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お腹を満たしてこちらの神社さんの横からねそう国宝犬山城🏯坂を登ってどーーん入口横には雷に打たれてお城を守ったこの子がね🌳そんなこんなで城内に犬山城の模型や犬山城といえば桃どす🍑そして天守からのこの景色木曽川うっひょいですモンキーパークもね歴代の城主もこんな感じで飾られててもうここまできたら昭和の2時間ドラマの脚本家っぽいんですが付櫓からの景色もパシャっとねそんな感じでお城見物を終えまして再び城下町に向かいました
水口岡山城跡標高282.9mの古城山にある城跡へ行ってきました水口岡山城跡は…天正13年(1585年)に、豊臣秀吉の家臣である中村一氏によって城が築かれ、軍事的要地として重要視された。その後、豊臣政権の中枢で活躍した増田長盛、長束正家も城主をつとめ、豊臣政権の拠点城郭のひとつに位置づけられた。現在は、石垣や曲輪、虎口、堀切などの遺構が残る。国指定史跡。「古城山登口」では豊臣秀吉、初代〜第三代城主と忍者がド派手にお出迎え❣さぁ、ここからスタートです頂上まで400m佐助く
笠間市に来ています笠間氏の墓所から菩提寺の仏頂山楞厳寺へ着きました墓所からさらに奥へと来ていますもぉ~緑が素敵~苔ともみじと諸々と山奥の寺感がすごい創建は不詳のようですが一時荒廃しましたが鎌倉時代に当地の領主である笠間家初代時朝が建長寺(神奈川県鎌倉市)の住職大拙和尚を招いて中興開山し歴代笠間家の菩提寺としたそうです文化財もたくさんあるようです
ジムニー車中泊の旅2日目群馬県高崎市から安中市へ移動安中市は軽井沢から長野県方面への昔の街道沿いで歴史の古い町安中市は群馬県南西部にある人口約6万人の市である。江戸時代に板鼻・安中・松井田・坂本が中山道の宿場町として栄え、また、江戸時代には安中藩の城下町であった。Wikipedia引用今日こちらに旅に来た目的は2つ一つ目は【後閑城🏯跡】築城年代は定かではないが文安2年(1445年)頃に依田忠政によって築かれたと云われる。依田忠政は信濃国御嶽城主で、永禄年間(1558年~1570
2018年6月3日JR東海のさわやかウォーキングに参加してます。豊橋駅をスタートして、ぐるっと回って豊橋公園へ来ています。いよいよ吉田城へ登頂します。豊橋公園全体と市役所の敷地を合わせた場所が「旧吉田城址」です。1564年に、松平時代の家康公が、今川方の吉田城代小原鎮実を攻め、吉田城を攻略し、城主に酒井忠次をおきました。酒井忠次は吉田城を改築し、新たに堀を掘ったことが発掘調査で明らかになっています。その後、羽柴秀吉配下にあった池田輝政
マルです。大洗の清良神社へ行って来ました。参拝記事の前にまず、清良神社についてざっくり(いつもざっくり)まとめてみました。清良神社は大洗磯前神社の摂社として建つ神社です。小幡城の小幡出雲守中務義清(小幡義清)が大洗で水戸城の江戸通泰に誘殺され、その祟りを鎮めるため建てられました。諸説あり、今回も私の好みの説を選んだ『マルまとめ』です。1532年8月小幡義清は大洗に参詣の帰路、水戸城の江戸氏に内通する者により謀殺されました。もう一つ、塩湯治(海水浴)に誘い出された際に討たれたという