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(1)麻原のヴァジラヤーナ思想と犯罪の始まり●教団創設以前からの麻原の武力肯定の思想違法行為や武力行使を正当化する麻原のヴァジラヤーナ思想の始まりは、世間一般に言われている90年に総選挙で敗北した後という見方よりも、実際にはずっと早い。まず、1985年の5月に、麻原は、精神世界系の月刊誌トワイライトゾーンの取材に対し、神から『あなたに、アビラケツノミコトを任じます』という啓示を受け、それが、「神軍を率いる光の命」、「戦いの中心となる者」と判明したと語っている。さらに、自分
(5)ヴァジラヤーナ活動に参加してしまった原因の反省●なぜ弟子はヴァジラヤーナを受け入れたのかなぜ、弟子達が、大量破壊兵器を用い、日本社会を広く破壊する可能性がある麻原の預言成就の計画に参加したかというと、それには、複雑な複数の原因・要因・背景がある。それは、人によって、時期によって、多少は違うと思うが、絶えず存在した基本的な理解とは、①教団は(大量破壊兵器を含めた)軍事力を形成・行使して、ハルマゲドン的な大災害を起こしたりするが、②その結果として、真理の社会・国家が出来、
(1)オウムへの入信と修行オウムの犯罪の原因となったのは、麻原・オウムの教えと修行である。そこでまず、私自身の体験を要約して述べた上で、今の時点で、私が、それをどのように反省しているかについて述べたいと思う。●入会(入信):1986年、23歳の時私がオウム真理教の前身団体であるオウム神仙の会に入会したのは、一九八六年の夏、23歳の時だった。当時は早稲田大学の大学院の修士課程の2年目。動機は、以前から超能力や超常的なことに関心があり、ヨーガに関心をもっていたからだ。私
2008年9月2日小林由紀1.オウムと出会う私は、24歳の頃には「どこかの寺に出家して尼さんになりたい」と思っていました。それは、不毛の恋愛に疲れたことが大きく、本気で魂の救いを求め、また、地球の平和と人々の心の平安のために生きて行きたいと思いました。お付き合いしていた男性とは、遠距離になり、電話ではまだ話していましたが、もはやそれが苦痛になり、もう他の人と付き合う気力もなく
そそそそそそそそそ尊師~🎵(キチガイ集団)アレフの残党の猛者集団山田らの集団そそそそそそそそ尊師〜youtu.be【Wikipediaより】山田らの集団(やまだらのしゅうだん)は、オウム真理教の後継団体であるAleph(アレフ)から分派した宗教団体の通称。石川県金沢市を拠点とし、山田美沙子(ヴィサーカー師)を代表者とする[1]。Alephから分派した時期は2014年(平成26年)-2015年(平成27年)頃とされる[2]。正式な団体名は不明であり、「山田らの集団」は公安調査
目次【0】目次・はじめに【1】第1オウム真理教に出会うまで(~1989)――入信の土壌を形成した時期【2】第2オウム入信から出家に至るまで(1989~1990)――オウムへの確信を深めた時期【3】第3サリン事件に至るまでの出家生活(1990~1995)――教団の変質、個人崇拝に追随した時期【4】第4事件後の混乱を経てオウム休眠に至るまで(1995~1999)――社会対応に苦悩しつつ"グル肯定"した時期【5】第5アーレフ発足から「ひかりの輪」に至るまで(2000~2