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卒業式を控えてストレス、プレッシャーとストレス度が上がっています。目に付くのは、自分の身体がガチガチで柔軟になりたいからか❓バレエ🩰新体操や器械体操は見るのが好きです。ハワイのバレリーナって細くないのですが、これぐらい細っそりばかりに目が行きます。芸能人:でもバービーみたいなお人形体型。自分の二の腕の写真写りも気になるので、こんな細っそりだったら意識しなくてもいつも細く映りそう。日本のダイエット事情も摂食障害など引き金になっていそうですね。コロナで摂食障害患者の低年齢化も進んだそう。小学
次女がまだ低体重だった時。2週間に1度、または1週間に1度、病院受診がありました。『退院後一回目の受診』低体重で入院し、半年間の入院期間を経て退院した娘。退院して1週間後すぐに担当医との診察がありました🏥退院後の自宅の様子を聞かれ、体重を測ります🩺退…ameblo.jp受診前は私もビクビク💦次女も隠れて水を飲んで体重増やそうとしたり、、、健康な人からは考えられないと思うけれど、それこそ100グラム単位で一喜一憂していましたそれなり
先日、ある報道番組を見ていたら、障害児を持つ家庭の特集をしていました。その特集を見て、とても大切なことを思い出した気がしたので、備忘のために書きます。その子は、10歳の男の子です。極度の低体重で生まれ、言葉を話すことができません。手は少し動かすことができるのですが、体のほとんどは自由に動かすことができず、移動は車イスです。でも、小学校は普通学級に通っています。お父さんは、その子のためにいろんな発明をしていました。ボタンを押すと「ありがとう」という声が出る装置、ボタンを押すとグー、
「骨が見えるほど、うれしい」身長155cmで体重26kg子どもの発症増える“摂食障害”苦しんだ女性が明かす壮絶な過去(CBCテレビ)-Yahoo!ニュースとにかく食べないようにして体重を減らし続け、小・中学生のときには入退院を繰り返しました。朝ご飯は食べず、学校でも給食は1口2口だけ。身長は155センチでしたが、体重が26キロにまで落ち、表情もなくなnews.yahoo.co.jp摂食障害の記事です。摂食障害になるきっかけは、本当に人それぞれだと感じています。ただ、
読んで下さってありがとうございます4歳年中さん自閉症の1人娘の話2歳DQ60→3歳IQ94→4歳IQ86自閉症や知的障害って原因がまだはっきりとはしてませんよね。なんでこんなに沢山産まれて来るのかすごい謎じゃないですか?私だけ?自閉症児の母親として私なりにいくつか心当たりがあるので書き記しておこうと思います。※何の信憑性もありませんのでご了承ください私が考える原因年齢私29歳、夫36歳の時に自然妊娠。統計上、自閉症は父親の年齢の高さと相関がある
当ブログにご訪問いただきありがとうございます面談室を出てふたたびGCUに戻りましたが、その時何を思っていたのか我が子にどんな感情を抱いたのかもうよく覚えていません。ただ、カメラのメモリには泣き腫らした目で我が子を抱く私の写真が残っていました。(多分抱っこをして写真を撮るよう促されたんでしょうちっとも笑えてない。)気がつけば産院に戻る約束の時間が過ぎていて、慌てて電話をしてから夫の運転する車で帰りました。無言の車内。産院の病棟に戻ってきた際、看護師さんが言うには、エレベーターから降りた時の
今日もなかなか寝付けず昼寝もできず具合悪く怠い、頭痛、足の裏は痛い、歯茎も腫れてる、お腹もすっきりしないとダメダメな体調…何年かぶりに友達と会えるタイミングがあり行けたら行くねと緩い約束をしていました準備するも、体調で行きたくない…またまたドタキャンかな…でも、あまりないチャンスどうしようと悩み体調をみつつ支度をしてとりあえず頑張って向かいましたが頭痛かしんどくて仕方なく電車も乗りたくない気持ちでいっぱいとりあえず少し乗ってみようと乗ってみて様子見ましたが
2018年9月12日15:412085gの女の子が誕生しました👶🏻💓約28時間半の超難産でした😱記録のために出産レポ書きます🖋9月10日(37w4d)子宮内胎児発育不全&誘発分娩の為、入院11:40子宮口指一本分開いてた為恐れていたラミナリア回避!バルーン🎈40ml16:30腰痛み始める18:00茶オリでてた→前駆陣痛不規則に出始める9月11日0:15陣痛5、6分間隔の為LDR入ってモニターLDRのお布団で寝て朝迎える
当ブログにご訪問いただきありがとうございます前回の続きです。私「検査をしますかってどういうことですか?」医師「検査結果はご本人とご家族にとっての大切なプライバシーなので、知る権利もあれば知らないままでいる権利もあるんです。」プライバシー、なるほど私たちの様子を見かねてか、医師はこう続けました。医師「ご自身の疾患を知らないまま大人になる方もいますよ。今日も本当はお話しするつもりじゃなかったんですけどね」「言うつもりじゃなかった」について、後日真意を確認したところ「"今日は"話す予定じ
御徒町駅近くににあるタイ古式マッサージ。タイジャイディはダイヤモンドビル201号室にあるこの日、お昼過ぎに201号室のインターホンを鳴らした。利用出来るそうなので、階段を使って201号室へ迎えてくれた女性は細身でスタイルの良いタイ女性だった、私はメニュー表を見て1時間のタイ古式マッサージを選択。奥の仕切り部屋に通され、タイの服へ着替えたどうやらお店にはまだ女性1人しかいないようだ支度が出来たのでうつ伏せ背中と肩が凝っている旨を伝えマッサージが開始されたが、、軽い、、軽過ぎる!女
こんばんは人を美しくするのが大好きなウォーキングスタイリストの櫻田です。美しく歩くために必要なのは姿勢を良くするための筋肉です初めてウォーキングレッスンを受けた方は「歩くのがこんなに大変とは思わなかった」とおっしゃいます。大変なのは筋肉が無いからですが徐々に筋肉が付いていくと慣れて楽に歩けるようになりますので大変なのは始めのうちだけです。キチンと歩くと筋肉トレーニングになりますがダラダラ歩くと1万歩歩いたとしても無駄になると言い切る専門
摂食障害の中学生入院生活ブログはじめに現在、摂食障害と低体重で入院中の中学2年生のRunaと申します🌷中学生ですが、摂食障害で入院生活をする中で、少しでもこの病気の事を伝える事で何か力になれればなと思い、このブログを始めさせて頂きました入院についてまず、入院の経緯をお話させていただきます私は、昨年の8月に病院から摂食障害と診断を受け、そこから栄養剤の摂取を続けていました。8月の体重は、154cm・32kgでした。9月には、29kgに体重が落ちてしまい、栄養剤の量を増やし、治
妊娠7ヶ月、24週3日の健診で胎児が少し小さめと指摘される。といっても成長曲線の中央線から少し外れた程度。それから健診毎に小さめと指摘されてきましたが、「あ〜また小さめさんか、牛乳たくさん飲まなきゃ」くらいにしか思わずのんきに構えていました。というのも長女あさちゃんも37週6日で出生体重2490g、なんなら私自身満期産で2440g、ついでに私の母も2300gと小さく生まれる家系?ですがみんな病気ひとつせず今も元気に生きているため、今回はさらに小さめとのことですが本当に本当に本当に気にしていま
こんばんわ色々あって久しぶりの投稿ですこれから話す内容はこれから出産される方には不安にさせてしまう内容かもしれないので見たくない方はご注意ください妹ちゃんのMRIの結果がでて『脳室周囲白質軟化症』と診断されました聞いた事ない病名でした…我が家の場合、なってしまった原因として一卵性の双子である事双胎間輸血症候群になってた事早産で低体重であった早産で脳の血管が未発達であった産まれた後浮腫がなかなか取れなかったが要因だそうです。脳の血管が途中で成長が止まり栄養が行かなくな
当ブログにご訪問いただきありがとうございます母が帰った後、病室で夫と少し話していました。私は実は今回のお産でTOLAC(既往帝王切開後の経膣分娩)を検討していたのですが、夫の反対により断念しての予定帝王切開の実施でした。下から産んでみたかった。もう一生普通分娩は経験できないんだ。おしるしってどんなだろう。破水ってどんなかんじ?陣痛はどれだけ痛いのかな。普通分娩はみんな各々のストーリーがあるのが羨ましくて手術の直前まで普通分娩への未練を引きずっていました。でも、産んでみたら心臓
あさくんの妊娠がわかり、分娩先を探しました。まだコロナが2類に分類されていた2022年12月、長女のゆうちゃんを出産したAクリニックは妊婦健診の付き添いNG、上の子連れ添いNGという厳しい対策をしいていました。長女のゆうちゃんは当時1歳4ヶ月、保育園の入園が決まっていない待機児童だったため他の産院を当たることに。分娩先の候補は2〜3ありましたが、入院食の評判が良い&小児科併設のB産婦人科を受診しました。B産婦人科では4人の医師がローテーションで勤務していて担当制ではなく好きな曜日、時間帯
なな坊の父です🥸今回はBaraitser-Winter症候群という病気についての話を書いていこうと思います😗といってもこの病気、日本であまり症例がないらしく。世界で見ても100例未満の報告、日本でだと5例ほどの報告しかされてないそうで、お医者さんですらどういった疾患なのか把握されてなくて治療方針を決めていくのにかなり時間がかかりました😨そもそも名前の読み方すら曖昧で、お医者さんはバラザールウィンター症候群と言ってましたが、ネットで調べるとバライスターウィンター症候群と書いてあったの
拒食症を克服すると決意した日から1週間くらいたつと、すっかり小さくなっていた胃袋が嘘のように底なしのブラックホールになっていました。前までは何も食べなくても何日も動くことができたし、お腹がすく感覚もほとんどなかったのに、私は過食症になってしまったのか、怖くて仕方がありませんでした。どんなに食べてもすぐにお腹がすいて。さっき朝ごはん食べたのに、もうお腹すいたよ、、午前中だけで3回も食事をしたりと、とにかくずっと食べ物のことで頭はいっぱいでした。身体をものすごく低体重にしてしまうと
低体重で半年間入院した娘👩退院後2週間で2キロ減少し、既に再入院の危機に慌てています。先週の受診から1週間、毎日毎日娘と話し合い、そして食事をするという流れ。母親の私もさすがにぐったりです😫ただ、なかなか食べられないこともあったけれど、娘なりに頑張ったと思います👌(母は疲れたけど)病院にて体重を測ると、増えることも減ることもなく横ばい担当医からは、この状況で横ばいは良く頑張りましたねと、初めて褒めていただきました😊体重を横ばいを保つだけでも、どれだけ大変だったか…😩😩😩
低体重で入院している娘。私は娘が拒食症になって入院するまで、娘のガリガリの姿を見るのが辛くて、毎日毎日がしんどく、精神的に追い詰められていました。初期の頃は、まだ見た目にも目立ってなかったため、夫に相談するも「気にしすぎだよ!そんなに痩せてないじゃないか!」の一言で片付けられることが多く、私の中では夫に対してはかなりの不信感と理解してもらえない怒りと悲しみが募っていました。娘の拒食症の不安と、夫の理解が得られない悲しみ。私の中では、次第に娘よりも夫への怒りが日に日に増
前回の続きです。生後4日目。朝食をとって軽く身支度を整え、ゆっくりテレビを見ていました。するとこの日の担当の看護師さんと、この産院では会ったことのない医師が部屋に入ってきました。併設の小児科医でした。「おはようございます。赤ちゃんの状態についてご説明します。生まれた時から心雑音があり、様子を見ていたのですが日に日に大きくなっています。心臓に異常がある可能性があり、呼吸の状態も安定しないため総合病院と連携し専門医が診察にきます。」やっぱり大丈夫じゃないんだ。はじめて涙が出ました。
やっと受診出来た児童精神科でしたが、低体重と血液検査の結果により入院の可能性が高くなりました。待合室で待つこと2時間(大病院は本当に混みますね😢)。名前が呼ばれ、私と娘と先生の3人で話が始まりました。先生「k子ちゃん、先程話したように今日から入院が決まりました。お母さん、突然ですので動揺していると思いますが、何か質問などありますか?」私「えっと、、、今日からですと親子で心の準備が出来てないので明日以降ではいけませんか?」我ながら往生際が悪いと思いながらも、そんな言葉しか出てきま
入院生活9日目皆さんこんにちは。runaと申します入院生活9日目のブログです✨よろしくお願いします朝ご飯今日から朝ご飯が出ました1週間以上ぶりの固形物。感動でした✨ですがまさかの苦手なキュウリで少し残してしまいましたキュウリ以外は何とか完食。やっぱり私にはお米が辛かったです。ご飯を食べるとやっぱり少し罪悪感を感じてしまいます。ご飯を何も気にせず、何も考えずに食べられるようになりたいです。前よりは凄く気は楽になっているのにやっぱり食べると襲ってくる色々な感情があります。
彼女らは極端に細いデニムパンツを履きこなすために自らハードなダイエットを課す。下半身がふっくらした健康的な一般女性ではとても履くことができないようなサイズのデニムをカッコよく履きこなし、裏で出回る雑誌に掲載する撮影に臨むのだった。(発行部数が非常に少なく都会の一角でしか入手できない)たまにそれを見た一般読者は、ほとんどその不健康な細すぎる体型に「若い子たちが憧れたらどうするんだ!」など強くバッシングするのだが、、。一部の根強いファン達は、血眼になってその雑誌を入手しようと探し回るのだ。名前
入院生活15日目。朝ごはん14日目のブログです。よろしくお願いします⋆⸜♡⸝⋆今日は豪華な朝ごはんでした完食出来ました😋お昼ご飯お米70gも多くてしんどいです普通の量が分からず怖いです。夜ご飯かなりお腹が苦しくて怖かったです。なんとか完食出来ました900kcal取るので精一杯で、これから先大丈夫かと不安になります。早く退院してやりたい事を沢山やりたいです。毎日お尻も痛くて座って居られないし、今日は筋力が無くて立てませんでした。辛い事ばかりで折れて泣いてしまいまし
金曜の朝8時に入院し、普通分娩予定でしたが血圧が170と異常に高く分娩に耐えきれないとの医師の判断で、急遽緊急帝王切開にあれよあれよと言う間にオペの準備となり、金曜午前中に赤ちゃんを出産しました麻酔はしましたが意識がはっきりある中での出産だった為、産まれた瞬間の赤ちゃんの『ホギャア、ホギャア』という小さなわめき声に、これまでの色々な思いや病院通いなどを思い出し、涙が止まりませんでした。しかし私自身の母体容態がそこから安定せず、産後から2日間、私はMFICU病棟へ。39週0日での出産でし
拒食症のきっかけはなんであれ食べれないということが、食べれない理由になって食べれないことそのものが、辛く食べたいのに、食べれないというジレンマを生んでしまう。その結果として低体重で、身体やメンタルに不調を来してしまうのです。それと同時に、私は鬱病を併発してしまい余計に食べれなくなってしまいました。そして、更に痩せる。原因を取り除く治療より今置かれている状態をなんとかするその方法で治療を開始しました。それはとにかく食べることその一択でした。それによって、完食すること
『拒食症入院娘の場合⑧』『拒食症入院娘の場合⑦』『拒食症入院娘の場合⑥』拒食症入院『拒食症入院娘の場合⑤』拒食症入院『拒食症入院娘の場合④』拒食症入院低体…ameblo.jp娘の入院した病院では、食事は和食洋食と選べました🍱1ヶ月以上入院すると、ある程度メニューがわかってくるので、好きなメニューの時は楽しみになってきたようです完食が出来るようになり落ち着いた頃から、大部屋へ移動し、食堂で皆で食べるようになります🍝食堂では席が決められており(
低体重で入院した娘。入院してから4ヶ月が経ちました。仲良くなったお友達はどんどん退院し、そろそろ娘も退院したい気持ちが限界を迎えていました💦ある日の面会で娘「ねえ、ママ!私こんなに頑張ってるんだから私ももう退院したい!ママからも先生にお願いして!お願い🙏」何度もこの言葉を娘から聞きましたが、さすがに入院してそろそろ5ヶ月目に入ります。入院当初は36キロ辺りで退院する予定との話も聞いていたので、担当医との面談で退院のことを聞きました🧑⚕️一通り話し終えた後、私「
拒食症だった私が、寛解を迎えてからも、強迫観念に近いものに囚われていてそれが何かというと食べなきゃいけない!!って常にそんな感情があって。拒食症の頃の低体重時ならまだしも寛解を迎え、充分な体重があっても食べなきゃ!!というメンタルになっているということ。過食症ではないけど過食になっていたりします。あとになって、あら?食べすぎたかななんて気づいたり。拒食症や過食症と言った接触障害の狭間で寛解を迎えた今もなお食べることに自問自答しています。生きているからこそ、