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前回の続きになります....。小児循環器の先生より今回見つかった異常について説明が始まりました。まずは正常な胎児循環のお話。その後に何処が違うのかのお話。正直話は一度聞いても難しく、気が動転している私には頭に入ってくる内容が半分以下になっています。夫が居て良かったです。私が記する内容に間違いがあるかもしれません心臓の本来開いていないところに穴があり、全身に回るべき血液の一部が肺動脈に抜けていくため心臓や肺に負担がかかる。運ばれてきた酸
みなさまこんにちは!学校に通えるようになって一安心する暇もなく私たちの頭の中は次女の心臓病のことでいっぱいです。幸いなことにほとんどの生徒にとってムダでしかなかった健康診断で次女の病気が発覚いたしました。このタイミングで見つからなかったらきっと具合が悪くなって本当に学校に通えない状態になっていたかもしれません。もしかしたら成人してから重い症状に陥ることもあったかもしれません。いま。とっても元気な状態でみつけられたのは本当にラッキーでした。変なバレエ
長くお世話になった看護師さんたちがおめでとうございます、と言いに来てくれて、ありがとうございます、と言っていいのか複雑な気持ちの私。お世話になりました、と言っていたと思います。ショックなのを見せたくなくて、産まれちゃいました~とも言ってたかな。まだこの時は早産だけど大丈夫、と思っていたので小さい息子にショックはうけつつも、がんばらないと、と前向きだったので言えました出産翌日、車イスでNICUへ。想像以上に小さい息子、保育器に入り、呼吸のため挿管されていました。穴から手を入れて触れるもの
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染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みは『妊娠から出産まで』生まれてからダウン症と診断された娘ですが、妊娠から出産までの出来事を記録しておきます結婚3年目に入り(当時30歳)、そろそろ子供が欲しいねと不妊治療を始めまし…ameblo.jpダウン症と診断されるまで①『ダウン症と診断されるまで①』染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこちら『妊
8/17に私は退院しました。娘はNICUに引き続き入院。退院数日前に、Hikariの心臓の状態がかなり深刻であることをドクターから告げられました。上記の話を聞く前から、産後夜中になるとhikariの事が心配で、夜中に勝手に涙が出てくる。基本、全く泣かない人なので、なぜこんなに涙が出てくるのか分からず...お見舞いに来た友人に話したら、産後の影響でよくある事だよーと言ってました。ものすごいネガティブ思考で最悪なケースばかりを考えてしまう。。。そして、産後にドクターからHika
染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこちら『妊娠から出産まで』生まれてからダウン症と診断された娘ですが、妊娠から出産までの出来事を記録しておきます結婚3年目に入り(当時30歳)、そろそろ子供が欲しいねと不妊治療を始めまし…ameblo.jp2021年7月7日午後8時4分2477gスリムボディーでスルッと生まれてきたMIAちゃん生まれた直後は微熱があり、呼吸が安定しないということで入院扱いとなりました。な
帝王切開後生後0日帝王切開が終わって病棟にベッドのまま運ばれて時間を置いて夫と家族が案内されて来ました。夫が「おつかれ」って声を掛けてくれたのが凄い嬉しかった:;(∩´﹏`∩);:赤ちゃんはNICUに連れて行かれて身体測定含め検査されてるらしい。検査が終わり次第、夫が呼ばれて色々と説明があるとの事。私も説明聞きたいけど麻酔効いてて動けないから夫だけが説明受けるんだけど心配…理解できるかなあ…😦夫も私の両親も赤ちゃんを見て凄く安心したらしく喜んでいました。と言うのも、私自身が母親
なかなか更新できずすみません。色々ありまして…。この件についてはまた追って書きます。ひーちゃんのお友達のママがお昼間に面会に来てた。久々見た。前、他の人に会いたくないから夜しか来てないって言ってたから珍しいなぁーと思いながらも会話できる雰囲気じゃないから私もひーちゃんの面会に。ひーちゃんのお友達は他人の私でも分かるくらい状態は良くないんだなって。人の赤ちゃんの所はいけないからこっそり「がんばれー」って応援はしてたけど…。ちょっと話したかったから面会時間終わって
染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこちら『妊娠から出産まで』生まれてからダウン症と診断された娘ですが、妊娠から出産までの出来事を記録しておきます結婚3年目に入り(当時30歳)、そろそろ子供が欲しいねと不妊治療を始めまし…ameblo.jpダウン症と診断されるまで①『ダウン症と診断されるまで①』染色体異常があるかもと言われてから、ダウン症と診断があるまでの壮絶な1ヶ月の記録を書きます出産までの幸せな歩みはこち
なんで食べてくれないの…→偏食の長女がキルギスで食べたもの【キルギス子育て奮闘記(52)】|英語の達人WORLD(eigojin.com)みなさまこんにちは!コラムがアップされましたのでお読みください。さて、スゴイタイトルでびっくりしたと思われますが本当です!実は今日手術の予定でして「本当に手術が必要なのか?」と疑っていた時にかられたのがもし手術しないと余命は20年以内。25歳がこの症状の平均寿命。もし!しなかったらね!!開存症といって
娘は妊娠7ヶ月半25週2日で486gで産まれました。二回心肺停止して『大変危険な状態です、覚悟してください』と言われた。◯慢性肺疾患◯動脈管開存症外科手術◯保育器108日◯NICUGCU入院5ヶ月◯在宅酸素小、中学校と地域の小学校、中学校の支援学級に通ってます😆✨我々の住む地域は小学校入学時入学する児童全てにIQテストを行います。そこでIQ70以下でないと地域の小学校の支援学級に入れません。娘はIQ68だったので支援学級で授業を受けてます☺️✨✨これ
今日の18時半でした。『どうみゃくかんてい』と浮かびましたのでそのままひらがな検索しましたところ動脈管閉存症とは?のページが先頭にありました。動脈管開存症(PDA)(どうみゃくかんかいぞんしょう)とは|済生会(saiseikai.or.jp)こういった医学の進歩は真に有難いと思いました。お読みいただきましてありがとうございます<(__)>スピリチュアルランキング
動脈管開存症の手術は、カテーテル治療で行いました。カテーテルがない時代は開胸するしかなかったとか...。おそらく娘のサイレントPDAであれば、手術しない選択だった気もします。1日目は検査の日。最初の2泊3日は主人が付き添いだったため、聞いた話ですが、造影剤を使うCTレントゲン採血どれもとてもがんばってできたようです。採血の時は、ちょっと泣いちゃった、と言っていたよう。造影剤を使うCT、私も撮ったことがありません...本当にがんばったね昨日寝るときに、注射、2回もしたよね。
ここからは私の暗黒期の話が続くので、苦手な人はここまででページを閉じてくださいみーちゃん、よっちゃんとの初めての面会の後、病室に戻ったママは、携帯で「動脈管閉じない」と検索を始めました。すると、最初に上がってくる言葉は動脈管開存症という言葉でした。片っ端から読み漁りましたいくつかのページを読んでいくと、ダウン症の人に多い合併症という言葉に出会いましたダウン症?NIPTが陰性だったのに??そんなことあり得るの?
そうそう勢いでここまで書きましたがきーくんは2018年お正月に誕生し現在は元気な3歳児です!発達の遅れはありますがリハビリや児童デイサービスに通って元気いっぱいの毎日を送っています!といっても風邪をひくと、なかなか治りがゆっくりだったりしますが以前よりも、うんと強くなりました。水頭症でVPシャントもはいってて肺も弱かったりするので以前は風邪をひくたびに重症化、合併症にビクビクしていましたがそれを乗り越えた先は息子なりに成長している気がするので風邪は身
こんにちはご覧いただきありがとうございます出産直後、総合病院に搬送された息子はGCUに入院することになりました。息子について行った夫は、検査に付き添ったり、説明を聞いたり、入院手続きをしたりと、出産の喜びも束の間で慌ただしく動いていたようでした。夫からの連絡を心配と不安な気持ちで、まだかなまだかなと待っていました。「重大な問題がありませんように」…祈るような気持ちでした。夫は、息子の方が一段落した後、私の入院しているクリニックに戻ってきてくれました。そこで、先生からの説明の用紙を見せ
そんなこんなで誕生したきーくん私の術後落ち着いてから医師からきーくんの今後について話がありました3日乗り越えられるかわかりません・・・そのあとは1週間、2週間、1か月から2か月経つまで油断できません身体も未熟なのでその都度、成長を見守りながら医療的ケアをしていきます。3日??!!と言われたきーくんですが今は3才になりました♡息子の医療的ケアはいろいろありましたが(入院中は色々あって心配が尽きなかったな~それもゆっくりブログにかけたらいいな)
ご覧頂き、ありがとうございます。今回は、第二子ちゃん出産1日目〜出産3日目.緊急搬送まで書いてみようと思います。【出産1日目】主人と長女が面会で遊びに来てくれました。その時は、第二子ちゃんも保育器から出してもらい、15分くらい、家族4人の時間がありました。この時は、まさか、、、、第二子ちゃんが産まれてから今まで、『この瞬間だけ』が家族4人の時間になるとは思ってもみませんでした。そしてこの時、第二子ちゃんの鳴き声にも変だな‥と感じましたが、低体重なので、成長と共に普通
こんにちはご覧いただきありがとうございます生後3日目、息子の面会へ行きました。貧血がひどいので、「短時間で」という条件付きで外出許可をいただき、夫と一緒に息子の面会に行きました。必死で搾ったわずかな母乳も持参しています。目眩、立ちくらみはありましたが、息子に会えるので気分はワクワク息子の装備は、酸素点滴(1本)心電図酸素モニター鼻からの栄養チューブでした。保育器のからは出ており、コットに寝かされていました。1日会っていないだけなのに、なんだか久しぶりな感じがしました。そし
市内の大きい病院へ行ってエコー検査をするとこれでは飛行機はのれませんお腹の子もどうなるか・・・どうなってもうちでは受け入れはできません。さらに大きい病院へ転院しますとのことえぇ、何が起こっているの・・・すぐに救急車が到着しこれまた市内の大きい病院へ到着車いすで運ばれて早速エコー検査をすると医師からあぁー、だめだだめだカイザーカイザー早く、早くと看護婦さんに指示する医師カイザーって・・・最近読んでたコウノトリで言ってた帝王切開の
こんばんは今日のひかちゃんはとっても落ち着いていました。転院後初めて、だっこさせてもらいましたぁパパが抱っこしています。すずちゃんとお揃いのCPAPです。7人の小人のように見える。。。(実際はかわいいおじいちゃん達ですが)お帽子がきゃわいい今日のひかりは、とても落ち着いていました。皆さんが言うように、18っこちゃんは、ゆっくりゆっくり自分で調整してバランスをとっていくんだと思います。ひかちゃんもゆっくりでいいから、肺呼吸に慣れていこうね〜病気と闘っている18っこちゃん
大きく生まれた妹(何度も書きますが932gです)の最初の印象は、姉に比べて手足に力が無いなぁ…といった感じでした。胎盤の栄養を殆ど使い、ど真ん中に臍帯が付いていたにもかかわらず、週数の割に体重も1,000gを超える事は無かったのです。今思えば、姉に栄養を分けていた事で妹自身も疲弊し、限界を迎えつつあったのかも知れません。産科の先生方が、あの時決断してくれなかったらどうなっていたのかと、今更ながら恐ろしく感じます。妹の母乳量は、順調に増えて行きました。(と言っても、1mlからです。)消
ご覧頂き、ありがとうございます。リアルタイムの現在が、ずっと辛い‥😭。。早くここに書きたいけど、頭の中まとめて整理して😞遅くなっちゃうけど、ちまちま更新していきます。前回の続きです。【出産4日目】出産3日目の朝にNICUのある病院へ転院した、にこちゃん(第二子ちゃんの名称とします)。その為に、私は1人で産院に泊まりました。母子同室ではなかったので、さほど変化は感じませんでしたが、にこちゃんがNICUへ運ばれていったので、ずっと不安で苦しくて仕方ありませんでした。この日、私は退
昨日の午後に抜管しました。実は、前の病院から転院する朝に、「今朝、挿管しました」と言われ、搬送は予定通り可能か聞いたところ(救急車で計画搬送だった為)問題なく可能との事で、転院しました。転院の話し、私の退院、次の日は娘が搬送とバタバタ続きで、しっかりと把握出来てなかったのですが、「挿管する」とは、「人工呼吸器」を入れる事だと昨日抜管します、と言われた時に初めて知る、と言うか気付きました。確か以前、18っこちゃんは、「挿管するか、しないか」選択を迫られる事がある、と遺伝カウンセラ
初めまして!超未熟児の息子をもつ母です!息子のあだ名はきーくん☆在胎25週0日体重は794gで誕生しました。沖縄県出身の私と夫は福島県出身で今は家族全員沖縄に住んでいます。息子が産まれたときはお正月休みで主人の実家に帰省していたとき悪阻も落ち着いて、お腹も大きくなりつつあって出産したら福島へ帰れなくなるからと強行突破の帰省でした・・・福島から沖縄へ帰る日の朝出血・・・やばい、どうしよう、、帰れなくなるかも、、明日から夫は仕事だよどうにか
こんにちは!ご覧いただきありがとうございますいよいよダウン症の告知をされます。先生からの現状説明の日、夫婦揃って「いいお話しをされるかもね~」と楽観的に考えていました。カンファレンス室に通され、先生、看護師さん、心理士さん、私たち夫婦というメンバーでお話しが始まりました。先生が用意してくださった書類には、①動脈管開存症→まだ開いている。この先も注意してみていく。②新生児一過性多呼吸→良くなっている。③筋力低下、哺乳力低下①~③が書いてありましたが、私の目に真っ先に飛び込んできた
ひかりが産まれて満1ヶ月経過しました!生きて産まれてくるのも奇跡。生き続けてくれるのも奇跡。手術に耐えて頑張れたのも奇跡。ひかちゃん、よく頑張ってくれたね!ありがとう!全て当たり前でないことを、すずちゃんのお友達の「とわちゃん」が改めて教えてくれました。とわちゃん、ありがとう!先輩のゆっちゃん、ひろくん、ふーちゃん、YUMAちゃん、みんなみんな優しいお姉ちゃんとお兄ちゃん達がいるから寂しくないよー(^-^)ひかりは昨日の午後から、注入母乳再開し10ccからスタートしました。そ
今日は手術前日、午後は術前準備を施される予定でしたが、今、ひかりの所に着いたらドクターが来て、採血の結果、炎症してる数値が出たようで、現在抗生物質投与中、明日の手術は一旦延期するとの事。感染症かもしれないので、原因を突き止める為に採血して培養するので、今から採血などの処置をするので、一旦待合いでお待ち下さいと言われました。ひかりはベッドでスヤスヤ気持ち良さそうに寝ていましたが、こんな事ってあるのでしょうか?無事に炎症数値が下がり、早めに手術も出来れば良いのですが。どなたか、バンディ
退院が延期になって、入院生活ももう3週間となりました。今日も何度か熱が出てダウンしたり腹痛が酷かったり、体調がイマイチ。。気づけば8月も終わりですか早い〜思えば切迫早産で入院したので、11月までずっと入院だと思っていましたが、8月中に母になるとは...そして搾乳の厳しい現実を知るとは色々予定外でしたが、今日も娘は頑張ってくれていました今日で日齢9となり、状態は落ち着いていて、授乳量は1回2.8ml×8回!毎日0.6mlずつ増やしているそうで、明日は3.4mlずつあげるそうです.