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突然の宣告だった。目の前が真っ暗にはならず、霞む感じがした。何か途方も無い迷路に迷い込むような感覚、この先どこをどう進めばいいのか立ち往生するような感覚がした。『悪性胸膜中皮腫』覚悟を決めるには時間が短か過ぎる。ゴールデンウイークを目前にした休日、肩肘を付いて横になってバラエティ番組を観ながら身体を捩った時、右横腹に内臓が押されるような軽い鈍痛を感じた。(あれ?何やこれ…)その時は、まさかこんな事になるとは全く思わなかった。(ん…何やろ?まあ、大したこと無いやろう。)本当に軽い気
今朝、トイレに起きてきた父(68)から聞いたけど弟が結婚するらしい。弟(多分35歳)から私には、直接の報告は受けてないし一昨年の私の誕生日前に「結婚が決まっても結婚式には行くつもりはない。呼ばないで欲しい。」と宣告したからその宣告を覚えていてくれてるなら、それ(結婚式に参加しないこと)も私への配慮と思いやりと受け止めて欲しい。“おめでたい”とも思わない。『非常識な姉(義理の姉)』と思われても構わない。どうせ、社会人としての経験がない分「常識はずれ」な人間なんだから。弟の結
注意このブログは夫(25歳)、妻(28歳)、第一子で授かった娘のこはる(妊娠6ヶ月で人工死産)の記録です。中絶や死産、羊水検査等の表現が出てきますので、不安や不快感を覚える方もいらっしゃるかと思います。苦手な方はお読みにならないで下さい。私自身の心の整理と、同じように悩む方へのメッセージのために書いているものですので、どうか批判や中傷のコメントはご遠慮ください。12
ALSと診断された。さあどうしよう。#2-1(病気のこと、どう話そうか)2019年3月、最初に体の異変を感じてから、約8ヶ月の月日を経て病気の確定診断となった。突然告げられた病名(ALS)と病気の内容、冷静だったのか、動揺してたのか。ちょっと書いていきます。(告知後の精神状態)病気の告知をされたとき、主治医の話はほとんど頭に入っていなかった。動揺していたわけでもなければ、冷静だったわけでもなかった。今でもどういう精神状態だったかわからない。しいて言えば、頭の中は情報を整理で
注意このブログは夫(25歳)、妻(28歳)、第一子で授かった娘(妊娠6ヶ月で人工死産)の記録です。中絶や死産、羊水検査等の表現が出てきますので、不安や不快感を覚える方もいらっしゃるかと思います。苦手な方はお読みにならないで下さい。私自身の心の整理と、同じように悩む方へのメッセージのために書いているものですので、どうか批判や中傷のコメントはご遠慮ください。
クリニックからの電話のあと。「どうしてうちの子が、」という思考にはならなかった。皮肉にも、私の仕事は子どもたちに子育てを教えるというものであり、その中で出生前診断やダウン症についても掘り下げて扱ったことがあった。その授業のなかでも、「ある程度卵の年齢は関係しているが、染色体異常は一定の確率で起こり得るもの。誰にでも起こり得るんだよ。」と、繰り返し伝えていたのは紛れもなく自分であった。だから、まさか自分が、とか、なんで自分が、ではなくて、なんと、私か。そんな気分だった。でも、頭
車へ戻り、声を上げて泣いた。あんなふうに声を上げて泣いたのは子供の時以来じゃないかな、、、ってくらい。何一つ許容できなかった何一つ理解できなかったさっき聞いた事の全てを全身が拒絶しようとしてる感じで。胸の奥の方が締め付けられるように痛んで、心臓が止まるんではないかと思った。両方のこめかみが脈打つように痛んで、頭の血管が切れるのかなと思った。昼前に呼ばれて来院して、もう辺りは薄暗い時間になっている事に気が付いた。お昼に来院した時とこれから帰宅しようとする今。180度違う世界にな
隣に座っている女医さん電話で「病院行くように言って!え?行かないって?じゃあ死ぬって説明して。そこに居たらしにますよ、いいんですか?って本当に死ぬよそれでも行かないって言うなら往診するわ」と怒ってます相手は施設の看護師さん肺がんと心不全がある方が呼吸困難になり酸素吸入を始めているが今ひとつ改善しないので診察に来て欲しいという電話に対する応対です施設は「ホスピス」を謳っている神経難病やがんの患者さん向けのものですカルテをみると「ここ(施設)でやってほしい」と
夫はそのまま入院の為の検査へ。私は再度ドクターに呼ばれて1人で入室。ドクターは私の方を真っ直ぐに見て「包み隠さずお伝えしますね」と穏やかな声色で話し始めた。まず、明日にもオペをしてストーマ(人工肛門)を造設すること。それは永久ストーマであること。まだPET撮影していない為なんとも言えないがリンパ節にとんでると言う事は既に血流にのってがん細胞が全身へまわっていることを意味する。このまま何もしなければ余命は数ヶ月というあたり。抗がん剤治療になると思うが、それが効かなかった場合も然り
初めまして!ここではステージ3の舌癌になったこれまでのストーリーを細分化して毎週数回更新していきたいと思っています!時系列で表すと…2018年4月ステージ1の舌癌と宣告される2018年5月入院・手術2018年7月ステージ3の舌癌と宣告される2018年8月入院・手術なぜ舌癌になってしまったのか、その時どう思っていたのか、マイペースに綴っていきます(^^)/
ALSと確定診断されるまで#7(ALS確定診断)2018年8月に体の異変を感じてから、ALSと確定診断(2019年3月)されるまで、8ヶ月ほどかかりましたが、その間のことを複数回に分けて書いていこうと思います。(告知にあたって)前回の診察の際に筋電図検査を再度受けた。それを含めてこれまでの検査結果に基づく確定診断ができる条件が整ったようであった。その上での告知となった。前回の診察や筋電図検査の再検査のときの様子から、厳しい雰囲気を感じていた。それまでは自分一人で病院に来ていたが
①年前の今日2018.7.18膀胱ガン宣告されました…全く予想しない展開に…頭真っ白…かかりつけの内科の医師に「大丈夫、ただの膀胱炎です」泌尿器科の医師に「膀胱ガンなんてことは絶対ないです、大丈夫」……が¿まさかのガン…¿医師たちの言葉を信じ、安心してた矢先、心の準備もなければ何の知識もなく…まさかの宣告当然、付き添いもなく私1人で事実を告げられる…死ぬかもしれない❓怖かった、怖くて怖くてどうしていいのかわからない…あれから①年、私は元気です(^^)
3匹の猫と暮らしていますその中の一人が3日前から尿の色が濃い自分の病院で疲れてたけど動物病院へ連れていきました血液検査の結果から、急性肝炎状態もあまり良くないので入院になりました先生の話しでは一週間治療して、回復のみこみがなければ残念ですけど手の施しようがないですと。自分が癌を宣告された日に愛猫が肝炎で入院何ていうタイミングでこんな事にイヤな予感がするぞー私の入院が決まって治療中に天国に行くってこともあるよね治るなら、治る、ダメなら、私の入院になる前に旅立ってくれっあなた
★2019年.3月2018年9月の2ndTURBT5ヶ月後、BCG予防2回目終了後……膀胱鏡検査。「問題ナシ」(^^)BCGの薬も半分だし、副作用もあんまりなかったのが、逆に気になり…心配でしたが、ホッとしました。この調子で、再発なしで生きたいなぁ〜。余談ですが…がんサバイバーあるある¿肩こり…だったり、脇腹がチクチクしたり…胸に違和感があったり…筋肉痛だったり…今までなら気にしなかったような、些細な不調にとても敏感になります。「再発⁉︎」「転移⁉︎」と怯
医療センターでの出来事から翌日…帝京大学付属病院耳鼻咽喉科へ紹介状を持ち、パニック状態のまま向かった。診察室に入ったら、優しげな雰囲気で、どことなく芯が強そうな先生がいた。この先生は後の手術の主治医で、今後ともお世話になる先生。この日が初めての出会いとなる。ここでの検査は病理検査。舌に直接麻酔をかけ、左舌患部の一部を採取し、悪性の疑いがあるかの確認をするのだ。先生も今の自分の舌の状態を見て…「これ、ヤバイな…。」と言
はじめまして。★2018年、46歳人一倍、健康に自信のある私が、ある日突然「膀胱がん」宣告。まだまだ経過観察中の現在進行形です。記録として残していきたいと思います。★
(前記事より続きます)そんな絶望再びの中。偶然ここにたどり着きました。ここでは同じ病状を抱えるたくさんの方々が生き生きと本当に生き生きと楽しみながら歩んでいらっしゃって。それまで地の底にいた私に強くてとても明るい光が差しました。ここで語られる生の言葉は力強くて私が知るものとは全く違っていて本当に尊い。もう感謝しかありませんでした。それ以来。ここに来るのが日課となって。日に日に心が前を向く中。私の思いも書いてみようか思いを残しておこうかなどと少し欲が出てきま
2018年4月27日運命の日がやってきた。この日の朝はいつも通りの晴天で、いつも通りに身支度をして病院に向かった。電車で移動中、不思議と動揺はしなかった。もう、覚悟を決めていて、何言われても仕方がないという感情になっていたんだ。病院に到着し、診察室で主治医は淡々と説明した。「結果が出ました。」「はい。」「検査の結果、ステージ1の舌癌です。」「左側は完全に悪性腫瘍で、右側は癌一歩手前です。」「やっぱそうなのか…」
子供にも言わなくちゃ、と思ったのは髪の毛が、日に日に凄い勢いで抜けて来たから。子供たちはママかわいい。とまだ言ってくれるから。髪の毛がかわいいとか、メイクがいいとか、ピアスしないの?スカートかわいいね、いつもそう言って褒めてくれる。だからいつもきれいにしなきゃ、と思ってたよ。そういえばうちはまるで外人の夫婦のように毎日パパはママに告白している家だった。亡きパパは亡きママによく言ってた。ママ、かわいいよねー。なんでこんなに美人だし気がきくんだろ。こんな奥さんいないよね
昨年の12月に子宮体がんを宣告されました。自覚症状がイヤと言うほどあったので、覚悟はしていたものの、現実に医師の口から告げられると衝撃的です。まぁ、それよりも手術まで二ヶ月待たねばならないことにダメージを食らったのですが…今は痛みと戦いながら、2月半ばの手術を待っています。あまり効かない痛み止めを飲んでいるだけで、治療の一歩も踏み出せていないことに焦りはありますが、いろいろな思いをここに綴れたらと思います。よろしくお願いします
寂しいですが残りは家族と過ごす時間にあてたいと思っています。面会に関しても24時間いつでも許可します。心肺蘇生のお話もさせて頂きますが、胸骨圧迫は痛みを伴うので、やりたくありません。ご家族が不在のときは最期の時間を過ごしてもらうために心臓の動きを少し強化させるお薬のみを使わせていただきます。できれば、明日会わせたい家族がいれば上の子達含め全員会ってほしいとそう告げられました。
私がブログを始めたのは二つの理由からでした。肺転移が分かった当初は絶望。思考ストップ。時間ストップ。全てのものの色がなくなる。それでも時折ふっと我に返ると。何ならもう明日死ぬ勢いで。何かしないといけないのだけれど何をしていいのかまでは考えられず。思い付くこと思い付くまま焦って急いでしておったのですが。少し落ち着いてくると次は先が気になりだして。私はこれからどうなるのだろうかと転移についてのあれこれを調べ始めると。平均寿命がどうだとか予後が何とかだとか生存率が
さて、今日もやっております。月曜日に受診するので、やっぱそれまで不安ですな。心拍見えるかな、とか、胎芽見えるかな、とか。あー、早く月曜日になれー。生きた心地がしない。ちなみに出血は、朝から今のところ止まってます。しかしまた膣座薬入れたときとかにどばっと来そうで怖いんだよな…。来るなよ、茶オリよ。あと、やたらとお腹が空きます。なんかもう空腹がすごい。大して動いちゃいないのに。体重増えるじゃないですか。いや、今のところ2キロ増ぐらいで留めてますが、こんな初期で2キロも増えてること自体が
おはようございます!!昨日のブログのアクセスが、、、7200になっててすごくびっくりしました嬉しいですコメントぐたさった方もいて、、元気を与える側が元気をもらってしまいましたw7200人も見てくれた事実がとてと嬉しいですなぜそんなにバズったのかは分かりませんが、1人でも多くの人に見てもらいたいので幸せです少しでも同じような状況下の妊婦さんや旦那さんの不安をなくせるようにの願いを込めています宣告された事実は変わりません。それでもそこから2人でどう話し合うか!それが大事です周りか
2022年。年も改まったということで。本日よりスタートでございます。転移発覚から3週間。思いはゆらゆらしておりますが。何とぞよしなに。さて、どんな1年になりますことか♪
初春三日。30分ほど歩いてきました。柔らかい日差しが心地よくて。病気も忘れてしまいます。
先生とともに旦那が入ってくる。一瞬、旦那と目が会ったけど、お互い言葉を発さなかった。先生は、再び私のお腹にプローブを当てた。「あのね、落ち着いて聞いてね」ああ、聞きたくない…。「赤ちゃんの心臓が…止まってるの」悪い予感は的中した。直前に悟ってしまったからだろうか、パニックにはならなかった。ただ、旦那の顔は見えなかった。「ここ、心臓。分かる?動いてないの」震えた先生の声、たぶん一生忘れられない。先生はそのあと、状況を説明してくれた。これは「常位胎盤早期剥離」という症状で
アルマンは生まれてすぐNICU(新生児集中治療室)に連れて行かれました。ポーンポーン、ピピピッピピッ、独特の機械音が鳴り響く部屋。ここは様々な事情を持った赤ちゃんが必死で生きようとしている戦場です。片隅に、ティッシュの箱が机にポンと置かれている部屋もあります。この部屋で両親は医師から色々な話を聞き、ティッシュで涙や鼻水を拭くのです。ある日、アルマンに会いにNICUに行くと、同室の子に緊急処置が必要だからと退室させられました。後日、会いに行った時にはまた部屋が締め切られており、「(
病気を宣告されて12日経ちました。本日より、少しずつ記録や気持ちを綴っていってわたしのブログで何かを感じとってくれたりしてくれたら嬉しいです😌とりあえず、今日から、改めてよろしくお願いします。
診察室に入ったとき。先生から告げられるほんの一瞬前。机上のPC画面上でした。「悪性」大きな文字で。そこで私の時間は止まってしまいました。その後先生から説明ありましたが。よく覚えていません。「脳にも気になるものがある」その言葉以外は。