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こんにちは。心理カウンセラーみかです週末は才色兼備な美人同級生と食事へ☺️✨和食でフランベ鱗がカリカリになって美味し過ぎた‥🙏大名筍と、宮崎牛が最高😭✨唸る美味しさで‥流石、美味しいお店選びが上手な友人セレクトでした☺️💓絶対また行きたい^^そしてカウンセリングの出張で鹿児島へ🌋✨日帰りでしたが充実して感謝感謝の日でした☺️✨さて、昨日配信したスタンドFMの音声ですがこの配信後、夜までホームページからのお問い合わせが鳴り止まない状況でした皆さん声
私は度重なる家出の末に児童相談所に保護され一時保護所で一時的に保護された一時保護所というのは児童相談所が管轄する言葉通り子供を一時的に保護する所で何らかの理由で家には帰れない帰すことができない児童を預かるそこには0歳児〜高校3年生までが入所でき親に育児を放棄されて児童養護施設が決まるまでの間入っている子もいれば非行行動が酷く家庭裁判所の結果を待つ子もいる理由も年齢もさまざま最長2ヶ月間しか入れずもちろん自由に建物内を動くことも出入りする事も
あなたの人生が前進する&輝くためのお手伝いをしています。中田詩子・プロフィール⇒こちら日々カウンセリングをしていてまたは自分も時々カウンセリングを受けたりする中で、つくづく思うのはカウンセラーはクライアントさんのお話をよ~くよ~く聞かないといけない・・・ということです。クライアントさんのお話をしっかり聞かないとカウンセラーは自分の体験や、自分のメンタルブロックによる思い込みによる片寄った判断でカウンセリングを進めていってしまうの
それにしても娘があんなに酷い事をされている家の中で平然と生活のできる母の心理状態は少し異常だと思う私が包丁を突きつけられても私が湯船に沈められても姉が大怪我を負っても祖母を止める事なくそれどころか姉に口止めまでしてしまうどう考えても正気の沙汰ではないと思う普通ならこれが他人でも助けようとしない?通報でもなんでもその人を何とか助けようとしない?それを我が子が受けているなら尚更だと思う私がもし自分の子供達があんな事をされたら。。。という
毒親育ちアダルトチルドレン子育てを楽しめないアラサーママが『3ヶ月の感情出し』でイライラ解消!愛あふれる『ゆるニコママに』毒親育ちママのイライラ解消コーチ♡葵井友梨(あおいゆり)小さなことで子どもにイライラ"ママ怒らないで"と言わせる情けない自分責めの日々↓↓↓たった3ヶ月で"ママ優しい大好き"と言われる毒母にも夫にも本音で話せる!『過去にとらわれずいまここにある幸せを味わい尽くそう!』公式LINEアカウント登録者様限定【プレゼ
【回避型の男性-9】実話から徹底解説!愛着スタイルを知るメリットこんにちは、開運HAPPY心理学開運セラピスト詩子です。お読み頂きありがとうございます😊大好きな男性ほど追いかけてはいけない!!愛されるのが当たり前!パートナーから溺愛されて思い通りに愛される幸せな愛され美人になる💖『開運♡happy心理学』始めましてましての方開運♡happy心理学大人の愛され美人マインド✨つねずみ詩子/プロフィール私の想いはこちらから『【愛され美人マインド】当た
母は私達が虐待を受けていた時どんな気持ちだったのだろうどうして助けてくれなかったのだろう今でもとても疑問に思う我が子が実の母親からあんなに酷い目にあわされているというのに何故止めてくれなかったのか何故私達を連れて家を出てくれなかったのか私はこのブログを書くにあたって姉から「お母さんの事でもあるしブログを書く前にお母さんに一言言っておいた方がいいんじゃない?」そう言われてブログを書き始めてすぐに母にブログの事を伝えに行った母はその時初めて私に「1つ
フリマサイトでいわゆる「毒親関連本」がこの3月頃から初めて出してみてやっと売れたので、宇宙からのシンクロニシティを感じ・・・これはっ!またもやDESTINIY!と書かずにいられなくなったので書きます。明日...1/28(土)新月の前に手放したくなったのもあるかも...本の引用はほどほどに・・・と言いながら手放すに当たって何度も読み返したいとこちらにころは書き記しておくことにしました。いわゆるスーザン・フォワード氏の後発本と言われている、ダン・ニューハース著「不幸にする親」の
クリスマスになり、何故か夫に、なかなか話をしてくれない夫の父。私は焦っていました。何よりも困ったことは、夫の父のガールフレンドであるペニーさんが、ひたすら話し続けるんです。「息子の同級生のジェイは、銃で自分の頭を撃って自殺した。ブランドンは、ドラッグのオーバードーズで死んだ。」アメリカのパンクロックバンド、ザ・オフ・スプリングの歌詞「Thekidsaren’talright」のようなアメリカの実態。TheOffspring-TheKidsAren'tAlr
とにかく自信がないいつもびくびくしているストレスをためやすく、少しのことで落ち込みやすいこのようなアダルトチルドレンの部下は仕事の能力があっても対人コミュニケーションの問題でトラブルが起こしやすいです。アダルトチルドレンの部下が職場にいたら、どのように対応すればいいのでしょうか?まず、アダルトチルドレンといってもさまざまなタイプがいます。①自信がないタイプ「自己肯定感が低いタイプ」です。このようなタイプは「仕事のできぐあい」と「自分の価値」が一致しています。なので、仕事で失
今日のご縁に感謝申しますハッピーマインド・ラブライフチャンネル生き方のと土台を作った幼少期の親、家族との関係を紐解き、人生幸転に導く自己愛らいふデザインナビゲーターカウンセラーマリアひとみです。マリアのプロフィールはこちら今回は、子供の不登校、引きこもり時の親の心の持ち方、親子の交流の仕方のヒントを書いています。関心がある方は参考ください子供が不登校ぎみになったとき、大丈夫なのだろうか?と心配しておられるお
首伸びた?顎も引き締まって来た(骨が動いて来た)保育園時の頃からデブで父親からひゃっかんでぶ、家畜、ぶっ殺すぞ!女はいらんかったとさんざん言われて自己肯定感マイナスでいきてきた40年間少しずつマイナスを減らせて来て、0に近づいて来たかな最近は、心に余裕が出て来たせいか、父親はほんとに殺したり、半殺しにしなかったから、言葉や、表現が不器用で尖ってたんかなーと思うようになった私もその遺伝子引き継いで、40歳から世界でNo.1の女優を目指してます
姉の生きて行く力これは小さな時からの色々な経験から通ずるものがあるのかもしれないと思った姉が虐待を受けている時みんなが家を留守にしている間に姉は空腹に耐えかねて台所を物色炊飯器のごはんを食べるそれが祖母に知られてしまい祖母は台所の引戸の内側につっかえ棒をして扉が開かないよにしてから出掛けていたこれは以前の投稿でも書いたそのつっかえ棒すらもうまい具合に外してキッチンに入る姉。。。そしてそれも祖母に知られてしまい姉はみんなが留守にする時はベラ
こんにちは。心理カウンセラーみかです今春は目まぐるしく生活が変わり朝5時台に起きることが奇跡(笑)まだ身体は慣れないもののお弁当を作り終えた時の喜びや午前中のゆとりに心が清々しい毎日を過ごしています☺️さて、昨年からスタートしたスクール生の最後のグループZOOMが終了しましたもう始めから最後まであらゆるご報告やお言葉にこれまでで最も感動的なZOOMでした✨笑ったりご自身の頑張ってきた道のりに涙を流したりメンバーさまのご報告に
祖母の私達への虐待は止まる事なく続いたそんな中姉が虐待を受けていた時の事姉はもう5年生も終わりに近づき3学期も中盤に入っていたリビングのテーブルの上に置かれた見慣れない冊子表紙には雪化粧の山の写真に「白峰村」と書かれていた私はその時通常の生活をしていた何やら母と祖母がバタバタとしているそんな雰囲気が何もわからない私にも伝わってきた3月中旬春休みに入ってすぐ突然泊まりで出かけると言われたしか母に連れられて姉と私と祖母と4人で電車に乗ったかなり長
祖母の虐待は回数を重ねるごとに猟奇化していった。。。今考えると本当にどうしてあんな事ができたのか人の心がある人間にできる事なのか?と思ってしまう程祖母の虐待が激しくなればなるほど姉も私も祖母から逃げる祖母は私達に逃げられないようにあの手この手を使ってきたある時は姉の虐待の時も私の虐待の時も毎日の学校の登下校を母に送り迎えをさせるようになった前に住んでいた家では神経質なくらいに夜中まで働く母が昼間は寝ているからと私達に静かにするように言い聞
劣等感や自分嫌いを手放して自分らしく満たされる毎日を。【自分を大切にする心理学】心理カウンセラーの斉木智美です。「感情を感じましょう」よく心理の世界で言われる言葉です。私もカウンセリングや講座でよく言います。感情を感じましょうと言われると日々の感情すべてを感じたほうがいいと思うかもしれません。だけどですね、これ、違うんです。湧いてきた感情すべてをそのまま感じればいい訳ではないんです。感じ方によっては、全然スッキ
無事に祖父母に会う事ができた姉は家を出てきた訳を祖父母に話した祖父母は事情は理解してくれたものの姉を引き取る事はできないと。。。その日の晩のうちに母に連絡をしてしまった父方の祖母は電話で母に「引き取ったのに家出してくるなんてどうなってるの!」そう言った連絡が入った母と祖母はすぐに名古屋に向かった翌日の朝には2人が迎えにきたあんなにも大変な思いをしてやっと祖父母の元に辿り着いたのに呆気なく連れ戻された姉自宅に帰るともちろん言うまでもなく
母子癒着で母親がしんどいと感じる方へレバノンの詩人カリール・ジブランの『予言者』より「子どもについて」をご紹介させていただきます。自由に生きること幸せになることに母親に罪悪感を感じてしまう。自ずっと母親にイライラする憎んで許せない・・でも、母親から離れられないそんな母子癒着は解決困難な悩みのひとつですがその呪縛をほどき自分の人生を生きる実感を取り戻すことができます。詩の中の子どもの立場でこの詩を読んでみてくださいね。
4年生の冬私はまた祖母から逃げるために家を飛び出して真夜中寒さを凌ぐためにマンションの駐輪場で体を丸めてしゃがみ込んでいたそれでも寒さを凌ぐ事はできず私はあるマンションのエントランスで寒さを凌ぐ事にした当時私の行動範囲の中で唯一のオートロックのマンションあそこへ行けば寒さを凌げると思いついた深夜のマンションなかなか人が通らずドアが開かないそこへ1人の人が帰ってきたその人は私の事を不審そうに見ながらオートロックを開けた私はその人と一緒にマンションのエント
姉が白峰村へ行ってから私は実は少しの希望を持っていたそれは祖母のターゲットが2人では無くなったことだった今までは2人のターゲットがいた祖母は2人同時に同じように接する事ができないだから片側だけを虐待してその間は片側を普通に生活させるターゲットが1人になれば虐待は起こらないかもしれないそんな期待があったけれどその期待は奇しくもすぐさま裏切られた姉がいなくなった直後から矛先は私のみになってしまったそれは私にさらなる絶望感を生んだもう終わる事はないそう感
私はその後警察に保護されそのまま一時保護所に保護されたこの時は今までで最長期間の保護だったある日のケースワーカーとの面談「もうここから出なあかんねんけど。家に帰る?家に帰りたくない場合は施設に入るっていう方法があるねんけどどうする?」と聞かれた私は即答で「家には帰りたくない」と答えた「じゃあ。施設に入れるように手続きするね」私に一筋の光が差したこんなに嬉しい瞬間は今まで味わった事がなかったやっと地獄から抜け出せるそれから数日後一旦家に帰されて後日施
さて、インフル騒動の疲れもあってかメンタルが落ち過ぎて久々の更新です※来週から前向きに治療のため、ちょっと愚痴らせていただきたい。甘ったれなので…不快な方はスルーお願いします母親のサポートが得られない事…定期的に堪えます産前産後も日常も、全て実家に頼れず夫婦で乗り切ってきましたそんな人たくさんいるはずで、特別ではないです。…でも、病院で周り家族付き添ってる姿見ると私は1人ぼっち…とか涙が出てしまい、30後半のおばばんが子供かー失笑今後入院なったりしたら子供
祖母は度々私の表情に苛立ちを見せたお説教中や殴られている時の私の目や態度に更に怒りが増す事がよくあったこの時もそんな事がきっかけだった突然台所へ私を連れて行き刃先を私の方に向け私のお腹に刃先を突きつけ私に包丁を持つように指示してきたそして「早く刺せよ!!早く死ねよ!!」と何度も怒鳴りつける時折祖母がその包丁を押してくる私はその時裸でお腹に刃先が何度も触れたでも。。。私はこの時心の中で「何で私が自分で死ななあかんの?あんたが刺して
私は小学生の頃に親からの愛情に疑問や不安を抱き(母は病気で機能不全家族でした)自分から親と離れることにしました物理的にというよりも精神的に、です親を他人と見做して頼ることも甘えることも辞めましたおそらくこれが回避性依存の根源なのでしょう今は親のことを許せているというか人間そんなもんだよねって思えていますが、それでも関係性や自分の性質はあまり変わっていませんこれが恋愛や家庭においても同じで、人との距離が近くなるほど離れたくなる不思議な気持ちになります自分と一緒に居たら不幸にしてしまう不
あぁ息子…0才~1才の時、シュタイナー教育に目覚め、サークルに入って流木みんなで磨いたりソプラノリコーダー吹いたり、カロリーネ・フォン・ハイデブランド著「子どもの体とこころの成長」順番に朗読したり、オイリュトミーしたりしたなぁ。みぃ~んなセレブでいい意味変わった人で(まおまお。も変わってるのかも?だけどさ…)ビビったなぁ。六人お子さんいるご夫婦揃っての先生もいたなぁ。その時にイベントがあって(シュタイナーを学ぶ、みあれの会としても出ました!)断捨離してたら、息子、入園前のリクシルでのイベン
私達姉妹の家出姉は祖母の虐待が始まってから以前も書いた様に家出を繰り返したもちろん私もそれを見ていたため家出を繰り返したが私はといえばお金もなく着の身着のまま家を飛び出して行く当てもなく団地やマンションの駐輪場などに身を隠すしかなかった友達に助けを求めた事もあったが親御さん達が不審に思いすぐに家に連絡が入ってしまう食べる物もなく限界が来た私達はとうとうスーパーで食べる物を盗んでしまったそれが見つかって補導されて家に連れ戻された事もあ
猟奇化していく祖母の虐待の内容は今思い出してもゾッとしてしまう姉が虐待を受けていた時姉は着ていた服を全て脱がされベランダに真っ裸で放り出された事があった中から鍵をかけて何日間もベランダに放置されたトイレに行きたいと姉がお願いすると祖母はシンクに置くタライを持ってきたそしてその中でしろ!と姉に言った姉は仕方なくその中に用を足したそしたら祖母が「自分がしたんやからその中に座っとけ!」と姉に言ったのだった姉は祖母に言われるがままに自分が用を足し
名古屋に辿り着いた姉姉の持っている祖父母の情報は名古屋に住んでいる。。。ただそれだけだった10歳の姉はとりあえず駅のロータリーに停まっていた沢山のバスのうちの1台に当てずっぽで乗り込んだどこへ向かっているかもわからないバスに揺られながら外を眺めているとどんどん人気や建物が無くなっていく姉は不安になって名古屋駅からかなり離れたと思われるバス停でバスを降りた降りた先は人気がほとんどない小さな町だったどこへ向かえばいいかもわからず引き返そう
2人目の継母は日に日に私達姉妹の生活に苦をもたらしていく当時40歳ぐらいだった父が私達に‘’新しいお母さんだよ’’と言って連れてきた2人目の継母は19歳の若い女性だった。父はその女性を家に置いたままずっと何日も帰宅しない。そんな若い新しい母親からは食事も与えてもらえなくて完全に放置状態。自分の子どもが産まれてからは家にいるようになったんだけど。それでも、何もしてもらえなくて。。ある日。姉も学校へ行っていて私はあまりの空腹に「お腹空いた」って継母に言った。