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1月に入ってすぐでした。ホリデーシーズンも終わり、米軍も通常業務に戻りました。かおりちゃんに会いにいこう…そう考えていました。私と子供3人の車旅。『のぞみちゃん』私の書き込み。「米軍人の夫が市販薬の薬物依存性です。軍警察に連行されました。どのような情報でも良いので教えていただけませんか。助けてください。」イジワルな回答…ameblo.jp『かおりちゃん』2番目に返信をくれた、かおりちゃん。「こんにちは。私の夫も現役軍人で、市販薬を乱用しています。今はマリファナも吸います。私は今、アメ
精神科の緊急保護施設を出た日の夜。私は子供たちを連れて、ハロウィンのお菓子をもらいにご近所を回りました。子供たちがクリスマスと同じように大好きだったハロウィン。もうこんな風に過ごせるのはいつまでだろう…。私は決心しました。このままでは夫は死んでしまいます。だから、米軍に、夫の薬物依存症を相談をします。そして夫に治療を受けさせたいです。軍人の健康保険では、軍人は勝手に民間の病院へ行くことができないからです。米軍病院に、夫の薬物依存症を相談すれば、米軍病院のお医者様が軍医でも軍
アメリカの事故物件に入居して数日後…夫は複雑な顔で帰ってきました。「今日、変な人から電話があった。父だ。」「あ、連絡きたんだ、良かったね。」引っ越した後、夫のスマホの電話番号を含めて再度ハガキを書いたのは私、そしてまたハガキをわざわざ郵便局で投函したのは夫でした。だから電話がかかってくるのはわかっていたのですが。夫は「Sostrange.」(本当に変だな。)を繰り返していました。夫の両親は離婚はしていないものの、夫が米軍に入隊した後、8年間ずっと別居をしていました。二人は同じ
夫の両親が我が家に来た初日の話に戻ります。私は義理の両親に、夫のアルコールの問題を話していました。夫が米軍から「禁酒命令」が出ている話もしました。米軍人の夫に対する米軍からの「命令order」なので、従わない場合、軍法違反になり重い刑罰の対象になります。逮捕、軍法裁判、不名誉除隊(クビ)など。ついでに夫と私の結婚前の約束、「結婚して、もし赤ちゃんができたら、あなたはタバコをやめて。」結婚前の約束は漠然としていましたが、私の最愛の祖父が若い時に嗜んでいた程度のタバコがおそらく原因で
夫が行方不明になった翌朝の昼、夫がやってきました。私が出かける準備をしていなかった為、(夫は行方不明になることが増えました。だから来ないかもしれない、と準備をしませんでした。…というより気力がありませんでした。)出発は遅くなってしまい、近くのファストフードで子供たちに昼食を食べさせました。皆さまは、昨日の出来事を流してしまった私に驚くでしょうが、内心、一晩中、とても腹が立って眠れませんでした。しかしもう夫には腹を立てても、どこに行ったのかを問い詰めても無駄でした。夫は薬物依
私が第三子を出産して幸せだった頃。半年ぶりに会いにきた、夫の両親。今回は見事に別々に会いにきました。夫の父は、この頃はまたお酒の量が増えていました。確か、去年の10月頃は「もうやめた」と言っていたのですが…。夫が朝早く、近くに用事があり出かける際に、夫の父はついていき、戻ってきた時は、夫は父親にお酒を買わされていました。夫はイライラした表情で戻ってきました。「朝8時にもうビールを飲み始めたよ…。」夫は夫の父が飲んでいても、お酒を飲みませんでした。禁酒命令のことよりも「妻が出産し
私は夫の上官に、夫の薬物依存症について相談をする準備をしていました。口頭で言っても仕方がないので、恐ろしい動画も用意しました。私がスマホで撮影した、夫がオーバードーズをしている恐ろしい動画。決してオーバーではなく、本当に本当に恐ろしいです。夫の目が左右にガチャ目になったり、白目を向いたり、体は左右にユラユラと揺れ、呂律が回らず…会話はしていますが、全く会話のコミュニケーションは取れません。【怖すぎる】危険ドラッグ衝撃ビフォーアフター映像集手を出しちゃダメ‼️絶対‼️株式
夫に、今までどこにいたのか、何がどうなったのか、そしてこれからどうなるのか、車を飛ばしながら聞きました。すると…「僕には、君と子供に対する接見禁止命令が出ていた。(※Militaryprotectionorder=MPOと呼ばれていました。)だから…バラックと呼ばれる独身寮から、仕事に通っていた。」…は?(驚き①)「…で?」「なに?」(その①)「『なに?』って、薬物依存症の治療は受けられたの?」「尿検査は毎日されたが、薬物は検出されなかった。」「…だか
優しくて真面目だった夫。子供とも一日中、遊んでくれたり、私が妊娠中、夜中にトイレに起きると、夫は寝ぼけながら一緒にトイレについてきてくれました。米軍は体育会系の超激務で、ジム通いもしていた夫は、夜は疲れていましたが、それでも私が転倒しないように、体を支えてくれました。夫の勤務時間は朝7時からでしたが、何故か毎朝5時に起きて、5時15分に出かけていく夫。自宅から勤務地までは車で10分。自宅を出るのが早すぎますよね。夫はそんなに朝早く家を出て、何をしていたのでしょうか。それは…
夫の母に、夫の薬物依存性の相談をしました。夫の母は、「咳止めの依存性?…そんなのないわよ。市販薬で依存性なんて聞いたことない。」アメリカでも市販薬の依存性は深刻な社会問題です。知らないはずはないです…。市販薬依存症の本も沢山、出版されています。↓↑BBCニュースでは、アメリカの咳止め依存性のドキュメンタリーもありました。「お義母さん、夫の目を見てください。目の瞳孔が開いて、左右にガチャ目になっています。呂律も回っていません。」「…いや、普段通りの私の息子よ?」何
11月のある日、Familyadvocacyという軍の支援団体の女性たちが我が家に来ました。「私たちがあなたを助ける。全部話して。」私は何とか助けてほしくて、すべてを話しました。Familyadvocacyは数回来てくれました。ただやはり、ホームシックや子育てストレスなどの相談とは異なり、誰かに話してどうにかなる問題ではありませんでした。それに「助け」ってなんでしょうか?誰かがどうにかできる問題ではないんですよね…。私がひたすら話して、Familyadvocacyがメモ
クリスマスになり、何故か夫に、なかなか話をしてくれない夫の父。私は焦っていました。何よりも困ったことは、夫の父のガールフレンドであるペニーさんが、ひたすら話し続けるんです。「息子の同級生のジェイは、銃で自分の頭を撃って自殺した。ブランドンは、ドラッグのオーバードーズで死んだ。」アメリカのパンクロックバンド、ザ・オフ・スプリングの歌詞「Thekidsaren’talright」のようなアメリカの実態。TheOffspring-TheKidsAren'tAlr
ダイニングテーブルでボーッと座っていた私は、つけっぱなしで温めておいた油からいきなり、ボンッと火が上り、我に返りました。火事!やってしまった!油に水は厳禁なことはわかっていましたが、以前、“大きめのバスタオルを水に浸し、覆い被せば良い”という実験映像をテレビで観たことがあり、それだ!と、走って咄嗟に洗濯室のバスタオルを取り、水浸しにして…ドキドキしながら、こわい、こわい、と思いながら、何とか投げてみたら、ああ…半分も覆い被せず。その場合どうなるの?もうパニックになり
軍の警察に、両手に縄をにかけられ、連行される夫の姿…ああ、とうとうきてしまったんだな…ショック…というより、とても悲しかったです。あんなに一生懸命、自分の人生を切り開こうと、18歳で入隊したのに。あんなに一生懸命、毎日働いていたのに。あんなに一生懸命、勉強して昇格したのに。夫は軍人でなくなったら、死ぬだろうな。薬物依存がもっとひどくなり、命を落とすだろう。命を落としてでも、薬を選ぶだろう。米軍をクビ(不名誉除隊)になったら、アメリカでの再就職は厳しい。もう夫
私の第1子の子供が、「これパパのお薬、ママが困ってる。」と警察官に夫が乱用している咳止め薬の空箱を渡しました。どうやらソファの隙間に、咳止め薬の空箱を大量に隠していました。夫は薬をオーバードーズした後、必ず空箱を捨てないんです。そこまで気が回らなくなるのでしょう。だから手当たり次第の場所にとりあえず隠すんです。後で調べたら、大きなソファの境目から、空箱は…何十箱も出てきました。何よりビックリしたことは、第1子が知っていたことです。こんな状況でも子供たちは、元気いっぱい、
パトカーで連行され、連れて行かれたのは、拘置所。日本だと逮捕されたらまず留置所になるのでしょうか。私の場合は拘置所でした。アメリカの拘置所は、刑務所と変わりません。まず身体検査。ドキュメンタリーで観ていたものと同じく全裸になります。ドキュメンタリー番組ではドラッグを隠していないか穴の(笑)隅々まで調べられていますが、おそらく私は初犯で、ドラッグ案件でないからか、全裸を見せただけでした。画像はありませんでしたが、こんな格好で全裸になりました。次に囚人服を渡されました。テレビ
翌日の月曜日、グラッド先生の診察がありました。私は夫のオーバードーズの話をしました。教会に連れて行った話をしました。そこで神父様が何を言ったかも話しました。「神様に頼りましょう。あなたが本当に薬しかなくて苦しい夜、そこに精神科医は駆けつけてくれますか?本当に苦しい夜、あなたの隣には、あなたの苦しみを背負う神様がいる。神様に頼りなさい。そして私は、いつもこの教会にいる。私の元に来なさい。私は精神科医ではないが、司祭として、多くの薬物依存症者をみてきている。ほとんどの
11月。本来、8月あたりに転勤で日本に帰れるはずが、夏は終わり、ハロウィンも終わり、ハーヴェスト(収穫祭)の秋になりました。アメリカでは、11月に感謝祭、12月にクリスマス、1月にお正月、一年で一番盛り上がるホリデーシーズン。しかし私は苦しくて仕方がありませんでした。不安で不安で、夜は眠れなくなり、昼間は子供たちが起きているので私も起きていないといけませんが、いつもリビングのソファで横になり、子供たちを”見ている”ことが精一杯になりました。年が近い3人だったので、
※現在の話です。子供たちの学校イベントである卒業式、入学式、体育祭、合唱コンクール。習い事のピアノの発表会や、部活のバスケの試合。親の私にとっては楽しみで楽しみで仕方がない子供たちの行事。夫がいなくなり、ひとりで行くのがこわかったです。ちなみに私はママ友とつるむタイプではないし、一人でも全然平気なタイプです。しかし何故か、子供たちの行事に夫なしで行くのがこわかったです。以前、第2子の小学校卒業式では、第1子が中学校を遅刻してまで、わざわざきちんと制服を着て、私と一
精神科の予約は、2週間に一度。3回ほど通い、もともと温暖な地域だった州は、春になりました。私は焦っていました。何故なら、本当のことを話せていないからです。グラッド先生にとっては、私は”海外赴任妻あるあるのホームシック”や、“乳幼児のママあるあるの子育ての悩み”など、「大丈夫だよ、みんな一緒だから。」みたいなノリでした。確か3回目の診察が終わる5分前、私は賭けに出ました。グラッド先生は、軍医さんではありませんが、米軍病院のお医者様。私が夫の薬物依存症の話をすれば、グラ
次の日の朝、小部屋から出て、小部屋の前のロビーみたいな場所で朝食を食べました。似たような画像が全くありませんでしたが、こんな感じのもっと狭く、全体的にサビれた感じの白を基調としたもっと無機質な場所。朝食は何だったか、全く覚えていませんが、…確実に見覚えのあるトレイでしたコーヒーが出てきて嬉しかったですが、ノーカフェインでした。カフェインは禁止だそうです。更に拘置所と違ったところは、ロビーは男女一緒でした。昨日、私が入院の際に見かけた、両手を縛られて泣いていた40代くらいの白人女性
私は警察に電話する時、本当に手が震えました。全てが終わってしまうかもしれない。日本からこんなに離れたアメリカの東海岸で、すべてを失ってしまうかもしれない。3人の子供たちはまだ5歳、3歳、2歳。小学校にも入っていない。大人になるまで、まだいっぱい時間がかかる。でも、一生懸命、何とかしたかったけど、どうしようもならない。911…「夫がクレジットカードを…。私のクレジットカードを…。」ちがう、こんな話じゃないのに!警察に電話した後、めちゃくちゃこわかったです。どうしよ
ブログを書いて、少しは楽になるかと思っていましたが、辛いですね。私はもう元気になれないのかもしれません。下の子供が大学を出たら、もう私は死ねばいいです。それを思うと楽になります。孫の顔まで見る気力はありません。子供たちにも充分にしてあげられませんでした。もっともっと愛情を与えたかったのですが、気力がありませんでした。子供たちが苦しい結婚をしませんように。私みたいな母親になりませんように。依存性になりませんように。子供たちが私と夫のことを忘れるくらい、幸せな大人になってほしい
2番目に返信をくれた、かおりちゃん。「こんにちは。私の夫も現役軍人で、市販薬を乱用しています。今はマリファナも吸います。私は今、アメリカの◯◯基地にいます。私には未就学児の子供が1人います。夫の薬物乱用を何とかやめさせようと、必死であの手この手を尽くしましたが、もうどうしようもできなくて、めちゃくちゃです。私も何か情報が欲しくて…ご連絡いたしました。よろしくお願いします。」私と同じく、かおりちゃんのご主人は現役軍人でアメリカの基地に住んでいました。私と同じく、未就学
夫はパトカーに乗せられ、私はパトカーの中にいる夫に声をかけることなく、警察官に抱えられていた、泣いて追いかけた第1子を抱えて、家に戻りました。それから家で第1子は軍警察に遊んでもらい、すでに気持ちを切り替えて、大はしゃぎで、軍警察ときょうだいと、部屋で走り回っていました。(↑本当に第1子には脱帽。これから先、とんでもない父親の姿を見ても、冷静に対処して、のちにネタにして笑う強さがありました。)子供たちが軍警察と走り回って遊んでいる中、最初に私と話してきた軍警察が、改めて私と
アメリカの拘置所ではじめてのディナー。こんな感じで並んで、ディナーをいただいて、大部屋のテーブルで自由に食べるスタイルでした。ディナーは何だったか覚えていないので、アメリカの検索エンジンで、適当なものを表示してみました。パンが2種類?列に並ぶと、ルームメイトのA子(痩せた黒人)がピッタリ私にくっついてきました。ああ、そうだ、「一緒に食べよう」と言われていたんだ…と思っていたら、A子から「ねえ、凜。もしお腹がいっぱいだったら、食べないぶんは私に少しちょうだい?」あ
ある日、児童相談所の職員キャリッサが我が家に遊びに来てくれて、(=家庭訪問)「凜、米軍病院と保険会社であなたの子供たちの通院記録を見せてもらったけど、子供たちは歯医者さんへ歯科クリーニングとフッ素を塗りに行ってないね…。」「行ってないよ。アメリカの歯科保険のシステムがよくわからなくて…。」「アメリカではね、だいたい半年に一回、子供たちを連れて歯医者さんへ歯科クリーニングとフッ素をぬりに行かなければならないのよ。知らなかった?」「知らなかった…。どこの歯医者さんで予約できるのかな?」
感謝祭の翌日、ブラックフライデーの日の話に戻ります。前日に父親とケンカした夫。「ああ〜どうしようかな。」私は、「…お義父さんに連絡だけしてみれば?」と言いましたが…。言わなければ良かったな、と思います。夫は父親に電話をしました。父親の要望は…「お母さん(夫にとってのおばあちゃん)に会ってくれ。」「ああ、そうだね。」夫の最愛の人、というより唯一、夫が好きだったのは、血のつながりのないおじいちゃん。おじいちゃんはすでに亡くなっており、妻であるおばあちゃん(夫の父の実母。)は生
家に夫はいなくなりました。子供たちは、相変わらず朝早くから元気に走り回っていました。私は夜、眠れなくなりました。ご飯が食べられなくなりました。夜、眠れなくても、ご飯が食べられなくても、昼間は子供たちの育児をしなければなりません。本を読んであげたり、一緒に走り回って遊んであげたり、お菓子を作って食べさせてあげたかったです。一番、楽しい時期ですよね。かわいい幼児たち。私はその場にいるものの、いつもボーッとソファに座っていました。それでも子供たちはニコニコして、私に抱きついてきてく
夕飯の後、私はまた疲れてしまい、(何であんなに疲れていたのか意味不明。)また2段ベッドの上で横になり、少しウトウトしていました。後でシャワーは浴びようと思いながら…確か他の人の小部屋に入ってはいけないと言われていたはずでしたが、代わる代わる他の人が入ってきて、修学旅行の夜みたいにギャーギャーうるさかったです。すると、イキナリ静かになった…と思っていたら、ビーッとサイレンが鳴り、ガチャッと部屋が施錠されたのがわかりました。私は飛び起きました。「もう大部屋に出れないの?」「