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観音さまっていますよね。音を観ると書きます。(草場一壽が描く陶彩画作品「観世音菩薩」より)音を観るって素敵な表現だなあ、と思ってました。私は物心ついた頃から自分の声が好きじゃなかったんです。録音された自分の声とか違和感しか感じませんでしたでもこの一年で自分の声がとても好きになったんですその理由は何かなって考えたんですけど・・・うーむ・・・やっぱり、これしかないですかね「本音で生きるようになった」から🌸本音=本当の音色。自分の声が本当の音色を奏で出したから
みなさ~んお元氣ですかぁ~!?アシュタールジュエリースタッフのククルですお気づきでしょうか!?今日はご挨拶に”氣”という旧漢字を使ってみました最近日本語についてふと考える機会がありまして本日は少し趣向を変えてお届けしようと思いますみなさんご存じの通り”氣”というのは「気」の旧字体ですね!「〆」の代わりに「米」という字が入った氣という漢字は末広がりで八方向にエネルギーが広がっていくという意味を持つようになりま
天理大学国際学部とかいうFラン大学の学部(当時、偏差値45)をとある病氣になって、中退した和多志。お父さん、お母さん、大学まで行かせてくれて、ありがとう。高いお金出してまで。今、人生が劇的に面白いわけじゃない。幸せなわけじゃない。人生に喜びを感じてるわけじゃない。だけど、人生を歓喜するように日々頑張ってる。本を読んだり、漫画を読んだり、アニメを観たり、ワンオクのFighttheNightを聴いたり、英靈さまやご先祖さま、神功皇后陛下、応神天皇陛下にお祈りしたりして。人生を喜びに
人生は配られたカードでしか勝負できないそして舗装された道は堕落の道みんなそうなんだよ今あるもので勝負してそれで成果を上げるしかないのさうちの姉、兄は本当に昔からいいカードを持ってましたそれを使って人を貶めたり人を蹴落としたりそういうのを得意とするのがうちの姉と兄でした🍊そこにうちの家族はずっと甘やかしてたゆえに彼らはいつもいい服やいつもいいものを買ってもらうそんな甘やかされた姉兄でしたーーーーーーー対する和多志はどんなに頑張っても
和多志のブログに遊びに来てくれてありがとうございます✨✨心から、感謝します✨✨今日は、とても大切な事に氣がついたので、ありのままを伝えたいと思います✨✨ちびに、たくさんコメントいただいた方、メッセージをいただいた方で、どの方が瀬織津姫の人魚さんかな?って見てもらっていたらちびが、「瀬織津姫樣の人魚さんも、人魚さんも、天使さんもいるよー✨✨」ええー😱😱😱それ、どうやって伝えればいいんだろう😭😭sakuraちゃんと、和多志は、悩みました😭瀬織津姫樣の人魚さん募集してるのに、「人魚
『占い師でも、霊媒師でもないわたしに。』今朝の記事にも、魂、振るえたなぁ。(*´ー`*)ダンナちゃんの目には見えない障がい「高次脳機能障がい」を一人でも多くの人に、知ってもらいたい!という想い…❤️愛に生きる理❤️わたしが本質へ還り和多志の志事を始めた時から和多志の元にやって来るのは自分自身が感じている想いは正解なのか誤解なのかその「答え合わせ」を求めている人々、です。人々は、言いました。あの人がやっている神事は「おかしい」あの人のヒーリングを受けたら
⏫Luminousの作品「銀河のものがたりとは?」銀河宇宙ノ仲間たちへ2010年頃から脳内に溢れる音を打ち出す。はじまりは、無数の点であった。そこから点は線となり、面を描き、弧を打ち出す。さらにそれは、銀河を綴る物語となった。2012年マヤの聲と共に、目覚めはジャングルに浮かぶピラミッドを天空から眺め、ピラミッド目掛けて降り立つ映像が日(火)を追うごとに場面を変え時を遡り、文字と絵となって現れ出した。
先日、実はわたしは、ある人をものすごく「羨ましい」と感じていたのだということに氣付きました。そして同時に、実はわたしがその人を「羨ましい」と感じていることを、認めたくなかったのだということもわかりましたなぜ認めたくなかったのかと言うと、「羨ましい」と感じているということは、その人の方が、自分よりも特別で、すごい人だと認めることになってしまうからですそれが、わたしはなんだか悔しかったんですわたしだって、特別でありたかったんですね。それがわかった時、身体の奥底から「わたしだって、特別で
大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)神奈川県伊勢原市大山355大山阿夫利神社は、神奈川県伊勢原市の大山(別名:雨降山〈あふりやま〉)にある神社御祭神は、本社に大山祇大神(オオヤマツミ)摂社奥社に大雷神(オオイカツチ)前社に高龗神(タカオカミ)大山阿夫利神社は、古来より、両参り信仰というものがありそれは、大山と富士山の両山を参拝する事を指します。大山阿夫利神社の御祭神は、大山祇大神(オオヤマツミノオオカミ)富士山・浅間神社の御祭神は、木花開耶姫(コノハナ
わたしが本質へ還り和多志の志事を始めた時から和多志の元にやって来るのは自分自身が感じている想いは正解なのか誤解なのかその「答え合わせ」を求めている人々、です。人々は、言いました。あの人がやっている神事は「おかしい」あの人のヒーリングを受けたら体調が悪くなったあの人のセラピーを受けたら日常生活が成り立たなくなったあの人のセッションを受けたら怖くて逆らえなくなったあの人のお祓いを受けたが治らなかったあの人の氣当てを受けたが何も感じなかった人々は、求めま