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宮原誠一の神社見聞牒(097)平成31年(2019年)03月13日No.97仁徳天皇の皇位継承争いの地・那珂川の乙子神社仁徳天皇と宇道稚郎子(うじのわきいらつこ)の兄弟皇子は日本書記によると概略、次のような皇位継承の出来事があります。日本書記でいう、応神天皇の三皇子の大山守皇子・仁徳天皇・宇道稚郎子の兄弟の話です。応神天皇には大山守皇子・仁徳天皇・宇道稚郎子の皇子が異母兄弟でおられる。応神天皇は宇道稚郎子を太子に定める。これを不満として大山守皇子は太子を殺そうとするが逆に殺
こんばんは、祈祷師の孫ひろのりです。今日は、大阪市中央区にある高津宮(こうづぐう)を紹介します。写真は、高津宮の参道で、手前の両側にあるのを注連柱(しめばしら)といいます。大阪の神社って、注連柱に漢文で何か書いてあることが多いんですよ。(^o^)この柱には、仁風敷宇宙(じんのかぜうちゅうをしく)徳化洽乾坤(とくかけんこんす)と書かれています。意味は、思いやりのある風が宇宙に満ち溢れるとき、人を思う慈しみは行動となって天と地に広がるです。なんだか、壮大ですね。(^o^
Hickey超訳・古事記34⬇️Hickey超訳・古事記《上つ巻》⬇️『Hickey超訳・古事記《上つ巻》』Hickey超訳・古事記《上つ巻》まだ【Hickey超訳・古事記トリセツ】を読んでない人は下をクリックして御覧ください⬇️『Hickey超訳・古事記トリセ…ameblo.jpHickey超訳・古事記《中つ巻》⬇️もくじ⬇️『Hickey超訳・古事記《中つ巻》もくじ』Hickey超訳・古事記《中つ巻》もくじ東征〜熊野から吉野へまでの話が【Hickey超訳•古事記
この前の続きです。ヤマトタケルの子、仲哀天皇は西の方にある宝の国(朝鮮半島のようです。)をやろう」という神託を信じず、祟神の怒りを受けて亡くなりますほかにも「日本書紀」の別伝には「熊襲と戦って敗れた」ともあり、「戦死した」説もあるほどで、なんだか大変なことになったはずなのですが、残された皇后息長帯比売(オキナガタラシヒメ)は、身重の身でありながら新羅を攻めます。(正確には三韓征伐ではありません。飛鳥時代には日本は百済と親しくて、天武朝を除いて基本的に新羅が仮想敵国だったため対新羅戦が
前回は、仁徳天皇の「民のかまど」のお話をしましたが、仁徳天皇の時代は、大きな開拓(かいたく)が行われた時代でもあります。みんながおなかいっぱい食べることができて安心、安全に暮らしていけるように古墳の周りはすべて田んぼでした昔から田んぼだったかといえば、そうではありません。大昔、そこは、雑木林(ぞうきばやし)であったり、荒れ地であったりしました。それを開拓して、田んぼにしました。田んぼは水をひいて稲を育てるので、でこぼこの土地を、平らにしなければなりません。それ
☆應神天皇皇子大山守命那羅山墓大和国添上郡奈良市法蓮町(詳細住所不明)(P無し、近隣に停め置きできる場所も無し)昨年末頃より、当ブログで度々記事に上る大山守命。どの記事で上げたのか一つも覚えていないのですが…。年間2000社ほども参拝していると、こういうことになるのです…。奈良県外でも複数社に登場したように思います。またそれを探し出すのも大変な作業となるので、またその神社等を再拝した際に思い出したい…としておきます。応神天皇皇子で母は仲姫命。記紀には異母弟の大鷦鷯命、菟道稚郎
令和6年1月28日日曜日、晴れ。今日は…高津宮と高津山報恩院。前回、難波宮について触れたが難波宮は日本書紀にも登場するにも関わらず近年まで発見さえ出来てなかった。なぜか。宮殿があったであろう一帯は大日本帝国陸軍が接収し軍用地として整地されていたから。大バカですね。なので戦後の調査で多少は明らかになった(屋根上の飾り等を発掘した)が「ここにあった」程度のことしか分かってない。ただ日本書紀を裏付ける「686年に全焼した」のは孝徳天皇の部屋の柱に焼土が詰まっていたことから確認されている。奈
台風2号の影響で大和川の水位が以上に上昇しました。その時のこの図を見かけました!標高10メートルを流れる淀川と標高18メートルを流れる大和川が氾濫、決壊すると大阪市内は水浸しになります。家康が大阪城を攻めた時、淀川の堤を意図的に決壊させ城の周りを水浸しにしてさながら水に浮かぶ城にして防衛したということがよくわかる図でした。また都市の脆弱性も漢字ました。仁徳天皇の御時に大川を掘削し河内湖の水を排水し田を整備したことで民のかまどから煙が上がったこ
(旧)如月二十一日獅子の口に吸い込まれゆく下の宮難波の外れ産土の神雲端JR難波駅の南徒歩にして10分ほどの所に難波八阪神社が鎮座する。仁徳天皇の時代に疫病が流行した時に牛頭天王が現れそれを祀ったのを創始とする。以来「難波の下の宮」と親しまれ現在に続いている。この神社のシンボルが写真の「獅子閣」。海外の旅行ガイドにも紹介され僕が訪れた日にも、西洋、東洋問わず多くの外国人参拝者がいた。
3月最後の日31日日曜日旦那さんと三重県津市にある日本最古の八幡宮川上山若宮八幡宮へ参拝してきました年が明けた一月中旬に参拝して以来でしたただでさえ川上山は川が社務所の側を流れていて冷えこむので、宮司さんのお身体が体調不良ではないかと気になります川上山若宮八幡宮で年明けに購入した御朱印大タイプです川上山では大小各100セット限定で販売していますお値段大3000円小1500円黒龍は主神仁徳天皇白龍は奥様の磐之媛皇后だそうです去年までは宮司さんのお身体