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我が家にある我が家の最古の漫画。海をまもる36人の天使。丘けい子さんは1947年生まれの漫画家さん。昭和30年にあった出来事を漫画にしたと書かれていて実話なのかな・・・と調べて見たら若干の設定の違いはあるけれど実話を元にした話だそうです。丘けい子海をまもる36人の天使実際の水難事件を元にした実話(premium-goma.com)この単行本には他に2作品収録されていて発行。初版は1968年。
アウシュビッツ写真の続きです。写真が多くて、詳細を載せるのも一苦労。それゆえに更新が遅いのをお許しください・・・;今回は簡易裁判所~ガス室一歩手前まで。簡易裁判所の写真アウシュビッツのなかでも、一応ルールはあったそうです。簡易的でも多少のルールがないと、施設内の風紀乱れてしまうからです。ということで、一応の裁判所。脱獄を試みた収容者、脱獄しようとした収容者グループの連帯責任を問う場所。裁判の
写真掲載最終回です。この暗いテーマもようやく終わりです;;やっと大まかな写真を全て載せることができました。実際は10倍くらい写真を撮っているので…選定もかなり時間がかかります。掲載している側もですが、読んでくださっている方にもかなり重たい内容ですよね…読者登録していただいている方には更新の通知が行ってしまうのであまりショッキングな写真を頭に載せないようにはしていますがもし気を悪くされたらごめんなさい。そして、いつも読んでくださっ
人生において選択の場面はとても多く、今ここにいる自分は数々の選択の結果で出来上がっているわけで、、まぁ選択とはいっても、軽いものから重いものまで多種多様ではあるんだけれど、、自分がした選択の結果を周囲に責められることもあったし、責められないにしても陰口を言われてる気がすることもあったし、何も言われないにしても「あーあ…」と、居丈高な憐みと好奇の表情で見られることもあったし。少なくもあなた自身を巻き込む選択じゃないならば、どうこうされる筋合いはないと思いたいけど。かといって選択肢が与えら
クラクフアウシュヴィッツ収容所ービルケナウ収容所アウシュヴィッツに行ってみたいけど、東欧も行ったことないし、言語が伝わるかどうかも、、という不安は必ずあるもの。行き方や、入場の仕組みなど、様々なことを詳しく載せているのはガイド本にも少ないので、二回行った経験を通して大切なポイントをここにまとめてみました。詳細:1回目クラクフに三泊のうち1日を使いました。事前にネットで調べて「中谷剛」さんという方が政府認定の日本語ガイドの方であることが分かったのでemailアドレスを通して直接ご
先週末イタリア人の友人とポーランドの古都クラコフに行った。そのメインイヴェントとしてナチスの強制収容所跡地のアウシュビッツービルケナウ行きツアーに参加。テーマが重いので翌日から書き始めたのになかなかブログが進まず、今頃になってしまった。これまでの人生の中で一番衝撃を受けた旅行だったので備忘録として残すことにする。アウシュビッツでは英、独、伊、仏など言語によるツアーに参加するのが普通で英語版に参加した。まずツアーでないと現地に行くのに一苦労だし、更に展示物の意味が分からないので、早々に
旅行から帰ってきたので、ようやく更新できます。アウシュビッツの写真を、ガイドさんから伺った情報とlebebeが個人的に調べた内容と共にアップします。気を悪くされるかもしれませんので、ご覧になる方は一部ショッキングな写真があることを承知の上でよろしくお願いいたします。アウシュビッツ入り口こうした看板も、当時の収容者が強制労働の一環で作っていたそうです。働けば救われる、という意の門。
アウシュビッツについては、心を落ち着かせて書きたかったのですがどうやら私は感傷的になると、日本語での執筆よりも英語での執筆の方が進む傾向があるらしく英語で書いて、自分で翻訳するという訳の分からない状態になりました。大学院に行けたら、こういう状態を何と呼ぶのか、第2言語習得の資料を探してみたいと思います。今回は少しの写真と文章のみ。少し時間をおいてから、説明付きの写真をアップしていきます。Ithasbeenalon
ポーランド旅行記3日目は、朝9時からの岩塩ツアー。訪れたのはヴィエリチカ岩塩坑というポーランド世界遺産の岩塩採掘場。壁も床も全部塩。体育館並みのホールで、圧巻。1044年から採掘作業を開始して1950年まで稼働していたこの岩塩洞窟。1044年からって、相当です。日本がまだ平安時代の「やんごとなき~」っておじゃる丸の世界ですよね。そんなときから採掘してたって…すごいですね。いたるところに、歴史に関する彫
第2次世界大戦中、ナチス・ドイツはユダヤ人だけでなくポーランド人も強制収容所に送りました。『ソフィーの選択』の主人公、ソフィー(メリル・ストリープMerylStreep1949-)もその一人です。アウシュビッツに着いた時、彼女は二人の幼い子どもと一緒でした。しかし、戦争が終わり、アメリカに渡った時、子どもたちの姿はありませんでした。彼女は人生で何を選択したのでしょうか?<あらすじ>※ネタバレ注意作家志望のスティンゴ(ピーター・マクニコルPeterMacNicol19
2023年8月9日私にとって「シモーヌ」と言えばまずは、ボーヴォワール。だけど「シモーヌ・ヴェイユ」も名前だけは知っていました。若くして亡くなった思想家…というか、社会運動家、のようなイメージとともに。その人の映画なんだろうなーでもなんだか宣伝ヴィジュアルの風貌が違うような…まあ、映画だから?とか思いながら観に行った。この類いの映画、早く行っとかないと無情にも早く打ち切られてしまうから。ところがどっこい、前の回が終わって出てくる方々が予想以上に多く、しかもなんだかお洒落な女性ばかりで、