ブログ記事1,480件
ガンになってからよく言う言葉。「おまけの人生」まだ医療の発達していない時代だったら、ガンになっても治療もできず、寿命として亡くなっていたわけでしょ。わたしの場合40歳だね。運良く検診でガンが見つかり、転移はしていたけど小さなガンのうちに取り切れて、抗がん剤の副作用も乗り越え、今元気に暮らしている。わたしは今「おまけの人生」を生きている。だから欲張っちゃいけないし、傲慢になってもいけない。元々ワガママだからまた最近ちょっとそっち寄りになっていたから(夫に対してだけ)少し反省。生きてるだ
2023.10.16初の抗がん剤入院の前日。入院日は仕事だった為、前日に実家に行き父の顔を見てきました職場には、休むことも多くなるだろうし迷惑が掛かるから退職届を出してきたと。父と話していると母が写真を持ってきた。遺影にする写真を写真館へ撮りに行き、できた写真だった。父と母が並んで撮った写真だった。告知の前、10月8日くらいに母から電話が来て「写真撮ってくれるところない」と聞かれていた。「何で」と聞くと、「お父さん、笑ってる写真がなくて」と。すぐに遺影だなと想像がついた
浅間神社から帰ってきて、ママ友のくれたお守りと、浅間神社のお守りを届けに実家へ。母と今後のことを話しました。「今はまだ副作用強く出てないから良いけど、副作用がキツくなってきて、治療嫌だってなったらどーする」と。母は、「抗がん剤嫌ならやらなくて良いからね。」とすでに伝えてあるとまぁ、本人の意思にゆだねるしかないけどでも治療しないとすぐ死ぬと言われている父悩みましたが、「本人が、副作用キツくて嫌って言うようになったら、辞めよう」と決めました辛いけど「あと最期の時は、家で看たい」
昨日のブログの続きです。丸山ワクチンを試したいと伝えた時の主治医の反応主治医の先生にワクチンを試したいと伝えた↓抗がん剤が終わってからを推奨される↓どうしてもやってみたいと伝える↓再度抗がん剤が終わってからを推奨される↓やっぱりやってみたくて悩む(今ここ)丸山ワクチンを打ってくれる病院に相談するそもそも主治医の先生に相談する前に、近所のワクチンを打ってくれる病院を先に見つけていました(電話して確認済)というのも、主治医の先生がOKでも注射を打ってくれ
ぐっすり寝て1クール2日目の朝は起き上がった瞬間に気持ち悪くなり、でもトイレもいかんとやし、歯磨きもしたかったので、これを終わらせてからお水飲んだら吐き気なくなりました〜昨日全ったく不調はなかったのと今日の抗がん剤はエトポシドのみなのでちょっと油断してたら…少しだけ気持ち悪い…?車酔いする直前みたいな感じになってきてしばらくするとやっぱり気持ち悪い!!に変わりました少し吐いてだいぶマシにはなりましたがお昼ご飯はフルーツしか食べれず。主人がお見舞いにきてくれた時に
はじめまして。これから、父の闘病のこと、家族の気持ちを忘れないように綴っていこうと思います。2023.9.27私は准看護師として、病院で働いています。夜勤の夕食の休憩中にケータイを見ると母から何度か着信がありました。この電話が全ての始まりです。母に電話を掛け直すと、「お父さんの再検査の結果悪かった。」と。どーいう事か聞いても言葉を濁します。「悪かったって、癌ってこと?」と聞くと「うん。」と。夜勤中の為、明日の朝仕事が終わったら連絡するように伝えました。父は毎年会社で負担して
今年に入りガンを診断されてから一日一日があっという間に感じる精密検査で小細胞ガンと言われて主治医も焦ったのか入院が早まった、2月10日には子宮がなくなるこの年で子供を諦めろと言われて素直に返事はできないけど、子宮頸がんで小細胞ガンというのが珍しく手術、抗がん剤、放射線治療全てやらないと完治は見えないらしい、😮💨2月9日に入院するからコロナの関係でお出かけできるのは今日が最後。お腹が苦しいのにも関わらず食べたいものを好きなだけ食べた、退院後の楽しみで新しい靴を買った抗がん剤で髪が抜ける
2020年10月某日前回の記事の続きです。この日は精密検査の結果が出揃い、ついに確定診断を聞く日。初見では「子宮とるだけで大丈夫だと思う。Ib期くらいかな」からの画像診断で「リンパ節転移があります。広汎子宮全摘です」と一度奈落の底に突き落とされているので、待合室のソファで待っている時から、心臓が飛び出しそうなくらい、バクバクしていましたソワソワしちゃって、落ち着かなくて。誰か私の震える足と手を止めてくれ術前、病院にかかった中で、この日が一番ドキドキし
病気とようやく向き合って色々と自分なりに調べた結果、丸山ワクチンを試してみたいと強く思いました。私は主治医の先生を信頼しているからこそちゃんと伝えてからやりたかった。なので怖かったけど言いました。丸山ワクチンを試したいです先生は私と向き合って自分の意見を話してくれました。「もちろん丸山ワクチンは知っています。効果があるのかもしれない。でも本音を言えば、これから抗がん剤を始める時に不安材料を入れたくない。抗がん剤を6クール
入院の説明は父と姉2人で聞くとのことで、母と私はスーパーにより買い物をして買える事に。9/27のガン確定から酒もタバコも辞めていた父。タバコはもう絶対に吸っちゃいけないけど、お酒はたしなむ程度なら良いですよとドクターに言われたので、スーパーでお酒を買って帰ることに。治療しても一年もたないだろうと言われた父。お酒くらい飲まなきゃやってられないよねきっと。それに、我慢我慢で好きなものも食べたり飲んだり出来ずに死んでいくなんて可哀想だよね。そう母と喋りながらスーパーを歩き、また涙がこぼれる
3月23日32才2ヶ月愛する私たちの息子は病気から解放され、自由になりました。今頃は友人のIちゃんと楽しく過ごしていると思います。息子へ「沢山の幸せと思い出をありがとう」息子の頑張った軌跡は落ちついたら、投稿したいとおもいます。
「思考は現実化する」というのは、アメリカの啓発作家ナポレオン・ヒルの著作で彼の座右の銘でもあります。初版発行は1937年でカーネギーが見込んだ500人の成功過程をインタビューして作られたベストセラー本としてとても有名ですから、ご存知の方は多いはず。難しい話は省略して、目標を明確に設定できる人は成功するという考え方だという認識でお話します。ビジネスの成功哲学で知らない人は少ないと思いますが、実際に私がお会いした成功している経営者やトップセールスの方たちに大いに当てはまります。彼らの共通点は「ネガ
子宮頸がんで小細胞がんと言うのはすごく珍しいらしく、バイオバンクとは別で病院の先生から「腫瘍をホルマリン漬けにして今後の研究に使わせて欲しい」と頼まれた。私は迷いもなく「ぜひ使ってください」と言った。国内例が少なくどの治療が適しているかも分からないため全摘出、抗がん剤、放射線治療をがんが消えるまで私は全てをやらなければいけない。私の腫瘍で良い研究結果が出れば、適してる治療が分かれば今後同じ病気になった人は全ての治療をしなくて済むかもしれないと思った。普通に学校に行って遊んでいた17歳の私
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を2月に告知され、3月に子宮広汎全摘除術とリンパ節郭清を受けました。今は術後1ヶ月と1週間がすぎ、来週からは抗がん剤治療が始まります。その前にどうしてもやってみたかったのが丸山ワクチン。丸山ワクチンを試したいと伝えた時の主治医の反応丸山ワクチンやってみます上記のブログのように壁はありましたが、打つと決めてから4日後の今日!無事に第一回目のワクチン摂取できました左腕にチクっと打た
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を2月に告知され、子宮広汎全摘除術とリンパ節郭清を3月上旬に受けました。もうすぐ抗がん剤治療が始まります。今は仕事を全てストップしていますが、それまでの私の働き方はこうでした。動画編集に夢中になり仕事になったこんな遊びみたいなことが仕事になるなんて!当時の私はこう思ってました。ちょうどコロナが流行るちょっと前に動画編集にのめり込んでいた私は、本業にできるかも...!憧れのノマドできるかも.
こんにちは本日は、卵巣・子宮全摘・主治医曰く膣も結構切った(何㎝か謎)後の性事情について記載したいとおもいます術後すぐに更年期症状があらわれ(ホットフラッシュ)、漢方を服用していましたが↓・暑い季節になりホットフラッシュが悪化・朝の関節痛がはじまる・膣が乾きすぎて?痛い!!!(萎縮性膣炎)などの症状に悩まされ、ホルモン補充療法を開始(プレマリン内服)↓すべての症状が軽減または消失しかし、術前よりもはるかに乾いている膣が術前はどちらかというと潤いたっぷりタイプで、困った事が
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を2月に告知され、子宮広汎全摘除術とリンパ節郭清を3月上旬に受けました。もうすぐ抗がん剤治療が始まりますが、がんになる前の自分を振り返っています。前回は仕事を振り返りました↓がんになるまでの仕事のやり方(馬車馬)今回は家族との関係を振り返ってみます。母との関係現在両親は離婚しているので、私の病気は別々に話す必要がありました。(みんな別々に住んでいます)母とは離婚後からは特に仲が悪くて、
「抗がん剤始まって髪が抜けてしまう前に」という母の意見で実は今日早めの振袖撮影をしてきました!!17歳なので成人という実感は0ですけど、地毛の振袖姿を家族に見せれてよかったです。🤭スタジオの方に子宮頸がんのことを説明したら帯をあまり絞めずに着付けしていただいてすごく有難かったです。😢ドキドキの衣装室から出たあとばぁばの涙を見て思わず泣きそうになりました。髪の毛は髪飾りと花屋さんで購入した生花を使って振袖に合わせました✨振袖は母とばぁばと一緒に選んだものです🤭こういう経験をさせてくれる
ドクターから治療方針について話がある。「○○さん(父)は、自覚症状がなく、外来にもスタスタ歩いて来れるくらいの体力があるから、抗がん剤治療をやりましょう。3種類やる予定です。1回目の抗がん剤は2から3週間の入院をして、副作用など見ていきましょう。その後は通院か、4泊5日の入院をしながら抗がん剤をやっていきます。」と。そこでやっと姉が口を開きます。「治療すれば、余命どのくらいまでのびますか?」ドクターは少し言いにくそうだったが、「一年後の今頃まで生きていられたらすごいです。」「この
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を先月告知され、子宮広汎全摘除術とリンパ節郭清を受けました。今は術後3週間経っていますが、術後の後遺症が残っているのでお伝えしたいと思います。1.右脚付け根付近のしびれリンパ節郭清もしているせいか、右脚の付け根にうっすらとしたむくみと太ももの上までのうっすらした痺れがあります術後はお尻までむくみがひどく、しっかり痺れもありましたが、今はうっすらになってます。2.排尿障害術後はバルー
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を先月告知されました。その時は頭が真っ白になったまま、ただただ「がん」というワードが怖くて、もうどんな感情がわからないけどとにかく涙が溢れてきて...今でも心配した主人が病院に駆け込んでくる姿を思い出すと涙が出ます。あっという間に手術で子宮・卵巣を全摘し、リンパ節も取りました。体は前向きに頑張っていますが、メンタルは告知された時から止まっていました。・がんを受け入れたくない自分・怖くて
肺がん小細胞がんステージⅣ夫の診断です。夫は健康で風邪、インフルエンザすらならない人です。しかし7年(64歳)くらい前に肺に陰があり検査の結果、肺結核で2ヶ月間強制入院し、退院後も再発せずに67歳で定年退職。収入が無くなってしまい、現役と変わらない金銭感覚の夫に振り回されて生活が回らなくて生命保険を解約してしまいました。その1年6ヶ年後に心筋梗塞で1カ月間入院、その後1年4ヶ月後に、肺がん、小細胞がん進展性ステージⅣでした。心筋梗塞退院後7ヶ月目に心臓の検査入院をしたときに造
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を2月に告知され、子宮広汎全摘除術とリンパ節郭清を3月上旬に受けました。もうすぐ抗がん剤治療が始まりますが、がんになる前の自分を振り返っています。仕事と両親の関係の振り返り↓がんになるまでの仕事のやり方(馬車馬)がんになるまでの両親との関係(不仲)とにかく文句多め完全リモートワークで家に引きこもって仕事をしていましたが、お客様に聞こえないのをいいことにとにかく声に出して文句言ってました。
あれから母が心配な姉は、子供たち(母からしたら孫)を見張り役に実家に行くと姉の末っ子が母にべったりくっついて歩いていました「すごい蝶々がいるところがあるっていうから見に行こうと思って。運転してって」と母。私は主人、下の子2人連れて行っていたのですが、みんな蝶々に興味ないーと。とは言っても母が心配な為、みんな一緒に行ってくれました。細い山道すれ違いもできないほどの山道を車で登ってくと、たくさんの車が停まっている場所があり、ヒラヒラと飛ぶ蝶々を発見。たくさん飛んでいました興味がないと言
夫は前立腺癌の中でも希な「小細胞癌」に罹患している。前立腺癌は、ほぼ「腺癌」に属するらしく「小細胞癌」は希なケースで標準治療のガイドラインはなく、小細胞肺癌と同じ治療をするとの事。治療の指針が無いというのも不安だけど、私達は治療を主治医におまかせするしかない。最善を尽くして治療に当たっていただいていると信頼し身を委ねているネットで検索すると余命は平均9.8か月、転移ありで7.3か月、転移なしでも13.2か月。こんな数字を見てしまうと、今は元気な夫で想像もつかないけど、
12月上旬からかれこれ1ヶ月ほど、リンパ浮腫に悩まされているはじめはそのうち治るでしょと思い夜から朝までのエアボ、日中の着圧レギンス(市販品)で様子をみていたけど悪化したり良くなったりで、落ち着かない症状がひどい日は、痛くてとても仕事できないそろそろ死活問題です。休んでばかりもいられない。近医で血栓の血液検査中ではあるものの、早くなんとかならないかな特に痛みを感じる部分→右のお尻と、鼠径〜内もも足先までビリビリしびれた感じあり。姿勢的には、長時間座っているの
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を2月に告知され、子宮広汎全摘除術と卵巣摘出とリンパ節郭清を3月上旬に受けました。それからは体に色んな変化がありますが、最近ちょっと気になり出したのは体臭最初は手術してすぐだし、身体も色々ストレスかかるよね〜と軽く考えていましたが、最近やっぱりちょっと気になる。制汗剤を使えば問題ないですが、以前はしっかり毎日汗をかいていれば全然気になりませんでした。(特大級のストレ
私は希少がんとも言われる子宮頸がん(小細胞がん&腺癌)を先月告知され、子宮広汎全摘除術とリンパ節郭清を受けました。子宮広汎全摘除術を受けると、ほぼ全員が経験する?であろう尿意&尿もれ問題。術後の後遺症は3つあります(子宮広汎全摘除術&リンパ節郭清)術後1ヶ月の私の尿意&尿もれの現状をお伝えします。術後すぐは尿意ゼロ尿意がないとか今まで経験したことないし、まだ管が入っていた時は、水ガブガブ飲んでもトイレ行かなくていいとか楽〜と
昨日医大のケアワーカーに電話をした。再々度、訪問医の紹介をお願いしたのだが、現段階では一度検査をして熱の原因を見つけないと、訪問医は紹介できないし、引き受けてくれないと思うと、言われてしまった。次の受診日は22日、入院になるかはわからないが、検査をしてもらい、訪問医を紹介してもらおうと思う。今は殆ど食事も摂らず、水分摂取量も減っていて、尿も赤い。意識も朦朧として寝てばかり。脱水症状が出ていると訪看に言われている。22日まで頑張れるかな。脳腫瘍が再発する度に家族3人で話し合い治療を受けて
主人は腹痛を伴う下痢が止まらなくなりました。元々軟便気味でしたが、最近ずっと下痢が続いていると昨日言われ、絶対に私のせいだそう確信しました。3月は私のがん告知・手術・入院・お見舞いや両親とのやりとり。加えて私のメンタルケア...私がネガティブになり甘えまくっていたからだ。治ったりすることもあったらしいけど、また下痢に戻ったり。そして最近はずっと下痢だった、と。俺もちゃんと病院行こうかなあれだけ病院が嫌いな主人がまさか自