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このアルバム・ジャケットを前にすると、どうも昔からレインボウのアルバムと混同してしまいます。ディープ・パープルのメンバーはみんな天翔けることが大好きです。本作品はディープ・パープルの「嵐の使者」です。日本流にいえば「嵐を呼ぶ男」、石原裕次郎です。「嵐の使者」は第三期ディープ・パープル最後のスタジオ・アルバムとなってしまいました。彼らのお家芸たるお家騒動も次第にサイクルが早まってきました。このアルバムを最後に、なんと大黒柱の一人、リッチー・ブラックモアが脱退してしまったんです。本作品を制
DeepPurple/DeepPurpleディープ・パープルの「Lalena:ラレーニャ」で、Ⅰ期・69年のアルバム、昔は『素晴らしきアートロックの世界』だったはず、何故かレコード会社が変遷になって廃盤になったり、復活したり、70年代後半高校生時に、Ⅱ期でないけど手に入れたけど、レーベルがどこだったか忘れている。そして、これもどこに行った?で、今は正式名は69年『DeepPurple:ディープ・パープルIII』リマスターでアルバムジャケットも、変わっているのですが、前はヒエロニム
1970年6月にアルバム『InRock(イン・ロック)』をリリース後,1970年6月4日英国はベッドフォードのベッドフォード・フットボール・グラウンド公演を皮切りに,途中(:1971年7月)に『Fireball(ファイアボール)』リリースを挟み,1971年10月24日米国イリノイ州はシカゴのオーディトリアム・シアター公演まで行われる「InRockWorldTour」,「FireballWorldTour」.正直,何時が各ツアーの区切りなのか微妙で
1975年10月にアルバム『ComeTastetheBand(カム・テイスト・ザ・バンド)』をリリースし,11月8日ハワイはホノルルのインターナショナル・センター・アリーナ公演を皮切りに,オセアニア・ツアー(11月13日ー12月1日),インドネシ・ツアー(12月4日ー5日),そして3度目の来日が実現します.日本公演は,12月8日名古屋の名古屋市公会堂公演を皮切り,12月15日東京の日本武道館公演まで都合4公演行われていますが,ギタリストのトミー・ボーリン(T
ラシュモア山にある歴代大統領の彫刻を模すとは良い根性です。ディープ・パープルはこの頃はまだイギリス本国では鳴かず飛ばずだったのに、心構えはすでにスーパースターです。やはり、スターになる人はそれくらいの根性がないといけません。みんながハード・ロックの帝王ディープ・パープルと聞いて思い浮かぶ音はこのアルバムからの彼らです。シンプルに「イン・ロック」と題していて、オーケストラと一緒に演奏したりしているからといっても際物バンドじゃないのだという自負が現れています。気合が入った作品でしたから、期
1972年8月に初来日を果たし,8月15日,16日の大阪フェスティバル・ホール公演,17日の日本武道館公演の計3公演を行ったディープ・パープル.この時の公演を収録したライブ・アルバム『LiveInJapan(ライブ・イン・ジャパン)』は,同年の12月に日本限定でリリースされます.この『LiveInJapan(ライブ・イン・ジャパン)』は,日本限定販売という契約の為,録音,ミックス,ジャケット等,全てが日本人スタッフによって制作された完璧な日本製で,当時ディープ・パ
1970年6月(:1969年10月~1970年4月録音)にアルバム『InRock(イン・ロック)』をリリース後,1970年6月4日英国はベッドフォードのベッドフォード・フットボール・グラウンド公演を皮切りに第二期ディープ・パープルの最終公演である1973年6月29日の大阪厚生年金会館公演まで,長くても1ヵ月程度のブレイクを挟みつつ継続的に行われるツアー.その間,1971年7月(:1970年9月~1971年6月録音)には『Fireball(ファイアボール)』を,1972
DEEPESTPURPLETheVeryBestofDeepPurple(1980,WarnerBros.Records)米盤を買った。昨夜、飲み会までに時間が少しあったので、店の近くの中古屋へ。中古ショップでは、古本にしろレコードにしろ、必ず「何か」を買って店を出るようにしている。それが、中古ショップ存続のために常連客やファンができること。普段だったら買わなかっただろうベスト盤レコード。全曲、オリジナルのアルバム(もしくはコンピ盤)を所有している。しかし
お家騒動直後、第三期ディープ・パープルのお目見えです。第二期は、イアン・ギランとリッチー・ブラックモアの確執で継続不能となり、ギランは早々と脱退宣言をします。面白いのは、ブラックモアも辞めると言いだしたことです。さすがはお家騒動の帝王らしい話です。みんなでブラックモアを説得すると、残留の条件としてベースのロジャー・グローヴァーが辞めさせられることになりました。シン・リジーのフィル・ライノットを入れたかった、作曲を独占したかった、もっとブルースよりのベースが欲しかった、真相は闇の中です。
ディープ・パープルの作品の中で、定番中の定番と言えば、まず名前があがるのがこのアルバム「マシン・ヘッド」です。前作に引き続いて、英国で1位となったほか、アメリカでも7位と大ヒット、ここ日本でも6位と洋楽としては異例の大ヒットを記録しています。前作の反省があったのでしょう、今回は全編これパープル節と言えるタイトでソリッドなハード・ロック・サウンドが展開します。ハード・ロックは様式美の世界と言われますが、それはこのアルバムの頃からではないでしょうか。様式の原点です。冒頭に置かれた「ハイウェ
「LEDZEPPELIN、CREAMなどと並んで、70年代に世界中を席巻したブリティッシュロックの覇者といわれるこのグループの75年4月のパリ公演を収録したライブ盤(76年発売)。いわゆる3期メンバーによるもので、3期の代表曲「BURN(紫の炎)」、「MISTREATED」など5曲が収録されている。ボーカルとベースのメンバーが異なる2期メンバーによる、日本でのライブ盤「MADEINJAPAN(ライブ・イン・ジャパン)」と比較して聞いてるのもおも
第Ⅱ期ディープ・パープルの集大成のようなコンピレーション・アルバム「ブラック・ナイト=24カラット=」(原題:24CARATPURPLE)です。1975年5月2日リリースワーナー・パイオニアP-10029W【収録曲】SIDE11.ウーマン・フロム・トーキョーWOMANFROMTOKYO2.ファイア・ボールFIREBALL3.ストレンジ・ウーマンSTRANGEKINDOFWOMAN4.ネヴァ
「何様のつもりだ」という常套句にひねりを加えて、自分たちに問いを向けるとは意味深です。ディープ・パープルの苦悩が表れているようにも思います。しかし、邦題はそんなこととは関係なく、「紫の肖像」とされました。こちらの方がかっこいいですね。第一期ディープ・パープルもわずかに2年くらいの命でしたが、第二期もほんの4年足らずの短命に終わってしまいます。この作品は第二期の最後のアルバムです。あまり人気のない作品ですけれども、イギリスで4位、アメリカで15位と健闘しています。ディープ・パープルのこと
ディープ・パープルの7thアルバム『WhoDoWeThinkWeAre』です。ボーカル、イアン・ギラン在籍時の最後のアルバム。前作『MACHINEHEAD』が大傑作なので地味な印象が拭えませんが、水準以上の佳曲を揃えています。ウーマン・フロム・トーキョー♪アワ・レディ♪
第3期DEEPPURPLEマイ・ベスト・ソングTOP5"LadyDoubleDealer""Stormbringer""SoldierofFortune""Burn""MightJustTakeYourLife"DeepPurple-MightJustTakeYourLife(OfficialVideo)
今日、ネットを見ていたら興味のある話題がありましたので、紹介致します。「音楽史上最も有名なイントロ」というタイトルでした。なるほどね、洋楽ファンだったら皆さん知っている曲ですね。「サティスファクション」ローリング・ストーンズ(1965年)「(ICan'tGetNo)Satisfaction」TheRollingStones「イミグラント・ソング」レッド・ツェッペリン(1970年)「ImmigrantSong」LedZeppelin「スモ
アルバム『WhodoWethinkWeare[紫の肖像]』リリース(:1973年1月)と並行し,1973年1月16日ドイツはベルリンのスポーツパレス公演を皮切り,1973年6月29日大阪は厚生年金会館公演まで行われた1973年のツアー.1月16日ドイツはベルリンのスポーツパレス公演~2月10日デンマークはコペンハーゲンのK.B.ハレン公演まで行われた欧州ツアー1stレグ.2月14日英国はポーツマスのギルド・ホール公演~3月4日カーディフのトップ・ランク・ス
【ページ説明】今回の記事は、英単語を紹介するシリーズのその265です。英単語"abandon"の語源、同語源語、関連知識、動画、名言などを載せています。【サイト内の全索引】【フレーズ】anabandonedhouse【見捨てられた家】“Lida,Nevadaabandonhouse”byFloNight(SydneyPoore)andRussellPoore-WikimediaCommons-CCBY-SA4.0【メ
どうもです・・・またお久しになりました、かっちゃん。です。遅ればせながらコレが6月最初のブログアップです。で、早速やけど・・・俺・・・先月末から・・・大変ご立腹です!ブチキレました!!とある事で、相手側にトラブられてね・・・でもそれに関して書くとちょっと長くなりそうなので、その事は近日中にでも改めて書こうかなと思ってる。まあ、それを書くと結局愚痴になるのが判ってるんでその愚痴を聞いてくれる人が居たらの話やけどね。なので、今回は音楽コーナーメインブログとするよ。で、今回はかなり懐
恒例のタイトル特集です。コロナで様相は変わりましたが、オリンピック、パラリンピックが終わったということで・・・今月は洋楽のタイトルに「大陸名、国名、都市名、観光地名」が入った曲です。NG:世界(World)地球(Earth)など具体的な地名がないもの原題に該当の単語がなくても邦題にあればOKです。リクエスト受付期間は9月6日から9月10日までです。該当する曲は多いでしょうが、皆さんにとって「思い入れのある曲」をお願いします^^リクエストが重なった場合は先の方を優先させていただきま
1970年6月(:1969年10月~1970年4月録音)にアルバム『イン・ロック(InRock)』をリリース後,1970年6月4日英国はベッドフォードのベッドフォード・フットボール・グラウンド公演を皮切りに第二期ディープ・パープルの最終公演である1973年6月29日の大阪厚生年金会館公演まで,長くても1ヵ月程度のブレイクを挟みつつ継続的に行われるツアー.その間,1971年7月(:1970年9月~1971年6月録音)には『ファイアボール(Fireball)』を,1972年