名で、「ゼロ磁場って何・・・」といろいろ調べていたら、大阪で有名なゼロ磁場スポットとして、こちらの神社が出てきました。意賀美神社(おかみじんじゃ。大阪府枚方市)私が住んでいるところから、車で数十分ここならすぐ行ける、と瀧原宮の数日後に行ってきました右の石碑には、「式内意賀美神社」と書いてあ
令制国と一之宮神社一之宮神社とは一之宮神社は、原則令制国一国あたり一社を前提とした、諸国で最も格式が高い神社です。その多くは、延喜式が成立した十世紀初頭には朝廷から官社として認識されていた式内社から選定されています。御祭神は、その土地の開拓神として篤く崇敬された国津神で、記紀神話に登場する有力な神様が祀られています。五畿七道とは五畿七道は、天武天皇の時代に成立したと言われる古代日本の律令制による広域な地方行政区画で、都を中心に、畿内・東山道・東海道・北陸道・山陰道・山陽道・南
立岩神社所在地:徳島県徳島市八多町金谷中央部7㍍横幅4㍍左側に直径2㍍と1.5㍍の岩が重なり、右側には直径3㍍の岩石があり、古事記では天津麻羅と呼ばれ。天津麻羅が造った鏡が八咫の鏡で地名の八多町に由来。鍛治技術発祥の地であると伝わっている。名西郡神山町の天の岩戸(女陰)とこちら天津魔羅が男根と言われている。式内社方山比古神社(祭神金山比古神)の境内に有り、50mの距離で合相対している。タタラ跡とされる遺蹟も現存、銅鏡をはじめ青銅器製造集団のシンボル天津麻羅として現
佐牙神社(さがじんじゃ)は社伝によれば、敏達天皇二年(573年)の創建と伝えられている。延長五年(927年)の延喜式神名帳に、名がみえる式内社である。また、造酒司の奉幣があったとされ、我が国の酒造りの発祥と関係があるとされている。当初は、山本の北側の大神宮に在ったものが、永享年間(1429~1414年)に現在地に移したといわれており、今も山本に御旅所がある。御祭神:佐牙弥豆男神(さがみづおのかみ)佐牙弥豆女神(さがみづめのかみ)所在地:京都府京田