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【TOMIX】JREF64/65電気機関車「茶色セット」<98977>こちらは「EF65物語⑧」に登場した車両で、高崎機関区で活躍していたJR貨物所有の「56号機」でした。関連記事『【鉄道模型】EF65物語⑧』やっと前回の車両で残っていた「電球色LED化した車両達」も出場したので、「EF65物語」も再開します。この時点で、今回登場する車両も2機含まれていますが、後ほ…ameblo.jp写真の下のセットで、限定2両セットのうちの片割れでした。もともとは「オレンジL
ご覧くださりありがとうございます今回は2024年6月14日で定期運用終了が発表されています381系国鉄色編成に乗車したいと思います2024年4月現在273系の運用も増えてきておりGW以降は381系を楽しむ事も難しくなってくると思われます最近引退が進んでいる113系との並びこの日は大雨で撮影中も雨に濡れていましたでは乗車国鉄車の国鉄特急色が見れるなんて思ってもいませんでした乗車感的にはあまり国鉄の雰囲気を感じさせない内装となっていますJR東の185系などな匂いから国鉄車と言うのを感
「旧製品をよみがえらせる」、これはメーカーを問わず愛着のある車両となります。もちろん、最新の製品と入れ替えるというのも間違いでは無く、持っていない物に関しては新製品を導入しているのはご存じの通り。ただし、旧製品でも現行の製品に近づけるだけで、並べて走らせられるのも魅力です。特に現行で販売していない車両の場合、かなり有効ですね。この話をしてしまうと「模型を始めた2009年」「それ以前の製品」「昭和時代の製品」と手を入れる箇所がかなり異なり、さらに言うと、「2024年現在の製品基準」に近づけるた
昨日(4月20日)は今月初の「カシオペア紀行」を撮影に行きました。現地着が予定より遅くなり30分前だったので場所がないかなと思ったのですが、牽引機がEF8180号機だったためか比較的空いていました。それでも15~20人位はいましたが…動画も撮りましたが途中で画面が揺れてしまいました。EF8180号機に初めて会ったのは1978年8月の信越本線でした。その時は茶色の客車(所謂旧客)を牽いていました。それから45年余り経過した今、超優等列車を牽いている姿を見られるの
懐かしモデルモハ114-800番台。マイクロエースの製品です。ジャンクで1両だけ買ってきました。相方のモハ115はいません。800番台のもの珍しさでついつい・・・特徴的なパンタグラフ付近の低屋根部分。妻板部分から屋根にかけて、こっちから見ると悪くはありません。非パンタ側の妻面は普通屋根です。貫通扉の色入れもしてあるのは親切ですねえ。パンタ横にあるルーバーとランボードはもうちょっとメリハリが欲しい・・・パンタの畳み姿勢は綺麗なんですよ、マイクロエースのは。お
国鉄時代の寝台車は客車が主体で、B(二等)寝台は片側に通路があって枕木方向に三段寝台が並ぶのが一般的なレイアウトでした。定員が多くても60名(大体は54名)であり、客単価が高いとはいえ座席車に比べて採算性が悪い寝台車は、少しでも定員を増やす工夫をしていました。電車寝台として開発された581・583系は、主に構造上の制約から中央通路で、その両側にレール方向に三段寝台が並ぶようになっていました。そのため定員も36~45名程度しかなく、客車(20系以前)より寝台の幅が広く取れたこともあり、客車より
秩父鉄道の「SLパレオエクスプレス旧型客車特別運行」は二週目(4/20・21)も盛況に終わったようですね。X(ツイッター)の旅行・トレンドに「秩父鉄道」があがっていました。今回は同じC58+旧客ということで、Father's書庫からC58309号機+旧型客車「普通」運行の写真をご紹介させていただきます。撮影場所は両毛線の前橋~駒形間とみられます。撮影日時は不明ですが、調べてみたところ1968年(昭和43年)8月に同区間が複線化され9月に電化が完成していますのでその頃で
今まで時々Nゲージの線路関係について書いてきましたが、だいぶバラけていたのを一度まとめてみようと思い、大げさなタイトルをつけてみました。ブログで一度は書いたことがある内容も多いので総集編みたいですがこれから鉄道模型をやられる方むけにかみ砕いた内容です。比較対象は・KATOユニトラック(右側)・Tomixファイントラック(左側)美里山倶楽部はKATO大好き人間ですが、今回はニュートラルな見方でいきたいと思います。出来るだけ数値化して、実際測定したり、走らせたり、両社カタロ
昭和に上野駅で写した特急「そよかぜ」です。夏場の臨時列車だったので写せてラッキーでした。フイルムの管理が悪くて変色しています。
おはようございます、本日もタイトルが貨物輸送なのですが、荷物輸送のお話をさせていただこうと思います。今回のお話は、ご存じの方も多いと思うのですが、パレット荷役に対応した荷物車、カニ38のお話です。昭和34(1959)年10月に大井工場で完成し、12月7日に東京駅で、オシ17と共に展示されたと記録が残っています。かなり個性的と言いますか、ユニークな外観の車両でした。元はと言えば、戦前の2等寝台車マロネ37(戦後は、進駐軍に接収され、マハネ37昭和28(1953)年、マハネ29に改番さ
こちらはオハフ33のいわゆる戦後型です。戦後型は1947~48年に製造されたグループです。KATOの5128-4「オハフ33ブルー戦後型」側面から見ると戦前型と比べるとスマートな感じがしますね。左が車掌室側です。車番はオハフ33383です。347以降が戦後製造ということで。ドアはHゴムのドアに交換された後に姿を模しています。所属は「福フチ」となっています。台車の形状も違うんですよね。こちらはTR34です。リベットもなくスッキリしています。戦前型はリベット
北の大地の奥深く、湖に沈む朽ちかけた橋がある全長130メートルの橋は水嵩の変化で、現れたり消えたり・・・幻の橋と呼ばれるそのすべてを見ることが出来るのは、遅い春と短い夏8月、アーチが連なる美しい橋のかたちが現れていた・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・先日HDDレコーダーに「ニッポン印象派鉄路の記憶」という番組が録画されてました「廃線」キーワードによって、2017年の再放
昭和50年急行おがまつしま/ばんだい撮影分からです特急列車花盛りだった上野駅では数少ないながらも急行型車両も撮影していた。■キハ58系昼行ディーゼル急行「おが」上野~秋田修学旅行色800番台が珍しくて撮ったのだろう。先頭車以外も撮っておけばよかったな。■455系急行「まつしま1号」「ばんだい3号」併結上野~仙台・郡山455系・475系交直流電車やキハ28系・58系などの急行型車両も華やかだった時代です。◆急行
本日も、引き続き10系寝台のお話をさせていただこうと思います。古い資料が見つかりましたので、その辺の資料を参照させていただきながら、お話をさせていただこうと思います。開放式B寝台車のルーツは昭和6年まで遡る鉄道車両というのは、横には長く取れますが、幅は車両限界の関係もあって3m以内に制限されてしまいます。実際には、車体の厚みなども考慮されますので室内の有効幅は概ね2.6m程度になってしまいます。そこで寝台車というのは、開放式A寝台や、583系のような電車寝台を除けば、構造上、片側通
相模線寒川駅にきましたよ!きょうは1984年に廃線になった相模線西寒川支線の廃線跡を歩きますよ!さっそく205系500番代がやってきました!僕の知ってる相模線は非電化ローカル線なので浦島太郎状態だ!グレの前を列車が通過していきます。あれ?でもこのシーン見覚えあるぞ!1978-81年頃にかけて、当時中高生だったグレパパは、しばしば気動車の撮影に来たもんでした!これはカーブの感じ、高圧鉄塔の位置から、ほぼ同じ場所の撮影だと思います!それにしてもベッドタウン化で周辺の環境
KATOの蒸気機関車には前面連結用のカプラーが付属していて、その取付方法はダミーカプラーを外し連結用カプラー(KATOカプラーorアーノルドカプラー)を先台車に取り付ける様になっています。昔からKATOのこの方法に変化はなく、連結した時の機能性重視故見た目が悪く更に重連状態では車間が広くて少しカッコ悪いものでした。当鉄道ではこれ以外の方法をこれまで考えた事が無く、そのまま使用していました。前回のD51形一次形の記事中でも次位機関車に使用するD51形の標準形に付属の重連カプラーを装着
“ちゃんとした205系”のキャッチフレーズで静岡ホビーショーで発売となり、大いに話題になったグリーンマックスの205系欲しい題材ではあったのですが、お値段的な理由と武蔵野線という路線セレクト的に縁が無くて手を出せずにいましたが…なんとというべきか…ヨドバシカメラの決算前セールで14800円にまで値が落ちていたので購入に踏み切りました。お察しの通り在庫処分に近い扱いですが、グリーンマックス本気の“ちゃんとした205系”とはどういうものなのか、今更ながらレビュー的なものです
鉄道ジャーナル列車追跡で読んだことがある、上野-青森間(奥羽線回り)の普通列車、421レ。上野22:41→青森21:57「421レよ、あれが青森の灯だ!」は、その列車追跡の表題です。そんな普通列車があったなんて、もう遠い遠い記憶の彼方ですね。青春18きっぷがある現代に残っていたら、さぞ人気の列車だったでしょう。私が物心ついた1971(昭和46)年10月1日ダイヤ改正で秋田止まりとなりましたが、車両運用上は青森まで直通していたと思われます。上野-福島間が完全に廃止さ
国鉄の末期には、急行の特急への格上げや、寝台特急の削減により、特急・急行型電車に大量の余剰車が発生しました。だからといってそれらの車両は製造から20年も経過していない若い車両も多く、余剰になったからといって簡単に廃車にするワケには行きません。そのため、地方の幹線で普通列車用として活用するための改造が行われ、新形式車両もいくつか登場しています。その一つが、北陸エリアに導入された419系。北陸本線を中心に運用され、米原寄りのクハ418形と直江津寄りのクモハ419形は中間車に平面タイプの運転台ユニッ
こんばんは、ななせです♪台風がいつになく強い勢いで吹き荒れていますね。関東地方でさえこれだけ強いのですから、中心地付近はもっと凄いのでしょうね…という事で、風音がうるさくて眠れないので本日入線した車両の整備についてお送りします。今回は待ちに待ったTOMIX製「国鉄1031000系通勤電車」。前に出た冷改仕様から更に時代を遡った地下鉄乗り入れ仕様です。増結セットの数…私は予約組ではないのでタムタム開店時間帯に突撃し、一番乗りで手に入れる事が出来たのです
購入順に紹介している「模型紹介シリーズ」、2014年4月に発売したHG製品。今回は「103系初期車・冷房改造車オレンジ」(TOMIX製)になります。この時発売したのは、「クモハ3両セット」と「クハ4両セット」の2種で、実家の有る「青梅線仕様」にしようと思い「クモハ3両セット」を選択。1980年代の「サハ組み込み4連」姿を再現して、楽しんでいました。もともとは、101系の3連にならい、103系も京浜東北線から転属してきた3連で運行されていましたが、川越線の電化の際に導入した103
1泊2日北薩摩一人旅2日目川内駅で薩摩川内名物「ちんこだんご」をいただき、九州新幹線の撮影を終えると時刻は14時45分この後は蘭牟田自然公園に行く予定でした。※鹿児島県観光サイトHPよりが、天気予報通り雨(かなりの土砂降り)に。土砂降りの雨の中、公園に行ってもね。予定を変更して国鉄宮之城線の廃駅巡りをしながら鹿児島空港に戻ることにしました。宮之城線はかつて川内市(現薩摩川内市)の川内駅から大口市(現伊佐市)の薩摩大口駅までを結んでいた国鉄
名寄本線。国鉄(昭和24年の日本国有鉄道発足以降)には32の「本線」があり、各本線(〇〇本線)が「〇〇線の部」として構成され、国鉄の路線はすべていずれかの部に属し、本線に対する支線という位置づけとなっていました。基本的には、ある路線「L線」があったとき、その路線の起点駅が「A本線」に帰属する場合、「L線」は「A線の部」に所属することとなり、「L線」の起点駅が本線ではない「B線」を所属路線とする場合、「B線」が「A線の部」に属するのであれば「L線」も「B線」と同じ「A線の部」となります。国鉄
【KATO】157系「あまぎ」7両基本セット<10-393>今となっては新品では手に入らないどころか、中古市場でも見かけない。そんな製品ですが、京都へ旅行した際にまさかの新品を見かけたので買ってしまいました。正直「あまぎ」がどこ走っていたのか知らなかったのですが、踊り子が走る前は「あまぎ」だったみたいですね。増結はさすがに手に入らないですorz157系自体知らないのですが、横の塗装はまんま特急ですね。185系の「復刻・特急色」は、これがベースだったようです。とりあえず、ライ
今回はGMエコノミーキットの211系を組み立てていきます。クハ211車体5両はすぐ組み上げ、塗装を行いました。貫通扉、乗務員扉はガイアノーツのダークステンレスシルバー、ボディはGMステンレス、顔はGMの白3号でブラックアウト部分は田宮の黒で塗装。ボディは5000番台と共用のため、車外スピーカーが設置されていたので全車撤去。車側灯は移設が面倒くさそうだったのでそのままにしました。正面顔は付属のパーツを使えば車掌側のブラックアウト部分が一段低い5000番台にすることもできます。
山梨県野辺高原八ヶ岳を望むJR鉄道最高地点標高1375m八ヶ岳と踏切石碑の表裏に刻まれていました~寒かった~車で移動山梨県国鉄最高地点野辺山駅1345mどこに居ても八ヶ岳が見えるメルヘンチックな駅ですよね帰りに、長野県小海町の高原のパン屋さんに寄りましたおからおやきは具がたっぷり野菜食パンはカリッとしっとり群馬県下仁田町井森美幸さんがアルバイトしていたお店いつも買うのはコレコンニャクと、おでん用みそドライブインっていうのが
(2016年7月他ブログ掲載)さて、前の日記で不安のもとになったという出来事。日本で計画を立てているときに、考えていた行程はこれ。ウィーン西駅8:20発REX1914→メルク9:20着、メルク修道院見学&ランチ、メルク午後1:50発のクレムス行きクルーズ船にのりデュルンシュタイン3:10に途中下船ところが、ホテルに帰ってお風呂に入った後、前日もらっておいたクルーズ船のパンフレットを何気なく見たら・・・コンビチケットのモデル行程がのっていたがなんと、出発がウィーン西駅ではなくウィーン
こんにちは、久しぶりの投稿ですが昨日はKATOの113系横須賀・総武快速線のセットを購入しました。こちらになります。品番:10-1801113系横須賀・総武快速線7両基本セット品番:10-1802113系横須賀・総武快速線4両増結セット品番:10-1803113系横須賀・総武快速線4両付属編成セット私が子供の頃から見慣れた車両なので思い切ってフルセットで購入しました。KATOから横須賀色の113系(1500番台)が発売されたのは1984年(昭和59年)の事ですがこの頃は単
3月31日。日本ではこの日を区切りに年度末、翌4月1日から年度変わりの新体制に移行するというのが慣例のようになっていますが、今から35年前の今日は114年半の国鉄としての歴史を終えるという、まさに国家的プロジェクトでもあった分割民営化が実行に移される歴史的転換点でもありました。1872年の新橋~横浜の鉄道開通から始まった国鉄(あくまでも便宜上の呼称)の歴史ですが、戦後GHQの指示により『日本国有鉄道』として独立採算制の公共企業体として再出発するも、巨額の累積赤字を抱え国の財政を圧迫、
20系ブルートレインはKATOの製品としては歴史のある製品です。初代製品からフルリニューアルを経て現行品に近い形になっていますが、その後も小改良を加えながら現在もバリエーション展開や時々再生産がされている製品です。なんと言ってもNゲージの世界では未だかつてKATO以外から20系客車が発売されたことがない(TOMIXのカニ25は20系として扱わないとして)珍しく競合製品のない系列です。代表的な形式だけでなく、ナハフ21やナハネフ20などニッチな形式が製品化されていてほぼ全形式がラインナップさ