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東工大第一志望者の場合、私立併願校はどこにするか、とその難易度や対策法を記載します。東工大受験科目は英語数学物理化学の4科目ですから、私立はどこでも負担無く受けることが可能ですが、一般的には早慶、理科大になると思います。東工大受験生であればMARCHも考えるでしょうが、東工大を本気で受かろうと考えている層(安定的にC判定以上出ている層)であれば理科大は取りやすいと思います(理由は後述します)。一方で、早慶の壁は厚く、東工大合格レベルであっても滑り止めには全くなりません。東工大合格者で
おひさしぶりです。かなり長い間更新できなくてすみません。このブログを読んでくださる方のために必ずこれだけは書かなくてはいけないと思ったのが「二浪した息子の就活がどうだったのか」ということでした。コロナ禍で各企業による採用がここ数年抑え気味だったと思うのですが、それが今年度は逆転して採用枠が増えたのか学生の売り手市場になったと聞きました。このような特殊な状況でしたのであまり参考にならないかもしれませんが私が感じたのは「二浪したことによって就職が不利になることは全く無か
この年の二次試験はとても大変でした。以前にも書いたように、志望校決定が11月という遅い時期だったので、ホテルがどこもいっぱいで予約が取れず、喫煙ルームになってしまったり、毎日タイプの違う部屋を予約するしかなくて、(1日目はシングルで2日目はツインでといった感じで)毎日部屋を変わったり、本当に落ち着けずに苦労しました。皆さん、ホテルの予約はとにかく早いほうがいいですよ。受験しないことになったら早めにキャンセルすればいいのですから。ホテルには前々日から宿泊して、そのホテル
何もなかった部屋に必要最低限の家具と電化製品が揃うと、やっと人間らしい生活ができるようになりました。息子の部屋には机と本棚と洋服掛け、私の部屋にはポツンとパソコンが置いてありました。パソコンラックなどはなく、1500円くらいで買った安いテレビ台にPCのモニターを置き、キーボードとマウスは、なんとアイロン台に乗せて使っていました。高さも大きさもアイロン台がぴったりだったのです(笑)和室だったので、畳に座ってパソコンを使うのには、これで十分快適でした。6畳しかないダイニングキ
さて、新年度始まりました同じ中高一貫校に通う息子くんたち🐶🐹次男くん🐹は毎年担任が違うのに対し、長男くん🐶はこれで同じ担任4回目です。なぜ長男くん🐶高3になり、授業に空きコマができるようになりました火曜日→2時間木曜日→1時間金曜日→2時間いやーでかい!この時間を毎週自習にあてられるのは大きい。いつも家庭教師の先生と、通学とで疲れてしまっていたので、時間確保できるのは大きいです国立理系だとぎっしり授業埋まっているそうです。それではほなまた
息子は一浪時代の予備校と寮生活がきっかけで、睡眠障害になりました。受験生にとっては命取りと思えるほど怖い病気です。息子が二浪することになってしまった原因のひとつだと思います。タイトルには『治すために』と書きましたが、実際には受験のときにも治ってはいませんでした。受験に影響が出ないように、いろいろな努力をしたという程度です。まず、うつ状態と睡眠障害は密接な関係があると思ったので、うつ状態を治すために運動をさせ、体を動かすことによって、疲れて夜少しでも眠れるようにと考慮しま
息子が高校生の頃、文系か理系か選択しなくてはいけないという時、迷わず理系を選んだのには少し不安を感じました。得意科目は全部文系でしたので。いま思えば文系だったら、大学受験でこんなに苦労しなかっただろうなあと。でも良いほうに考えれば、文系科目が得意だったからこそ、センターで高得点が取れて国立大学へ進学できたとも思うので、文系科目が得意だったことも無駄ではなかったと思います。数学に不安がある理系志望というのは一番苦労すると思いますが、それでも本人が理系が好きで
もう記憶が定かでないのですが、6月頃に○進で冠模試を受けました。その結果はわりとすぐに出たような気がするのですが、(○進模試の良い所は結果が早く出ることだった気がします)いつ頃の話だったかは、もう思い出せません…。初めて受けた模試の結果は、A判定でした。まだ早い時期なので受験者数は多くありませんでしたが、順位は一桁前半だったと思います。数ヶ月前にそこよりも少し偏差値が低いところに落ちた人間が、ここでA判定を取るなんてことがあるのだろうかと、不思議に思いましたが、それよりも内
この世には神も仏もないと知って、この先どうすればいいのだろうかと考えたとき、世間体とか、一般的な常識とか、普通の選択とか、そんなものを気にしている余裕はなくて、馬鹿だと言われようとも絶対に自分がこれしかないと思う選択をしなければいけない、そう強く思いました。その結果、私は息子とともに上京して東京で暮らす決心をしたのですが、実際にこの選択は当時、多くの人に馬鹿げていると思われたことでしょう。そう思われても、そうするしかなかったのです。息子の受験は、学力よりも、
行ったこともない街で、ある日突然生活をすることになったら…。こんな説明でその時の気持ちが伝わるかわかりませんが、私は、突然誰か知らない人の人生を生きているような気持ちになりました。見知らぬ街、見知らぬ風景、見知らぬ部屋。私が、私ではないような…。そんな不思議な感覚の中で生活をしていました。しかも、成績は良かったはずの息子が二浪もしている。ふとした瞬間、私は何が何だかわからなくなりました。どうしてこんなことになってしまったのだろう…私はこの知らない街で暮らした一年
先日、探しものをしていて、東京で暮らしていた頃の書類を見ていたのですが、その中からイケメン塾からの請求書が出てきました。それを見て、イケメン塾に振り込んだ毎月の塾費だけが、息子のために支払ったたくさんのお金の中で、唯一、いまでもこのお金を払って良かった、本当に息子のためになったと納得できる教育費だったと、そう思いました。反対に一番無駄だったと思うのが、浪人一年目に通わせた大手予備校です。いまでも、この一年さえなければ…こんな選択をしていなければここまで悲惨なこと
二浪目のとき、私は息子にあることを約束させました。それは、次の受験でその大学を受けたいと思うのならば、模試でA判定を取り続けなさい!ということでした。B判定なんて、ちょっと体調が悪ければ、ちょっと苦手な問題が出れば簡単に落ちる。(←一浪目)C判定なんて他人の何倍も努力しなければ無理(←息子には無理)D判定やE判定なんて論外。受験料の無駄。A判定だって、運が悪ければ落ちるのです。特に万が一のために受ける私大だって、合格者数を絞っているせいか、どんどん厳しくなってい
4月上旬、息子と2人で東京に向かいました。部屋探しは意外とスムーズに1日で終わりました。都心からは離れたちょっと田舎で、不動産相場が安い路線。そのような所の賃貸物件を狙っていくつかの不動産屋さんと、ネットで連絡を取りました。最終的に積極的に物件を探して紹介してくれた業者さんに案内をお願いし、3か所ほど行きました。その中の一つの物件が、家賃は一番安いのに、一番綺麗で、間取りも理想的で、静かで、こんな部屋が存在して、しかも4月上旬まで残っていたなんて奇跡かと思いました。
【自己紹介】子ども2人の大学受験をガッツリサポートしました。通常親がするサポートの範疇を超え、アスリートのコーチや監督に近い立場と思っていただいて結構です。私自身は大学受験経験はないため、戦略も含めかなり研究しました。研究しているうちに興味を持ち、ドップリと浸かってしまったわけです。これから記載する話は、子ども達が目指した難関国立大学である東京工業大学(東工大)のリアル受験記です。東工大は東大に次ぐ理系トップ大学ですので、東大受験生にもある程度参考になると思いますし、東大以外の旧帝大や
息子は週に数回塾に通い、週に数回アルバイトをするという生活をしていました。どちらも夕方に出かけていき、夜の10時頃帰ってくるという感じです。昼間は毎日自由に過ごしていました。半分うつ状態の人なので、勉強よりも何よりもまず心が健康にならなければ…と思い、私が休みのときはよく散歩に誘いました。少し遠くの公園まで行って四季折々の花を楽しんだり、珍しい鳥を観察して写真を撮ったり、川を泳ぐ魚を眺めたり。私が仕事の時でも1日に1度は必ず外に出て、散歩をするように息子には言ってあり
ブログを更新するのはいつ以来だったかわからないほど(1年前以上?)経ってしまいましたが、最近ちょっとした事件がありましたので、これはブログに書かなくては…と思いまして。息子とはLINEでやりとりすることが多いのですが、まあほとんど連絡はなく、たまに連絡があるとすればお金の相談ばかりところが先日息子からLINEでメッセージがきて、『お母さん、いつもありがとう。』って書いてあって、母の日でもないのに何なの?また心病んでるのかも…と心配になり、『どうしたの?』って
息子の二浪が決定した日、私はある方にメールを出しました。本能的に、もうこの方に頼るしかないと思ったのです。息子の不合格さえしばらく受け入れられなかったくらいですから、もし二浪したら…と以前から考えていたわけではありません。ただ、受験ブログのトップブロガーさんである、その方の息子さんが通われていた塾に、数年前から興味を持っていました。正確に言うとずっと憧れていました。予備校さえないような田舎に住んでいたので、せめて関東近郊にでも住んでいたら、遠くても無理をしてでも新幹線に
息子は二浪してやっと、真剣に自分の進む道を考えたようです。そして、大学で何を研究したいということがはっきりして、そのためにどの大学に行きたい!という目標もできました。あの~~~遅すぎるんですけど~まあ、しかたがありません。そういう息子です。きっとそこまで辿り着くのに、たくさん時間が必要だったのでしょう。二浪してもやる気がなくて、何をしたいのか、どこに行きたいのかわからないよりましです。さっそく、息子が行きたいと言った大学の、センターで必要な点数や二次
いろいろなブログを読んでいると、遠方から受験するとき親が付いていくかどうかということについて、そんなことも一人で出来ないようでは…みたいな意見もあって、しっかりしたお子様をお持ちで羨ましいですと思ってしまいます。我が家なんて入試の時に親が付いていかなければ、絶対に合格できない状況でしたし、入試の時だけではなくて、二浪目はまさに親子二人三脚で一年間乗り切って、それでやっと合格を手にしたようなものなので、世間一般から見ると滑稽なというか、馬鹿な親子に見えるのだろうなと思ったり
息子二浪目の時、試験の雰囲気に慣れるためにとある私大を受験しました。私も付き添いで行ったのですが、たまたまその大学の近くに友人が住んでいることを知り、メールで事情を話したらせっかくなので会いましょうか、ということになり、息子が入試会場に向かったのを見届けた後、その友人とランチをはさんで3時間ほど一緒に過ごしました。身の上話を聞いてもらったり、これからのことを聞いてもらったり、辛かった時期、親しい友人に会って愚痴を聞いてもらえたことは本当に良かったと思います。美味しい
東工大TakiPlazaって聞いたことはありますか?あっ、そもそもみなさまは東工大に行ったことありますでしょうか。東急大岡山駅の改札を出たところにあるスクランブル交差点の向こうが東工大です。【校門&博物館百年記念館(ガンダム)】東京23区内(目黒区)で最寄駅から徒歩1分。田園調布と自由が丘に隣接する高級住宅街のど真ん中といったとんでもない好立地です。そんなとんでもない立地なのに広い。とても広いです。単科大学だと侮ってはいけません。(更に同じくらい広いすずかけ台キャンパ
このブログを書き始めたとき、私はお世話になったイケメン先生や、イケメン塾の存在を教えてくださって先生に紹介してくださった『二浪日記』のmarimcreamさんに恩返ししたいという気持ちがとても強かったので、息子の浪人時代を振り返ることはとても辛いことでしたが、合格までの道程をすべてブログに書くことができました。そして多くの受験生の保護者の皆さまにお読みいただき、我が家の失敗例から何かヒントを得てお子様の受験に役立てていただければと、そのような思いでいました。でも、ブログを
失敗に終わった一浪目、張り切って予備校に通っていた息子の様子がおかしくなったのは、夏の終わりの頃でした。夏には志望校の冠模試もあって、9月に入ればセンター試験の手続きも始まって、秋には休む暇もないほど模試があって。でも、自分の成績は思っていたほど上がっていない。模試の判定は厳しいものばかり。自分は何をやってきたのだろうか。この先どうすればいいのだろうか。その時の息子の焦りはこんな感じだったのではないでしょうか。もっと勉強しなくてはと思い、毎日夜中まで勉強を
高2時の奏は、東進で下記3講座をとっていました。1.B組英語(今井先生)2.数学ぐんぐん応用編(長岡先生)3.ハイレベル化学理論化学(鎌田先生)いずれも90分×20コマとなります。1.5倍速で受講していましたので、1講座20時間、復習時間を含めても30時間程度で受講が終わります。高2時1年間の奏の総勉強時間は800時間ですが、自宅ではあまり勉強ができなかったので東進での勉強時間が大半です。東進講座にかかる時間は復習時間を含めても30時間×3講座の90時間ですから
我が家は東工大合格のための目標点数(ノルマとして)を以下のように設定していました。【英語】75/150点苦手科目の英語は半分の75点を目標にしていました。過去問はだいたい75-100点(採点は東進、以下同様)に収まっていまして一番ブレのない科目と認識していました。東進の採点と当日の採点にどの程度ブレがあるか分かりませんので、あまり期待せず、過去問実績の最低点あたりを絶対確保しようといった感覚です。【物理化学】210/300点物理化学は比較的得意です。模試でも過去問で
男の子は多少苦労させたほうがなんとなくいいような気がして、指定校推薦や確実に入れる大学への現役進学より、一浪してもいいから一般入試で志望校へと、息子が高校生の頃、私はそのように考えていました。現役合格にはまったくこだわっていなかったのです。入学できればどこでもいいわけではない、本人が納得のいく大学へ進学させなければいけないとそれをいちばん強く思っていました。息子は中学時代も高校時代も、ずっと学校に行きたくないと言い続けていました。学校の勉強が楽しくないというのが理由です。
ちょっとずつフォロワーさんも増えているので、何も更新しないのも申し訳なくて何か書こうと思うのですが、子どもは『二浪した息子』一人だけなので、いまは受験のことも疎くなってしまって。考えたら、子どもは一人だったので、二浪という、ありえないことをしてくれたけれども、子どもが二人いて一浪ずつした、とでも思えば、気が楽になるのかもしれませんまあ、子どもが二人もいれば一人くらい優しくて気が利く子で、母の日に何かプレゼントしてくれるようなそんな子だったかもしれませんが、現実は一人息子で、
私のブログは2月から3月にかけてアクセス数が伸びます。書き残しておこうと思うことはほとんど書いてしまったので、いまはほとんど更新していないのですが、毎年そのアクセス数の伸びを見て数年前の自分を思い出し、胸が痛みます。有益なことは何も発信できませんが、浪人生のおこさまを持つ保護者の皆様の気持ちに寄り添うことはできると思います。うちは二浪もしてますから息子の浪人は私にとって人生最大の難関でした。自分自身の人生は平凡で、特に荒波に揉まれることもなく、特に恵まれてもいな
息子を無事に大学に進学させて、あとに残った私の仕事は、この森の家を引き払って自宅に帰ることでした。どうして息子と同時期に引っ越さなかったのかというと、国立の発表が3月上旬というとても遅い時期にあることと、それがダメだった時にさらに国立後期日程の大学を受験して、その合否を待たなければいけなかったからです。第一志望の大学への進学でなければ、このままこの森の家に私も住んで、ここから息子を通学させるつもりでいたので、進学先が決定するまではマンションの解約もできなかったからです。そし
前回最後に更新したブログはもう3か月も前のものなのに、今も読んでくださる方がいらっしゃるようで、少しずつ『いいね!』の数が伸びています。多くの受験生、受験生の保護者の皆さまが一番辛くなってくる時期というのが、今頃なのではないでしょうか。先日、羽田行きの最終便に乗ったときのことです。とても楽しみにしていたことがあって、その目的のために東京に向かっていたので、嬉しくてしかたがないという気持ちでいっぱいでした。夜に飛び立つ飛行機は離陸時に機内が暗くなるのですが、暗くなった