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2009年12月6日付け気動車急行「出羽」上野発酒田行も、執筆から7年経過した現在もお蔭さまで日々多くのアクセスを頂いております。先日の「鳥海」と同様、急行「出羽」についても当時のダイヤ・編成などの資料編を追加することと致します。尚、私が乗ったことがあるのは「53.10」改正以降のため、「53.10」から廃止までの時期に限らせていただく点はご了承ください。当時のダイヤ403D出羽上野23:04⑬→大宮23:30/23:31→小山0:18/0:2
今回の欧州旅行ではフランクフルト→ウィーンの移動とウィーン→パリの移動に寝台列車を利用した。理由は単純で早めに事前予約しておくとディスカウントプライスで購入でき、航空券に比べると圧倒的に安かったからである。共にコンパートメントの単独利用(朝食付)で、フランクフルト→ウィーン間は209.90ユーロ、ウィーン→パリ間は139.90ユーロであった。なお、フランクフルト→ウィーンの列車が1時間以上遅れたのは参ったが、その分25%(約52ユーロ)払い戻しがあったので、157.7ユーロでフランクフルト→ウ
かつて、四国にも、島内を走る夜行の交通手段があったのを御存じだろうか?運行形態に様々な変遷はあったものの、宇高連絡船が発着した高松を起点に、瀬戸内沿いに松山方面へ向かう予讃本線641D列車と、四国山地を貫いて高知方面へ向かう土讃本線721D列車の2本が、鉄道における最終期の姿だった。昭和63年10月の時刻表を紐解けば、641Dは、高松を午前0時10分に発車して、予算本線の小駅をところどころ通過しながら深夜の瀬戸内を走り、松山に3時54分着、終点宇和島に7時10分に到着する。高松から
ハルのブログhttps://ameblo.jp/318haru長かった😅やっと「函館」に繋がりますm(__)m40年前、初めて北海道(小樽市)に足を踏み入れ、最初の「ゴールデンウィーク」で、初めて訪れた場所が「函館」でした。ただ、これだけなら余り記憶に残らないと思うのですが、実はその時、今では考えられない様な出来事があり(もしかしたら、当時の北海道では、たまには?ある事だったのかも知れませんが、私は後にも先にも「これ一回」の出来事でした😁って言うか、それ以降、使用する機会が無か
カートレイン沼にハマってみた第7回は前回に引き続き、エンジン付きの二輪車を運搬した歴史として、上野発着のMOTO(モト)トレインの兄弟列車、モトとレール号を紹介したいと思います。モトとレール(モトトレール、日本海モトトレイン)時刻表記載ベースですが、同じ列車に3種類の列車名が存在しました。どこまで厳密に管理していたのかは定かではありません。日本海モトトレイン1988年(初年度のみ)モトトレール1989年、1990年モトとレール1991年〜1998年初年度が「日本
何度か、夜の大阪の街を彷徨ったことがある。いずれも、交通機関を乗り継ぐ待ち時間のことで、思い起こせば心が暖まる、というような楽しいひとときではなく、退屈で遣り切れなかった訳でもない。遠方へ向かう往路に大阪で乗り換えたこともあるけれど、その場合は気分が高揚しているから何の問題もない。旅の過程で最も幸せなのは待ち時間ではないか、と思うくらいである。幾許かのほろ苦さとともに思い出されるのは、旅先から大阪に到着する交通機関を降り、更に東京へ帰らなければならない場合である。紀伊半
信越本線経由直江津行き夜行急行「妙高」が、上野駅を発車する時刻は、23時58分だった。当時、多客期に運転されていた上野発長野行き急行「信州」9号が上野発0時22分、というように、臨時列車では日付が変わってから始発駅を発車することはあっても、僕が知る限り、定期の夜行列車では最も遅い発車時刻ではなかったか。「信州」9号は普通指定席とグリーン車、自由席だけで運転される電車であったが、このようなダイヤの場合、前もって指定席を購入する際には注意を要する、と聞いたことがある。おそらく、世の
近年、鉄道雑誌やディーゼル機関車関連サイトで、ディーゼル機関車DD54が寝台特急《出雲》を牽引した期間が昭和47年(1972年)3月から昭和49年ごろまでと記されている記事を散見します。此の昭和49年ごろの“ごろ”と言うところが微妙ですが、昭和48年8月の夏休みに山陰本線西部へ撮影に行った際に、既にDD51が牽く特急《出雲》を実際に写真に撮っている私にとっては、とても違和感を覚える記事です。上は昭和48年3月黒松駅下り方で撮った写真です(無断転載厳禁!)上↑のDD5435
この写真当日の「さくら」は大幅な遅れで、品川-東京間ウヤ。特急客2レさくらEF6654[関]+14系客車[熊クマ+東シナ]1993.7.4品川その横顔同当時東京着の夜行列車が品川-東京間運休の場合、差額のみの払い戻しという規程がありましたが、お客さんは間違いなく601km以上乗るはず。この規程が適用されたケースは本当にあったのだろうか⁇
ちょうど40年前、酒田から上野まで気動車急行「出羽」に乗ったことを思い出しました。急行「出羽」は、上野-酒田間を奥羽本線・陸羽西線経由で結んだ気動車急行で、後の寝台特急「出羽」は、上越・羽越線経由の急行「鳥海」を特急格上げした列車です。旧型客車や急行型気動車のクロスシートは、一部の人に「切り立った座席」と言われ、そんな座席夜行列車が当時はあちこちに走っていました。酒田発1982(昭和57)年1月3日、「出羽」乗車で使用した急行券上野-酒田間を奥羽・陸羽西線経由とはやや妙な
拙ブログの「鳥海」の記事ですが、「鳥海編成」の検索ワードで辿り着いた方もいらっしゃいましたが、編成などのデータが全くありませんでしたのでお役に立てず申し訳ございませんでした。そこで、当時のダイヤや編成等のデータをご覧に入れます。尚、「鳥海」の前身である「羽黒」の時代からの変遷を述べようかと思いましたが、私は「羽黒」の時代は見たことも乗ったことも無いので知ったかぶりのようなことは書けません。従いまして、私が乗ったことがある時代に限らせていただく点はどうかご了承ください。当
こんにちは。今日は北海道の実車ネタです。今から25年前、94年10月に渡道し、撮影した写真をUpします。先ずはこの写真..寝台特急”夢空間北海道”@大沼です。この時は上野からはくつる1号~海峡1号乗車で函館に到着すると横にブルトレが止まっていました。あらら?この時間に夢空間??時刻表を調べると定時なら5時前の出発、5時間以上遅れています。私の乗った列車はほぼ定刻でしたから車両故障等だったでしょうか?こうなったらスクランブルをかけない手はありません(笑)。特急北斗が先行発車したのでこれ
今回は、時刻表には掲載されていたものの、貨物駅発着だったために知られざる存在として語られることが多かった、国鉄のヒット商品「カートレイン」について、数回に分けてまとめたいと思います。カートレイン沼にハマってみたwwwその第1回はカートレインの代名詞となった首都圏〜九州地方・中国地方で運転されたカートレイン(カートレイン九州)についていろいろまとめてみたいと思います。カートレイン(カートレイン九州)EF651126_カートレイン_ExploreOOMYV'sp
カートレイン沼にハマってみた第2回はカートレイン九州に次いで、運行期間の長かった、中京圏(名古屋)〜九州地方で運転されたカートレイン名古屋についていろいろまとめてみたいと思います。カートレイン名古屋JRC_EF65106_EF650106_cartrain_19890107_ExploreOOMYV'sphotosonFlickr.OOMYVhasuploaded96420photostoFlickr.flic.kr運行時期以下、年ごとの
カートレイン沼にハマってみた第4回は北海道内完結で運転されたカートレイン列車の珍しい例、カートレインくしろ号についてまとめてみたいと思います。カートレインくしろ1997年末から1999年年始にかけて、2回の年末年始、1回の夏休みシーズンに運転された道内完結のカートレイン。道内といっても本州でいえば、東京〜名古屋程度の距離がある札幌と釧路に設定されました。設定された経緯については、鉄道ジャーナル1999年7月記事を拝見するところ、「高速道路が未整備、かつ冬の道東方
2023年5月に運行開始した、ヨーロピアンスリーパーですが、いよいよ2024年3月からベルリンから更に南下し、ドレスデン、プラハに到達します!ブリュッセル〜ベルリン間で運行開始した頃に執筆したブログ記事はこちら『ヨーロピアンスリーパー、2023年5月25に運行開始しました。』このブログでもずっと追ってきた、オランダのスタートアップ会社「ヨーロピアンスリーパー」による新設夜行列車が、ついに運行開始しました。TikTokにて、ベルリ…ameblo.jpということで、ヨーロピア
こんばんはエジプト旅ブログの続きになりますエジプト⑪日目の朝はゆっくりでしたクルーズ船で最後のビュッフェ朝ご飯↓チェックアウトを済ませて、クルーズのオプショナルツアーに参加し、エジプトの王家の谷へ↓別途王家の谷の入場料と、ツタンカーメンのお墓(他有名なファラオ)は追加料金がかかりました入場料では3カ所のお墓を見てまわれます王家の谷へ行く途中、車の中からですが↓メムノンの巨像を見ることができました↓メムノンの巨像のメムノンを知らなくてネットで調べましたが、よく分からなかったです
カートレイン沼にハマってみた第3回は首都圏〜北海道で運転されたカートレイン北海道についてまとめてみます。カートレイン北海道下記は1988年7月号時刻表のトラベルニュースページでの運行開始時の紹介記事。この当時にはすでにカートレイン九州号、カートレイン名古屋号の運行実績がありましたので、カートレインという名称自体が浸透していた雰囲気を記事から感じます。1988年3月に本州と北海道を結ぶ青函トンネルが開通し、首都圏と北海道を結ぶ寝台特急のラインナップに、従来の北斗星号に加え
今ちょうどクリスマスツリーの仮設ゴミ捨て場がバルセロナの市内あちこちに設置されています。17日までに出さなければいけないとのこと。今年は去年より随分生木が多い気がします。すごい茶色く枯れているのがあって、どうやったらそこまで枯れるのか…ツリー置き場だけジャングルのようになっています。さてトルコ旅行記は今回が最後。イスタンブールからブルガリアのソフィアまでの夜行列車です。パニックありの面白い旅でした。ドラマチックなイスタンブールからソフィアまで夜行列車の旅|UnderTheSun最近欧州
WESTEXPRESS銀河紀南夜行の旅その20~晴天の紀勢本線を新宮へ~の続き。前回はこちらから『WESTEXPRESS銀河紀南夜行の旅その20~晴天の紀勢本線を新宮へ~』WESTEXPRESS銀河紀南夜行の旅その19~本州最南端串本駅~の続き。前回はこちらから。『WESTEXPRESS銀河紀南夜行の旅その1…ameblo.jp楽しい一夜を過ごした夜行列車もとうとう終着新宮に到着してしまいました。ゆったりとした座席&寝台がとても良かった
「あさかぜ」に乗ろう──誰が言い出したのか、如何にも僕が口火を切りそうな提案ではあるけれど、今回の同行三人のうちで、少なくとも僕でなかったことは確かである。同じ職場のT先輩とY先輩は、大学の卒年が1つ上で、事あるごとに呑むばかりでなく、東松山で毎年開催されるウォーキング大会に参加したり、年に1回程度旅行したり、何かとつるんで出掛ける親密さであったが、僕の乗り物趣味を押し付けるような差し出がましい真似は控えている。往復こそ航空機利用になったものの、北海道旅行では釧網本線のトロッコ
・下りの「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」をそれぞれ単独運転に変更します。・下り「サンライズ瀬戸」の東京発車時刻を1時間繰り下げて大阪と三ノ宮にも停め、かつ「みずほ601号」との接続時間を短縮して九州方面へのアクセスを改善します。・臨時の「サンライズ出雲91号」を「サンライズ瀬戸」に併結して所要時間を短縮します。・「サンライズ出雲91号」には285系の予備編成と117系「WESTEXPRESS銀河」を交互に充当し、帰省シーズンに毎日運転します。・「サンライズ出雲
2023年5月のナポリ&シチリア旅、ナポリからパレルモまでの往路は夜行フェリーを利用。【フェリーについての記事はこちら】『ナポリからシチリア島パレルモまで、夜行フェリーに乗ってみた其の一』2023年5月のナポリ&シチリア旅行。ナポリからシチリア島パレルモへはフェリーで移動することに。移動手段に夜行フェリーを選んだのは、ずばり「移動時間とホテル代…ameblo.jp『ナポリからシチリア島パレルモまで、夜行フェリーに乗ってみた其のニ』『ナポリからシチリア島パレルモまで、夜行フェリーに乗って
2009年12月25日付けの拙記事上野発長岡行115系「長距離鈍行」の時代があった…も、お蔭さまでアップ後7年経った現在でも多くの方にアクセスを頂いております。先日の急行「鳥海」「出羽」同様に、上野発長岡行の普通列車について資料編をアップしたいと思います。尚、私が乗ったことがあるのは「53.10(1978《昭和53》年10月2日ダイヤ改正)」以後であるため、それ以降に限定させていただく点はご容赦の程、お願い致します。運転時刻(主要駅のみ抜粋)723M上野5:52⑦→大
おはようございます。JRグループの現体制を維持したまま新幹線の建設を推進し、かつ長距離特急や夜行列車も昔のまま走らせる方法を思いつきました。あくまで当店店主の個人的な意見である旨、先行して申し上げます。最初に、経営分離した9つの第3セクター鉄道を、元々あったJR各社に一度再編入させます。対象となるのは以下の9社です。・肥薩おれんじ鉄道・ハピラインふくい・IRいしかわ鉄道・あいの風とやま鉄道・えちごトキめき鉄道・しなの鉄道・IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道・道南いさり
皆さまお疲れさまでございます。『かめひゃん』でございます。4月21日(日)にご乗車いたしました、しなの鉄道『観光列車ろくもん〜姨捨ナイトクルーズ』ご乗車レポもエンディングでございます!!。前記事:『しなの鉄道『観光列車ろくもん』2days2日目♪〜その1。』皆さまお疲れさまでございます。小諸市動物園の『かめひゃん』でございます~♪。いやあ、“地獄の連勤”が終わりましたので、早くブログに着手せねばと焦っておりますっ…ameblo.jp『しなの鉄道『観光列車ろくもん』2days2日目
ノッテに乗ってみた!って狙ったわけじゃありませんけどねノッテはイタリア語で夜のこと。州を縦断して走る長距離列車、インターシティの夜行です。イタリアという国は本当にデザインに優れています。真っ黒じゃないの。闇夜を表す深い紺色に赤いラインが効いてます。ロゴにあしらわれた三日月もかわいいタオルミーナのアンドレアのお店で夕ごはんを済ませたあと、鉄道駅からインターシティ-ノッテに乗って、ナポリへ向かうことにしました。23時37分にタオルミーナ-ジャルディーニ・ナクソス駅を出て、翌
こんばんはエジプト旅ブログ⑥日の夕から⑦日目の朝になります⑦日目の朝は、カイロからアスワンへの夜行列車からはじまりました↓⑥日目の夜、カイロの中央駅ラムセス駅から↓夜行列車でアスワンへ夜行列車で過ごした車内↓夜行列車での晩御飯↓(チケット代金に含まれる)※お酒は持ち込み食べ終えたぐらいに、スタッフの方が寝床を準備してくれました2段ベッドが出来上がり、旦那は二階で、私は1階のベッドで爆睡↓私はよっぽど疲れていたのか、列車の揺れや音も全く気にせず、速寝&朝まで爆睡していました夜行
(新旧「トワイライトエクスプレス」が並ぶ)この編成が本当に山口県に現れた,ちょうど5年前の衝撃と,駅の賑わいを忘れることはできません.本日は,TOMIXから模型化された,「特別なトワイライトエクスプレス」を紹介します.「特別なトワイライトエクスプレス」は,第三編成をベースに,3両の「スロネ25500」を集結,4両・最大43名のみを募集するツアー列車として運行されました(「ロイヤル」は2名利用です).ちょうどTOMIXではもともと第一編成(車番変更で第二編成にも仕立て可)を,当時「さ
(この記事は「陰陽連絡バス素描・番外編~さらば寝台特急出雲~」を一部加筆・修正して「東京発寝台特急の挽歌」シリーズに加えたものです)平成18年1月の週末、山陰へ向かう寝台特急「出雲」は、東京駅を定刻21時10分に発車した。東海道新幹線が次々と滑り込んでくる高架に沿いながら、有楽町、新橋、浜松町と、窓外を過ぎていく駅のホームと駅前の人混みを見下ろしていると、旅立ちの高揚感が胸に湧き上がってくる一方で、つい先程までどっぷりと浸かっていた浮き世のことが無性に懐かしくなり、少しばかり心細く