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吾郎の写真(スマホ)を見せると、ほぼ全員がこう言いますいっしょやん(*‘∀‘)私と吾郎、同じ顔らしいです性格もよく似てるから、私の弟は、こう言います(ねぇちゃんの)コピーやん(*‘∀‘)当の本人たち(私と吾郎)は、そんなに似てる?って感じだったんだけど。あるとき、ふたりで私のスマホを覗き込み、2人で写ってる写真を見ていっしょやん(≧▽≦)みなさんが仰るとおり、そっくり親子でしたそんな
娘が、おうたと同じ学位年に上がる。段々と、お兄ちゃんよりも年上になる。そんな現実に寂しさを募らせたり、本当に我が子は大人になれるのだろうか?と不安になってみたり・・・おうたと同じ時期、時刻に、娘までいなくなってしまうんじゃないかという恐怖。親としての責任も、これまで以上に重くのしかかる。きっと娘はすごく窮屈に感じている。色んな事に制限をかけていること。家の裏の公園ですら、大人がいない場合は遊ばせられない。春休みの学童も、歩いて行かせられない。自転車も禁止にしている。な
私は兄弟がいます。兄が二人です。兄二人とは、父親が違います。それを知ったのは大人になってからだけど。長男は東京に10年以上いましたが、地元に帰って結婚して、今は近くに住んでいます。が、交流は特にありません。次男は東京に住んでいます。こちらも、普段は連絡を取ることがありません。帰省した時にたまに連絡が来て、タイミングがあればお互いの子供を会わせるという目的で会うくらいです。二人とも都会人といった感覚の人種です。私は、ザ田舎者感覚です。なので、たまに会う分には、面白いな~で済み
娘がスプラトゥーン3にハマっている。私も旦那も、娘と楽しくプレイしている。が、私と娘は同じSwitchで別ユーザーでプレイしているため、対戦したり仲間となって戦うことができない。旦那はSwitchライトでプレイしているため、娘とプレイしている。それぞれが交代しながらプレイしているが、不便さもある。おうたのSwitchを借りてプレイすれば一番手っ取り早いのだけれど、おうたのSwitchは一度も使っていない。時が止まったままだ。私はずっと、おうたのSwitchとiPadを開けないでいる。
今日、ようやく、学校から案内された保険金の手続きを終えた。事故で入院したり、亡くなったりするとお金がもらえるやつらしい。一口300円とか500円で、毎年新学期に案内が来て、何も考えずに払っていた気がする。まさか、こんな形で、お世話になるなんて…必要書類の中に、戸籍謄本もしくは除籍謄本とあって、本籍がある隣町に取りに行ったんだけど。その書類を見て、涙を堪え切れなかったな…おうたの欄だけ、死亡除籍って書いてあって。本当に、おうたはこの世には存在しなくなっちゃったんだって。車に戻
今日は、うちのワンコの2歳のお誕生日。旦那と、娘と、ワンコとでお祝い。ママ特製の手作りケーキ。新しいおやつ。ワンコは大喜び。本来、出会うはずのなかったワンコ。おうたを失って、悲しくて寂しくて辛くて。一人の時間が耐えられなくて。四人家族だったのがいきなり、三人家族になってしまったことが受け入れられなくて。仕事から帰って、写真のおうたしかいない家に帰るのが、どうしても辛くて。そうして迎え入れた新しい家族。おうたの代わりにはなれないけど。ワンコは私に色んなものを与えてくれて。
娘を幼稚園バスに乗せる担当の旦那。ウチワを使うため、持たせたんだけど…旦那、渡し忘れ…orz外出したくないんだけど、旦那も頑張って仕事行ってるし、送金もあったから幼稚園まで届けに行ったよー大雨で余計気分が下がる…☔でも、せっかく外出たし、娘のためにプリキュアのDVD借りて、おうたのお花も買ったよもちろん、ひまわり🌻
私の住む北国でも、ようやく桜が咲き始めました。毎年、桜を見ると寂しさと悲しさが募る。おうたとさよならする前は、幸せの象徴だったのに。時間の経過と共に、おうたと同じ年頃の男の子を目にしても、以前ほど憎悪を抱かなくなった。見当違いな憎しみや疎ましさの代わりに、思い返すのは自分への後悔。GWの日。旦那の実家で咲く桜の木で、おうたと木登りをした。母ちゃんは子供の頃、よく木登りをしたんだよ。おうたもできるかな?って。その2日後に、木登りが原因で事故にあった。後悔してもし切れない。ごめ
6月7日。おうたとお別れをしたとされる日を、3回も迎えた。その時間の経過に驚くと共に、最初に比べて何をしても涙が出るという状況から離れつつある現実に、寂しさを抱くと呟く旦那。わかる。悲しみは変わらないのに、段々と日常に溶け込んでいることに、寂しさを感じる。益々おうたとの距離が遠くなる。今年も、恐山にきた。やることは毎年変わらない。祈祷、供養をしてもらって、それぞれの塔を拝んで歩く。湖の浜辺に座って、二人でおうたの話をして。旦那は寺にあるお風呂に入り、私は車で待ち、合流して帰る。毎回
最後にブログを書いてからだいぶ経ってしまった。果たしてここに書くことが正しい判断かは分からないまま、再びパソコンの前に座っている。新しい命がこの身に宿った。それはとても幸せなことで、嬉しいことで、ハッピーなことのはずだ。けれど、その感情を私は素直に受け入れることができずに、ずっと持て余して過ごした。悪阻も相まって、私の精神状態はボロボロだった。そんな私の心境などお構いなしに、周りは120%の祝福を向けてくる。それが居心地が悪く、息苦しかった。保健師や助産師に、おうたのこと
おうたが事故にあったとき、おうたは1歳下のお友達と近所の公園にいた。2年生になったばかりのことだった。あの時は、子供だけで公園に行くことは日常だったし、他のお友達も、親がついて公園に行っている子はいなかった。だから、私はどこかで、自分の判断が間違いではないと思いたかった。だけどずっと、喉の奥に小骨が引っかかっているような罪悪感と後悔が消えない。たまたまネットで、7歳の子供がお友達とだけで公園に行くことに対して、賛否両論意見があった。何かあってからでは遅い。過保護と言われても構わない
おうたの葬儀、新聞に載せました。それは、あまりに突然のことで、周囲の人に知って欲しかった。って言うと語弊があるけれど。今後、会う人みんなに、おうたのことを伝えるのが辛いと思ったから。もちろん、おうたのお別れにたくさんの人に来てほしいっていうのもあった。ただ、私は最初、旦那に言ったんだ。そんなにみんな新聞見る?わざわざ、お悔やみ欄見る?そもそも、私達の世代は、新聞取らないんじゃない?旦那は職業柄、新聞も読むしお悔やみ欄も毎日見る。うちでも新聞を取ってるし、それが普通だった。でも、
今日、納骨のこと、素直な気持ちを旦那に伝えた。旦那自身は、納骨になんの抵抗もないけど、私の気持ちもわかってくれて。四十九日過ぎたら、私たちは引っ越す予定なので、引っ越し先におうたを連れて行って、一周忌に納骨しようかって話になった。私も、四十九日に納骨しないのなら、先のことは分からないから、それで納得した。ちょうど、旦那の両親もおうたに会いに来たので、その話も旦那からしてくれて。四十九日には納骨をしない方向になった。なんとなく、ほっとした。やっぱり、今はまだ、気持ちの整理もついてない
小学校の校長先生の紹介で、臨床心理士の先生のカウンセリングを受けてきた。カウンセリングっていっても、ただ話を聞いてもらうだけ。それだけなのに、すごく心が軽くなる。多分、無意識のうちに、周りに話をするときに、これを言ったら悲しむかなこれは言わないほうが良いかなこれは言い方気をつけないとなって、いろんなことを考えながら、私なりに気を使っているんだと思う。カウンセラーの先生には、そういう気を使わないで、自分の気持ちを話せるから、それだけで救われる。私達夫婦は、ある決断をしたんだけど。
職場に、外線から電話が入った。今日予約だったが、子供の小学校が休校になったことと、大雪で車を出せないということで、予約を変更したいとのこと。名前を聞いて、生年月日で調べたら…おうたが事故にあったとき一緒に遊んでいた友達の母親だった。遊ぼうって、おうたを誘ったのはそっちなのに…休校になったというのは、おうたの通っていた小学校…本来なら、うちも、子供の小学校が休校だったんだなおうたなら、今なら小5だから、一人で留守番できたかな?なんて、あるはずだった未来を想像して、それらがどうして私
吾郎が旅立って2日が経ちました。まだ2日なのでね。旅行に行ってるような、そんな感じです。ご飯しなくていいから楽チーンみたいなノリです(笑)でも、昔と違って、今はすぐに連絡もできるし繋がれるからね。永遠のお別れってわけじゃないし、思ったよりも大丈夫な気がしてます。うん、強がりだよ、うん淋しいよ、そりゃもう、うん結婚するときは、もーっと淋しいんだろうなぁ。なんて、もうから先のこと心配したりしちゃってる私です(;^ω^)でも、前にも書いたけ
先日、古くからの友人が家族全員で我が家に来た。旦那と、子供を二人連れて。相手に子供が生まれてからは、いつも子連れでくる。旦那は子守担当なんだと思う。正直、旦那に来られるのは気を使うし、下の子は三歳くらいだから連れてこないで欲しい。何より、子守りで付いてくる旦那もずっとスマホいじっていて、私が家の裏に公園があることを子供たちに教え、暗に連れて行くように誘導してもなかなか動こうとしない。友達も、子供が危ないことや勝手なことをしていても、「ダメだよー!」って言うだけで本気で止めようとはしない。
人生初、コロナにかかった。お腹も大きくて苦しいのに、さらに辛い。味覚障害あったら嫌だな。今もまだ味覚障害残ってるのに。つわりからようやく開放されたのに。先月は初めて夫がかかったから、うちでかかってないのは娘だけ。うつらないといいなー…おうたが事故にあったとき、緊急事態宣言が解除されて次の日で、公園周りには大人が一人も歩いてなくて。だから、おうたのお友達も、助けを求めるために10分かかる自宅まで戻ったみたいで。コロナさえなければ。いつもの公園みたいに、近所の大人が外にいれば。
宇多田ヒカルさんがツイッター(X)でお母様、そしてご自身について語られていた。自死遺族についていろいろと学んだ10年のこと。その文章の中で印章に残る一言があった。『今知ってることをまだ知らなかった時を振り返って「ああしていれば」「なぜ気づかなかった」と自分を責めるのはまだ手放す準備ができていないから。』おうたは自死ではなかったが、まだまだ手放せないでいる心のうちを明白にしたような一言だった。きっと一生手放せない。けれど、それでいい。『人が亡くなっても、その人との
ブログを書くのが久しぶりになってしまいました。前回の投稿を見るとなんと2022年!笑もう2年も経ってましたね…。あっという間すぎる…そんな中で私もいろいろありまして、なんと離婚致しまして、シングルマザーになりました。これまでのことや今後のことを書いていこうと思ってまたブログを始めようと思いました!今までとジャンルはとーっても変わりますが、また肌のことも進展があるのでちょこちょこ書いていきます。離婚って自分には程遠いものだと思ってました…
はじめまして。ここは、2020年6月7日に天国へと旅立った、大好きな息子「おうた」のことを綴っていくブログです。何かに残しておかないと、不安で…現在のこと、過去のこと、いろんなことを残したいです。
毎日の旦那との会話がだいたい決まってる。娘のこと。おうたのこと。スピリチュアルな話。引っ越しのこと。これの繰り返し。明日から旦那も仕事復帰。日中は私ひとり。嫌だな…さっき母親から来た、「明日おうた拝みに行っていい?」ラインは、気を使ってのことかな。だとしたら、ありがたい。
亡くなって2週間。祭壇に置かれた遺骨を眺めながら、不思議に思う。ねえ、おうた。本当に、あんなに小さな箱の中に入ってるの?未だに信じられない。信じられないばっかり。
施設長さんと話をしていた時にあっ、そうそう兄が行く日だったなと思い出したので今日は兄が行くと言ってましたのでよろしくお願いしますと言ったらはい、いまお見えになってますよおー、、久々のご対面だね😁と思ってたら施設長朝からそわそわされてて、今日はカットの日だったんですが、、息子が来るんだけどカットの順番はいつかしらとか下で待ってた方がいいかしらとおっしゃってましたよ〜あはは、お母さん浮かれすぎでしょう思わず施設長にああ、母は兄が大好きなので💕というとああ、、そうなんですね〜
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/09160610/?all=1先日、ブラタモリで恐山を特集していた。私達のような人間に寄り添った内容というよりは、当事者でない人々に、紹介するといった内容だった。ただ、南直哉さんの仰る言葉が、私達に直接語ってくれた内容もあり、ちょっと嬉しかった。僧侶や神主、教祖的な崇められる人の言葉は何一つ響かないけれど、直哉さんの言葉だけは届くんだよなーなんでだろう?また行きたくなってきたな。行けば会える気がして。