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★旅するチャネラーKBです!!⚫️宇宙人ミーちゃんと、チャネリング⚫️ミーちゃんセッションご予約はこちら星の運行や位置、太陽フレアや黒点運動おなじみ新月、満月気圧や天気体や精神に影響があることに気づいた方も、最近良く目にします太陽に影響受けやすい方月に影響受けやすい方天体の運行に影響受けやすい方気圧や天気に影響受けやすい方また、どれも。の方も、どれかとどれか、の方も居ます。大きなものに、小さな人間が影響受けるのは当たり前といえば当たり前ですが、影響受けて
(「ごっこ」の続きです)椅子に縛り付けられ、お手手も足も縛られ、初めて完全拘束を味わわせて頂き、ミーちゃんに解いてもらわないとずっと虜であるあたしあたしを護送しているミーちゃん縛られたお手手を前に出したり上に上げたり、足と腰に巻かれているベルトをより感じられるよう激しくもがいたり、拘束を一秒ごとに感じたいあたし「イシシシシ…泥棒が逃げようとしてる~」と、完全にあたしの看守となっているミーちゃん「逃げられないよぉ」と、縛られたお手手をミーちゃんに見せるあたし一瞬だけ、こう思いましたも
『夏・体験物語2』の中古DVDを見つけて衝動買いしてしまった。若い頃、ドラマ観てたしね。あっ、でも中山美穂が出演してた方はこっちの『2』じゃなかったんだな。もう忘れてた。でもこの夏、充分に楽しんで観たぞ(笑)!それにしてもこのドラマ、今、観ると適度に滅茶苦茶で刺激がある。基本的に学園ドラマなのだが、吉幾三がバカバカしいくらいエロい教師役で、おそらく主人公クラスの教師では史上最低の男かも(爆)!?時には愛情で生徒を平手で…いや、女子生徒をグーパンチでぶっ飛ばしちゃう時もあるのだ!その
前回は、苦し紛れにあの頃のオリコン週間チャートからクイズを出題しました。「そんなのどうでもいいよ」という声があちこちから聞こえてきそうですが、一応クイズの決まり事として、謹んで正解をお伝えします。【第1問】1位(A)ピンク・レディー2位勝手にしやがれ沢田研二3位イミテイション・ゴールド山口百恵4位季節風野口五郎5位熱帯魚岩崎宏美(正解)A:渚のシンドバッド…1977年8月22日付のランキングです。この夏は「渚のシンドバッド」と「勝手にしやがれ」が1位の
今回もピンク・レディーをめぐる1978年の雑誌記事の中から、気になったものをピックアップします。PLは大賞をもらえない?ご存知の通り、この年の大晦日、ピンク・レディーは「UFO」で第20回日本レコード大賞を受賞しました。今と違って、当時は12月ともなると、今年のレコード大賞は誰が取るのか、日本中が注目し、予想し合ったものです。この年は、レコードセールスだけ見ればダントツのピンク・レディーと、前年「勝手にしやがれ」で受賞しV2をねらう沢田研二さん、さらに山口百恵さんが有力と言われていました。
「やっぱり大きいわね」ピンク・レディーがフジテレビの人気番組「夜のヒットスタジオ」に初めて出演したのは、1976年12月20日。「ペッパー警部」でデビューしてから4か月後のことだった。この時、2人に会ったばかりの司会の芳村真理さんは「やっぱり大きいわね」と口にし、井上順さんも「大きいですね」と頷いた。「ピンク・レディーは背が高い」というのは、当時しばしば言われていたことである。例えば、社会学者の藤竹暁氏は<実物のピンク・レディーというのはかなり大きいでしょう。しかも、あのアクションもかなり大
こんばんわ今日は薄曇と相まって春霞で、空は白く霞みがひどい…………(¯―¯٥)こんな感じ感じです先日、桜ドライブの途中、道の駅で買った(超リーズナブルだった♪)ペチュニアを植えました(^.^)紫ばっかりのが良かったかな〜あれ!珍しくミーちゃんはお手伝いに来ないな(=^・^=)いつも来るのに……買ったまま今日まで放置…種まきアグロステンマの一番花ソフィーロシャス好きなオダマキ白いクレマチス名前??種まきっ子のカスミソウムスカリはもう終わりに近い……早いな〜?色々
検索からこのブログにたどり着く方は、"ピンクレディー身長"で来る方がいるようなんですが、なるほど、ピンクレディーの身長・・・えっ、いやっそんなもん、知らんてっ(笑)!どうも過去に書いた「洋楽女性アーティスト身長まとめ」の「ピンク」、「レディー・ガガ」の身長が原因のようですね…(^―^;)しかし、せっかく来てくれた人の為に、調べてみましたよっ、ピンクレディーの身長( ̄ー ̄)bミーちゃん/165cmケイちゃん/162cmどうですか、お客さ~ん(
いつもご訪問頂き、ありがとうございます。今日はすっかり春を通り越して5月並みの暖かさでした!!!明日はもっと暖かいようです・・・ノラちゃんは、散歩に出ても帰ろうとはしませんでした!iいつも夜はパパのベッドの近くで休みます・・・ミーちゃんです・・寝ることが多いです!今年は暖かいせいか、ヤマシャクヤクがもう先始めました!!!その他の植物も咲き始めました!!今日はこの辺で終わりたいと思います。
あけましておめでとうございます。年末のレコード大賞でのピンク・レディー、ネット上でも圧巻のパフォーマンスへの賛辞の嵐ですね。口パクが当たり前の集団アイドルしか知らない今の若い人たちにも、生歌で6分半歌い踊り切った二人は、強烈なインパクトを与えたのではないでしょうか。録画を見直して改めてじーんときたのは、1曲目の「UFO」が終わり、ミーちゃんケイちゃんが衣装を変えながらステージ後方のマイクスタンドに移動する時。一瞬ですが、二人がアイコンタクトで何かを伝えていました。「行くよ!」「オッケー
こんばんわ桜も葉桜になりました…早いなぁ〜もうお別れだよと、言うことで先日近所の公園で撮った桜を感謝でアップします(^.^)よかったら見て下さい♪今年の思い出気持ちよさそ〜。◕‿◕。フェイクプレーンも見に来た♪うちの桜🌸じゃない!種まきっ子のカスミソウ本当は白が良かったんだけどね、無かったの…ミーちゃんはオモチャを持ってお昼寝(=^・^=)ありがとうございましたm(__)mおやすみなさい🌠✨
いつもありがとうございます。最近ネタ切れ気味なので、苦し紛れに安易ですがクイズを考えてみました。ピンク・レディーが活躍した1970年代は、歌謡曲の黄金時代。今も歌い継がれる多くのヒット曲が生まれました。しかし、それぞれの曲は覚えていても、同じ時期に他にどんな曲がヒットしていたかとなると、記憶があやふやという方も少なくないはずです。そこで、問題です。ある週のオリコン週間チャートの1〜5位をご覧いただき、他のヒット曲のタイトルをヒントに、A〜Eに当てはまるピンク・レディーの楽曲を答えてくださ
繰り返された「小さな爆発」「なぜ、こんなにまでやらなくちゃいけないの。ほかのタレントさんはこんなにハードにやってない」いくどか、彼女たちはそういった。現場についているマネジャーの春日進は「ピンク・レディーはほかのタレントと違うんだ。目ざすところが違うんだ」といって、決して甘い顔を見せない。「春日さんは鬼だ」と、思わずケイがいってしまったことがある。そういう言葉が出てしまうときがある。(「週刊文春」1978年12月20日号)作家でスポーツライターの山際淳司氏が、「週刊文春」誌上
こんにちわお彼岸なのに爆風の1日です最高温度10度、風が10〜13m花粉が舞いまくりです(¯―¯٥)去年の秋くらいから、たまに猛禽類が飛んでくるようになりました、頭上遥か上でクルクルと3回ほどまわって何処かへ……かっこいいなぁ〜と思いながら、余りに高所で撮れません…が、先日なんとか撮れました(*^^*)昔ながらの住宅地…何処から来るのかな〜森も山も近くには無いけどまた来てほしいなぁ〜(*˘︶˘*).。.:*♡また例のお話しです…アタオカと思われる方はスルーでお願いしますm(
昨夜のレコード大賞、ご覧になりましたか?ピンク・レディーのお二人、またやってくれました!5時間半の生放送の中で、ピンク・レディーの出番は午後9時をまたぐ一番良い時間帯。しかも6分半の4曲メドレー、もう大感動でした!「UFO」では脚を真横に高々と上げるなど、身体のキレは健在(というか、パワーアップしてる)。個人的には「S・O・S」が嬉しかった。ケイちゃんが以前「60歳になってもピンク・レディーをやれたらいい」と言っていましたが、ホントに実現させてしまいました。(去年も出演していますが、まだミ
この4月、ピンク・レディーのTBS出演映像を多数収録したDVDボックスが発売され、ミーちゃんケイちゃんの往年の活躍ぶりを楽しめる映像がボリューム的に一気に充実しました。現在、DVDで視聴可能な映像はどれくらいあるのでしょうか?「ザ・ベストテン」78年8月24日放送(「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」所収)そこで今回、歌唱シーンの映像に絞ってリストを作ることにしました。ピンク・レディーが活動した1976~81年に国内のテレビで放送された歌唱映像を
1977年の夏の主役に踊り出たピンク・レディーが、意欲満々で挑んだ初めての野外コンサート「サマー・ファイア’77」。コンサートのプログラムには、2人のこんな対談が掲載されている。ミー:ステージで燃えるって、最近なんとなくわかってきたんだけど、きっと恋している時って、そんな感じなんじゃないのかな?ケイ:えっ!ミー、どうしたの急に、そんなこと言いだして。ミー:ミーだって、お年頃ですから。恋愛っていうものに、めざめたのです。(笑い)ケイ:そういえば、ミーは最近、ずい分と女らしさを追求しはじ
去年から、我家の猫のリンニャンが、オシッコの調子が悪いようで、3つある猫用トイレを少し、しては、次のトイレに行くように、成りました。子猫の時は、毎月の検診、予防注射歯磨きなどこまめにしていました。ミーちゃんが来て、一年位二匹を連れて医者に行く事が難しく成りました。近くに有った動物病院が遠くに成り、益々難しく成りコロナが流行すると外に出るのが、私が億劫に成りました。申し訳ない!多分、少し血が付いていたので、膀胱炎かな「御免なさい!」と、薄い血液を見て、ヒーリングをしてやりました
きょうで仕事納めという方も多いと思います。今年1年お疲れ様でした。ささやかですが、労いの気持ちを込めて、ピンク・レディーのアルバム「ウィ・アー・セクシー」についての過去記事をお届けします。歳末“蔵出し”祭りもいよいよ佳境、セルフリブログでございます。ケイちゃんに叱られる!(別館)ピンク・レディーをもっと知る!kayrose65.wp.xdomain.jp
最近の愛猫「ノラちゃん・ミーちゃん」と、流山市にある公園の梅を見に行って来ました。最近のミーちゃん!!!ミーちゃんは我が家に来て丁度七年目8歳になりました!しかし口内炎が酷くて、食欲も低下気味です・・・今日は膀胱炎の症状も出たので、急遽病院に行って来ました!!!最近のノラちゃんノラちゃんは我が家に来て12年が経ちました・・・生後2か月ほどで我が家に迷い込んできました!!!丁度北海道へ約一か月間の旅行を計画中で、ノラちゃんが来て4日目に車に乗せて出発しました
1970年代はテレビと歌謡曲が娯楽の王様だった。ピンク・レディーは、その2つが一緒になって生み出したエンタテインメントの最大のヒット商品だったと言ってもよい。2年以上続いた大ブームの時期には、テレビでピンク・レディーを見ない日はなかった。当時は家庭用の録画機器も普及していなかったため、彼女たちの出演映像は大半が残っていないが、テレビ局などが公式に提供し、現在DVDなどで観ることができる映像の中から、印象的なシーンをピックアップしてみたい。ファンの方にはどれもお馴染みの内容になるが、改めて気にな
ご存知のことと思いますが、今週の水曜日(19日)、待望の「PinkLadyChronicleTBSSpecialEdition」がリリースされました。「8時だョ!全員集合」「ザ・ベストテン」「日本レコード大賞」など、なんと8時間半を超えるピンク・レディーのTBS出演映像を収録した6枚組のDVDボックスです。届いたばかりで、まだほんの一部しか見られていませんが、家庭用の録画機器もほとんど普及していなかった当時の映像を、40数年後にこういうまとまった形で再び目にすることができるとは思いも
ピンク・レディーのシングルB面曲をリリース順にたどっている。今回取り上げる18作目は、A面曲ともども、かなり奇を衒った突飛なタイトルが目を引くユニークな楽曲である。<基本情報>タイトル:ザ・忠臣蔵’80作詞:伊藤アキラ作曲・編曲:川口真発売日:1980(昭和55)年5月21日A面曲:世界英雄史通算18作目、80年になって2作目のシングルは、前作から作家陣を“総取っ替え”する形となり、作詞は伊藤アキラ氏、作曲と編曲は川口真氏が担当した。残念なことに両氏とも昨年相次いで亡くなったが、伊
今回は結論から書きます。Q・ピンク・レディーはなぜ解散したか?A・最も大きな理由は、メンバーの一人が当時の交際相手との結婚を望み、解散を申し出たことによる。加えて、背景には当該メンバーと所属事務所の関係の悪化があった。紅白歌合戦出場辞退、アメリカ進出など話題作りを優先する事務所の強引な手法や、交際を巡って「仕事を取るか結婚を取るか」と迫る上層部のハラスメント行為などによって、事務所に対するメンバーの不信感は極限にまで募っていた。ただし、上の事情は2000年代にメンバーが著書で明らかにするまで
昨日は銀座でケイちゃんのコンサートがありました。とても楽しく盛り上がったようです。残念ながら自分は行くことが出来ず、ただただ悔しい限りです。参加されたみなさんがほんとうに羨ましい!最近すっかりピンク・レディーに魂を奪われているにもかかわらず、この貴重な機会を逃してしまい、ホントにケイちゃんに叱られる!です。それにしても、今のケイちゃんは、2011年のPL再結成ツアーのDVDを観ても、若い頃と比べると何か吹っ切れた様子で、ステージでもとにかく表情が生き生きとしていて、心から楽しんでいるのが伝
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。2023年も、ついに大晦日ですね。今年の年越しは、ミーちゃん(未唯mieさん)が金沢で行われる「カウントダウン・コンサート」に、そしてケイちゃん(増田惠子さん)は横浜アリーナで「第7回ももいろ歌合戦」に出演されるとのことです。楽しみですね。大晦日といえば、ちょうど45年前、1978年の12月31日は、ピンク・レディーが「UFO」で第20回日本レコード大賞を受賞した記念すべき日でもあります。78年12月31日「第20回日本レコード大賞」(「
年が明けて1981年。解散まで2か月を切った2月9日、ピンク・レディーは「夜ヒット」に出演し、前回と同じく「リメンバー」を歌った。この日の新聞ラテ欄の番組表には、久しぶりに「ピンクレディー」の文字があった。緑と赤に染めた羽を縫い込んだコスチュームで歌う2人の背景には、ミラーボールといくつかの光源が配置され、「夜ヒット」お得意のクロスフィルターを使った光の演出が施された。今回もワンコーラス歌ったところで、後方の共演者たちが席から立ち上がって盛り立てる。間奏では、当時の生放送では珍しく、コマ送りの
今から31年前、昭和が終わり平成が始まった年に、お笑いやバラエティ番組を中心に昭和のテレビ史を回顧する『昭和のTVバラエティ』(太田出版、1989)という本が刊行された。監修・執筆者は、放送作家の高田文夫氏である。この中で高田氏は、昭和53年(1978)のテレビ界を振り返り、こう記している。時代のキーワードはなんたってお笑いではなく、ミーとケイのピンクレディー。このふたりの売れ方のものすごさというのも前代未聞。まさに寝る暇もないといった感じで1日十数本の番組をかけもち、本番直前にとび込んで
ピンク・レディーが活躍した1970年代後半は、テレビのワイドショーに芸能リポーターという人たちが現れるなど、スポーツ紙や週刊誌も含めて「芸能ジャーナリズム」が盛んになった時期でした。当時の雑誌のピンク・レディーをめぐる記事を読むと、いろいろと興味深い発見があります。78年12月、ちょうどピンク・レディーの紅白歌合戦出場辞退が世間を騒がせていた頃、「週刊文春」が作家の野坂昭如氏(1930ー2015)と2人の対談を企画しました。記事は79年1月4日号に掲載されています。野坂氏といえば、アニメ映画
こんばんわ今日までで花粉が落ち着きそう……って言ってた(^.^)嬉しいなぁ♪去年、種まきしたオダマキのクリスタルホワイト咲いた(^.^)やっぱり白いいなこちらは何年も頑張ってる薄ピンクの子種まきアグロステンマでも……白が出て来ない・ω・白の種も蒔いたのに……何でかな〜〜?去年バラもチラホラブリ視線が刺さるわ…(=^・^=)ネズミのオモチャで狂ってる(⌒▽⌒)又来た?の子凄く可愛い鳴き声で癒やされるよ(.❛ᴗ❛.)ありがとうございまし