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江波の漁師中村杉松さんは、1945年8月6日、建物疎開作業中に原爆の閃光をあび、倒壊した建物の下敷きになった。全身火傷に急性放射線障害で髪の毛も抜けて一時は生死の境をさまよったが、何とか危機を脱した。しかし1949年になると、杉松さんは極度の疲労に襲われるようになり、漁に出ることができなくなった。奥さんが一人魚の行商で一家を支えたのだが、今度は奥さんがひどい貧血になり、行商先で倒れて1951年3月、病に臥せる夫と6人の幼い子どもを残して亡くなった。死因は子宮ガンだった。原爆症と断定はできな
広島平和記念資料館本館の「生きる」のコーナーで、驚いた。2015年に94歳で亡くなった福島菊次郎さんが1952年から10年近く撮り続けた中村杉松さん一家の写真が展示され紹介されていたのだ。中村杉松さんを追いかけた写真は1961年に『ピカドンある原爆被災者の記録』として出版され、世の中に衝撃を与えた。しかし、福島さんの写真は平和記念資料館では長い間展示されなかった。福島さんは自著にこう書いている。〈聖地ヒロシマ〉を批判し、その尊厳を冒涜するような写真は資料ではないのである。(福
広島は新入社員時代を過ごした思い出の街だ。平和公園のすぐ近くの寮に住んでいたので、会社へはこの平和記念資料館の脇を通って徒歩で通っていた。朝の通勤は気持ちいいが、夜は流川で飲み疲れて酔い醒ましの経路でもあった。30歳から57歳までのオービットの如き7カ国での海外駐在から完全帰還するまではこの公園に来ることはほとんどなかった。定年退職後の2013年には、前年亡くなった父の関係で平和記念式典に参列もし、最近はプライベートで、公園近くに住む孫に会いに来た時は必ずここに立ち寄ること
モンペ姿の親戚の女性1945年春前にも書いたのだが、初代蝋人形の火傷の様子と着ている服の破損の具合がどうもマッチしていない。女性の両手の指先から皮膚がたれているのは原爆の閃光による重度の火傷のせいだ。しかし袖口にゴムの入っている着物の袖はまったく無事であることに気がついた。(女性が着ているのはブラウスではなく、上の写真のような着物を縫い直した上衣とモンペだと思われる)女性の胸元にしても、上衣の右胸部分が焼け、下着(シュミーズか襦袢)も焼け、火傷した乳房があらわになっているとすると、
何色のランドセルがタイプ?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう今日はランドセルの日~keitaオリジナルランドセル~今日はランドセルの日なんですねお初のテーマなので調べてみました~”ランドセルをミニサイズに加工する店「スキップ」の革細工職人・増田利正さんなど、ミニランドセルの制作者らが制定日付はこの日が卒業式の頃でありそして「3+2+1」が小学校の修業年数の「6」になることから6年間ありがとうの意味も込められている6年間の思い出をいっぱい詰め込んだラ
今回の旅行の一番の目的広島平和記念資料館を大人になって改めてじっくり見学することです。私は中学の修学旅行以来ですのでほぼ初めて。来場者9割が外国人というのが背景でおわかりでしょうか・・車でこの前を通っただけで昨年のサミットの光景がよみがえり興奮しました。外国人の方は入館予約がしにくいのかできない?で大行列多い日は2時間待ちとか。私達は当日朝にネットでチケット購入して(予約サイトアソビュー経由)待ち時間ゼロ。運よくすぐそばのコインパーキ
クニさんです^^今日も「クニブロ。」へようこそ!1泊2日で3県を巡る弾丸旅行~前回の続きです♪全方位みっちみちの夫の自宅に40分ほど滞在した後早朝から開いている地元の大型スーパーを3軒ハシゴしならがご当地調味料を購入し(大きいスーパー楽しい)夫が勤める会社周辺を見学した後3つ目の県へそこは夫が小学生の頃家族と訪れた場所だそうで日本人なら必ず観ておいた方がいいですよ。と
広島出張でホテル法華倶楽部に泊まった日、早朝の散歩は原爆ドームへ通称、原爆ドームと呼ばれていますが、正式には「広島平和記念碑」といいます。1945年(昭和20年)8月6日8時15分広島市の上空から投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える記念碑(被爆建造物)です。もともとは広島県のさまざまな物産を展示するための広島県物産陳列館として開館され、原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていました。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されており、「二度と同じような悲
その1:元祖へんくつやでお好み焼き★お好み焼きを食べた後はぶらぶらお散歩。道中にあるお店を覗いて雑貨やお土産を購入したりパン屋アンデルセンの立派な本店を見学したり。街歩きを楽しみつつ、原爆ドームに到着。名残のつつじが綺麗でした。あいにくの天候でしたがこの日も観光客がたくさん訪れていました。日本人よりも海外観光客が多い印象です。崩れた瓦礫、むき出しになった鉄骨。曇り空の下、時が止まったかのようにただ静か