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先週金曜日。仕事を終えてから、大阪は難波のライブハウスで開催の、小泉今日子さんのユニット『黒猫同盟』のライブに1人参加。昭和の時代にはキャバレーだったという味園ユニバース。初めて来ました。昭和の香りがプンプン入場の時に、チケットとは別に現金700円でドリンクチケットを買って中でドリンクと交換するのに、入場後着席して気づけばドリンクチケットが失くなっていて(落としたんだろうな)残念無念。歳とるとこういう失敗が増えますな入場前に、晩御飯も兼ねて飲み屋さんで一杯🍺飲んで来ておいて良かった
2024.04.06(土)大和三山巡り②の続きです。畝傍山、天香久山を巡り、いよいよ最後の三山目、耳成山(みみなりやま)に向かいます。藤原宮跡から耳成山を望む。あの山に向かって歩いていきますよ♪藤原宮の北隣に、池を囲むように桜堤。満開の桜に囲まれてますよ♪最高のタイミングに訪れましたね。(≧∇≦)b絶景ですなぁ〜♪(≧∇≦)bさらに隣には菜の花畑が広がっていた。黄色が眩しい〜♪(≧∇≦)b菜の花と桜と耳成山。と〜っても素晴らしい〜♪(≧∇≦)bめっちゃ、たくさんの人で
【天香山神社(あまのかぐやまじんじゃ)】奈良県橿原市南浦町608【本殿】です見えるかな午前中の境内………掃除をされている宮司さんに遭遇したココロ『おはようございます御朱印いただけますか』宮司さん『おはようございます。もちろんですよ。』感じの良い宮司さんだ御朱印頂きましたもちろん初です【波波迦(ははか)の木】境内にあるこの木は、古来より占いに用いられたと伝わる。祭神の櫛眞知命は、神意を伺う占いの神であり、国家の大事を判断する亀卜や、大嘗祭に行われる神饌田卜定に関わる神として
さてさて……我々は、標高139mの【耳成山】八合目に到着ーーっ【手水舎】そこに鎮座するのが……【耳成山口神社(みみなしやまぐちじんじゃ)】奈良県橿原市木原町次女と以前に参拝したのは………『名勝大和三山〜耳成山口神社前編〜』この日は、次女とふらっと出かけたいい天気Nさん家に淡路島のお土産も持って行こう。それなら、ついでに『そうだ耳成山口神社へ行こう』って事になり………【名勝大…ameblo.jpもう2年近くも前の事か次女も、もう中学生……成長し、一緒に出かけることは
さてさて………【耳成山】を出発した我々は、次なる目的地を目指す……道中に見えてきたのは、この日最後に参詣する予定の【畝傍山】だもちろん『大和三山』のひとつだ。そして、次に我々は目指す目的地は………【香具山(かぐやま)】だ標高152m。『万葉集』では「天香具山」とうたわれる。『大和三山』の中で最も形が分かりにくいが、古代には国見の地であったといわれる。【香具山】周辺には、見どころがたくさんあるそして、我々が【香具山】到着後、一番最初に訪れたのは………【天香山神社(あまのかぐや
ごきげんいかがですか水曜日は清水比庵の歌をご一緒に三輪山はしかもまろきか香具山もうねびの山もともにまろきかも大和三山と詞書きがある。大和三山とは、うねび山香具山耳梨山の三山。耳梨山は三輪山とも言う。「しかも」は下に「か」を伴って「そんあにも・・・かなあ」という意味。鹿もよく太っていてまるいのではない。三輪山はまるい。うねび山も香具山も形がまるいからなあ。程度か。万葉集に三輪山をしかも隠すかくもだにも心あらなも隠さふべしやがある。比庵は、万葉集に傾倒していたからな
枕草子には、山の名を列挙した部分がある。第十一段の「山は」で、合計18の山があげられている。清少納言を描いた上村松園「清女褰簾之図」(一部、1895年)この中に、わが散歩道である耳成山が、最後の締めとして登場していることを知って、うれしくなって表にした。「新編日本古典文学全集」などを参考にしたが、場所や標高がわからない山もある。いうまでもないが、取り上げられた山は、清少納言が登って「おすすめです」という山ではない。いずれも当時の歌枕であって、麓から見て和歌に詠まれた
2023年9月3日奈良奥山ドライブウェイを、楽しんでますが、春日山原始林の中を抜けてきて、最後に高円山コースをドライブします。地獄谷石窟仏近くの駐車場に車を停めて歩きます。ハイキングコースの「滝坂の道」を辿れば、首切地蔵、朝日観音、夕日観音、寝仏と多くの石仏に出会えるようです。私たちは地獄谷石窟仏の方へ向かいます。地獄谷ではヒノキスギアカマツ拓伐収穫試験林になってました。全部の木に番号が振られて管理されているようです。少しだけ、険しめな遊歩道を
かんちゃん気ままにつぶやく最後までお付き合いお願いします2024年4月7日藤原宮跡へ行ってきました皆さんは藤原宮跡をご存じでしょうか。このブログを読むと次のことが分かります。1:藤原宮の古代と現在の位置関係が分かる。2:藤原京資料室のことが分かる。藤原宮跡は、奈良県のほぼ中央の橿原市にあります。藤原京は、奈良時代、平城京の前にあった古(いにしえ)の都で、694年から710年までの16年間、天武天皇(てんむ)が都の
副業の包装パッケージ資材の印刷立ち合い1版目と2版目の間に、お昼を挟んで2時間ほどスキマ時間が出来たこともあり、大和三山(畝傍山・香具山・耳成山)の中で最も高い標高198.8mの畝傍山(うねびやま)に登ってきました。天皇家のルーツである橿原神宮と初代神武天皇陵のちょうど中間に、若桜友苑・甲飛十三期殉国の碑記念公園があります。十六条旭日旗の立て看板を見ると、たちまち愛国心を抱いてしまいます。海外勤務が多かったこともあってか、自分は愛国心はある方だと思います。