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妙心寺(みょうしんじ)は、京都市右京区にある臨済宗妙心寺派の大本山です。この妙心寺は日本で最大の規模を誇る禅寺。それもそのはず、日本にある約6,000の臨済宗の寺院のうちなんとその半数以上がこの妙心寺に属する寺院なんです。足利家が幅を利かせていた室町時代、臨済宗の禅寺には明確な格付け制度が存在していました。それが「五山十刹(ござんじっさつ)」という寺格制度。この制度の理由は、室町幕府にとって脅威だった禅寺をコントロールしたかったから!南禅寺–別格天龍寺–
下記は乃至政彦さんへの平山優さんの不当な攻撃に対する批判です。くだらない攻撃によって研究者のあるべき姿について誤ったイメージを流布しているので、フンガイし、批判に及びました。僕「嵯峨良蒼樹はこんな下らないい騒ぎを望んでおりませんが、降りかかった火の粉ですのでやむを得ず批判します。まだ前半部分のみです。後半については後日投下します。本当は『マロの戦国II』をまったりと書きたかったのですが・・・助けて、小和田先生!【宇宙の果てまで拡散希望:「室町大名論争」での「研究者」として
令和5年2月10日金曜日、雨。夕べから冷たい雨が続いてます。都内も一部で雪が積もったようですが、明日も外出の際はお気を付けて。でも明日は温かくなりそうな予報、洗濯物が干せるのかな。昨日、雨が降り出す前に屋根に上がる常設梯子を取り付けた。ここは本来TV放送が受信できない地域でNHKも諦めて放置された地区、だが八木アンテナの一番大きなサイズにブースター付けて何とか映る(東京MXは無理)。で…強い風が吹くと映らないことがある。現在フジは映らなくなってる_というわけで僕自身は地デジなんてまっ
【御成敗式目】『神は人の敬に依りて威を増し人は神の徳に依りて運を添ふ』神さまと人とは一方通行ではなく、お互いがお互いを高めあう存在である、と言う意味です。御成敗式目は、武家政権の最初の武家法で、貞永式目(じょうえいしきもく)とも呼ばれます。承久の乱後に鎌倉御家人と公家、荘園領主間に問題が多発し、貞永元年(一二三二年)に執権(しっけん)北条泰時(やすとき)により頼朝以来の先例と武家社会の慣習と道徳を基準に制定されたものです。この言葉は、第一条の「神社修理し祭祀専ら
そうしゅうさいでございます。室町幕府推定再現ジオラマ完成!待ちに待った室町幕府再現模型が完成いたしました。制作期間は2ヶ月とイバラの長い道程でしたが…何とか無事満足できる作品として仕上がったのではないかと思っております。2ヶ月という長い制作過程を紹介致しまして、いつもこのブログを読んで頂きました読者の皆様には本当に感謝しております。皆様の応援あってこその自分自身のモチベーションを上げていく糧だと思っております。少しづつではありますが、周囲から過去の作品に対する反響も出始めておりまして
自宅の近所を歩いてきました。上の写真は東谷寺(取手市)というお寺です。ここは小文間城主だった一色宮内政良の鬼門除けとして建てられたものだとか?東谷寺の裏手にある直衛門坂を下ると利根川沿いの遊歩道に出る手前右側に小文間城跡地があります。一色宮内政良は室町幕府の重臣だった一色一族の人物で、幸手一色氏のうちの一人と見られる。一色義直の弟だという説もあるが、詳細は不明。この幸手一色氏は古河公方に仕えていた。その流れで途中、領地替えなどがあり、