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12球団のホームスタジアムで唯一観戦経験がないでも2006年に旧広島市民球場ではセ・パ交流戦観戦(対北海道日本ハムファイターズ)試合開催日ではなかったため外のみもとりあえず来ることが出来てよかった⚾
みなさま、こんちには!いつもご覧いただきありがとうございます。あっという間に8月も終わり、朝晩は秋の空気に変わりつつあるこの時期。夏の疲れも出てくる頃ですので、皆様ご自愛ください。さて、今回は広島東洋カープの本拠地、マツダスタジアムから、外野砂かぶりをご紹介します。砂かぶり、というネーミングはマツダスタジアム独自のものですが、バックネット裏の正面砂かぶり、カメラマン席横の内野砂かぶりは以前ご紹介したところですが、今回は広島にしかない、外野レフト付近にある、外野砂かぶりをご紹介します
1975(昭和50)年、広島東洋カープは、球団創立26年目にして、悲願の初優勝を達成し、日本中に、爆発的な「赤ヘルブーム」を巻き起こした。そして、それは広島の栄光の時代の幕開けでもあった。今回は、「マスコットで振り返るプロ野球史」の、広島編の「中編」をお送りするが、広島カープの黄金時代と、その後に長く続いた苦闘の時代を、「カープ坊や」と「スラィリー」という個性的なマスコットは、どのように見守って来たのであろうか?それでは、早速ご覧頂こう。<1970(昭和45)年に、スタ
寸前に取った広島のホテルにチェックインして、すぐ横の広島市民球場跡の公園行って観客席見て来ようとひろしまゲートパークに行ったら鶏フェスやってて、いきなり筆者の大好物の除菌シートに釣られてウォーターサーバーのブースで1時間程話して、結局設置することにこんな感じで旅先で何度か同じメーカーの人と話してたし、水分補給が苦手なこともあって、有ってもいいなぁとは思ってたので、ここまで引っ張ったから観念したし、声かけてくれたスタッフが筆者と同じ名前やった最近、こういう感じで若い子の名前聞く