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12月5日に、熊野三山巡り、西国一番札所の、那智山青岸渡寺のお参りを済ませた翌週です。白内障の手術日が決まっているのでそれまでに満願したいと日程調整していました。12月12日(月)・第30番札所宝厳寺・第33番札所華厳寺の参拝に5:40出発6:20新名神高速道目の手術前ですがマァ見えてます。7:10、大津SA日の出8:30長浜の連絡船乗り場に着駐車場には誰も居ない!一番乗りかと思ったら、9:00発と思っていた
縁を結ぶ私だけのお守りアクセサリー自分のことがついつい後回しになってしまう優しいあなたに。✾背中をそっと押す✾守られている安心感✾心が軽くなるいにしえの神の国・京丹後から水引で作るお守りみたいなアクセサリーをお届けいたします。自身で学んだ事を活かし、各種・SNSの初心者向け講座や、名刺・ショップカードのデザイン&印刷も始めました。『ご提供中のメニュー・講座、ワークショップ等』講座・ワークショップについてK-ioriは、独自のお店やサロンなどお客様にお越
翌日は朝8時にホテルを出てJR湖西線をさらに北上して今津駅で降り、今津港から琵琶湖汽船に乗って竹生島クルーズに出発しました。夕食後に爆睡してしまった私達ですが、それでもチェックイン直後と夜中と朝と、しっかり3回も温泉に入りましたよ❤昨日の快晴とは打って変わって、ゴールデンウイーク前半の2日目は関西全域で雨でした。☔近江の峰々には低く雲が垂れ込めて霧も出てドラマティックな眺めでした。竹生島クルーズの今津航路の始発は9時半発です。一時間に一本しか便は
国宝宝厳寺唐門(ほうごんじからもん)桃山時代1603年一間一戸向唐門、檜皮葺船着き場から急な石段を上り、途中で右に入った位置に建ち、観音堂に接続している。この門は慶長7年(1602年)に豊国廟(京都の東山にあった豊臣秀吉の霊廟)の唐門(極楽門)を移築したものであることが、『梵舜日記』にみえる。その極楽門は大坂城の極楽橋の唐破風造部分を豊国廟へ移築したものである可能性が指摘されてる。極彩色の彫刻と飾金具で飾った華麗な門で、桃山時代の雰囲気を伝えている。宝厳寺(ほうごんじ)は、滋賀
ガイドブックに載っていない松山道後の違った楽しみ方、『道後温泉(裏)観光ガイド』。第1回目は明治時代より、「松ヶ枝遊郭(まつがえゆうかく)」として賑わっていた「宝厳寺(ほうごんじ)」前の通りです。いきなりアングラな話からのスタートです。「遊郭街」とは女郎屋が集まった地域のこと。大ヒットアニメ『鬼滅の刃』で、「吉原遊廓」の名が広まったので、ご存知かもしれませんね。「吉原遊廓」とは江戸幕府によって公認された風俗街のような場所です。遊女(ゆう
60年に一度といわれる竹生島・宝厳寺の御開帳ですがなんと開創1300年を記念して弁財天堂は5/18〜5/27観音堂は10/12〜10/21ご本尊秘仏御開扉されます✨
琵琶湖に来られたよ。ありがとういよいよ、神々の島「竹生島」へ!竹生島②龍様と色白辨財天様と不動明王様からの続きここに来たら、絶対にやる!かわらけ投げ。投げたかわらけがあの鳥居⛩️をくぐる~?それはあとで紹介するとして、まずは、竹生島②の続き。三重の塔。モチの木、樹齢は約400年。おびんずる様。国宝の舟廊下。廊下の天井に、舟の底が使われている。ここにも辨財天様。
山本ひろ子ゼミ日吉山王祭FWのオプションとして、竹生島と白鬚神社に行きました。こちらは竹生島の宝厳寺の本堂です。宇賀神弁才天さま山本ひろ子先生の「異神」を読んで最初に描いたカミサマでした。頭上に翁頭の白蛇体の宇賀神さまがいます。こちらは唐門。秀吉が建てた大阪城極楽橋の一部で現在唯一の大阪城遺構で、東山豊国廊極楽門に移築、豊臣秀頼の命により竹生島に渡ったそうです。カラフル唐獅子。こちらは舟廊下。唐門奥の観音堂と同時に掛けられ、秀吉の御座舟「日本丸」の骨組みを
竹生島宝厳寺さんに行ってきました。西国三十三カ所巡りの30番札所です。長浜から琵琶湖汽船にのり船で行きます。約30分乗船で乗船料は往復で3,070円です。竹生島では約50分程滞在です。この船はうみのこという船です。