ブログ記事1,778件
2019年のお話です。はい、それでは今日もまた「ヘタレと行く!」シリーズ第4弾、2019年12月7日(土)~12月9日(月)2泊3日「長野」温泉旅行レポ、2日目2019年12月8日(日)の続きを進めていきます。さて、ありがたい「ご縁」により「新湯田中温泉」のジモ泉である『鶴の湯』に入浴することができ、まんまかつお出汁味の温泉にびっくりした後、ヘタレ号で一気に向かったのは青木村の山間にある「田沢温泉」。田沢温泉と言えば、子宝の湯として『有乳湯』が有名で
「椰子の実から繋がった伊良湖岬は観光名所だった。観光名所は"人集め子供さらい"の支配層の松利権工作拠点。一般大衆にとってのトラップ場所。昔の人身売買拠点は現在の観光名所のトラップになっていた。それは伊良湖の自然の光を封印する闇の仕組となる。」椰子の実は、島崎藤村が明治時代に執筆した詩であり、昭和に入って曲が付けられました。この詩は1898年(明治31年)の夏、1ヶ月半ほど伊良湖岬(いらごみさき)に滞在した柳田國男が恋路ヶ浜に流れ着いた椰子の実の話を島崎藤村に語り、島崎藤村がその話を元に創作
「女性を犠牲にする人身売買の闇を暗示した椰子の実の作詞者・島崎藤村は、三浦一族の末裔です。ちびまる子ちゃんの作者・さくらももこは本名が三浦美紀で三浦一族に通じます。三浦一族の八咫烏は、支配層の闇を終わりにする役割があり、作品に隠されてきた闇の真実を盛り込んでいると感じます。」歌曲「椰子の実(やしのみ)」の歌詞には、明治時代の支配層が女性の人身売買を行っていた真実が込められていると感じます。wikiによれば、椰子の実は、島崎藤村が明治時代に執筆した詩であり、昭和に入って曲が付けられました。こ
彦根城国宝井伊氏の居城で天守櫓門が現存又、お寺のような花頭窓が特徴ひこにゃん愛らしいなぁ。可愛いなぁ。人気があるの分かるそして、その後犬山城に。で、今気付いたのですが、犬山城の写真が1枚も無い‼️あまり写りが良くなかったから写真整理してる時に捨てたんだ😣失敗織田信長の叔父に始まり、次々城主が変わったが、江戸時代には、尾張藩付家老の成瀬氏が長きに渡り2004年まで個人所有の城だったというのが他とは違い興味をそそられる。国宝3重4階地下2階の望楼型天守が現存1日目はチサン
深夜のテレビには…立川談志さん…なぜか…私の大好きな演目…文七元結…夜中も悪くないなあなんて思いながら…そちらに気を取られ…手元はすすみません(これも少し前のこと…何日かかる⁉️悪筆と…睡魔が…行手を遮ります)コンサートへ戻ります…2部へと誘うような…演奏が…流れながら素敵な緞帳が見えているのは…不思議な感覚…会場はまだ明るいままです…オープニングの🎵立ち話の…前奏とともに…幕が上がり…今年最初の通常コンサートの時に見た…幻⁉️かと思っていた…不思議な光景が目の前に…
って、漫才コンビみたいな名前ですよね。と若者が言うので、失礼ながら思わず大爆笑してしまった。いうまでもなく、島崎藤村である。聞くと、文学史の教科書で見たことあるとのこと。最近でも国語の教科書には夏目漱石やら森鴎外、志賀直哉などの小説が採用されているらしいから、今の若者にも明治~昭和初期の作家は身近なんだそう。でも、遙か昔の歴史上の人物として捉えているから、その作品も歴史書、古典みたいなものと言う。『舞姫』『城の崎にて』と『源氏物語』『徒然草』が同じカテゴリーなの?と質問したと
最近、近所で子猫ちゃんが増産されて車で走るときにかなり気を遣っている鹿吉です。こんばんは!意外と怖さを知らないのか、道路の真ん中で寝ていて、車が近くまで寄ってもまったく動く気配を見せない腹の据わった子ばかりなので、本当に毎回、車から降りて脅しをかけています(笑)降りれば蜘蛛の子を散らすように逃げていくので安心するやら、逃げられて哀しいやら複雑な心境です。ところで話は唐突に変わるのですが、アメリカ人的に「ダイ・ハード」という映画はどういう立ち位置にあるのでしょうか?大してアメリカ
今年の疲れを癒しに、戸倉上山田温泉に行ってきました。テニスで足を挫いて、半年ほど、膝を痛めてました。騙し騙し、テニスは、してましたが。。直前の申し込みだったので、戸倉上山田温泉のことは調べすに予約。戸倉上山田温泉-Wikipediaja.wikipedia.org明治中期に温泉が見つかり、善光寺参りの精進落としそしての湯として発展してきたようです。山間部でなく、千曲川のほとりにあるので、車で行きやすいです。千曲川、穏やかな川で、氾濫しそうもないのですが、、、数
2021年4月18日のJR東海主催の木曽福島駅スタートのさわやかウォーキングの記事に戻ります。9時ごろに木曽福島駅をスタートしていますが、今にも雨が降りそうな空模様です。なんとかゴールまで降らないように祈りながらのウォーキングです。途中にあったのは、久昌院というお寺でした。鐘楼には仁王像が構えてますね。臨済宗妙心寺派のお寺のようでした。迫力ありますね~参拝させてもらって、先を急ぎます。中央本線の線路脇を歩いていたら・・・・踏切の
気もそぞろで読書に身が入らないときは、間に詩のひとつを挟んでみるのもいいかもしれない。話は脱線するが、今はラディゲの作品を読んでいて、以前読書中であったフォーサイスの「ジャッカルの日」がどこ吹く風のようになっている。『「ジャッカルの日」を苦戦しながら読んでいる』昨日は子供の卒業式ということもあり、慌ただしさと様々な感慨に更けり、黙考する時間などで過ぎたため、ほとんど本に触れなかった日であった。それでも先日より徐々…ameblo.jp島崎藤村の「夜明け前」同様、停滞中の一作になっ
島崎藤村の小説「破戒」文学碑除幕式碑の左の除幕している人が藤村の長男楠雄氏小説「破戒」文学碑が建立されたのは昭和40年〜除幕式には島崎藤村の長男楠雄氏も出席されています。島崎藤村の小説「破戒」は、明治39年3月に刊行されました。島崎藤村は、この「破戒」取材のために飯山へ数回取材に訪れています。このうち、「千曲川のスケッチ」に記され、明らかになっているのは明治37年1月13日から14日の2日間です。小説「破戒」は、飯山と飯山の浄土真宗西本願寺派の古刹真宗寺がモデルとなっています。飯山
島崎藤村・明治5年(1872年)3月25日生~昭和18年(1943年)8月22日没(享年72歳)胸より胸に其の四吾戀は河邊に生ひて吾戀(わがこひ)は河邊に生ひて根を浸(ひた)す柳の樹なり枝延びて緑なすまで生命(いのち)をぞ君に吸ふなる北のかた水去り歸り晝も夜(よ)も南を知らずあゝわれも君にむかひて草を藉(し)き思(おもひ)を送る其の五吾胸の底のこゝには吾胸(わがむね)の底のこゝには言ひがたき祕密(ひめごと)住めり身をあげて活(い)ける牲(にへ)とは君
小島よしおさんの10歳から学ぶ植物の生きる知恵最強無敵の雑草たちと言うとても長いタイトルの本を購入しましたここ2~3日春の陽気を飛び越えて汗ばむ位の初夏のようですこの季節になると気掛かりなことの一つに庭の雑草たちの元気過ぎる成長がありますもうすでに雑草たちは気ままに伸び放題膝痛がやまなくて草抜きには手を抜いてばかりです小島よしおさんの本にはハコベの歌やらも掲載されています繁縷には何故か私なりの思いがあります今は昔私の執刀医の丸先生は信州佐久のご出
文部省唱歌作詞者「高野辰之」と真宗寺住職の次女は夫婦〜さらに住職の長男の次女が養女高野辰之が「唖峰生」の名前で、島崎藤村の「破戒」の老僧の記述を批判する文章を雑誌「趣味」投稿し、その投稿が掲載されたのは明治42年4月号だったと言います。高野辰之が、真宗寺住職の次女鶴枝と結婚して東京に居を移し、文部省吏員として教科書編纂委員や邦楽調査掛(かかり)などをする傍ら、教科書「国文学史」を発刊したり、日本各地に伝わる童話を調査し、童話作品を発表するなどの活動をしていました。なお、明治42年6月に、高
2020年10月3日妻籠宿から馬籠宿まで、中山道の馬籠峠越えを歩いています。妻籠宿から一石栃白木改番所跡まで歩いてきました。ここから馬籠峠を目指して歩きます。延々と続く上り坂は、きつい所はありませんが距離が長いです。熊除けの鐘を鳴らして通り過ぎます。ここは、標高777mのラッキーポイントなのだそうです。馬籠峠は標高が790mですから、あと13mですね、頑張りましょう。あっ、自動車道が見えてきました、あそこが馬籠峠なのでしょうか。
まだあげ初めし前髪の林檎のもとにみえしとき前にさしたる花櫛の花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて林檎をわれにあたへしは薄紅の秋の実に人こひ初めしはじめなりわがこころなきためいきのその髪の毛にかゝるときたのしき恋の盃を君が情に酌みしかな林檎畑の樹の下におのづからなる細道は誰が踏みそめしかたみぞと問ひたまふこそこひしけれ★意味・現代語訳まだあげたばかりの君の前髪がリンゴの木の下にみえた時前髪にさした花櫛の花のように美しい女性だと思った優しく白い手をのばし