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4月7日、岡田有希子ちゃんが亡くなる前日です。ご存知のとおり、この日の有希子ちゃんは束の間の休日ということで、友人とロッキー4の試写会に招待されていました。そこでも雑誌などの取材を受けており、これが生前最後の写真となってしまいました。それで思ったのが、いくらオフの日とはいえ有希子ちゃんは取材を受けることが決まっていたのでしょうか?ということです。この日の服装はかなりシックで大人びていますが、芸能人とはいえ18歳の女の子がオフの日に着るような服には思えません。有希子ちゃんが好んで着るよう
とある雑誌記事の写真です。サンミュージックのあった大木戸ビルを大きく写しています。岡田有希子ちゃんが亡くなった場所であり、溝口元マネージャーが亡くなった場所でもあります。この記事の見出しが酷いですね。デスダイブなどと、人の不幸を面白がってるとしか思えません。このビルの屋上をよく見て下さい。端から端までクリナップの巨大看板が設置されています。ビルの壁面と看板との隙間もほとんどありません。また、この写真からは確認されませんが、少なくとも屋上には転落防止用の柵があるはずです。こんな場所か
竹内まりやさんが中山美穂さんにプロデュースした曲「色・ホワイトブレンド」ですが、やっぱりこの曲は岡田有希子ちゃんに歌って欲しかった。もちろん、美穂さんの代表曲の一つであることには変わりませんが、まりやさんプロデュースであることを考えると、本当は有希子ちゃんが歌うはずだったと思います。https://youtu.be/olzsYnh0FM8中山美穂色・ホワイトブレンドyoutu.be【色・ホワイトブレンド】Whitespring春の陽ざしにWhitelips輝き出せばW
あなたは永遠に18歳のままで30年経った今も、私たちに色々なことを考えさせてくれる。高校を卒業したばかり、一人暮らしを始めたばかりの春。ユッコと呼ばれていたそのアイドルは突然この世を去った。岡田有希子。本名佐藤佳代。彼女はなぜ、そうまでして生き急いだのか。飛び降りそのものは、発作的、衝動的なものだったかもしれないがその前に決行した自室での自殺未遂は、彼女が最後に発した究極のSOSだったのだろう。18歳の少女が、明るい笑顔の下で抱えていた孤独。心が闇に包まれて、すっぽり覆わ
オーディション番組''スター誕生''で歌う中学3年生のユッコ。この時はまだ本名の佐藤佳代を名乗っている。貴重な動画です。アップしてくださった方ありがとうございます!昭和57年、1982年のこの日(テレビの字幕は58年となっているが、一年間違えていると思う)中学3年生の佐藤佳代は夢を叶えるため、その第一歩を踏み出した。スター誕生といえば、森昌子、桜田淳子、山口百恵、中森明菜などのスターを発掘した昭和の公開オーディション番組。佳代が出場した頃は既にブームは下火で、番組の晩年期だった。
今年も4月8日を迎えました。岡田有希子ちゃんが亡くなって38年。私がこのブログを始めて丸3年となります。有希子ちゃんのあまりにも若すぎる死を決して忘れてはならないのは言うまでもありません。一方で有希子ちゃんのことについて、残念ながら誤解されていることや、あり得ない噂話などが未だに付いて回っているのも現実としてあります。まず何より、有希子ちゃんの直接的な死因が飛び降り自殺であるということが既成事実となっていることが非常に残念ですし納得がいきません。数時間前に自殺未遂をしたからといって、自
東京都新宿区四谷4丁目にある大木戸ビルにはかつて、ユッコこと岡田有希子が所属していた事務所があった。先日、所用でたまたま近くを通りかかったので初めて、このビルをスマホのカメラに収めた。(現在、事務所は隣町の左門町に移転している)1986年4月8日、午前中に一人暮らしの自室で手首を浅く切り、ガス栓をひねって自殺未遂を図ったユッコは、病院に駆けつけた事務所の専務とスタッフに付き添われ、人目を避けつつこのビルの6階にあった社長室に入った。(社長は外出中、担当マネージャーは休みで、
エイプリルフールで笑った嘘は?▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしようもう2日になりましたが…(ノ∀`)アチャー1日の夜中、ぼーっとニュースを見ていたら、こんなのが!嘘ニュースのようで嘘ニュースじゃないニュース(笑)何とも飛躍した…というか突拍子もないニュースつまりは、日本では夫婦別姓が法律上認められていないため、結婚によって日本人の名字の種類?が減ってきているのだそうです。このままだと、約500年後には日本人全員が国内で一番多い佐藤姓になってしまうというもの。
3月11日。東日本大震災はもとより元日に発生した能登半島地震、毎年のように発生している台風や豪雨など、すべての災害で犠牲となった方々に哀悼の意を表します。