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釘抜地蔵(石像寺)にお参りしてから…千本通を南へ行き、五辻通を歩きました…祖父がこの辺りに店を構えていたことを親父から聞いたことがあるのですが詳しいことは覚えていませんσ(^_^;)五辻通から今出川通へ出て「京都市考古資料館」へ行き、京都検定の合格証を見せるとクリアファイルをプレゼントしてくれましたm(__)mそのあと、千利休の流れを汲む三千家の本部がある小川通を歩きました…平成24年から無電柱化事業に取り組み、とても風情があります(^.
わびさびは未だ分らず利休梅(わびさびはいまだわからずりきゅうばい)桜の花もかなり散ってしまい、今は花の名残りのように、その屑が道路に散乱している。観光客で溢れていた通りも、今は疎らになり些か寂しい感じがする。そんなおり、近くの神社へ行くと、「利休梅(りきゅうばい)」が、今が盛りと咲き誇っていた。本日の掲句は、そんな「利休梅」を見て詠んだ句である。花の名前にある「利休」からの連想で「わびさび」という言葉が浮かび、そう言えば、この「わびさび」というのは未だ分からないなと詠
床の間に掛物と花入が共に飾られる「諸荘り(もろかざり)」の場合の床に置く花入の位置だが、これは床の間の構造に関わるので、小難しい。これについては、多くの解説書で、「上座床」、「下座床」で区別して書かれている。「上座床」(じょうざどこ)は、亭主が座る点前座の前方にある床のことで、多くの茶席でみられる構造茶席の構造として、茶室の床に光を取り入れるため床の右側に墨蹟窓(障子窓)がある。「下座床」(げざどこ)亭主が座る点前座の後方にある床のこと
旧暦2月28日が利休忌。それに因んだお菓子で利休巻。伏見のむらさきやさんは新暦の2月に出るが、川口屋さんでは毎年お彼岸を過ぎたあたりからお店に短期間出る。ほんのり醤油風味の生地にこしあん。これは本当に良いお菓子。
茶室に飾られる季節の花々で特別なのは「菜の花」。利休忌には菜の花が飾られます。そして菜の花は利休忌までは飾らないというお約束のあるお花ともいわれます。旧暦の2/28は現在の暦でいうと3/28。利休さんの流れをくむ京千家(三千家)では毎年持ち回りで追善法要とお茶席があるそうです。ただ、千利休の出身地・堺では2/28を利休忌としていて、千利休の事を紹介している「さかい利晶の杜」では、立礼茶室の設え(お軸&お花)が変えられます。菜の花を添える理由は1591年旧暦2/28に千利休が京都聚楽第屋敷で切
不動産は人と同じことをしていてはいけない、というのが私の考えですが、それにしても、つれていってもらった物件は、それはものすごいボロボロ物件でした。天井が2か所完全に破けていて、雨がダダ洩れで、下の畳に草がはえている、、お風呂は壁がなく、ほとんど外になっている。こんなボロそうそうにお目にかかれません。そのうえ、道が90㎝しかなく、それが20mも続いた奥にある家なのです。みんな嫌がって、ずっと売れ残っていて、値下げした家でした。でも私は、気に入りました
イージー茶道カフェつなぐのホームページはこちらInstagramつなぐ茶道教室&カフェはこちら未就学児からママと学べる茶道教室はこちら自己紹介はこちらお問い合わせ・お申し込みどうやって茶道始める?と思ったときに、短期集中講座茶道講師募集ちょっとネガティブな話になって恐縮なんですが、私が大っ嫌いなワードがあって。それは「あなたのために」です。絶対に「あなたのため」ちゃうやん。っていっつも思うんですよねー。あなたのためじゃなくて自分のためやんって。(思わ
イージー茶道カフェつなぐのホームページはこちらInstagramつなぐ茶道教室&カフェはこちら未就学児からママと学べる茶道教室はこちら自己紹介はこちらお問い合わせ・お申し込みどうやって茶道始める?と思ったときに、短期集中講座茶道講師募集年明けにベネッセの保育園で副代表と一緒に茶道体験をさせて頂きました。園児たちが可愛くて私たちにとっても、貴重な時間になりました。そのときの様子は下記をご参照ください😊園長先生が心をこめて書いて下さいました。ベネッセ大崎広小路
お茶を立てる振りなのです🍵次回は4/14(日)ZUMBAサークル『ソラタマリ』13:45〜14:45in高井戸地域区民センター初心者大歓迎です。お問い合わせはDMまでお願いします❤️#千利休#千利休も踊りまくり#踊ってみた#高井戸#駅前#立ち飲み#bar#sora
こんばんは~出雲大社の系列の神社の巫女を経まして。教派神道の神職の資格を習得した占い師、白川葵です本日もお忙しいところ、ご訪問ありがとうございます。初めての方も、よろしくお願い致します。家の玄関に上がるときには、脱いだ靴の先を扉の方に向けて揃えるというマナーがありますよねこのように靴をつま先が玄関で、かかとが室内に向くように置くことを「出船の形」といい、出港していく船になぞらえています。この「出船の形」がマナーとして普及した由来
イージー茶道カフェつなぐのホームページはこちらInstagramつなぐ茶道教室&カフェはこちら未就学児からママと学べる茶道教室はこちら自己紹介はこちらお問い合わせ・お申し込みどうやって茶道始める?と思ったときに、短期集中講座茶道講師募集茶道をすると心が整う、等よく茶道本に書かれていますが、精神性や考え方とお茶が結びついたのは千利休より少し前の時代からです。当初はお茶は薬用で、身体にいい飲み物として、また禅寺での礼法として使用されていました。それ
3月下旬に入ろうとするのに、この寒さ。京都でもこの時期は気温のせいで気持ちが昂っている筈なのに、北部、日本海側、北陸では雪予報、夕方には千本丸太町の交差点は吹雪いて視界悪し。先週末の百万遍の知恩寺。その少し前に通り掛かった時、鐘楼横のフジ桜が見頃を迎えていたものの、急いでいたので翌日に予定を組んで伺う事にした。その金曜日、百万遍一帯が慌ただしい。恒例の手作り市なるものが開催されていた。結局翌日に延ばしたが、その二日間で見頃のフジ桜はこの変わりよう!花命は短いと云うが、
昨日分類した利休の茶道具のうち(1)の利休所持とされているもの利休が所持していたことが茶道具の伝来として明確な道具についてであるが、これには、わび茶の道具だけでなく、書院のお茶の道具である東山御物もある。昨日は、景徳鎮窯染付雲堂茶碗銘「紀三井寺」を挙げたが、「狂言袴(きょうげんばかま)茶碗「挽木の鞘」(ひきぎのさや)これは利休から細川忠興三斎に与えられ、その後、徳川家に伝来している。根津美術館には、これとよく似た「狂言袴茶碗」銘「ひき木」が収蔵されてい
さて螢の仇を討つべく主馬を追い詰める慶次、だけどもそこに現れたのが…前田利久!前田利家の兄であり、慶次の養父ですな。まぁ病弱だったのはホントのことのようですよ。長男がそれじゃ家督も奪われちゃいますわな…さてそんな前田利久もついに臨終の時を迎えます。その知らせを聞いた慶次は…踊ります(笑)まぁでもそれもいいんじゃないでしょか。誰かが死ぬ、その時に別に神妙にする必要は無いよなぁ…そして慶次のおかんであるお春も回想で登場。彼女は滝川益氏の子を孕んだまま利久のとこに嫁に来たんですが…外国種
「じんせいしちじゅうりきいきとつわがこのほうけんそぶつともにころすひっさぐるわがえぐそくのひとたちいまこのときぞてんになげうつ」と読みます。千利休の辞世の句です。多少難しい読みになっていて困りますね。平仮名に直すと少しわかりやすいでしょうか。この句を詠んだ後、彼は切腹します。原因は豊臣秀吉との不仲と言われていますが、切腹を命じられた直接的な原因はいまだに不明なままです。この辞世の句に関しても様々な解釈がありますが、ざっくり言えば「人生70年いろいろあったけど、まあ、ここで終わりだ
こんにちは。澤野大樹氏青森講演会主催小野裕美子です。2020年も残すところあとわずか。新年を迎えるその前に__澤野大樹氏がかねてより講演会で提唱されている、「稽古とは、一より習い十を知り、十よりかえる元のその一」(千利休)物事には「原因」と「結果」があり、そして「順序」がある。人生の旅路にも、人の精神修養の過程にもそれらが必ずあると仰います。そこには、途轍もなく壮絶なストーリーが隠されていました。それを紐解くための「鍵」は、ひとりひとりの目には見えない意識
火坂雅志(ひさかまさし)氏の心に響く言葉より…《上をそそうに、下を律義に、物の筈(はず)の違はぬ様にすべし》地位の高い人には粗略に、逆に低い人には丁寧にし、約束に違わぬようにすべきである(千利休/山上宗二記)時々思うのだが、千利休がいなければ、日本人の美意識は随分と違ったものになっていたであろう。一般的に、日本人は派手なものよりも、簡素さのなかに静謐(せいひつ)な美しさを秘めたものを好む傾向にある。建築や家具などに使われるシンプルモダンなデザ
3回目のお茶道。でも、今日は時間無くて慌ただしく、新しく作法知識、学べませんでした。子供たち、お抹茶少しずつ飲める様に成って来ました(苦味に慣れ来た?)子供の卒園式から、メンタルダウンし、今は少しずつ回復させています。目まぐるしいほど色々と変化あり、気持ちが追い付かず。成すべき事を淡々と、しかし気持ちを込めてこなす、そう言った感じでしょうか。節目。
2024年3月27日今日は何の日か世界演劇の日ユネスコの外郭団体である国際演劇協会(ITI)が制定。1962年のこの日、ITIがパリで第1回シアター・オブ・ネイションズ(諸国民演劇祭)を開催した。さくらの日日本さくらの会が1992(平成4)年に制定。3×9(さくら)=27の語呂合せと、七十二候のひとつ「桜始開」が重なる時期であることから。日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して、日本の自然や文化について関心を深める日。
●どこにでもある花と家紋着物きらくです。卒業式関連の着付けで、多摩川土手を通っていたのですが、通りいっぱいに咲いている花が春の暖かさと相まって、和ませてくれました。ハマダイコンの花調べるまで名前も知らない花でしたが、絨毯のように土手を埋め尽くしていて、今でいうところの“映え”スポットとでも言いましょうか。それは綺麗な景色でした。別の日には散歩中の足元に目をやると、日本中のどこにでもあるこの黄色い花に気が付きました。片喰(カタバミ)この植物、実は家紋
先々週山科の勧修寺に行った際、時間があれば世界文化遺産の醍醐寺まで回るつもりでいた。一番見てみたかったのは三宝院表書院前の庭園。大きく分けて下醍醐と上醍醐があって、一般的には下醍醐が観光客が訪れるエリアだ。下醍醐拝観チケットは一枚だが、更に三宝院・霊宝館・伽藍エリアに分かれていて、各入り口でカットできる半券が回収される。先ずは国宝の仏像等が展示されている霊宝館へ…醍醐寺には国宝の五重塔をはじめ金堂、薬師堂以外、何と国宝69,419点、重要文化財6,522点も伝承している。
おはようございます。昨日は久々に青空が広がり、なんとか雨にも持ち堪えた桜がここぞとばかり咲き誇っていました。さて、今日は、京都裏千家の利休忌です。千利休は天正19年旧暦2月28日(1591年4月21日)に秀吉の命により切腹しましたが、千家ではその1ヶ月後を命日としています。昨日、3月27日が表千家の利休忌で、今日3月28日が裏千家と武者小路千家の利休忌となっています。どうして1日違っているのかいろいろと調べましたが、よくわかりませんでした。その「1月後」の解釈が表千家と裏千家で異なるた
堺市堺区「けし餅」購入日2024/01/29製造・販売小島屋入手方法百貨店で購入価格984円/6個入り堺で「けし餅」が流通し始めたのは、時代を遡れば「千利休」の時代にもなるそうです。その頃から営業しているだろうと思われる2軒の老舗菓子舗があります。1軒目の店名は「小島屋泰芳」で、扱っている商品名は「けし餅」。2軒目の店名は「本家小嶋」で、扱っている商品名は「芥子餅」。今回購入したのは、小島屋泰芳の「けし餅」です。きれ
いつも読んで頂き、ありがとうございます。今月の同門誌、「千家人物散歩」は「武蔵鐙の文」。千利休から古田織部に宛てて書いた、数少ない、書状です。小田原攻めに居た、利休が、織部に最高の出来の花入れを送り、その返事の返事。歌を添えて、その花入れの素晴らしさを語り合う二人の関係に、熊倉先生も、「内容も筆跡も素晴らしく、全文紹介したいところですが、それだけでこの回は終わってしまいますので…。」と古文書好きが溢れ出ています。最後に、利休最期の前に細川三斎と古田織部が
先日から報告しているNHK「日本庭園」DVD版の中に、一般的には拝観できない珍しい庭園が収録れていた。上京区小川通寺之内通上るは茶道の聖地である。表千家は千利休を祖とする茶道の流派「三千家」の一つである。千利休には2人の息子がいたが、このうち嫡男の千道安は先妻との子供で、利休死後の1594年に堺千家と言う流派を創設。しかし道安には後継ぎがなく、1607年に彼が死去した事で堺千家は断絶。もう一人の千少庵は利休の後妻の連れ子で、後に利休の娘と結婚して彼の婿養子となる。この少庵の
千利休は力強くたおやかな自然の緑を一碗の抹茶の緑に凝縮し、緑色を精神的な宇宙の色とし、それにふさわしい茶の湯の様式を創作しました。日本の伝統色の緑色系統は、自然と融合し四季折々の多様な植物の緑から生まれた色名が多く存在します。苗色は稲の苗のような淡い緑色です。類似色に『萌葱色』があり平安時代からある夏の色です。平安時代、苗色は天皇の側に仕える人の服の色でした。若葉色は夏前の草木の若葉のような、柔らかな黄緑色です。若葉と言えば春のイメージですが季語は夏です。鶯色は鶯の羽のような暗くてくす
こんにちはHです最近dTVの『へうげもの』にハマっておりまして織田信長の最後が衝撃過ぎてずっと脳裏から離れません。※ここからネタバレ有りそもそも『へうげもの』とは戦国時代、織田信長に仕えた武将古田佐助のストーリーです。武人としての栄達を夢見つつ文化・芸術を愛でる数寄者の顔を持つ古田佐助が面白すぎるのは置いといて・・・最強で一番有名な武将といえば『織田信長』ですが織田信長の最後『本能寺の変』では織田信長の首は見つかっておらず明智光秀の謀反に
ひょんな事から知ったこの言葉。四規七則(しきしちそく)皆さんご存知ですか??私は10分ほど前に知りました(笑)調べたら、千利休が説いた茶道の心得だとかー。四規とはー和敬清寂(わけいせいじゃく)・和…お互いに仲良くすること・敬…お互いに敬い合うこと・清…外見だけでなく心の清らかさのこと・寂…どんな時にも動じない心のこと七則とはーお客様をもてなす時の七つの心構えで、一、茶は服の良きように点てニ、炭は湯の沸くように置き三、冬は暖かく夏は涼しく四、花は野にあるように入れ
前回の表千家の続きは裏千家。表あっての裏だが、実質、日本の茶の湯の代表格は裏千家でもある。千利休の孫に当る宗旦の長男の千宗拙(せんそうせつ)は父との折り合いが悪かった為、家を継がず早くに家を出て江戸で浪人暮らしを送っていた。最初に茶道を継いだ三男の江岑宗左(こうしんそうさ)は、父の茶室である「不審庵(ふしんあん)」を継ぎ表千家を創設。そして四男の仙叟宗室(せんそうそうしつ)は、表通りに面する不審庵の裏側に茶室「今日庵(こんにちあん)」を建立し、これが裏千家の由来となる。その
毎年恒例の「京の冬の旅」が開催されている。何度も目にするものもあるが、今回の注目は何と言っても40年ぶりに公開される、西陣の興聖寺の「降り蹲踞(つくばい)」。私もこの地に古いお寺があるのは知っていたが、具体的な事は全く知らず、ネットで調べてみたが、ネット文化が始まってからは一般公開されていないので、殆ど詳しい事は解らないまま、先日伺ってきた。興聖寺は慶長八年(1603年)に、虚応円耳と云う、日蓮宗の僧侶を開山として、大名茶人・古田織部により創建と伝わる。1701年より日蓮宗