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【菊と稲荷】の始まりの物語はコチラです→『プロローグ。』このBlogはシェア・リブログ・転載大歓迎です*広めればあなたも神仏広告代理店♪<あらすじ>『怖いと思われている稲荷の誤解を解いてほしい』その言葉と共に、六甲山の高取神社で「神様」という存在に、前よりも強く接続してもらった私。前からついていたという高野山の清高稲荷大明神さまの子狐眷属の姿も確認できるようになり、奇妙な共同生活(?)が始まっていた。その清高稲荷大明神
●出雲の大事件、隠された歴史富家の伝承によればある時八代目主王の八千矛(大国主)が薗の長浜(現出雲市西園町)へ行ったまま行方不明となりました。美保(現松江市美保関町)にいる八代目副王の八重波津身(事代主)へ知らせるため重臣であったホヒ(秦国からの使者)の息子、タケヒナドリの船は玉川を下り、王ノ海(現、中海)を渡ります。同時に八重波津身も船で西に向け進みます。しかしながらその後彼も行方不明になりました。その後八重波津身は弓ヶ浜半島の栗島の洞窟で餓死の状態で発見。(鳥取
皆さんこんばんは。2月29日今市瀧尾神社でお参りして2月の素敵な御朱印をいただきました。2月の特別御朱印2月にいただけた御朱印御朱印帳御守りおみくじ今市瀧尾神社由緒天応二年(七八二)勝道上人が日光二荒山上男体山に二荒山大神を祀ると同時に当社にもこれを祀るに始まる。その後、人皇百弐代後花園天皇寛正元年、正月十五日に改築、明治十年七月に近郷十八カ所(今の日光市の一部と今市)の郷社に列せられる。日光名水「お水取り二番関所」~御神水やくめい水~日光に東照宮が造営されると
大御名の称言事代(ことしろ)主(ぬしの)大神(おおかみ)(三遍)おんいんだらやそわか(三遍)大国主(おおくにぬしの)大神(おおかみ)(三遍)おんまかきゃらやそわか(三遍)三(み)穂津(ほつ)姫(ひめの)大神(おおかみ)(三遍)おんばざらたらまきりく(三遍)・不動明王のうまくさんまんだばざらだんせんだまかろしゃだそわたやうんたらたかんまん
宮原誠一の神社見聞牒(119)令和元年(2019年)08月23日No.119伝教大師と奇志神社と大国主命前回の「118熊本県山鹿の志志岐阿蘇神社と大国主」で福岡県朝倉市楢原の奇志(きし)神社を紹介しましたが、社殿は更にあるのです。前回は「下宮」でしたが、今回は「上宮」と「伝教大師と大国主命」の話になります。大国主命は世間一般には別名・別名、大国様(大黒様)と呼ばれ、七福神の一つであり、頭巾をかぶり左肩に大袋を背負い、右手に小槌を持って米俵を踏まえる姿で紹介されています。しかし、