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スカステで2000年宙組を見たのだ芝居は、『望郷は海を越えて』ショーは、『ミレニアム・チャレンジャー』波線上は、和央ようか花總まり湖月わたる樹里咲穂大劇場のトップコンビお披露目公演でしたかねたかこ(和央ようかサン)が退団サヨナラショーでもミレニアムは歌ってはったわいもこ的には、樹里ちゃん(樹里咲穂サン)の芸達者ぶりとわたる(湖月わたるサン)の男っぷりがお好みでした出雲綾さんの妖怪もね(笑)※ミニスカートでエトワールもしてた!映像はN
この年初舞台生86期からは宙組トップ凰稀かなめ宙組娘役トップ陽月華の他、男役では緒月遠麻、月組から専科へ移動し長く活躍した星条海斗、彩海早矢、和涼華、望月理世、紫峰七海がいた。娘役では月組組長から宝塚ホテルの支配人へ転身した憧花ゆりの、城咲あい、花野じゅりあ等がいた。年明け1~2月宙組「砂漠の黒薔薇/GLORIOUS!!」は姿月あさとの退団公演となった。98年宙組が誕生し初代トップとなってから僅か2年での退団はあまりにも早すぎる印象だったが、新たな組を立ち上げトップとしてまとめ上げる
あんにょん💖1時15分から始まりました🎵あ、一部の終わりで・・自分で買いに行ったのかな🎵その髪じゃ目立ちすぎでしょう🤣😅🤣😅あ、ローソンのLチキンだそうですよ(笑)皆さんおすそ分けありがとうございます🤗🙏🙏🙏お借りしました🔻https://twitter.com/tanoltuchi/status/1738807542762115479?t=exqKBuxHUWdxP10eKqrPoA&s=19エクスカリバーから1曲ドラキュラから2曲赤髪で黒のスーツ隣の和央よう
本当の意味での花總まりと出逢った運命の作品。雪組に一路真輝の相手役として組替えしてきても、いまいちピンと来なかった一路真輝と花總まりのコンビ。これでがんとやられて、実況CDを飽きるまで聴いて、のちに映像化された時ももちろん即買いましたわ。CD最強、いまだにクリアに聴けます。PCに取り込んでるので本体出してきたの久しぶりです『二人だけの戦場』<スタッフ>作・演出正塚晴彦作曲・編曲:高橋城振付:謝珠栄装置:大橋泰弘衣装:任田幾英<キャスト>ティエリー・シンクレア:
先日久しぶりに『宙組20周年イベント』の映像を観ました。宙組創立の歴史を知らない私が観ても分かりやすいとても良いイベントでした。でね。2018年当時この映像を観たときに、このイベントの成功の要因は、「発足当時からずっと在籍している寿つかささんと美風舞良さんが現組長と副組長であること」「コンパクトに1時間にまとめたこと」だなと思い、そしてそんなことを考える私は既に立派な“ヅカオタ”だ😅と実感したことを思い出しました。✨ヅカオタが感じた成功の要因✨①組長と副組長が発足当時から在
こんばんは朝晩は上着を着ないと寒い季節になりましたが、昼間は気持ちの良い秋晴れが広がりました今日は、雪組100周年アニバーサリー『GreatestDream』のマイ初日マチネに行ってまいりました今日はGreatバージョン初回で、キャストも入れ替わっていますプログラムとハンカチ&キーホルダーセットは無事ゲット…が、TシャツはMサイズは東京公演分完売、Lサイズは今公演(10/23マチネ)分は売切れということで買えませんでした割と早めに入場したのですが、早々に売切れ…ちなみに、支払い
和央ようかは雪組時代に二番手時代からトップにかけての一路真輝の役を新人公演で数多く演じて雪組の御曹司として順調に路線に乗り、轟悠トップの時の二番手になっていた。そして新設宙組トップの姿月あさとに次ぐ二番手として横滑りし、姿月の退団によって次のトップに昇格した。大劇場披露は2000年(H12年)「望郷は海を越えて/ミレニアム・チャレンジャー!」で、相手役としてコンビを組んだ花總まりにとっては、一路真輝、高嶺ふぶき、轟悠、姿月あさとに次ぐ5人目のトップとなったが、長身の和央と花總は舞台映えのするコ
昨日の記事にもちらっと触れた宙組発足25周年記念スペシャルコンサート「明日へのエナジー」、チケット一般発売日。秒殺にて撃沈…。当時のトップ3、姿月あさと、和央ようか、湖月わたるらが出演。まぁハナフサさん(花總まり)がいれば完璧だったのですが、さすがにそれはないよね、っていう。朝日新聞のインタビューでズンコ(姿月)が「(このコンサートは)私の生前葬でもある」と言っていて、「じゃあ生前葬常習犯の構成・演出/岡田敬二氏と『W生前葬』だねww」なんて思って楽しみにしていたのですが…。あえなく撃沈…
雪組編で述べたように、旧東京宝塚劇場では1年の半分しか宝塚歌劇を上演しておらず、大劇場の全公演を東京では上演できない状態だった。そのために新宿歌舞伎町の(現在ゴジラが屋上にいるビルのところにかつてあった)新宿コマ劇場で公演したこともあったのだが、当時の歌舞伎町は今とは比べ物にならないほどに猥雑で危ないエリアだったため、若い女性が主な観客となる宝塚歌劇にはふさわしくないとして1981年で終了となった。しかし東宝劇場も老朽化が進んできたため、1993年の大劇場建て替えの後に今度は東宝劇場を建て替え