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ソレはテセウスの船にも似た命題あの"テセウスの船"の哲学にも似てるだろう。『ある物体を構成するものが全て入れ替わったとして、それは果たして同一存在と言えるのか否か』だ。人間だって、細胞単位で入れ替わっている。7年もすれば、あなたを7年前に構成していた細胞は一部を除きほぼすべて残っていない。では、その人をその人足らんとしているのはなにか?それは記憶にほかならない。認識する自己と他者の存在こそが、その人物の同一性を保証する。ならば,7年を待たずとも存在の消失は可能となるのもわかるだろ
言葉とはそもそも現実を薄く切り取り、他の側面を無視するという行為のための道具である。心身問題について還元論が持ち出されるとき、特に同一性について議論が集中する。これによって、還元論の消去主義という問題に加え、同一性という概念のあいまいさをも背負い込む。あいまいさ、と書いたが、フレーゲ以降言われているのは、これほど単一で、変化を許さない概念はないということだ。それは他のいかなる哲学的概念よりも純粋であろう。最も普遍的であるがゆえに空虚である、ともされてきた「存在」は、実は存在しないものもあるのだ
ドゥルーズの大著『差異と反復』を読了しました。二〇歳代の頃、単行本で出ていたものを図書館から借りて読んで以来、文庫版での再読です。若い頃、ほとんど書いてある内容を理解できいないまま、この難解な大著のコンセプトを引用しまくっていました。「反復が微細なズレを生み、その差異が新しいものの創造につながる」といったコンセプトです。しかし、再読してみると、ドゥルーズは、差異と反復を、あらゆる物事や概念の根源として位置づけており、本書は、それまで主流だった同一性を重視する哲学(思想)を根本から転倒しようとい
しかし同一性ということで問題にされているのはいかなることなのか。同一性が揺るぎのない単一な意味を持つのであれば、何かと何かが同じだということによって、同じとされる概念の中身を説明することにはならない。また、比べる両者の一つの性質を取り出すということであるなら、もともと違うものについて同一性が言われる場合に参照すべきタイプとトークンの包含関係を述べれば事足りる。タイプとはあれとこれとは似ている(同じタイプである)ということだ。トークンとは、似ていると言われるものは同じ性質(個別のもの、つまり
ここで改めてもう一度「プラトンの探究のパラドックス」を考えてみたいと思います。というのは、基本的に「インタラクティブ・モナドロジー(対話型単子論)」もそうなんですが、東洋的な「太極思想・陰陽思想」と同じく、「相対するものは一つのモノの両極である…」という考え方に基づいています。今回は「プラトンの探究のパラドックス」を通しながら、「(物事の)対象化・異化」について考えてみたいと思います。確か…、以前に当ブログの何処かで、この「対象化・異化」を取り上げたような気もするのですが…、自分としては”そも