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Ishallbereleasedという歌をご存知でしょうか。とても有名な歌ですからご存じの方も多いことと思います。作詞と作曲はボブ・ディランの手によるものです。レコードにプレスされたのは1968年のことです。私は小学校の3年生の頃ですね。世界的にヒットして様々な方々に影響を与えた曲だったもので、私がその曲に出会ったのは、私が中学に上がって岡林信康さんのカヴァーをラジオで聞いたのではないかと記憶しています。原曲のボブ・ディランの歌詞よりも、私にとっての「アイ・シャル・ビー・
2022年3月15日(火)-1~+2℃、。風に吹かれて(Blowin’TheWind)訳詞作詞・作曲ボブ・ディランどれだけの道を歩けば一人前の人とみなされるのだろう白鳩はどれだけの海を渡れば砂の上で休むことができるのだろうどれだけの砲弾が飛び交えば撃つことを止めることができるのだろう友よ「答えは」風に吹かれているんだ「答えは」風の中に舞っているだ山はどれだけの年月存在できるのだろう海に侵食されるまでどれだけかかるのだろう
ボブ・ディランの全曲訳詞に挑戦中、「ディラン日記」のコーナー。2週間ぶりのアップとなりました。ユダヤ教に再改宗してから、初のアルバム、"Infedels"の3曲目を、本日は取り上げます。NeighborhoodBully22ndアルバム"Infidels"(1983)収録4分40秒近くの長さで、11番まである歌詞。久々のディランのマシンガン・トークでした。歌詞自体はそれほど難しくないのですが、曲を聴いただけでは、この「近所のいじめっ子」は一体何を指しているのか、なかなか理解し難いもの
今回も、イギリスのフォーク・ソングのご紹介です。マーチン・カーシー「ソベイ」1965年日本には、ほぼ伝わらず。のちに、80年代に一部、マニアに。日本のフォーク・ソングは、アメリカ経由なんといっても、人気があったのは、ピーター・ポール・アンド・マリーそして、ボブ・ディランを経て「荒廃の街」1965年吉田拓郎さんへ。1970年「イメージの詩」
僕の敬愛する作家である高橋源一郎が「文学とは何か」について書いていた。彼によると、「文学」とは「複雑なものを複雑なままで理解しようとする試み」であり、「最初から最後まで、その対象と共感しようとする試み」であるらしい。(高橋源一郎『丘の上のバカ』朝日新聞出版,2016.11,p.110.)この点において、神聖かまってちゃんとはまさに「文学」だと思った。フロントマンである"の子"は正気と狂気がないまぜになった表現をする。また、男性的な表現もすれば、ボイスチェンジャーを使ったり女装したりし
どれだけ歩いたら人として認めてもらえるのだろういくつの海を越えたら鳩は砂地でやすらげるのか友よその答えは風に吹かれている答えは風に吹かれている〜これを見てピンときた人は相当の野島伸司通だと思う。これはドラマ愛という名のもとにで貴子(鈴木保奈美)て健吾(唐沢寿明)、時男(江口洋介)の3人で並んでいつも言うセリフ。なぜ、これが今出てきたかというとこのセリフ、ボブ・ディランの風に吹かれての詩の一部分を和訳したもの。ボブ・ディランってノーベル賞取るようなすごい人だったんだと知り、急にこ
どうも。最近風邪を引いたほーりーです。1日会社休みました。嫁さんに迷惑かけました…。1年半ぶりくらいに風邪引くとビビりますね。(笑)最初寒気がしたとき悪霊でもいるのかと思いました。(笑)今日はジミ・ヘンドリックスについて。とても有名なギタリストですね。あらゆる雑誌やランキングで、ジャンルを超え偉大なギタリスト1位に選ばれています。(細かい雑誌名などは他のサイトに腐るほどあるので割愛。)またギタリスト、ミュージシャンを超えて様々なジャンルのアーティストにも絶賛されています。(この
ボブ・ディランの全曲訳詞に挑戦中、「ディラン日記」のコーナー。今回から、83年のアルバムに入って参ります。ジャケットも久々にディランの顔になり、本来のディランが、戻って来たような気しました。Jokerman22ndアルバム"Infidels"(1983)収録アルバムのオープニングから6行詩+リフレインで6ヴァースに及ぶ、長尺歌詞。曲も6分20秒に及ぶ長さです。歌詞の中には、ソドムとゴモラや、レビ記・申命記といった、旧約聖書に関わる言葉が歌われています。明らかに、ユダヤ教に回帰したことが伺え
吉田拓郎の作る曲は、ファンの間でしばしば「字余りソング」と呼ばれています。例えば、7月18日付け毎日新聞の「楽庫」という音楽評論欄に、富澤一誠さんがこう書いています。「1曲目『春だったね‘73』のイントロが流れてきた。たたみこむような独特の疾走感のあるサウンドに乗って吉田拓郎の字余りソングが始まると、(後略)」。氏はここで、「拓郎の字余りソングは、ファ