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このブログではあまり私め個人の好みを前面に出さないように心がけているつもりですが、私めは医療の現場におけるヒューマンドラマが大好きです!これは度々書いているのでご存知の方も多いでしょうが…前クールの「お別れホスピタル」もそうですし、「コウノドリ」や「透明なゆりかご」古くは「救命病棟24時」や「Dr.コトー診療所」など、ドラマのジャンルの中では最も好きなジャンルなんです。その分、目も肥えてしまって評価は厳しめになります。そんな私めから見て、このドラマは傑作になるかもしれない期待感が高まる
いよいよ退院の日が来てしまう・・・・・。ー退院当日ー案外、順調!私は、何も出来ないけど、サービスを使えば意外と介護ってなんとかなるんじゃない⁉︎・・・・・・。ところが、そんなに甘くはありませんでした。さらに、しばらくしてから、何やら父が何度も何度もおかしな行動を取るようになったのです。その行動は、私と母の怒りを買うものだったのです。続く(次回5/1更新予定!)⭐︎これまでのおはなし⭐︎↓↓↓『昔話〜第1話〜』ところが・・・。家に電話を
アンニョン(^-^)/。日にちを越えたので、4月22日、火曜日です。昨日は、大変な日でした。朝書きましたが、義母の施設に、義姉と待ち合わせして行って来ました。義姉は、会った時から、少し不機嫌そうで、最初から気を遣い…。ずっと義母を放置してたのに、そんな事がなかったような、様子でした。往診前に、義母のお部屋に入ったのですが、義母は、私のことは、わかりますが、義姉のことは、どなた?って言う反応で、「こちらは?」と…。私が「お姉さんですよ!」と伝えたら、思い出したようで、名前を呼んでま
始まりは2022年7月。旦那が脳出血で倒れた。これまでも、うつで眩暈がしたり意識失いかけたこともあったから、それかな。。なんて思ってた。夕食に具材がもやしだけの焼きそば出したからいけんかったかな。。とか。テレビでは東京リベンジャーズの実写版があってたっけ。意識なくなる直前に幻聴聞こえて『誰⁉︎何か言った⁉︎』って言ってた。それでも息子を抱きしめてくれてたね。その後は、意識なくなって、それでも嘔吐してた。救急隊の人が来てからも『以前も意識なくなりかけたり。。』って私は話してて、『脳の方を疑ってる
一番好きな植物は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようタンポポですね。ブログご訪問ありがとうございます。😃日本でも「二重国籍」を認めるべき?なぜドイツは全面解除?パックン「外国人は帰化できるのに、日本人が海外の国籍を取れないのはかわいそう」(ABEMATIMES)-Yahoo!ニュース今年1月、ドイツで二重国籍を全面的に容認する法改正がされ大きな話題となった。これまでEU加盟国の出身者に認めていた制限を撤廃したかたちだ。ドイツの報道によると、「国籍
一昨日の朝の話。ゆっくり起きた私も悪いんだけど。旦那は作業所、息子は放デイで、2人のお弁当をダッシュで作ってた。ゆっくり遊びながら準備が進まない息子。今日が何日かわからない旦那。2人に声かけする余裕もなく、バッタバタ。そしたら、私がバタバタしてる様子にムカついてきた様子の旦那『なんでそんなイライラすると?そんなら休めばいいやろ?』は、なんて??もう迎えに来る時刻なのに、今から休むとか、まじ迷惑。そして、休めないとわかると『わかった、行ってくる』と、手ぶらで出て行こうとする
再度、介護認定調査員が来て母と面談した。調査員が型どおりの質問をしていくが前回とは全く違い母は何も答えられない。声をかけられると調査員の顔を見ているので聞いてはいるようだが、しばらくすると目をつぶってしまう。前回調査員が来た時は椅子に座り、質問に正確には答えられなかったが意思疎通は出来ていたし体も動かせた。あれから数か月経っているように感じるがたった1か月しか経っていないことに改めて驚いた。母が何も答えられないので家族へ状況の質問があり調査は終了。ケアマネさんから暫定で要介護4のケアプ
夫がデイサービス、ショートステイ利用して約1か月がたちました。最初のころはまだ減薬してなかったので人の手がかなり必要で見守りも絶対ないとダメ状態でした。でも今は減薬して3週間くらい。心配していたてんかん発作も起こりません。地震のあった時もすごく落ち着いてびっくりしました。この間、そのデイとショートからお便りというか施設の広報ちらしが来ました。12月はこんなことしたよー、みたいな写真とコメントが書いてある感じ。夫も写っていたんだが。「なんか、施設のスタッフみたいだな。」利用
2度目の救急隊員が来た。今度は酸素の値がかなり下がっていた。高濃度の酸素投与(10ℓ)が必要なので、リザーバーマスクという高濃度の酸素を投与する、袋の付いた酸素マスクをつけられた。母は後に「お父さん、ちょうちんみたいなの付けられとったなぁ」と言った。高濃度の酸素を投与されても、血中の酸素濃度は正常値をかなり下回っていた。痰に溺れているような状態だ。病院に着き、痰を取ってもらうと徐々に酸素
父、一人介護2度目の木曜日。11時半に訪看さんが来る予定なので安心していた。お昼すぎに父からLINEで「母、またうんち失敗。自分でおむつを引っ張り出してしまった。」と連絡が・・・10時半頃、母は左手で便のついたオムツを引っ張って外してしまったらしい。父ではどうにもできず訪看さんに電話をし予定より早めに来てもらいオムツの処理から汚れたシーツの取り換えまですべて行ってもらったそうだ。すべて終わって安心して家族LINEで連絡してきたようだ。母も汚れたオムツを取り換えてもらえず相当気持ち
寝たままの母の手を握りながら色々と母のことを考えるようになった。母は明るく面白い人で社交的でもあったので仲良くしている人は多かった。だが、かなり常識外れで傲慢さもあったので母を嫌いな人も多かったろうと思う。かくいう私も、子供のころは友達のお母さんたちとは様子が違う母が恥ずかしかった。大人になってからは母がもしただの知り合いだったら絶対に仲良くならないタイプだな・・・と思っていた。性格の合う合わないだけではなく詳しくは書かないが家族として裏切られたりしたこともあり嫌いだと思うこともあっ
モノが落ちそうになった時にハッシ!!!と、キャッチできたらまだまだイケるんちゃうかと思ってしまうアラフィフ、ペガサスけいこです。最近、そんな瞬間多発。一回なんか、ちょっと弾いて、2・3回お手玉したのに無事キャッチ。かわい子ちゃん達との生活のおかげかしら。。ま、そもそもイケるって、ナニ?こちらのブログでは2021年度第24回ST(言語聴覚士)国家試験に向けての勉強の記録を綴っています!現在学生の身分での発信
介護ベッドが入った翌日12/17は用事があったため私は帰宅し夜遅く妹が来ることに。その日の母は日中ずっとベッドの上にいて、トイレに行きたくなると起き上がろうとするので父が介助しながらトイレに入る。どんなに具合が悪くても毎日湯舟に入りたがる母のため、父が支えながらなんとか入浴もさせたそうだ。【その日の父からのLINE】5時前に後ろから抱きかかえるように支えてトイレに行った。ベッドに帰った後で白湯をコップ1杯飲んだ。これから風呂に入れる。後ろから抱きかかえるようにしながら足から母の自
水分を摂る事ができなくなって4日目、妹が目をつぶった母におはようと声をかけ指でまぶたを開けてみたそうだ。するとしばらくそのまま目を開けてキョロキョロしており、だんだん焦点が合ってきたらしい。そして妹とバトンタッチをして母の様子を見ていると時々うっすら目を開けるようになった。もうすこしはっきり目を開けたら水分をとらせてみようと思う。翌日朝方に様子を見てみると目をしっかりと開けていて、視線も動く。喉乾いた?と聞くと少し頷いたように見えた。頭を起こし野菜ジュースをコットンにしみこませた
今日は、岩槻まちゼミ「しっくいと書道のコラボ」の二日目です!!!1日目の様子は、チャーリーさんがYouTubeにアップしてくれました。まずは、森さんのしっくいのお話しです続いて、講師の高瀬喜代美さんの書道です😊最後は、みんなでしっくいを塗ってます😊YouTubeにはありませんが、時間があったら、高次脳機能障害と脳卒中のお話をしてみようかな?近いうちに(仮称)高次脳機能障害者支援法が制定されるかもしれないですからね😊講師の髙瀨喜代美さんは、白杖を使
2月中旬の人間ドックにひっかかりそこから1週間おきにCT検査やらMRI造影検査やら気管支鏡検査やら。。結果的に「肺腺癌&リンパ&骨転移多発」。癌宣告されて1週間後に遺伝子検査の結果が出ました。3/22(金)の検診でALK融合遺伝子に変異があるとのことです。事前に「治験」の話を伺っていましたが治験ではなく標準治療で進めるらしく。(治験だと諸々の検査代や薬代が無料で、しかもお車代が結構出るので良い小遣い稼ぎになるなと思っていたので、少しだけ残念な気分でした。。)主治
母は意識がはっきりしてきて苦痛が出てきたのかしきりに頭や耳を押さえる仕草をする。こちらから聞けば「痛い」「右の耳が聞こえない」と声を出して答えられるようになった。言葉で答えられるようになったのは嬉しいが、苦痛があるのは可哀そうなので初めて処方されていたカロナールの座薬を入れてみることに。事前に訪看さんに教えてもらっていたが実際にやるのはなかなか難しかった。なんとか挿入に成功し、痛みが和らいだ母はウトウトし始めた。状態が安定しているようなので私は一度自宅へ戻り、大晦日は妹に任せて元旦
退院の付き添いを終えた私たち姉妹はそのまま実家へ泊り、宅配ピザを頼み一応退院祝い?をした。久々に食べたピザは母の口には合わなかったようで「美味しくないね」と言っていた。実家からバスで5分程の駅まで行き、20分ほど歩いた所に地域包括支援センターの分所のような「相談室」というものがあると分かった。退院の翌日、姉妹で行って来ようかと話していると母も同行すると言う。少し心配だったが脳以外は元気だし歩くのも運動になるので一緒に行くことにした。相談室に到着し、どういった病気か聞かれ「膠芽腫
もう母は年を越せないのではないかと覚悟をした翌朝、ベッド上の様子を見に行くと・・・なんと母ははっきりと目を開けて視線を動かしていた。声をかけるときちんとこちらを見てきてしっかりと目が合う。私が顔を動かすとそれを目で追う。声は出せないが何か言いたそうだった。さらに翌日、何か水分が取れるのではないかと誤嚥しないようベッドを起こしスポイトでお水とトマトジュースを数滴口に入れる。子供の頃風邪をひいたときに母がリンゴをすって食べさせてくれたのを思い出した妹が小さなスプーンですりリンゴの汁を
~プロフィール~福岡出身。現在39歳。2010年大阪にある情報システムへ就職。2020年2月22日に倒れ、高次脳機能障害に。失語症・失行・注意障害・記憶障害など。身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。こんばんは。先月、最終回と名付けたが、その記事を書き終えてから思い出したことがある。それをエピローグとしたい。最終回を書いた2月22日の翌日からは、3連休だった。妻は、家族4人で京都に遊びに行
~プロフィール~福岡出身。現在39歳。2010年大阪にある情報システムへ就職。2020年2月22日に倒れ、高次脳機能障害に。失語症・失行・注意障害・記憶障害など。身体障害手帳3級&精神障害手帳3級。麻痺の為、杖持ち。詳細はコチラ。妻と小4長男・小2次男の4人暮らし。務めていた会社に2023月8月から復職開始。2024年3月末まで、復職継続の判定中。おはよう。私が倒れたのは、2020年(令和2年)2月22日の朝。今からちょうど4年前。“2”ばかりの日の早朝、
両親はずっと和室に布団を敷いて寝ていた。毎日の布団の上げ下ろしはもちろん起き上がるのも大変になってくるのでベッドにした方が良いんじゃない?なんて話はしていたが、そのままになっていた。介護保険調査員が来た翌朝、母が起き上がろうとすると右側に力が入らないようで布団から起きられないので父が支えながら起こしてあげたと連絡が。起こしてあげれば椅子に座ることもでき、壁などを支えにしながらトイレにもお風呂にも行くことは出来るとのこと。妹がサポートセンターの方に相談をしてくれ今日のうちに介護ベッドを入
長年の願いが叶って、2020年11月28日、大分県別府市にあるAPU(立命館アジア太平洋大学)を訪ね、出口学長とお会いすることができた。約35分間の面会、嬉しく有難い時間だった。2021年1月9日の朝、出口学長は脳出血で倒れ緊急搬送。一命はとりとめたものの、意識障害、右半身麻痺、失語が出た。”復活への底力”を発揮し懸命のリハビリに励み、2022年4月に学長に復職。その年の7月に『復活への底力運命を受け入れ、前向きに生きる』を刊行した。『『復活への底力運命を受け入れ、前向きに生
【ことば・コミュニケーションの発達や食べることをサポートする言語聴覚士】ことばの発達サポートfluffy代表の多部未来(たべみく)です。”言語聴覚士”とは、話す・聞く・食べる、のスペシャリストです。私たちは主にことばでお互いの気持ちや考えを伝え合い、コミュニケーションをとっています。ことばによるコミュニケーションには、言語、聴覚、発声、発音、認知、などの各機能(脳、耳、唇、舌、鼻、喉、などの身体部位)が関係しています。何らかの原因で、その機能がうまく働かないと、ことばでコミ
乳がんから肺・骨・脳の転移を経験しました。2013冬にわかった脳転移の再燃により2度のサイバーナイフ。その後も壊死と再燃のため再び脳は大きく浮腫み緩和ケア(最期)のお話もされました。(2017/12)2018年10月開頭手術後あっという間にまたまた癌の再燃。しつこいったらあ〜りゃしない〜お陰でわたくしは右手足の麻痺失語症になっています。なるようになる麻痺で利き手が使えず左手だけでハーバリウム作れていますハーバリウムとディプロマの資
母の友人からクリスマスカードとお見舞いのお花が届く。母は介護ベッドの背の部分を起き上がらせてそこに体の左側をよりかからせ、背中にクッション数個を支えとして置いてあげるとベッドの端に自力で座っていることができた。その姿勢のままトマトジュースや牛乳をスポイトで飲ませる。ケアマネさんが様子を見に来られ、前回来た時と母の様子がかなり違うので驚いていた。しかも帰り際、母に声をかけると「ありがとうございます」と掠れた声で言ったのだ。これには家族全員で驚いた。ケアマネさんが帰ったあと「飲み物飲
母の覚醒度合いがかなり高くなった。日中ははっきりと目を開けているし聞いたことに「うん」「違う」と声に出して答え、少しだが表情が変わるようになった。「私が誰か分かる?」とふざけて聞くと”わかってるわよ”というような顔をしてフフッと笑う。そんな母に少し安心してしまったのか私が風邪をひいてしまったので一旦自宅で休むことに。その間は母の様子をLINEで送ってもらっていたのだが、とにかく良く食べるらしい。食べるのはプリン・ヨーグルト・ゼリーというようなものだが、飲み込みの調子が良ければ蒸しパ
夫が前々から熱望していた鷹匠体験🦅に行って来ました。病後のある時から急に「前からずっとやりたかった❗️」と言うようになって。一応調べて横浜の方のふくろうカフェ🦉で鷹匠体験出来るってことは調べたことあったんです。最寄りがバス🚏みたいで、どの駅からどこ行きに乗るのとか何分くらいかかるのとか調べなきゃで、今よりまだ夫の歩行がしっかりしてない頃で大変って思ったのと、私自身が🦉いっぱいいる室内で☕️飲むのとかちょっと気が進まず、そのうち夫も言わなくなったからスルーしてました💦(🦉1羽を眺めるとかなら
こんにちは。過去を振り返って書いてます。1月2日今日は私の知人で高校時代からの友人、結婚してからも家族付き合いをしていたI家族と会った長男は男同士同級生次男はI家の長女と同級生(高3)長男と次男は生まれた時から、I夫婦には可愛いがってもらっていた。子供同士は幼なじみである小学生の頃は、次男はI家の長女と仲良く、お互いの家に泊まりに行ったり来たりしていた今回も私からI家に次男と会ってもらえないかと誘ったのだが快く受け入れてくれたこの病気になり、次男が人に会う事や、外出するこ
葬儀を終えて帰ると私と子供達、4人連名宛の手紙が行政から届いていた「世帯主を変更してください」葬儀の翌日、役所へ行く世帯主変更を終えると子ども関連の課へと案内されたひとり親家庭への支援について1時間ほど説明がしたいとの事あ。そうか、私、ひとり親なんだ・・・そこで初めて自分の状況に気が付いたなんで何も考えてなかったのか不思議なくらい次男と娘の2人が未成年という事で児童扶養手当・遺族年金について説明を受けた遺族年金の支給額が児童扶養手当額より低