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福岡県立田川工業(現・福岡県立田川科学技術)出身。専修大学に進学し、東都リーグに所属。1959年・春の大会では、6戦無敗の成績を収め、MVPを獲得。以後、日本大学選抜チームの常連となりますが、3年時の1959年(昭和34年)、突然の退学し、毎日オリオンズに入団となりました。親会社が「毎日」→「東京」→「ロッテ」と変わる中、毎年エース級のピッチングを披露。180cmの長身を生かした、変則的なアンダースロー投手として活躍しました。通算成績は166勝(186敗)と、日本野球史でも上位に
あの雨の中、よく試合やりましたね。スタンドはガラガラで昔の川崎球場・ロッテオリオンズ対南海ホークスの試合を彷彿とさせる一戦でした。結局7回表ホークス攻撃中に試合が中断となり、そのまま降雨コールドとなりましたが、その時点で9点差もついているのですからそれだけで十分コールドゲームでしょう。点差だけ見ると打線がよほど爆発したのかと思いきや、実際には犠牲フライや内野ゴロの間の得点に加え、相手のエラーによる得点もありました。このあたりそつのない野球をやっていて今年のホークスの強さを実感します。そ
1946年10月2日~2011年4月21日東京都足立区出身右投右打修徳高校で1964(昭和39)年第46回夏の甲子園大会に出場。1965年東京オリオンズに入団。球団から30番以降なら好きな番号を選んでも良いと言われ46回夏の甲子園出場した縁で、背番号「46」を選んだ。当時としては大きな背番号を背負って、速球とキレっ切れのスライダーでエースの階段を上がっていく。二枚目で人気もあり、3年目の1967年に14勝を挙げ1968,69,70年と3年連続20勝以上をあげた。そし
昭和48年07月、ロッテオリオンズの金田正一監督が「これが当るんやで!」と呼びかけてくる関東地区限定のロッテ・ビッグガムのプレゼント告知の新聞広告。カネやんこと金田監督は就任1年目のシーズン真っただ中。そんなカネやんが「これが当るんやで!」「貴重品や」「ガムの場外ホームランちゅうとこやナ」「どんどん応募してや!」と、関西弁の波状攻撃で応募を煽るという広告だ。カネやんは愛知県稲沢市出身で、名古屋市内の愛知工業大学名電高校を経て、享栄高校を中退して国鉄スワローズに
昨日上げたオールスターゲームに関しての記事で、アルト・ロペス(ロッテ、ヤクルト)について少し触れた。↓こちらで少しだけ触れている。『外国人選手とオールスターのファン投票③~1960年代後半編~』引き続きファン投票で選出された外国人選手について述べていく。与那嶺要はじめ主に日系選手が票を集めた1950年代、投手や長距離砲も台頭していった1960年代前半…ameblo.jp上の記事でも述べているが、私はトリビアの泉での放送でアルト・ロペスの存在を知った。当時は昭和の外国人選手の現在
「元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件」は、かつてプロ野球選手として活躍した小川博(42)が現役引退後の2004年11月18日に埼玉県上尾市内で起こした強盗殺人事件である。小川は現役時代、ロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)で先発投手として活躍し、1988年には最多奪三振を記録してオールスターゲームにも出場した。また引退後もロッテでコーチ・球団職員を歴任していたが、引退後に浪費を重ねて多額の借金を重ねた末に本事件を起こした。この事件は同年、再編騒動に揺れたプロ野球界にさらなる
ロッテオリオンズホーム用・ビジター用1973年~1991年略年表1973年《ホーム・ビジター共通》金田正一監督就任に伴いユニフォームを変更。選手名の背ネーム表記がこのユニフォームから始まる。1983年《ホーム・ビジター共通》帽子のマークをマイナーチェンジ。1991年まで。ホーム用金田正一監督から始まり金田正一監督で終わったユニフォームでした。このユニフォームは監督自らデザインを手掛けました。紺、赤、白の三色を使い、肩ライン、脇ライン、パンツサイドのラインを使い、新素材のダブ
大投手金田正一は、苦しみながらもついに前人未到の400勝を達成したそして試合後の会見で金田は、引退をほのめかす発言をするそれに反応した飛雄馬は、真意を確かめるべく金田邸に押し掛けたそこで見せられたのは、長年の酷使によって曲がった左腕だったやがて飛雄馬の不安は現実のものとなり、金田は引退を決意そこでONとのライバル関係が自分を大きくしたという金田の言葉に、闘志を煽られる飛雄馬であった「ぶはーーーーーーっ」「な・・・・なんだ今の?」「お前溜息
なんだこりゃ?!1978年のロッテオリオンズのファンブックか。中央のカネやんにワロタ☆ノムさんやん。びっくり。村田兆治、有藤、リー兄弟、山崎、弘田か。リアルタイムで観てないけど。古い野球は面白いから。よく調べたりしてる。落合さんはまだ入団してないか。愛犬のどんちゃん「ボクの好きなタイガース、いよいよ連勝で。調子が出てきたよ♪」
カネやんこと金田正一さんの死去報道で、ふと思い出したのだが、かつて南千住にあった東京スタジアム(跡地一帯は現在、荒川総合スポーツセンターや南千住球場、警視庁南千住警察署になっている)のことだ。昭和47年のシーズン終了後、ロッテ・オリオンズの新監督に就任したカネやんの意向で撤退したことで使用球団がなくなり、しばらく放置されたまま昭和52年に解体されてしまったのではないか?そこにはかなり複雑な事情がある。昭和44年に今でいうネーミングライツでロッテがプロ野球に参入してロッテ・オリオンズが誕生。2
明日の試合は、昔仙台を準本拠地にしていた、ロッテオリオンズの時から現在の千葉ロッテマリーンズまでの通算て10000試合目の記念日㊗️オリオンズ通算5549試合2723勝2551敗275分マリーンズ通算4450試合2089勝2236敗125分そして、その記念すべき10000試合目に佐々木朗希が投げる⚾水曜日に大腸CT検査があるので、明日1日は検査食しか食えない😮💨😮💨😮💨